第198話「新しき女王」

 後宮を舞台に、新しきアラゴンの女王となるセレスティナとの会談が始まった。

 まさか、最初の公式外交がベッドルームとは俺らしいのかなこれ……。


「外交ならば、王城のほうがいいんじゃないのかな」

「ウフフッ、ここのほうが良いのよ?」


「そうかな、どうして?」

「新しい国家の総主としての外交ならば、シルエット女王陛下を相手にすべきでしょう。これは違う意味でシレジエの勇者様との深い繋がりを作りたいということですもの」


 そういうと、セレスティナは俺の肩をさらっと撫でた。

 何気ない仕草が、いちいち魅惑的だ。触れられただけで吸い付けられるようだ。セレスティナは、『魅惑ファンネーション』の特異魔法を使うが、すでにその魔法にかかってしまったのかもしれない。


 それにしても後宮に、部外者であるセレスティナが入ってこれて、誰も来ないということはもう全部段取りは済んでいるということだ。

 自然と人払いが行われているのか、辺りに誰もいなくなっている。


 これって、つまりそういうことをしろってことだよなあ。

 真面目な政略の話をしてたはずなのに、毎回なんでこんな艶っぽい話になってしまうのだろう。


「その深い繋がりという意味が、俺にはよく分からないんだが……」

「あら、ここまでお膳立てされて分からないことはないでしょう。シレジエの勇者様ともあろうお方が、女に恥をかかせるのかしら?」


 そう言って、しなだれかかられると困ってしまう。とぼけても無駄らしい。

 もちろん俺だって、意味が分からないわけではなかった。セレスティナは、俺にここで抱かれたがっている。


 シレジエ王国がアラゴン王国を後押しして分離独立させるのは、カスティリア王国の力を落とす政略上の利点もあるし。

 戦争が終わって、余っている武器や戦力の有効活用ができるという経済上の利点もある。一石二鳥だ。


 ただ、その利だけでは他国の内戦を後押しする理由としては少し足りない。

 もっと分かりやすい国同士の繋がりが必要なのだろう。


 例えば、女好きのシレジエの勇者が、援助を求めてきたアラゴンの女王に誘惑されてまんまと深い仲になってしまうなんてシナリオはどうだろう。

 身体の結びつきは、血の結びつきともなる。


 ねんごろになれば、セレスティナは俺の身内だ。

 セレスティナが女王となるアラゴン王国を、俺の軍が公然と後押しする義理だって立つ。


 勇者の私事とは、公事にもなってしまう。

 今はそういう時代だ。


 俺がセレスティナと結ばれるのは良いことなのだ。しっかりと、俺がセレスティナのバックに付いていると見せつければ。

 カスティリアの内戦のダメージを最小限に抑えて、アラゴン王国の分離独立を認めさせることもできるだろう。


 しかし、政略結婚みたいな事情で女と床を共にするのは、俺にはとても抵抗がある。

 セレスティナの肢体から立ち上る甘ったるい花の香。鼻孔をくすぐるのはシクラメンの香りだった。


 お香でも焚いているのかと思えば、その強い香りはセレスティナの大きく開いた胸元から漂っていた。

 香水とかなのだろうか。


「あら、これが気になる?」

「いや……」


 セレスティナはクスリと笑って、豊かな胸元から首に巻いている金の首飾りを引っ張りだす。

 女は勘が鋭い。俺の視線がどこに釘付けになっていたかは、丸わかりらしい。


男根像ファスキヌムよ。私の地元に古くからある子宝に恵まれるお守り。奥様がたくさんいるシレジエの勇者様には必要でしょう。ささやかな贈り物ですけど、今日の記念として差し上げましょう。これは本当にすごく効果があるマジックアイテムらしいわよ」


 なるほど。男根像ファスキヌムか。材質は黄金でできている。珍しいものだ。

 確かに日本のご神体でもそのようなものがあるし、そういう形がお守りに使われることもある。


「安産のお守りか、でもセレスティナがいつも持っているものだろ」

「私のはもうひとつあるの、これの女型のタイプがね……。この男根像ファスキヌムは、もし私に決まった相手ができたらあげようと思って、ずっと持っていたものだから、どうぞ遠慮なくいただいてください」


