第180話「狐女の唇」

「そう言えば、もう一人の首魁だったアキテーヌ家のアジェネ伯爵夫人はどこに行ったんだ。すでに逃げてるのか?」


 南部貴族のクーデターを起こしたのは、名目上はともかく実質はブルグンド家のピピン侯爵とアキテーヌ家のアジェネ伯爵夫人だ。

 すでに戦場にいるアジェネ伯爵の軍は投降しているが、伯爵夫人を捕らえるなりして、アキテーヌ家も降伏させなければ、戦争は終わりとはならない。


「ジョセフィーヌ殿なら、奥の間におられる」


 降伏した、ボリュターニュ坊っちゃんの案内で、城の奥の間へと通される。そこには柔らかいピンクのソファーに身体をしなだれかからせた、妖艶な女が居た。

 淡いオレンジ色の長い髪、ぴくんと狐の耳がこちらを向いている。胸元が大きく開いたドレスを着て、メロンのような乳房が半ばあらわとなっていた。


「お前が、アジェネ伯爵夫人か」

「あら、ジョセフィーヌって呼んでよ勇者様」


 ジョセフィーヌ・アジェネ・アキテーヌ。

 狐女きつねめのジョセフィーヌと呼ばれている女性である。


 女狐ではなく狐女、ジョセフィーヌには、見ての通り狐型獣人の血が半分入っているのだ。

 人族主義が蔓延っているシレジエ貴族には珍しい、半獣人アニマルハーフ


 淫蕩な性技で男を陥れる毒婦どくふとも言われている。

 俺は女に弱いから、くれぐれも気をつけろとライル先生に言われていたな。


「こっちにいらして、一緒に『交渉』をいたしましょう」


 俺はその妖艶な笑顔に、思わず誘い込まれる。

 女の顔が、俺の唇に触れそうなところで、止まった。


 俺の影からでてきたカアラが、ジョセフィーヌにナイフを突きつけている。


「国父様、毒です」

「毒?」


「こいつ、唇に猛毒を塗ってます」

「なるほど……。毒婦とは、そういう意味もあったか」


 俺の暗殺を狙ったわけだな。

 だがな、俺は猛毒程度では死なないんだよな。


「あっ……」


 俺がペロッと赤く滑った唇を舐めてやると、ジョセフィーヌは黒い瞳を大きく見開いて、身を離した。

 このまま唇を重ねれば、ジョセフィーヌも自分の毒で死ぬかもしれない。


「ふふっ、今までお前が陥れて来た男はどうか知らんが、勇者はこの程度の毒はなんともないんだ」

「あら……貴方には媚薬の方が良かったのね、次があればそうするわ」


 ゆるりと座っていたジョセフィーヌが、さっとソファーから飛び上がるとそのまま身を城の窓から躍らせた。


 ――飛び降りた!?


「おい!」


 まさか身投げかと思ったが、そうではなかった。

 塔城の窓の遥か下で、傭兵たちが白いシーツを引いて、落ちてきたジョセフィーヌをナイスキャッチ。


 俺の暗殺に成功しても、失敗しても、最初から脱出する計画だったのだろう。

 鮮やかな早業、これは意表を突かれた。


「追って殺しましょうか」

「いや、いい」


 俺が笑って見守る眼窩の下から、青い外衣を風に靡かせて颯爽と立つ、貴族然とした傭兵がこっちに向かって叫んだ。


「王将軍、佐渡タケル殿とお見受けする。私はゼフィランサス・シルバ。かの有名なシレジエの勇者に、ぜひお相手願いたいところだが……。残念ながら私はご婦人をエスコートせねばいけない、勝負はまたとしよう!」


