第189話「武家のしきたり」

「うおおおぉぉ!」

「そいっ!」


 白い道着を着た戦士が、叫びながら長槍で俺に突き掛かってくる。

 俺はその突き上げを軽く上半身をひねるだけかわすと、即座に男の長槍を掴んで、そのまま投げ飛ばした。この程度なら剣を振るうまでもない。


「そこまで!」


 審判をしているジェローム卿が、手を上げた。


 ルイーズの家に挨拶にいくと、ジェローム卿への挨拶もそこそこに、俺はなぜかカールソン流の門下生全員と勝ち抜き戦をやらされている。

 強い男にしか娘をやらんということだろう。一門を構える武家としては分からなくもない儀式である。


 二百四十年前にカールソン流を興した初代が、愛娘の嫁入りの際にやりだした伝統的な婚約を取り結ぶ儀式らしいのだが、実際に行われるのは百年ぶりだそうだ。

 カールソン流の門下生全員をゴボウ抜きなんてのは、まともな人間にはできない。


 創聖女神と混沌母神の加護の両方を受けている中立の勇者である俺は、まともな部類の人間ではなくなっているので、できてしまうのだけども。


「本当にこれでいいのか、ジェローム卿?」

「めでたい門出です。賑やかなほうがよろしいでしょう。こちらとしても、道場の宣伝にもなりますから」


 口元に蓄えている赤髭を指でさすって、ジェローム卿は爽やかに笑う。

 新婦の父が良いと言っているのだから仕方がないね。


 なんだなんだと街の人が集まってきて、石で囲まれた道場は見物客で満載になっている。みんな娯楽に飢えてるんだな。

 これは商売になると思ったのか、佐渡商会の奴隷少女が飛んできて青空屋台を開き始めた。


「飲み物いりませんか、軽食や美味しいお菓子もございますよ!」


 なかなかに繁盛しているのは善いのだが、なんかもう興行ショーになってるじゃないか。

 ルイーズとの婚姻を認めてもらう挨拶に来たはずが、すっかりお祭りになってしまっている。


 道場の宣伝になるとは、なかなかジェローム卿も強かだ。王都は、最近とみに商業が盛んになっているので、その影響を受けたのかもしれない。

 これからは、戦争のあり方も変わっていく。シレジエ王国御流儀として繁栄を極めたカールソン流剣術道場も騎士・兵士養成所としての役割を終えるから、次の時代に合わせた生き残り戦術を考えていかなければならないのだろう。


「勇者が負けるわけないゾ!」

「ほら、どんどんやっつけなさいよ!」


 ただ、なんでアレやエレオノラ達まで観戦に来て、道場の人達よりも盛り上がってるんだよ。

 お前ら今回の話に、まったく関係ないだろ。


 それにしても、門下生は百人近く並んでいる。

 この程度で疲れはしないのだが、数が多すぎて面倒だ。一人一人相手をしていては日が暮れてしまう。


「もう、まとめてかかってきなよ」

「おおっ、さすが王勇者殿は豪気だ!」


 お言葉に甘えてと、道場の手だれ十人ばかりが立ち上がり、手に手に手槍や剣を持って一気に囲んでくる。

 練習用として刃は潰してあるものの、鉄の棒には違いない。手加減なしかと苦笑しながら、俺は黒杉の木刀を構えて相手をする。


「うああっ!」「ぬぉ!」「いやぁ!」

「そいっ、そいっ、そいっと……」


 戦闘モードに入った俺から見ると、道場の門下生レベルの剣技では動きが止まって見える。回復役にリアもいるから最悪、怪我させてしまっても大丈夫なのだが。

 そうならないように、木刀で手の甲を叩いて武器だけを落としてやる余裕すらある。勢い良く十人をゴボウ抜きした。


 この調子で、十人づつ片付けて行く。

 うん、これなら早く済む。


「さすが王将軍閣下、お見事!」

「どうだジェローム卿、こんなものでいいか」


 門下生を全員倒し切れば、きっと最後は剣術師範であるジェローム卿が相手をすることになるとは分かっているのだ。

 勇者である俺が本気を出すのも大人げないので、ジェローム卿に花を持たせてちょっと苦戦してみせて、最後は勝たせてもらおうかなと思っているのだが、物事というのは予想通りにいかないらしい。


