第183話「もう一つの懸念」
「さてと、次はエリザ達に会ってこないとな」
後宮の廊下を足早に行く俺は、懸念事項を片付けるのに忙しい。
ルイーズ達との結婚話をまとめたからには、次だ。
俺が考えているもう一つの懸念とは、子供の名前を決めること……ではなく、ゲルマニア紛争の解決だった。
正統ゲルマニア帝国軍を率いている大将軍マインツは善戦を続けて、ついに帝都ノルトマルクを囲むところまで来ているそうだ。
王都に帰還して早々に受け取った手紙によると、「ぜひ王将軍閣下とともに老皇帝と皇孫女のご出馬を」とあった。
帝都ノルトマルクを叛徒から奪え返すことができれば、ゲルマニア紛争は終結である。
むしろ、マインツは俺達が行くのを待っているフシがある。
帝都ノルトマルクの再復と同時に、シレジエ王国の従属国として正統ゲルマニア帝国を建立させるのであれば、それはやはりそうした方が良いのだろう。
あと、老皇帝コンラッドの看病をするといってうちに居座っているノルトマルク大司教ニコラウスも一緒に連れていって、
床についたコンラッドを運ぶこと自体は、空を飛んでいけばそう負担にはならないとは思う。
しかし、問題はエリザのことだ。
マインツはおそらく、これを機会に皇孫女エリザベート・ゲルマニア・ゲルマニクスを正統な女皇帝に即位させようと考えている。
もちろん不敬に当たるので、皇帝即位をどうするかなどマインツの立場では言えない。
それでもマインツの手紙からは、エリザを新生の旗印にしたいという意志が感じられた。
なにせ、正統ゲルマニア軍を支えるマインツは六十歳で、老皇帝コンラッドに至っては七十歳を超えている。
コンラッドが老い先短いのは、誰の眼にも明らかだ。
先の世代が生きているうちに、次の世代に帝国を譲って安心してしまいたいという老将達の気持ちは俺も分らなくもない。
ライル先生からも、この機会にエリザを即位させてはどうかという提案があった。
シレジエからも、ライル先生の息がかかった有能な閣僚を送り込むつもりだ。
それは従属国とする正統ゲルマニア帝国にお目付け役を付けるという意味合いもあったが、まだ幼いエリザの施政を補佐する意味合いもあるのだろう。
「しかし、まだ八歳の子供だぞ……」
「何が八歳なんですか」
声がしたので振り向くと、シェリーが付いてきていた。
「シェリーには関係……ないこともないか。エリザの遊び相手をしてやってくれているか」
「お兄様の言うとおり、妹だと思って面倒は見てますよ」
シェリーはそのまま俺に抱きついてくる。
「まさか、私達ともまだなのにエリザさんと先に結婚するわけじゃないですよね!」
「おいおい」
さすがにそれはないだろう。
まだ八歳の子供だと言ったばかりだ。本当なら同世代の子どもと無邪気に遊んでいて欲しかった。
帝宮で息苦しい思いをしてきたエリザが、ほんの少しだけ子供らしい笑顔が戻ってきたと思ったのに。
ゲルマニアの紛争が長く続けばいいなんて絶対に言わないけど。それでも、エリザのためにはいま少しの暇が欲しかった。
「順番は守ってくださいね。エリザさんはさすがに私達の後ですよ」
「シェリーの言う、私達ってのは誰が含まれてるんだ」
「えっと、そう言われると困りますけどね。私も二番目に来た奴隷少女ですからね。後宮会議のときは自分の売り込みを優先しましたが、奴隷少女の諸先輩方の先を越してというのはちょっと難しいかなと」
「最初って、ロールとかか」
ドワーフの娘であるロールは、未だに王都の後宮にある風呂場の窯焚きをやっている。ロールと仲の良い料理長のコレットは後宮の料理人。
ルイーズに仕えていて俺の護衛をやっていた、シュザンヌとクローディアは義勇軍の騎兵隊の隊長クラスにまでなっているし、ハーフニンフのヴィオラは魔の山で薬草の植物園や、田んぼなどを作っている。
他の子達は、佐渡商会の様々な仕事で各地に散っているがみんな元気でやっているだろうかとふと思った。
様々な理由で、子供らしい生活ができないのはエリザだけではないとも思う。そのためには平和が必要なのだが。
「お兄様にとっては、ロールさんがやっぱり最上級なんですね。手強い相手です」
「手強いって、何を争うんだよ」
「そりゃお兄様の寵愛ですよ」
「ロールは子供だし、そうでなくても何も考えてないぞ、ありゃ」
