第196話「転移魔法」

 約二日の航海は順調で、ブリテイン大島のグレーズの港を通り、スゥエー半島のアスロの港を経由してラストア王国のトワングステの港についた。

 北海の元海賊は、概ね俺の支配下に入っているので軍船でなくても安全な航海ができる。


 従う元海賊は食と職の面倒を見てやり、従わない海賊は残念ながら討伐するしか無い。

 北海の貧しい民が、海賊をしなくても食べていける面倒をみてやるのは多額の初期経費がかかる。


 しかし、考え用によっては、これから交易を活発化させていくのにどれだけでも必要な労働力を確保できたとも言える。

 航海の安全が保証されることまで考えれば、そこまで高いコストでもない。


 ちなみに、南方の諸国の大使達は他のシレジエ艦隊の船が送り届けているので、ここまでで外交使節をお見送りは終了である。

 ゲルマニア内海に臨み、ラストア王国の北東に位置するトワングステの港は、東方三王国の海の玄関だ。


 トワングステは、ラストア氏族クランを連合王国としてまとめ、偉大なる剣王と呼ばれた大族長トワングが建設した街だ。

 北方の魔族や東方の蛮族から大事な港を守るために建設した大きな城を中心とした港湾都市で、剣王の港とも呼ばれているそうだ。


「なかなかの良港だ、ここはきっと良い貿易拠点となる」


 もともと内海なので海は穏やか。港の深さも十分で、大きな船舶が入港できる入江を持つ天然の良港だ。

 租借地を得られる契約も済んでいるので、すでに佐渡商会のスタッフが現地入りして船を陸揚げすることもできる大きな造船所と商館を建設中である。


 まだ人口五千人ぐらいの小さな港街だが(これでも、人口の少ない東方では最大級の街で、首都に次いで第二の都市だと大使は言っていたが)交易が盛んになれば、さらに賑やかになるだろう。

 用地に余裕がある今のうちに、倉庫などを建てられる一等地を押さえておく必要があるだろう。


 トワングステの街は、高い石壁に囲まれて大きな城には百五十騎のランクト王国騎士団が詰めているので、魔族や蛮族の土地に近くても治安が良く保たれているのが好ましい。

 いや、むしろ治安さえ保てれば未開発の土地が多くて美味しいとすらいえる。


「私は、地元の大聖堂に伝道に行ってきますね」

「ニコラウス。お前らは、一体いつまで一緒にいるんだよ……」


 なにを仲間面して、俺に予定を語ってるの?

