第176話「戦後処理」

176.戦後処理


 ナロー海戦終結後、カスティリアの無敵艦隊を完全撃破し終えたシレジエ・ブリタニアンの両海軍は意気揚々とグレーズ湾に入った。

 グレーズの港は、未だにカスティリアの陸軍が駐留して抗戦中である。


 敵地に孤立している彼らは、疲弊しきっている。

 カスティリアの無敵艦隊が海の補給路を回復し、補給と増援を送ってくれることだけに希望をかけて耐え忍んでいるのだ。


「おーい、レブナント。仕事だぞ!」

「はぁ……私に何をしろとおっしゃるんで」


 俺は、ロープで簀巻すまきにされて黒杉軍船のマストにブラブラと吊るされているレブナントを下ろしてやった。

 捕虜虐待になるので、吊るのはどうかと思ったのだが。


 武人ダイソンの死体を冒涜したことにアレがかなり怒っていたし、サラちゃんにもこういう仕打ちをしたので、罰として吊るされてしまった……。

 しかし、キツく縛られて吊るされても全くめげることなく、むしろ「キツィィ、痛いィィ、苦しいィィ」と喚きながら頬を赤らめて喜悦の表情を浮かべているのが、レブナントの怖いところ。どうすればコイツをギブアップさせられるのかが、俺の最近の悩みだ。


「レブナント、お前がやる仕事は降伏勧告だ。無敵艦隊が負けたんだから、さっさと降伏しろと言ってこい」

「ええっ、私がそれをやるんですかぁ!」


 ようやく、レブナントの顔を顰めさせることに成功したのでホッとした。

 この変態策士は、どんな虐待行為を受けても喜ぶので困っていたのだが、さすがに降伏勧告の軍使をやらされるのは嫌らしい。


 いいね、こうでないと。


「当たり前だ、何のためにお前を生かしたと思ってるんだ。さっさと降伏させないと分かってるだろうな」

「分かりましたよ……。やればいいんでしょう」


 レブナントが飛行魔法で飛んで街に降り立つと、十分もしないうちに呆気無く港から白旗があがった。

 おいおい、いくらなんでも早すぎるだろう。


 あんなに頑強に抵抗していたのに、何をやったんだ……。

 篭城していた敵の降伏があまりにも早すぎて、俺たちは何かの罠なんじゃないかと入港を躊躇ったほどだった。


「レブナント、お前どうやって降伏させたんだよ……」


 白旗を上げた港で、頭を垂れている降将たちと一緒に。

 憮然とした顔で、俺たちを待っていたレブナントに訊ねる。


「何をって、降伏勧告を命じたのは貴方でしょうが。私は、これ以上抵抗して人的被害を出す愚を説いたまでですよ。勝ち目のない戦を続けても、無駄に犠牲が増えるだけですから」

「ふうん」


 もっともらしいことを言うけど、それだけで降伏するなら苦労はないだろ。


「あと、ここの司令官閣下にはちょっと貸しがありましてね」


 レブナントがそう言うと隣で落胆していた若い将軍が、ビクッと肩を震わせていた。

 なるほど、敵将の弱みでも握っているのか。敵にすると本当に厄介な男だが、味方にとっても厄介な奴らしい。


 毒をもって毒を制すって感じだが、上級魔術師であるというだけでなく策士としても有能で使える男ではあるのだ。

 これから敵に占領された港を解放して、カスティリア本国にも攻め上り終戦協定を結ばねばならない。


 そのためにも、レブナントという男は使えると見たのだが、これは予想以上の働きだった。

 ユーラ大陸でも類を見ない、魔術師将軍の肩書は伊達ではないらしい。


「まあ、ご苦労。この調子で、降伏させるのに協力してくれるならば、命までは取らないから励めよ」


 何ならこっちに寝返るかと、一瞬口走りそうになったが……。

 俺の顔色から察したのか、レブナントは先に釘を打ってくる。


「シレジエの勇者様……早急な敗戦処理は、こちらにも利のあることですのでご協力しますよ。ですが、私は絶対に書斎王陛下を裏切ったりはいたしませんからね。それをするのならば、素直に死ぬ方を選びますよ」