 男のナニを象った首飾りを頂いてしまったのだが、なんだかこういうものをもらってしまうと雰囲気が怪しくなってくる。

 物珍しくユーモラスなマスコットなのだが、ベッドの上でそんなものをいじっていると妙な気にもなってしまう。


 しかも、あのふくよかな胸の谷間に押し込まれていたものだ。

 触れていると、まだ生暖かい気もする。金色に輝く小さな男根像ファスキヌムからも、セレスティナと同じ香りが漂う


「ゴホンッ、そんなことより、いろいろと済まなかったな」

「なんのことです?」


「アラゴン王国の反乱を煽ったのは俺達だ。おかげで、君はまた戦争に巻き込まれることになった」

「そんなことは良いのよ。少なくとも、ダンドール人は貴方に感謝してる。征服されて服属させられてから、ずっと二等市民の扱いを受けていたのだし、独立の良い機会だわ!」


「そうか……でもシレジエ王国も、たぶん君達を保護国とすると思う。アラゴン王国が上手く独立できても、カスティリア王国に対する緩衝国にさせられるだろう」


 そこは、正直に言った。

 ごまかしようのないことだ。


「それも良いのよ。カスティリア王国から独立できるなら……。自治権だけでもと思っていたのに、きちんと私達の独立まで認めてくれるのは破格の条件だもの」

「俺は、基本的に各地域が自主自立でやってほしいと思っているからね。しかし、カスティリア王国の支配とはそんなに酷かったのか」


 そう聞くと、セレスティナは頭を振る。


「支配者としてはそこまで苛烈ではなかったのだけれど、なんて言ったら良いのかしら……」

「うん」


 セレスティナは少し考えこむように首を捻ると、口を開いた。


「そうね、水が合わない」

「水?」


「生き方がまったく違うということ。私達ダンドール人は、山の民よ。海に出ていったカスティリア人とは生き方が全然違う、山の湧き水と海の塩水ぐらいに違う」

「それは面白い例えだな」


「被差別的な待遇をされることは我慢できた。人頭税を取られることも、厳しい軍役を課せられて無益な戦争に参加させられることも……でも、まったく違う場所で違う生き方を強制させられることだけは耐え難かった。貴方の国なら、そんなことはしないでしょう?」

「ああ、それだけは約束できる。政略の都合はあるだろうが、俺は少なくとも民族の文化や独立国の自主性を否定したりはしない」


 これまでの覇権国家は、ユーラ大陸を統一して均一の世界にしようとしてきた。

 一つの権力が支配する争いのない世界。


 その理念は一見すると世界を恒久平和へと導くようにも見えるが、その実は各国の活力を奪い去ってしまう愚行であることを歴史が証明している。


 人も、国も、多様なのだ。

 多様な価値観を認め合うことこそが、世界を豊かにする。


 俺が目指すのは、各国が独立して国柄を維持できる世界秩序だ。

 万国公法によって国際的なルール作りは行うが、そのルールの中で各国間は経済的に争い続けるだろう。


 権力を統一させないから、ときには考え方の違いで紛争も起こるだろう。武力の衝突もあるかもしれない。

 それでも、その違いによるぶつかり合いがあるからこそ各国の民は切磋琢磨して、進歩していくのだ。


「カスティリア王国から、ダンドール人を独立させることは私達の積年の夢だった。それを貴方にしてくれなんて図々しいことは頼まないけど、手助けしてくれると嬉しい。シレジエの勇者様となら、楽しい夢を見れそう」

「そうだな、お互いの利害は一致しているようだし、手助けはもちろん……おい、セレスティナ」


 真面目な話で、ごまかしてみたものの、どうやらこの艶っぽい雰囲気はごまかしようがないらしい。

 しなだれかかってくるセレスティナの柔らかい身体を、俺は撥ね退けることもできない。俺の手に、柔らかい手が重ねられた。


「私も、ベッドの中でだけならタケル様とお呼びしても良いですか」

「独立したてだけど、立場上はセレスティナも立派な女王だろう。好きに呼んでくれたらいいさ」


「じゃあ、タケルと呼び捨てでも?」


 そうイタズラっぽく笑う艶めかしいセレスティナは、大胆にも俺を真正面から抱きしめてくる。


 ふくよかな胸を、俺の胸に強く押し付けられて。

 スリットから伸びる生足を絡められて、耳元に息を吹きかけられてはたまらない。


 しかし、このまま押し流されたら浮気になっちゃうよな。

 後宮のベッドで堂々と浮気してしまうとか、すごくマズいのでは!