「シレジエの勇者様、ぜひ拙者ともお相手いただきたい!」


 何かと思えば、動きやすいよう工夫された板鋼を重ねたラメラーアーマーを身にまとった傭兵風の男が、観客の中から進み出てきた。

 腰のベルトに二本の剣を差している。少し風変わりな剣士だが、その物腰は落ち着いていて実戦的な使い手のようだ。


「お前は?」

「諸国を放浪する武者修行者でござる。音にも聞くシレジエの勇者様と立ち会えるチャンス、なにとぞお相手ください」


 ジェローム卿の方を見ると、苦笑して頷いている。

 武闘大会を開いたつもりはないのだが、この際だからついでに相手をしてやるか。


 俺が快諾すると、ウワーッと観客から歓声があがった。

 武芸者の飛び入り参加は、見物人にとっては盛り上がる展開らしい。


 いつの間にか、広い道場がカールソン流とは関係のない近所の住民や観光客ですし詰めになっている。少なくとも三百人は客が入ってる。

 これなら、入場料でも取っておけば良かったかもしれない。


 そうか、傭兵や冒険者にも個人の剣技の道を極める武芸者みたいな連中がいるなら、王都で武道大会とかやれば儲けになるかもしれない。

 なんか、発想がゲルマニア帝国みたいだけど。


 変わった武装の武芸者は、腰に差している双剣を抜く。

 やはり二本の剣を両方使うようだ。二刀流を相手にするのは久しぶりだな。


「名前を聞いておこう」

「シレジエの勇者様に名を聞かれるとは光栄の極み、しがなき剣の修行者ムサイでござる。ではいざ!」


 しがないとは、謙遜が過ぎる。

 立ち会ってみれば分かるが、ムサイはかなりの使い手だった。


 双剣の使い方は、俺がよく使う虎振の型に近い。

 左手の剣を守りに使い、右手の剣を攻めに使う。身体を駒のように回転させて、双剣を鋭くリズミカルに打ちこんでくる。


「なかなかできる……」

「勇者様も……」


 俺の木刀の一撃を跳ね除けやがった。剣を守りに使うのは、盾を使うよりも難しい。

 曲芸めいた剣技には驚かされるが、それ以上にムサイの踏み込みの鋭さは、一朝一夕では身につかない鍛錬がある。


 これは、ちょっと本気を出さないとやられると思った俺は、相手よりもさらに深く踏み込む。

 ムサイの守りの剣を紙一重でかわすと同時に、攻めの剣を横薙ぎに叩き落とした。


 双剣の使い手が一本になれば、その段階で勝負は決まりだ。

 俺は返す刀で、がら空きになったムサイの喉元に黒杉の木刀を突きつけた。


「そこまで!」


 ジェローム卿が叫ぶ。俺の勝ちだ。

 ムサイは剣を取り落として、参ったとその場に跪く。潔い。


「さすが、当代随一の勇者の剣……見事でござった。故郷に良き土産話をいただいた」

「いや、お前もやるじゃないか。つい、本気を出してしまった」


 俺がそう言うと、ムサイは歓びに眼を輝かせた。

 在野の剣士にもなかなかの手練がいるものだ。俺だって元々剣術は好きなので、たまにはこういうレクリエーションも良いなと思う。


「じゃ、今度は私が相手ね」

「いや、なんでエレオノラまで出てくるんだよ。趣旨変わってるだろ」


 俺と同じように、黒杉の木刀を構えたエレオノラ。それまだ持ってたのかよ。

 まあいいか、いまさら姫騎士ごときに負けはしない。


 どうせやらないと納得しないのは知ってるので、ものはついでだとばかりに。

 斬り込んでくるエレオノラの木刀を跳ね除けた。


 はい、秒速で終了。

 エレオノラの木刀は、クルクルと宙を飛んで地面に突き刺さった。


「さすがタケル、出来るわね!」

「あれ」


「なに、どうかした?」

「いやなんでもない……」


 もうエレオノラは、俺に負けて悔しがったりはしないんだなとチラッと思っただけだ。

 普段なら負けず嫌いのエレオノラは、剣を拾って「何度でも勝負よ!」とか面倒臭いことを言い出すと思ったんだが、結婚して少しは落ち着いたのだろうか。


 あとは、剣の試合では負けても夜の方は、俺にだいぶと勝ち越してるから悔しくないのか。


 そっちのほうでは、エレオノラに何度「参った!」を言わされたか分からない。

 剣の勝負と違って、参ったと言っても許してくれないから酷い。


 そんな下らないことを考えていると、今度は竜乙女ドラゴンメイドのアレが、俺にやられた門下生が落としたでっかい大剣を拾って立ち上がった。


「勇者、私ともやるのだゾ」

「いやっ、ちょっと待て……」


 俺が止めるまでもなく、問答無用と大剣を無造作に握ったアレが、バサバサと竜の翼を羽ばたかせながら俺に飛びかかってきた。

 姫騎士ならともかく、地上最強の生物、竜乙女ドラゴンメイドの相手なんかまともにやれないぞ!