「それは、そうか」


 レブナントはどうしようもない陰険策士に見えて、忠誠心がちゃんとあるんだなとむしろ感心してしまう。

 ぶっちゃけ、じゃあ裏切りますと言われても、俺にレブナントを扱える自信がないんだけどね。


 味方を脅してまで言うことを聞かせる策士は、ちょっと俺にはピーキーすぎる。


 さて、もう一人の上級魔術師の方はどうだろうかと。

 港に集められている敵の降将たちのなかにいて一際目を引く、色気ムンムンの女魔術師に一応声をかけた。


「セレスティナ・セイレーンと言ったか……」


 セレスティナは、紫色の長い巻き髪で、豊満な身体のラインがぴっちりと見える。胸の大きく開いたドレスを着ていて、魔術師と言うよりは踊り子ダンサーみたいな格好だ。

 殺さないと決めたからには、なんとか仲間になってくれないかと誘ったのだが、やはり断られてしまう。


「シレジエの勇者様、お誘いはとても嬉しいのだけれど、上級魔術師は国から絶対に裏切らないようにされているのよ」

「と、言うと?」


「私の場合は、大事な家族を人質に取られてるからっていうのが理由かしら」

「ありそうな話だ。上級魔術師は、一人で一軍に相当するから人質を取られているのか。家族を取り戻してやってもダメか」


 セレスティナは、少し迷った様子を見せたが、首を横に降った。

 やはり事情というものがあるのだろう。


「私も殺されたくはないから、助けてくれるなら貸し一にしておいてあげるわよ」

「貸しか……」


「なんなら、今すぐ身体で払ってもいいけど」


 いわくありげに流し目を送ってくるセレスティナ。いやいや、誘惑するのはやめてくれよ。

 ただでさえ浮気を疑われやすい立場なのに、兵が見ている。


 いや、兵がチラチラと見ているのは、スリットの大きく開いたスカートから垣間見える、セレスティナの生白い太ももか。

 男の情欲をそそる服装と仕草は、セレスティナの魔法の性質上必要なのだとは思えるが、俺にとっても眼に毒だった。


「……身体は遠慮しとくが、いいだろう。上級魔術師の貸しなら悪くないからな」

「そう、私からも一つ聞きたいのだけれど良いかしら」


「なんだ、なんでも聞いてくれ」

「貴方はダンドール人ではないの?」


 セレスティナはそう言うと、唇を噛みしめる。

 俺を見つめる黒い瞳が、真剣な色を帯びた。


「ダンドールってなんだっけ」


 カスティリア王国の話をした時に、ライル先生から聞いた覚えがあるような気もするんだが、思い出せない。


「ダンドール人は、シレジエ王国とカスティリア王国を隔てるアンドラ山脈に住む山の民よ。黒髪で黒目が特徴なのだけれど」

「あー、そういう少数民族がいるって聴いたな。俺は、確かに黒髪黒目で、肌の色も似ていないこともないと思うが、この世界だと東洋人になると思うぞ。ずっと東の果ての海の生まれだ」


「この世界だと? 妙な言い方ね。でも、ダンドール人じゃないかと期待を持ってしまったのだけれど。そっか、違ったのね……」

「その山の民と、セレスティナがどう関係するんだ」


「私もダンドール人なのよ、この髪は花の染料で紫に染めているの。本当の色は黒よ」

「ふうん、なるほど。確かに、俺と肌の色は近いと思っていたが」


 ピリッとした空気を出していたセレスティナが、頬を緩めて微笑んだ。そうすると、いつもの色めいた雰囲気に戻る。

 彼女にとっては、真面目な話だったのだろう。カスティリアには、民族問題があるのかな。


「貴方がもし同胞なら、こんなところで巡りあうなんてすごく運命を感じたシーンだったのかもしれないのに、残念ね……」

「そうだな、でも確かに似ていないこともない。先祖が近いのかもな」


 酷幻想リアルファンタジーにも、東の果てには俺のような東洋人が住んでいるはずである。

 実際に旅した人の旅行記などが残っていて、東アジア原産の絹などの貴重な物産も渡ってくるのだから東洋は存在するのだ。


 ただそれは、ユーラ大陸の民からすると月の裏側に人が住んでいると聞かされるような話で、博物学チートのライル先生だったから異質な俺の容姿を見てすぐに東洋人だと分かったのだ。

 シレジエ王国で俺が『少し珍しい人種』程度の扱いで、それほど奇異に思われなかったのは、シレジエの南の果てに彼女たちダンドール人が居たからなのだろう。その点は、感謝すべきかもしれない。


 東洋人とダンドール人の祖先が同じかは俺には分からない。地理的には、ほとんどあり得ないので、何かの拍子で全く違う地方に似た因子が発生したとも思える。

 同じ黒髪黒目でペールオレンジの肌でも、顔の彫りの深さが違う。それでもセレスティナの美しい顔を見ると、どこか懐かしい気持ちもするのだ。


「ふふっ、先祖が近いならそれも運命かもしれないわね。お礼に身体が欲しいなら、今晩でも相手をするから言ってね」

「ははっ、まあそのうちな……」


 俺が思わずそう返してしまうと、「浮気はダメなんじゃなかったんですか」と、どこからかカアラの声が聞こえた。

 そういう意味じゃないから。そのうち貸しを返してもらうぞ、って意味だから勘違いしないでよね!