 ゼフィランサスは、思いっきり戦に負けて逃げる側なのに、なんかキザなことを言ってカッコつけているので笑いを誘われる。

 剽悍ひょうかんとしたしぶとい男だ、憎めないところがある。


 あれが契約さえ守れば雇い主を決して裏切らないと評判が高い、ローランドの傭兵貴族ゼフィランサスか。

 敵軍で、サラちゃんの義勇兵団が唯一苦戦させられた優れた傭兵隊長だ。


「ゼフィランサス! 今度は、敵同士じゃないといいな!」

「ハハッ、私は傭兵だ。ゼフィランサス傭兵団は、いつでも仕事を請け負う。前払いなら歓迎するぞ王将軍!」


 ゼフィランサスは、自分の傭兵団の宣伝をすると、さっとジョセフィーヌを乗せた馬車とともに、馬を駆って行ってしまった。

 ピピン侯爵との契約を完遂して、今度はジョセフィーヌの護衛に雇われたというところなのだろう。


 敵将ながら、爽やかな男だった。

 まあ、為政者としては傭兵を雇わなきゃいけないほどの戦争にもうならないことを祈るけども。


「おっと」


 毒のせいか、足が縺れて俺は窓際にしゃがみこんだ。やっぱり無毒化するまではいかない、俺の毒耐性はこの程度なのだな。

 呆れたと溜息を吐いたカアラは、毒に濡れた唇を拭いてくれる。カアラは、解毒ポーションを取り出しながら言う。


「国父様、カッコつけすぎですよ」

「いや、自分の毒耐性がどれほどのものか調べてみたいということも……」


 カアラは、解毒ポーションを一飲みすると、俺の唇にくちづけした。

 喉の奥に液体が流れこんでくる、解毒ポーションを流し込んでくれている。


「んっ……、女性に甘いのは悪い癖だと思います」

「まあ、気をつけるよ」


 ゴクリと解毒ポーションを飲み込んでしまってから、その癖が治らないからこんな目に合ってるんだけどと思って俺は苦笑した。

 ジョセフィーヌを殺すつもりはどうせないし、ゼフィランサス傭兵団もさっさと引かせたほうが被害は少ないからこれでよいのだ。


     ※※※


 南部貴族連合本拠地、塔城街イソワールでの決戦に勝利したシレジエ王軍・義勇軍はそのままアジェネ伯爵領へと軍を進めて、アジェネの街を無血開城した。

 こちらには、ジョセフィーヌを殺すつもりもアキテーヌ家を滅ぼすつもりはなかったのだが、病床の夫を捨てて狐女は国外へと逃げ去ってしまった。


 おそらくゼフィランサス傭兵団と一緒に、ローランド王国に渡ったのだろうと言うことだ。

 それを聞いて、俺にカアラが進言する。


「追って殺しましょうか」

「だから、殺さなくて良いって。後ろ盾のなくなった女一人、何も出来ないし逃げたいなら放っておけ」


 それより可哀想なのはアジェネの街に居た、ジョセフィーヌの夫、病床のハイエンド伯爵だった。

 浮気相手のピピン侯爵と共謀したジョセフィーヌに乱を起こされた責任は、結局このベッドからも立ち上がれぬようになった病人が取ることになり、アキテーヌ家の全領地は没収となる。


 そこは、反乱首謀者の一人がアジェネ伯爵夫人ジョセフィーヌである以上、仕方がない。

 しかし、痩せ細ったハイエンド卿にはかける言葉もなかった。狐女を妻に迎えてから、さらに病状が悪化したというから毒でも盛られていたのかもしれない。


「生活できるだけの金は残して、生活は立つようにしてやってくれ」


 俺がそう命じたのはサラちゃんにだ。

 アジェネ伯爵領の領地を、サラちゃんに与えることにしたのだから、そこら辺の処置はサラちゃんに一任することとなる。


「前伯爵を厚遇しておくのは領主の徳ってものだものねー」


 悪女を妻にしたせいで好き勝手されて家を没落させられたハイエンド前伯爵は、民からはむしろ同情の対象になっている。

 狐女の色香に騙された愚かな男ではある。自己責任の部分もあるが、少なくとも民にとって悪い統治者ではなかったようなので、厚遇してやれば統治を上手く回す助けにもなるだろう。