「うおっ!」


 なんだ? スピードはめちゃくちゃ速いけど、振るう剣は大雑把で全くの素人だ。

 二回目の突撃を俺は柔らかく受け止めてから、さっとアレが手に持っている大剣をすくい上げて吹き飛ばした。


「おおう、強い。さすが勇者なのダァ!」

「ふうっ、こんなもんでいいのか……」


 あっけなく勝ってしまった。ちょっと拍子抜けした。

 そうか、アレは武闘家だから剣を持つと却って弱くなるんだな。


 いろいろと乱入があったが、これで倒すべき相手はあらかた倒しただろう。

 いよいよ最後は、ジェローム卿が相手だなと見ると、師範は笑って頭を横に振るう。


「あれ、ジェローム卿が相手ではないのか?」

「最後は私が相手だ、タケル!」


 ヒヒーンと白い軍馬のいななきと共に、颯爽と外套マントを翻して磨き上げられた白銀の鎧を着たルイーズが現れた。

 これはまた、凝った趣向だな。最後の相手は、俺の花嫁か。


「娘が、王家の騎士団に仕えていた頃の装いですなあ」


 ジェローム卿が、眩しそうに馬上のルイーズを見上げる。

 純白のドレスならぬ、白き外套マントに身を包んだ気高き女騎士。


 かつてルイーズが、シレジエ王国近衛騎士団に仕え、誉れ高き万剣ばんけんの騎士と謳われていた頃の装いである。

 花嫁衣裳よりも、これこそが彼女の晴れ姿に相応しいといえるかもしれない。


「馬からは、降りるのか」

「このままでもいいが、一対一の勝負だから剣士として対等でやろう」


 ルイーズは、白馬から降りると腰のサーベルを抜いた。

 そうして、両手で握った直刀サーベルを高々と振りかざす。俺もそれに答えて、黒杉の木刀を構え直した。


「いざ、シレジエの勇者、佐渡タケル」

「勝負だ、万剣ばんけんの騎士ルイーズ」


 ルイーズは、地を蹴って斬りかかってきた。

 鋭い直刀サーベルの斬撃を受ける。恐ろしいほどのスピードとパワー、お互いに真剣の勝負だ。


 俺とルイーズは、剣を軋ませながらお互いの思いをぶつけるようにせめぎ合った。

 何も語らずとも剣を通して伝わってくる思い。


 この酷幻想リアルファンタジーで、俺が初めて出逢ったのがルイーズだ。

 その運命的な出会いからここまで、本当にいろいろなことがあった。


 助けてもらってばかりだった俺が、ついにルイーズと互角に剣を打ち合えるところまできている。

 対等の勝負か、俺も純粋な剣士としての力で、ルイーズと真っ向勝負だ。そうして、今日こそは勝たせてもらおう。


 俺がルイーズよりも強い剣士になったのだと示す。

 そうして、ようやく俺は彼女と対等の位置に立って、結婚を申し込むこともできる。


「やるようになった、タケル!」

「まだまだ! もっと本気で来い、ルイーズ!」


 俺の挑発が利いたのか、ルイーズは目にも留まらぬ速さで俺に向かって剣を振るった。

 上段から中段へ、ブンッと音を立てて空を切る見事な二段斬り。回避はできず、受けるので精一杯。


 眼前に迫る直刀サーベルに、肝を冷やす。

 だが今の俺には、その攻撃が見える、受けられる。そして、次は俺から行く。


 俺も、全力で突き技を喰らわせた。奥義、四相発破!