そりゃ、もうちょっと大きくなればあの子らも色恋沙汰が出てくるかもしれないけれど。
ロールは十三……あれ、もうすぐ十四歳ぐらいだっけ。全然形が成長してないので、気が付かなかったけども。
そういや、この国の成人って十五だったよな。
そう考えると子供扱いもおかしいのか。ドワーフは発育が遅いとかあるのかな。
「天然だから、余計に恐ろしいってことがあります」
「はいはい。エリザのところにいくんだが、シェリーもついてくるか」
「お伴します」
そう言うと俺の背中に乗ってきた。
おんぶしろってことか。まあいいだろう。
エリザ達が住んでいる外葉離宮まで行くと、遠くからボォォォン、ボォォォンと腹に響く音が聞こえる。
「なんだ、またツィターがなにかやってるのか」
音楽といえば、ここにいる正統ゲルマニアの唯一の家臣にして宮廷楽士ツィター・シャイトホルトしかない。
なんだか、大きな樽状のものが外葉離宮の庭にたくさん出ている。
「お兄様、これなんですかねー」
「たぶん
「ドラムですか、ゲルマニアの西方民族が使うとは聞きましたが、目にするのは初めてです。変わったものですね」
さすが、シェリーは博識だ。俺達が近づくと、一番近くの大樽のなかから大工道具を持ったロールが転がり出てきた。
噂をすればというやつだ。姿が見えないと思ったら、こんなところで遊んでいたのか。
「この太鼓は、ロールが作ってるのか」
「あのひとにたのまれたから」
蜂蜜色の長い巻き髪。淡褐色ヘーゼルの瞳をした小柄な女性が、満面の笑みで太鼓のバチを持って、ウロウロしている。
あたりからは、ボォォォン、ボォォォンとマヌケな音が響いている。
太鼓は東洋人の俺にとっては馴染み深い楽器だが、ユーラ大陸ではさほど発達していない。ゲルマニアの西方で、ごく一部に使われているだけの珍しい打楽器になる。
作ろうと思えば、木枠に革を貼るだけなので構造は簡単。
軍隊の行進に勢いを付けるのに使う史実もあったので、俺もいつか作ってみようとは思っていたが、まさかツィターに先をこされてしまうとは思わなかった。
まったく新しい音楽の探求に余念がないのは良いが、ゲルマニアの家臣のツィターが俺の家臣を勝手に使うなよ。
フリーダムな連中なので、言っても無駄だとは分かってるんだが。
それにしても、ツィターが叩いてないならこの景気の良い太鼓の音はどこから。
「ソイヤソイヤ、ソイヤソイイヤッッホォォォオオォオウ!」
「ニコラウス! お前か!」
テンションの上がりすぎた、豪奢な大司教服を脱ぎ捨てて半裸になった。鍛えぬかれた上腕筋に飛び散る爽やかな汗。
頭にはねじり鉢巻を巻き、大小様々な大きさの太鼓にバチを振るうニコラウスの姿は、まさにドラムの鬼。
ドンドコドンドコドコドコドコ!
「ニコラウス様! きゃーカッコイイ!」
太鼓の音は不思議と人を集める。休憩に入っているメイドさんたちが集まって、黄色い声援をあげていた。えー、これのどこがかっこいいんだよ。
オーディエンスの歓声に調子に乗ったニコラウスは、特別にデカい太鼓を打ち鳴らす。その度にボォォォン、ボォォォンと間抜けな音が響き渡る。
テンションが上がりすぎたニコラウスの太鼓、乱れ打ち。
騒音以外の何物でもないのだが、みんなすごく楽しそうだ。
「セイセイセイセイヤッッホォォォオオォオウ!」
「きゃー、ニコラウス様ッ!」
黙っていれば爽やか銀縁眼鏡のイケメン司教であるニコラウスに、メイドさんたちが黄色い声援を上げる。
ニコラウスの太鼓からはアーサマの神聖術なのか白銀の光が煌めき、オーディエンスの熱狂は恐ろしいばかりだ。
俺から見ると信じられないと思うのだが、アーサマの変態聖職者どもはユーラ大陸の民に尊敬されている。
ユーラ大陸唯一の聖者であり、黙っていれば紳士に見えるニコラウスは女性にも大変人気がある。
「ヘイヘイヘイヘーイ! お元気ですか、シレジエの勇者様!」
「うるさいよ! お前……コンラッドの看病はどうした」
「陛下であれば、ソイ!」
「お前、皇帝に向かってソイは不敬すぎるだろ……っておい、コンラッドも起き上がってても大丈夫なのか」
ニコラウスがバチで白銀の光線を飛ばした先に、離宮の縁側に座り込んいる老皇帝コンラッドは、孫娘と一緒に笑っていた。