「ちょっと待て……あのだな。セレスティナと俺に深い結びつきがあるということを、内外に示すのがとっても大事なのは分かった。でも、こうやって一緒に寝ているだけでも十分じゃないか」

「あら……せっかく女がここまで覚悟を決めて来てるのに、それはあまりにもつれないんじゃありませんか」


「しかしなあ……俺は、浮気はしない主義なんだよ。妻が十人いる男が何を言うのかと思うだろうけど」

「意外と噂より堅いんですのね。もっと誰でも彼でも見境なしかと、あっ……こっちは硬くしてくださっていいのですよ」


 セレスティナが、上品な顔立ちに似合わない下品なギャグを言うので笑ってしまった。

 気安い感じがする。おかげで、強張った気持ちが弛緩した。


「まだ知り合ったばかりだし、俺はプレイボーイでもないし、なかなか女には慣れないんだよ……」

「うーん、そうですね。うちの地元でも契りを交わすのは、まず三日は通ってから初めてするのが習わしです」


「そうだろ。いきなり一夜を共にすると言われても、セレスティナだって好きな男ぐらいはいるんじゃないか」

「好いている男なら、私の目の前におりますよ」


 そう言って俺を射抜くように見つめるセレスティナの黒曜石のように濡れた瞳には、「まさか冗談だろう?」と軽くかわせない強さがあった。


「俺は、そこまで好かれるようなことをやってないと思うんだがな」

「あら、戦場でタケル様をお見かけたときに、私は運命を感じました。貴方はダンドール人ではないそうですけど、私達はとても良く似ている」


「それは、そうかもしれないけど」

「運命なんて、そんなものです。この広い世界で、お互いに似ているってだけでも十分です。きっと私とタケル様は同じくなる運命だったんですよ。それに、貴方の歓心を買うことができれば私達はみんな救われるのですから、なおのこと。手荒い悪漢の手から助けだしてくれる勇者様を、助けられた女が好くのは当然でしょう」


「それはまあ……どっちにしろ十分な後援はする。お互いの利益になることだし、お互いに助かることだし」

「だったら……フフフッ」


 真面目な顔で俺と話していたセレスティナは、不意に笑い出してしまった。


「何を笑う?」

「なんだかじれったいなと思いまして、私は男を口説く経験なんてしたことがないからどうやら上手くできないようです。私の『魅惑ファンネーション』の魔法をかけて差し上げれば一発なんですけど……怖いお姉さんが見てますから、ズルはできませんね」


 誰が見ているのだと思ったら、ベッドの影からカアラが出てきた。

 カアラは、俺達の前に跪いて長い髪を床につけるように深く頭を下げる。


「国父様、床入りのところ無粋な真似をして申し訳ありません。その上級魔術師はこの前まで敵だった者ですから、万が一のことがあってはと……」

「いや、良いんだ。お前は俺の護衛でもあるしな」


 カアラの隠密魔法は完璧で俺などは全く気が付かないが、さすがにセレスティナも上級魔術師。

 影に隠れているのにずっと気がついていたらしい。セレスティナは薄く笑うと艶然とした瞳を向けて、カアラに言った。


「なんなら、そこでそのまま見ていてらしてもいいですよ。カアラ様も、タケル様の奥様なのでしょう?」

「アタシは、そこまで無粋な女ではない。それより、手が震えてるぞ誘惑の魔術師」


 カアラは、近づくとセレスティナの手をさっと取った。そう言われて、セレスティナは少し動揺した素振りだった。

 俺にはセレスティナは余裕たっぷりに見えて、とても震えているようには見えなかったのだが、カアラが言うのだからそうなのだろう。


「私としたことが、少しだけ緊張してるみたいですね。私の誘惑に勝てる男なんていないと思ってましたから、ここで交渉が難航するなんて思っても見ませんでしたもの」

「魔法でズルをしないなら、アタシが関与することではない。新しきアラゴンの女王よ、そうしたいならば、せいぜい国父様をしっかりと誘惑してみるといい。その想いが誠ならば、お優しい国父様はちゃんと受けてくださるはずだ」


 カアラがそんなこと言ってるけど……。

 想いが誠ならとかじゃなくて、俺は浮気には抵抗あるだけなんだよ。


 俺も勇者などともてはやされて、国を治める立場になってから誘惑が多くなっている。ラインをきっちりと引いておかないと、本当にズルズルと言っちゃうから。

 俺に向き直ると、セレスティナは俺の腕を強く引っ張って、張りある声で強く口説いてきた。


「タケル様は、妻しか抱かないっておっしゃいましたね」

「ああそうだよ」


「では、私を一夜ひとよの妻としてください」

「いや、それ余計になんか……いかがわしくないか」


「たった一度だけでもいいのです。そうしてくれないと、私も女としての立つ瀬がありません。もう、意地悪ですね。分かるでしょう。分かると言ってください!」


 俺がいつまでも、応じないのでだんだんと行動が大胆になってきた。

 俺の上に身体を伸し掛からせてくると、服を脱ぎ始めた。驚くことに下着はつけていない。静かな後宮に、衣擦れの音が響く。


「いやいや、もうちょっと自分の身を大事にしろって」

「大事にするからタケル様におゆだねしたいのです。私はタケル様よりずっと年上ですよ、これ以上大事にしてたら、オバアちゃんになってしまうでしょう。ほら、相手は生娘というわけではないのですから遠慮なんかしなくていいんです」