 これで、南部反乱に始まったシレジエの内戦は終わりだ。

 アジェネの城の謁見の間で玉座に座った俺は、居並ぶサラちゃん旗下の義勇軍の面々に恩賞を与えていく。


「正式なご沙汰は、後から女王陛下より下されるが、王将軍の権限を持って諸君らに恩賞を与える。まず、最初に途中からでもシレジエ王軍に恭順した貴族は全員領土安堵。恭順後の働きに応じて戦費は保証する、その代わり義勇軍が約束した一年間租税免除は各領地でちゃんとやるように」


 後から恭順してきた南部の居並ぶ小貴族、特に三羽烏の面々がホッとしてる。

 租税免除となると経済的負担が大変だろうが、そこは頑張ってやりくりしてもらおう。戦争で疲弊したのは貴族や騎士だけではないのだ。民を安んじなければ、内戦の傷は癒せない。


「反乱の首謀者であるハイエンド伯爵と、ピピン侯爵、並びにボンジュール男爵の領地は全部没取する。最後まで抵抗した貴族は領地没収とするが、私財までは取らない。騎士爵は残すので、そのままシレジエ王国に仕えよ。貴族以下の身分の者も、処遇は一緒だ」


 居並ぶ貴族から「なんと寛大な……」という感嘆の声が上がる。

 序盤のサラちゃんのやり方が過激に血塗られ過ぎてたから、余計に優しく見えるのだろう。


 新領地を治めるにも、元のやり方が分からないと一からのスタートになってしまう。

 実質的な首謀者は死んだり逃げ去ってしまっていることもある。すでに、処罰や弾劾のターンは終わっているのだ。


「では次に勲功第一、代将サラ・ロッド」

「はい!」


 俺の前に跪いた金髪の少女は、輝かんばかりの凄絶な美しさを見せていた。

 エメラルドグリーンに輝く瞳が、強い意志を宿してこちらを見つめている。こまっしゃくれた村娘に過ぎなかった少女が、代将として歴史に残る大勝利を手にしたことで人間的にも大きく成長したってことなのだろう。


 質実剛健な『黒杉の鎧』の鎧の上から、シレジエ王国の白百合の紋章を刻んだマントを身につけたその姿は不思議な威厳に満ちている。

 民の衆望を集めて、戦い続けたその身は象徴となる。この双眸の輝きと美しさは、つまり、みんなのアイドルになってるってことなのかもしれない。


「将としての働き大である。アジェネ伯爵領を与える、これよりサラ・アジェネ・ロッドと名乗るがよい」

「ありがたき、幸せですわ」


 サラちゃんは、少しスッと腰を浮かすと、丁重にお辞儀をして下がった。

 歳よりも、ずっと大人びた笑み。溢れる自信のせいか、すでに物腰が様になっていて、女伯爵の威厳を身につけている。まったく、大人顔負けだな。


「勲功第二、ザワーハルト・ドット・モクス男爵。初戦からサラ代将とともにピピン侯爵の軍を押し返し、南部平定へと導いた働き、見事!」

「ハッ!」


 壮年の騎士、総髪の兵団長がさっと俺の前に跪く。


「ドット男爵領に加えて、新たに旧ナント侯爵領のオータンの街を与える。子爵に昇格だ、男爵領と合わせてオータン子爵領とでも呼ぶかな」

「ありがたき幸せ!」


 そういえば、俺もザワーハルト兵団長とは、少し因縁があった。

 ゲイルの乱のときは、俺に大砲で脅されて降伏して、無理やり突撃させられた情けない騎士だと思っていた。


 それが、サラちゃんの幕僚としてはいぶし銀の兵団長として、防戦に攻戦にと八面六臂の大活躍。義勇軍の中核として組織をまとめ上げて粘り強く戦い抜いて見せたのだから、この化学反応は何なのだろう。