コンラッドは痩せて骨と皮のようではあるが、しゃんと座っている。この前まで病床から起ち上がれなかったというのに。
「ヘイヘーイどうですか、シレジエの勇者様。私の神聖治療術は。ソイ!」
「ニコラウス、お前はすげーよ。評価してやるから、いい加減バチを置いてソイは止めろ!」
オールライトヒーリングの使い手であり、ユーラ大陸でも有数の神聖治療術の
これで、老皇帝のゲルマニア行きは問題ないようだな。
「真面目な話をしますと、まだ予断を許さない状態ですけどね。無理に戦ったことで傷付いた身体は癒せても、アーサマがお定めになった人の寿命だけは私にもどうすることもできません」
「ニコラウス、お前はふざけてたほうがマシだな……」
そんなシビアな話をされるのもキツイ。
やはり、天命には逆らえない。ニコラウスは、コンラッド帝の命は長くないと言っているのだ。
「コンラッド帝、起き上がってもいいのか」
「うむ、シレジエの若き勇者よ。孫娘ともども面倒をかけた。ゲルマニアへと戻る時が近づいているのだろう。老い先短い身だが、責任は果たさねばならん」
事情はすでに分かっているようだ。
「エリザのことなんだけど。もうちょっとだけ、ここに居させてあげることはできないか」
俺がそう言うと、コンラッドは深い笑顔を見せた。
みんな分かっているという顔だった。コンラッドに代わって、エリザが答える。
「タケル様、私は大丈夫ですよ。祖国に戻って、私は……いえわたくしは、ゲルマニクス家の後継としての務めを果たします」
「エリザさん帰っちゃうんですか」
俺の背中から、シェリーが降りてエリザに抱きついた。
いつの間にか仲良くなっていたようだ。
「ええ、シェリーお姉様と分かれるのは哀しいです。それだけでなく、ここで私はとてもよくしていただきました。毎日楽しくて、みんなとても、一生の……思い出です」
「エリザさん」
シェリーに抱かれて、エリザは泣き出していた。
なぜなのだろうな。まだ八歳の子供が、子供らしく生きることもできないのか。
「シレジエの若き勇者……タケル殿」
コンラッド帝は、シェリーと抱き合って泣く孫娘を見つめて、ゼイゼイと溜息を吐くように重い言葉を発した。
「コンラッド帝、済まない。どうにもならないことなのにな」
「余の天命が、あと少し長ければと……この身を呪うがね。幼き孫娘に、娘らしいことをさせてやれなかったのは心残りだ。だが、ああいう家臣が居るのだから、新しいゲルマニア帝宮は、少しは住み良い場所になるのではないだろうか」
それは、もしかしてあそこで太鼓を叩いている半裸の聖者ニコラウスと、何も考えてないミュージックハッピーな宮廷楽士ツィターを指していっているのか。
俺はちょっと素直に頷けない感じなんだが……。
「まっ、まあなんだ……。新しい帝宮がエリザの住み良い場所になるように俺も力を尽くそう」
「老い先短い余に代わり、エリザのこと頼む」
コンラッド帝は、それだけ言うと皺だらけの手を俺の手に重ねた。
弱々しいが、それでも力強い手だ。
「それは引き受けた。だがコンラッドも、出来る限り長生きしてエリザを見てやってくれよ」
「ああ、本当にありがたい。思えば、余の晩年は酷いものではあった。子供達が相争い、殺し合っているのを見ていることしか出来ない。満足に動かないこの身を呪い、何度早く死ねればいいと思ったか分からなかった」
その白く濁ったその眼に浮かぶのは、目の前にいる俺ではなく。
コンラッドが生きてきた七十余年の人生であろうか。すうっーと、外葉離宮に一陣の風が駆け抜けていく。
「コンラッド……」
「だが、それでも死の間際に、新しき勇者に出会えた。最後に残った孫娘と、国の行く末を託すこともできた。タケル殿にも、アーサマにも感謝を……」
コンラッドはそう言うと、静かに眼を閉じた。
だらりと、重ねていた手を取り落とす。
「コ……コンラッド、おい!」
「おや、疲れて眠ってしまったようですね」
横から半裸のニコラウスに声をかけられた。変な笑いを浮かべるな。
言われなくても分かってるよ、死んじゃったんじゃないかとか思ってないんだからね!
しかし、コンラッドは死ぬパターンのフラグ立てすぎだろ。
逆に長生きしそうな気がするのは、俺の気のせいなんだろうか。
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