「いやしかし……」

「もう!」


 この夜はこんな調子で延々と押し合いが続いたのだが、細かくは語るまい。

 セレスティナは、『魅惑の』なんて名前が付いている大人の女にしては、口説き方はやや強引で稚拙であったように記憶している。


 男なんぞ『魅惑ファンネーション』の魔法でいくらでも引っ掛けられるのがセレスティナである。

 真剣に男を口説いたことなどないのだろう。


 ただ、その必死なやりようが、俺には心が入っているように思えたのかもしれない。いけないいけないと思いながら、押し切られて応じてしまった。

 そうして事が終わって、空が白ける頃にはセレスティナの姿は後宮になかった。


 ………………。


 …………。


 ……。


「セレスティナの嘘つきめ、何が生娘というわけじゃないだよ」


 セレスティナが立ち去った後のシーツには、赤い染みが残る。

 明らかな純潔の証であった。


 初めてならそうだと言ってくれれば、俺だってもう少し優しくしたのだ。

 こうなってしまっては、俺も男として責任を取るべきだろう。


 一夜の妻などとは言わずに、俺はセレスティナを十一番目の妻に迎える相談をすることになる。

 セレスティナはそうしてくれなどとは言わなかったが、きっとそうすることがセレスティナとその王国を守るために、一番良いのだと言うことも分かっている。


「これは、また後宮会議かなあ……」


 ライル先生に相談したら、「そうなるだろうと思ってました!」と言われたから、上手く取り計らってくれるんだろうけど。

「もう妻を増やさない」とは何だったのかとか、からかわれそうだ。


 でも、もうこれで最後にしよう。

 今回はいろいろ事情もあって仕方なかった、もう妻は増やすまい。


     ※※※


 セレスティナとの一夜があってしばらく後。

 俺は、アラゴン王国の戦勝報告を聞いた。


 カスティリア王国とて、地方反乱の可能性は当然考えており。

 敗戦によって傷ついた陸軍の整備は進めており、アラゴン王国の離反に対してできる限り素早く対処した。


 新しき攻城兵器、射石砲ボンバードを有するカスティリア軍は、山深き田舎の少数民族どもの集まりなど何するものかと急いで攻め立てていった。

 反乱の中心となっているパンプローナの街に立て篭もる山出しの兵などに、カスティリア貴族の正規軍が決して敗北しないはずだったのだ。


 しかし、三族連合軍が立て篭もるアンドラ山脈の麓の街パンプローナに到着したカスティリア軍を迎え撃ったのは。

 カスティリア王国が攻城戦用に用意した射石砲ボンバードよりも、はるかに飛距離が長大な最新式の大砲であった。


 アラゴンの反乱を扇動したのはライル先生なのだ。アンドラ山脈を越えてシレジエから武器の運び入れを事前に行なっていないわけがない。

 それどころか、事前に影も形もなかった堀と柵が突如として街の前に出現し、カスティリア軍に立ちはだかる。


 カスティリア軍は、重なる防御が固められ十分な数のマスケット銃を有する陣地に苦戦し、一方的に飛来する砲弾を前にして結局は、撤退を余儀なくされる。

 撤退の途中で、ゲリラ攻撃まで受けて戦力をさらに削られて、王都まで這々の体で逃げ延びたカスティリア軍司令官を迎えたのは、アラゴン王国の女王セレスティナとシレジエの勇者が婚姻を結んだとの知らせであった。


 公然とシレジエ王国がバックについたのだ、もはやアラゴン王国を討伐することは不可能であった。

 こうしてカスティリア王国は、シレジエ王国に続いてアラゴン王国にまで二度目の敗戦を演じて、アラゴン王国の分離独立を許すハメとなってしまった。


 カスティリア王国は、もちろんのことシレジエ王国に対して悪質極まりない内政干渉だと猛抗議を行ったが。

 それに対してのシレジエ大使の返答は「そんなことより、残りの賠償金かねを早く返してくれ」であったという。

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