 人は状況と組み合わせで変わる。若いサラちゃんと、意外に馬が合ったということなのかな。


「ふむ」

「お、王将軍閣下。何か……」


 俺がザワーハルトを見て、少し笑ったので不安にさせてしまったようだ。

 額に汗を浮かべ苦笑いをした兵団長は、腰が引けている。


「いや、すまん。とにかくご苦労であった。オータンは大事な街だ。南部の安定のため、アジェネ伯爵と共に今後も王国に尽くしてくれ」

「ハハッ!」


 ザワーハルトは、深く平伏した。

 これで良し。


「勲功第三、義勇軍アラン・モルタル連隊長……」

「ハッ!」


 以下細々としたのは省略……。

 ともかく俺はこうして、次々と功のあった騎士・兵士たちに働きに応じた恩賞を下賜していって、論功行賞を終えた。


 王領に加えるのは、オータンの街を除いたナント侯爵領とイソワール男爵領となる。

 俺としては、交易のためにナントの港が欲しいだけなのだが、内陸部は別個に代官を置くようにしなければならないだろう。


 論功行賞を終えて、やれやれと城の控室で休んでいるとサラちゃんの側近、ミルコ・ロッサがやってきた。


「王将軍閣下、ライル摂政閣下にこれをお返しください」

「ああ、先生がミルコくんに預けたマントと魔法銃ライフルか」


 一瞬、そのまま預けて置こうかと思ったが、もうこんな武器がいらないようになってくれたほうが良いし預かっておくか。


「分かった、先生に渡しておこう」

「はい!」


「それより、本当に良かったのか。勲功で言えば、イソワール男爵領ぐらいくれてやったのに。ミルコくんの器量と働きを思えばそれでも足りないほどでないかな」

「僕は、サラ様にお仕えしたいですから」


「そうか」


 そう言われれば、それ以上言うのは野暮ってものだ。

 やれやれ、もともとミルコ少年兵。いまは背がだいぶのびて青年になってしまっているけど、有能な彼には本当は俺の側近をやって欲しかったんだよな。


 それが、俺が何度誘ってもサラちゃんに付いて離れず、結局ここまで来てしまった。どうせ、サラちゃんの副官をアジェネ伯爵領でやるのだろう。

 領地をやるから貴族をやれと薦めてすら断られるのだから、そんなにサラちゃんの下が良いかねえ。


 ベテランの兵団長や、紅顔の美青年に惚れ込まれているサラちゃんは、もしかすると俺より人望があるのかもしれない。

 ミルコくんには、また振られてしまったなと、俺としては苦笑するしか無い。


「あっ、ミルコこんなとこにいたの!」

「サラ代将……」


「フフフッ、代将じゃなくて、伯爵と呼びなさいー。私はこれから、このひろーい領地を治めないといけないんだから、忙しくてしょうがないのよ。これから一時もサボってる暇はないわよ!」

「はい、サラ伯爵!」


 くるくると踊るようにはしゃぎ回りながら、新領地の運営を楽しそうに語るサラちゃんの姿を、ミルコくんは眩しそうな顔で見つめていた。


「あっ、タケル。こんなとこにいたのー」


 サラちゃんは、思い出したように部屋の奥で休憩している俺に話しかけてきた。


「いたのーじゃねえよ、俺の控室なんだけどなここ」

「もう全部私の城だものー、ここも私の控室よ」


 理屈はあってるので笑うしかない。

 まだ正式な辞令は届いてないんだけど、もうサラ女伯爵はアジェネの街の実質統治を始めている。


「タケル見てなさい、私だって立派な女伯爵になって領地をもり立てて、タケルと肩を並べるぐらい偉くなるわよ」

「そりゃ楽しみだ」


 王将軍としての責務がある俺としても、有能で活動的なサラちゃんが南部の領主として頑張ってくれるのはありがたい。


「それでねー」

「うん」


 サラちゃんは、小さい指を俺に向けて高らかに宣言した。


「タケルが結婚して下さいって、頭を下げに来るぐらい立派な女伯爵になるから、見てなさい!」

「そうか、そりゃ楽しみにしてるよ……」


 サラちゃん、それ言うのはいいんだけど、ミルコくんの前では止めてやれよ。

 ほらミルコくんの笑顔が、なんかちょっと寂しそうな感じになってるだろ……。


 サラちゃんがもう少し男心が分かるような良い女になったら、結婚して下さいって土下座してやってもいいよ。

 俺は、そう思わずそんな冗談を言おうとして、それも変なフラグになりそうだから曖昧に笑っておいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る