 帰りの便まで、便乗するつもりか。一瞬この港に置いていってやろうかとも思ったが……しょうがない、ゲルマニアの港に送ってやるか。


 というか、いい加減帰ってほしいので、ニコラウスは強制的にそこで下ろそう。

 神官達は、ナントの街出身なので最後まで送っていくしかない。


 どこもアーサマ信仰は盛んらしく、この東方最大の港にも立派な大聖堂がある。

 木造建ての教会は、綺羅びやかとはいえないが質実剛健といったたたずまいで、これがラストア王国風ということなのだろう。


 素朴ながらも作りの頑丈さに、アーサマ信仰の強さを感じる。

 その東方風の大聖堂に、大太鼓と一緒に神輿のように神官達に恭しく担がれて入っていくニコラウス。


 あー、この街の大聖堂も新教派ホモ・テスタントに汚染されてしまうかもしれない……。

 半裸で太鼓を叩いて創聖女神アーサマを賞賛するなどという変わった儀式は、野趣溢れる東方の民には受けてしまうような気がする。


 まあ、政教分離だからしょうがない。

 宗教が世俗の権力に口出ししない代わりに、俺もアーサマ教会のことには口出しできない。


 これは、アーサマ教会内部の問題だから、放っておくしかない。

 他国の外交使節も無事に送り届けたことだし、俺は商売のほうに従事させてもらおう。


 港に来たら市場調査だというわけで、トワングステの港の佐渡商会担当者と打ち合わせを終えたあとで、市場をのんびりと見て回ることにした。

 行きは外交使節を送り届ける公式行事だが、帰りはルイーズとカアラとアレとエレオノラを伴っている。


 ルイーズ達もそうだが、エレオノラとも戦争が忙しくてかまってやれなかったので、帰りは新婚旅行も兼ねてのんびりといくつもりだ。

 たまには、観光してもバチは当たらないだろう。


「うわー、見てよタケル。綺麗ね」

琥珀アンバーだな。たしかに、大粒でシレジエではお目にかかれない上物だ」


 エレオノラが、市場に並んでいる宝石商の売り場を見てはしゃいでいる。

 戦場を駆け巡る姫騎士とはいっても、やはり女の子。光物には目がない。トワングステの港は、琥珀が大量に取れる。


 琥珀は、松などの樹液が長い年月をかけて固まったものだが、この土地には掘り尽くせぬほど豊かな琥珀の鉱脈があるのだ。

 トワングステは、剣王の港のほかに琥珀の土地という異名があるほどだ。


「タケルの言うとおり、美しいだけではなく上品さがある」

「ルイーズも気に入ったのか」


 ルイーズが手に取って見ている。武骨なところがある彼女が、こういうものに興味を示すのは珍しい。

 俺がそう聞くと、ルイーズは少しはにかみながらぎこちなく頷いた。ルイーズも当たりが柔らかくなったなという印象がある。


「どうですか、お客さん。なんなら、もっと高いのもご覧になりませんか」

「そうするかな」


 俺達の身なりを見て、商人は上客と気がついたのだろう。

 店先で立ち話もなんだからと、奥の店舗のほうに案内してくれた。


 そこで、さらに大事にしまってある珍しい琥珀の数々を見せてもらった。

 普通の琥珀色の琥珀だけではなく、赤色や黄色、緑色など珍しい色彩の琥珀もある。かなりの上物。


「これは素晴らしい。赤色の琥珀は、ルイーズの髪の色に似ているから、よく似合うんじゃないか」

「いや、私は……」


 ルイーズに買ってあげようとしたが、なんだかもじもじしている。

 どうしたんだろう、珍しい反応だな。


「もちろん、ルイーズだけにじゃなくて他の妻にも全員分買っていくよ?」

「それなら、私ももらおうかな……」


 どうやらルイーズは、遠慮していたらしい。

この琥珀で髪飾りでも作ってやろうかと、俺は赤色の琥珀を幾つか借りてルイーズの髪と見比べてみる。


「これかな……うん、これなら似合うかも」

「慣れぬものだな……」


「ん、なにが?」

「いや、なんだか私がタケルとこうしているのが、お前の妻というのも……」


 やけにそわそわとしてると思ったら、未だにしっくり来ていないらしい。

 そりゃ、この前まで俺の護衛をやっていたのだから、こういうシチュエーションは慣れないものか。


「いまさら何を言ってるんだよルイーズ。もう結婚したんだから、慣れてくれないと」

「うん……」


 俺はそのままルイーズを抱きしめて、赤色の琥珀よりも鮮やかな赤毛に顔を埋めた。妻だから、こんなこともしてやれる。

 船旅をしてきたせいか、ルイーズの髪に少し潮の香りがしたように思えた。


 琥珀は、確かシャロンも好きだったのでお土産に多めに買っておいてやろう。

 商品サンプルという建前もあるけれど、まあ女の子は宝石が好きだからみんなに配れる分あるほうがいい。