 ルイーズが二段斬りなら、こっちは四段突きだ。


「くっ……」

「どうだ!」


 三段は受けたものの、最期の一段が軽くルイーズの肩をかすめた。

 さっと直刀サーベルを振るって、ルイーズは距離を取る。


「うああああっ!」

「くるかっ!」


 ルイーズは、直刀サーベルをかざして、大きく叫んだ。

 その甲高い唸りは、竜鳴ドラゴンシャウト。竜殺しの英雄となったルイーズの叫びは、ビリビリと大気を震わせる。


 あらゆる生き物を恐怖させるその叫びは、勇者である俺には通用しないが、叫びとともにルイーズの剣圧は一段と鋭さを増す。

 白い外套マントを翻して、高く跳躍したルイーズは大上段から全体重を乗せた必殺の一撃を振り下ろした。


 両手で強く柄を握りしめて、あえて正面から受け止めた俺の木刀に、凄まじい衝撃が襲った。

 バシッとオレンジ色の火花が派手に散った。


「ハハッ、受け止めるか!」

「いまのは、黒杉の木刀じゃなきゃ折れてたな」


 ルイーズは、楽しそうに笑っている。

 竜殺しの英雄となったルイーズの全力の一撃を、まともに受けられる男はそうはいない。


 剣を打ち合うたびに、凄まじい衝撃がぶつかり合う。

 しばし互角の打ち合いが続く。その重みと手応えが、俺達の会話だ。


 数多の戦場を闊歩し、数々の死闘をくぐり抜けて。

 純粋な剣さばきにおいても、俺はルイーズに迫るところまでこれたらしい。


 お互いに、斬り技と突き技の限りを尽くす。

 鮮やかに舞うルイーズの剣技は華麗の極みだが、それに目を奪われている暇はない。


 俺は俺の剣技で、ルイーズの全力に応える。心を込めて斬り払い、突きを放つ。

 これまでの全ての想いを叩きつけて、全ての想いを受け止める。


 俺の必死の斬り上げをかわすために、飛び退るルイーズ。

 その口元からは、いつしか笑みが消えていた。


 息が荒いのは俺もルイーズも同じだ。

 極度の集中のなかで、剣を交えている。


 そろそろ、集中が途切れる。一瞬の油断が、命取りになる。

 ルイーズが、慎重に間合いを計り、隙を窺っている。永遠に思えるつかの間の斬り合いも、そろそろ終わりだ。


「そろそろ決めるか」

「ルイーズ、来い……」


 俺は誘うためにあえて、腕から力を抜いて身体を開いた。

 誘いと分かって、それでもルイーズは真正面から渾身の斬撃を打ち込んでくる。


 万剣ばんけんと謳われた女騎士ルイーズのこれが全身全霊。これ以上はないほどに強烈な突き。

 そして、それこそがルイーズに隙をつくった。


 その一撃を待ち構えていた俺は、ダッと右足で地面を蹴る。

 脇を抜けていくルイーズの高速の突きを紙一重で避けながら、同時に右手に持つ木刀を勢い良く跳ね上げた。


 ルイーズの持っていた直刀サーベルが弾け飛んで、地面の上に転がる。


「そこまで……タケル殿の勝ちだ」


 審判をしていたジェローム卿が、判定をくだした。

 固唾を飲んで見守っていた群衆から、ワーと歓声が上がった。


 俺は、深く息を吐く。

 やはり、ルイーズは強かった。極度の緊張から解放されて呼吸を整える俺に、喜んでいる余裕はなかった。


 ルイーズも同じようで、肩で息をしていた。

 正々堂々、お互いに全力を出しきった。そして、俺はついにルイーズに勝った。


「タケル……強くなった」

「どうだルイーズ! これで、俺も……わっ」


 ルイーズは、茜色の瞳で俺を見つめると、いきなり抱きついてきた。

 ビックリしながら抱きとめた俺の顔を手で掴んで、ルイーズは濃厚なキスをかます。


「んんっ!」


 まさか、こんなところでルイーズから激しく接吻されるとは……。

 予想もしなかった不意打ちに、俺はされるがままだ。


 極度の緊張から弛緩、思わず力が抜けた。俺の手に持っていた木刀は、するりと地面に落ちて転がった。

 ルイーズの情熱的なくちづけに、会場からはワーと更に大きな歓声が上がった。お前らもうなんでもいいんだな!


 観客が盛り上がっているぐらいは見せつけしまえと思うのだが。

 俺の視線の端っこに、複雑な表情で目を細めて俺達を見ているジェローム卿が見えるのが、俺には結構気になるんだけど。


 ルイーズはそんなのお構いなし。これは、やられてしまった。

 ようやくルイーズに真正面からぶつかって勝てた。そんな感動的なシーンだったはずなのに、最後の最後に持っていかれた。


 やっぱりルイーズには敵わないなという気持ちが、俺の胸にあらためて湧き上がってくる。でも、それは悪い気持ちではない。

 ともかくもこうして、ルイーズと俺による婚約の儀は華やかに幕を閉じた。

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