 実際にアクセサリーに加工しているところも見学させてもらったのだが、東方は加工技術がいまいちなので、原石を大量に買って行くことにした。

 シレジエかゲルマニアで、アクセサリーに加工してもらえばいいだろう。


 色彩が珍しいものばかりでなく、大きな琥珀に見たこともない昔の変わった虫が閉じ込められたものもある。

 こういう博物学的な価値があるものは、ただの宝石ではそれほど喜ばないライル先生に持っていけば喜ばれるかもしれない。


「うん、いい買い物ができた」


 山ほど取れる宝石なので、奢侈品しゃしひんと言っても値段も安い。やはり産地で買うのが一番なのだ。

 トワングステの港は、交易相手としてはかなり美味しい。


 ラストア王国はまだ未開地が多く、河川も豊かで森林資源が豊富である他、よくよく未開地を探せば他の鉱物資源も見つかりそうだ。

 一方で食料資源は貧しい。


 取れるのは、小麦、大麦、ライ麦であるが。

 北限に近い寒い地方なので、農作物の育ちはあまり良くなく、農作物を輸出用に回すほどの余裕はない。


 どちらかといえば、草原地帯で馬や羊などを飼う牧畜業のほうが盛んで、良馬の産地でもある。

 市場で馬も見せてもらったが、北方産の馬は栗毛のたてがみも見事な立派な軍馬である。


「これ欲しいわね!」


 栗毛の馬にまたがって、手綱を握ったエレオノラが馬を欲しがった。

 もう立派な白馬を持っているじゃないかと思ったのだが、騎士にとって良馬とは格別のものらしい。


「タケル……」

「ルイーズも欲しいのかよ、分かった買うよ!」


 厩舎きゅうしゃに居た馬売りに値段を聞いてみると、この一際毛並みのよい軍馬が二頭で金貨十枚という激安値だった。

 厳しい環境にも耐えるラストア王国の駿馬は精強である。船や陸路で運ぶ手間を考えても悪くはない商品であると思える。


 馬売り商人は、街の市場にいても木造建ての家には住んでおらず、昔ながらの天幕暮らしをしているそうだ。

 街の住民や農民として暮らしている人達も増えてきたが、遊牧民的な暮らしをしている人がいまだ過半数だ。


 他に、ラストア王国の特産品と言えば、ライ麦で作った強烈な蒸留酒ウォッカが特産品である。

 寒い地方でも育ちやすいライ麦ならば、辛うじて醸造に使える余裕があるらしいが値段は高めだ。


 透き通った蒸留酒ウォッカは、現地人には『命の水』と呼ばれて親しまれている。

 アルコール度数の高い酒なら、みんな『命の水』と名前を付けてしまうのは酒好きのドワーフで、ラストア王国にも多数住んでいる。


 黒妖精であるドワーフの仕事先は、ここでは琥珀鉱山になる。『命の水』を、のままで飲むのは、琥珀鉱山で採掘に従事しているドワーフ達だけだ。

 他の人族は、水で割って飲むのが普通なのだが。


 馬が多いので、馬の乳で割って飲むような飲み方もある。

 どちらにしろ蒸留酒ウォッカは、この地ではそれなりに高価なものでもあるので、飲み物としてより気付け薬や消毒などに使われる事が多いらしい。


「そうすると、酒や食料品を持ってくれば高く売りつけられるわけだ。うちの国と交易するのに相性がいい国だな」

「勇者、商売の話ばかりしてないで一緒に飲むのダ!」


 宝石にはあまり興味を示さなかったアレとカアラは、俺達が宿泊する酒場で馬の乳で割った蒸留酒ウォッカを飲んでいた。

 トワングステの城主から城に泊まらないかと誘われてはいたのだが、石畳より木造建ての酒場の二階のほうが暖かそうだったのでこっちに宿泊することにしたのだ。


 これから商売する街なのだから、酒場や宿屋の様子も見ておきたいと思ったのだが、思ったよりもきちんとしている。

 ゲルマニアの商人もやってくる外港であるためだろう。


「国父様、お酒はいかがですか」

「ああ、せっかくだから一杯もらおう」


 俺は、あまり酒飲みではないのだが、これも市場調査だと思い少し試してみることにした。

 アルコール度数の強烈な蒸留酒ウォッカが、独特な味わいの濃厚な馬乳と混ざると、飲みやすくマイルドな味になっていた。


 飲みにくい物同士が混ざって、上手い具合に口当たりの良い飲み物になるというのは不思議である。

 他にも、馬乳自体を発酵させて作った馬乳酒もあるらしい。そちらは、アルコール度数が低く乳製品っぽい味で良い。


「独特な癖があるけど、美味くはあるな……」

「勇者、もっと飲むのダ」


「いや、俺はお前達みたいには酒はイケないから料理のほうをもらうよ」


 カアラもアレも、うわばみなので一緒に付き合ってられない。

 羊やヤギの肉を使った蒸し焼き料理は、素朴ながらなかなかに美味だった。


 骨付き肉にかぶりつくと肉汁が滴る。

 塩の味の他には、せいぜい臭みを消すための野草ハーブを使っている程度だが、よく肥えた潰したての家畜の肉は、それほど調理が凝ってなくても美味しい。


 羊の肉を少し買って、香辛料を使ってマトンカレーなんか作ってみると面白いかもしれない。

 まあ、それも酔ってしまうと億劫おっくうになる。


 したたかに酔って良い気分になった俺は、眠気に逆らわず酒場の二階の宿屋にあがって休むことにした。

 あとで、俺のベッドにアレ達が転がり込んで来たような気がするが、疲れてぐっすりと眠っていたので、あまり記憶が無い。


     ※※※


 帰りの船旅の途中で、俺達は新しい実験を執り行うことした。

 黒杉軍船の真ん中に、複雑な文様の魔方陣が描かれている。


「国父様、ついに転移魔法が完成しました」

「うむ……」


 カアラが、複雑な魔方陣を刻んだ複雑な文様は、その一つ一つが強い光を発している。

 転移魔法、かつてのフリードに仕えたゲルマニア帝国の宮廷魔術師『時空の門』イェニー・ヴァルプルギスが使った特異魔法。とりあえず、起動実験には成功したようだ。


 イェニーが使った転移魔法は、古代魔法遺産『試練の白塔』の移動用魔方陣と同質のもので、彼女は古代の神聖リリエラ女王国とも関係があった人間だったのだろう。

 人族と魔族、両方の魔法を極めた天才カアラによって、ついに転移魔法の謎が解き明かされる。


「では行きます」

「気をつけて」


 みんなが見守るなかで、カアラが魔方陣によって開いたゲートの中に入った

 シレジエの王城の中庭に、同じ魔方陣を書いてあるので、実験が上手く行けばそこと行き来することができるはずなのだ。


 出現した青白いゲートから、カアラが出てきた。

 満面の笑みである。


「国父様、上手く行きました」

「おおっ!」


 どうぞとカアラに促されて、俺も青白く光るゲートをくぐると、魔方陣が描かれた城の中庭だった。

 六角形に区切られた、中庭の休憩所のパネルの上に降り立つ。


「実験上手く行きましたね」

「うん、これで航海を続けながら、いつでも城に戻れるわけだな」


 転移魔法は、大量の魔素を消費するため最上級魔術師であるカアラでも一日に一度しか使用できない。

 もし何度も使おうと思えば、魔法石を大量使用しなければならないため物資の輸送などにはコスト的に使いにくいが、それでも一瞬にして王城に帰ってこれるのだから単純に移動手段として便利なものだ。


 これから俺は南のアフリを見て回り、遙か西方の海を越えた新大陸を発見するため、大航海に出ようと思っている。

 だが身重の妻達を王城に残したまま、また単身赴任するのは申し訳ないので、航海する黒船軍船に転移の魔方陣を設置して冒険するという方法を思いついた。


 こうすれば、大航海をしながら一日の半分は、シルエット姫達と城で過ごすなんて真似もできる。

 それだけではなく、ユーラ大陸の各地に瞬時に移動できるので、各地を順々に回って指示を与えることもできる。


 シレジエ王国の支配領域や、佐渡商会の商域は、全世界に広がっているのでどう統治していこうかと思ったのだが、この転移魔法を上手く使えばより統治がより円滑になるだろう。


 問題点があるとすれば、カアラが工夫した魔方陣の技術をそのまま転用したとしても、ユーラ大陸に数人しかいない上級魔術師しか転移魔法を使えないということだが。

 まあそこは、悪用される恐れが少ないとポジティブに考えることにする。


 イェニーだけの特異魔法であった技術を、上級魔術師に限ってでも一般魔法とした段階で、やはりカアラは天才だといえる。

 俺が感心していると、ルイーズ達が軍馬でゲートから出てくるところだった。


「これはちょっと、通るとき怖いな……」

「馬に乗ったままでも通れるんだな」


 そうこうしているうちに、魔法の門が閉じてしまった。

 最上級魔法であるので、維持できる時間は短い。今日の実験はここまで、また船と明日ゲートを繋げばいい。


「カアラ大丈夫か」

「はい、初めての大魔法でしたので少し疲れました」


 大役を果たし終えて気が抜けたのか、その場に崩れ落ちそうになるカアラを支える。

 カアラが弱音を吐くとは珍しい。よっぽど疲れたのだろう。


「良くやってくれた。休むといいぞ」

「あっ、国父様……もったいない」


 俺は、疲れたカアラをそのまま抱きかかえて後宮のベッドまで運ぶことにした。


「カアラは功労者だから遠慮するな。何か欲しい物があればなんでも言うといい」

「それでは、アタシにもご褒美をいただけますか」


 俺の腕に抱かれながらそう言って頬を染めるカアラに、「だから何を?」と聞くほど、俺も野暮ではない。

 カアラの転移魔法のおかげで、浮いた移動時間を俺はカアラと二人でゆっくりと過ごすことにした。

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