 そんな感じで、セレスティナとの楽しい話し合いを終えると、俺の後ろをトボトボとついてくるレブナントが、ブツクサ文句をつぶやいている。

 なんだろうと耳を澄ましてみると、「まったく、同じ上級魔術師なのに、なんだか男と女で扱いに違いがありませんかね……」などと勝手なことを言っていた。


 性別の違い以前に、行状に大きな隔たりがあるのだから、差があって当然だろう。

 しかし、レブナントが嫌がってるならここが攻め時だな。


「レブナント、俺は差別主義者だから。男には……というか、お前にはたんまり借りがあるから、これからも厳しく取り立てるぞ!」

「そんな、酷いですよ……」


 だからレブナント。

 そこで、嬉しそうな顔して擦り寄ってくるな、お前の反応はちょっと怖いんだよ。やっぱり殺しておくべきか。


「まあ、レブナントたちの処遇はこれでいいとして……」


 カスティリアの敵将や、兵士たちの処遇をどうするべきかって問題が残ってるんだよな。

 次々と、グレーズの港にカスティリアの兵士たちが捕らえられて集められているのだが、これから本格的な戦後処理が始まるのだ。


 カスティリア兵は、みんな降伏したから殺されることはないが。

 アーサーたちブリタニアン軍は、カスティリア兵に対して『中世的な処理』を望んでいる。


 つまり、国家への賠償金とは別に、個々に身代金交渉をして、払えるなら良し。払えない奴は、奴隷落ちさせるというのだ。

 野蛮だと思うのだが、この世界の風習なので俺は反論しにくい。国土を攻められたのはブリタニアン人なのである。


 将官はおそらく身代金を払えると思うが、末端の兵士まではそうではない。

 抵抗せず降伏した代わりに奴隷化は許してやりたいのだが、そうも言いがたい空気ではある。


 そこに、無敵艦隊の旗艦であるガレアス船から捕虜が降ろされて、こっちにやってきた。

 明らかに偉いさんという雰囲気の、提督服の男が絶望的な表情でロープにくくられてこっちにやってきたのだが、俺の顔を見るなりこっちに倒れこむように身体ごと転がってきた。


 縛られているのに無茶をする。

 縄を持って拘束する兵士が、暴れるなと騒ぎたてても構わずにこちらに身を投げ出してしゃがみこんで叫ぶ。


「シレジエの勇者殿とお見受けする! 私は無敵艦隊の提督フィデリコ・クルナ・クルスだ。どうか、我が一死をもって、兵を助けていただきたい!」

「いや、そうは言われてもなあ……」


 無敵艦隊の提督はお偉いさんなのかもしれないが、一死と言われても困るぞ。

 敵の提督が一人死んだところで、こっちは何の得もない。それでは、復讐心に燃えるブリタニアン人を説得もできないだろう。


 そこに、こっちに協力することですでに解放を勝ち取っているレブナントが口を挟んだ。

 味方の提督に助け舟を出すつもりらしい。まあ、やらせてみるか。


「フィデリコ提督、シレジエの勇者様を相手に死ぬだの、生きるだの、言ってもしょうがありませんよ。ここは、金で解決すべきところです。クルナ子爵の家は貯めこんで居られるでしょう」

「金か、時間さえいただければ、カスティリア金貨三千枚ならなんとか払える」


「どうでしょう、シレジエの勇者様」

「レブナント、金貨三千ってのは出せるギリギリの額か?」


「うーん、そうですなあ。クルナ子爵は、正直な額を言っていると思いますが、なにせ解放していただく捕虜の数が数ですから収まりが悪いですよね。他の将軍や船長にも金をかき集めさせて、全員でまとめて金貨六千枚ってところでいかがでしょう」


 レブナントがそう言うと、捕虜になっているカスティリアの幹部クラスから叫び声が聞こえた。

 将軍の中にはいまさら血相を変えて、「貴様ぁ、裏切ったな!」とか騒いでる奴もいて笑う。命は大事だが、金も惜しむのが人間だ。


 それに対して、レブナントは「金を惜しんで、兵を失ってなんとするか!」とさらに大きな声で大喝した。

 あまりの変わり様に驚く。


「船はまた造ればよろしい、金はまた稼げばよろしい、だが国を支える人だけは失っては取り返しがつかないのです。貴君らはそれでも栄光あるカスティリアの将士か、恥を知れ!」


 レブナントが、突如としてまくし立てる正論に、反発していた陸軍、海軍の将校たちは次々と黙らされた。

 本当に口が上手いやつだ。レブナントが議論を主導して、拿捕した船や物資を没収したうえで、金貨六千枚の身代金と交換に、全員をカスティリアの港で解放するという約束が結ばれることとなった。


「アーサー、これでいいのか?」


 俺はレブナントの話に乗るつもりだったが、一応『キング』の意見も聞いておかなければならない。

 若きブリタニアンの海軍王は、艶のある黒い顎髭を手でさすると頷いた。


「船と金は欲しいが、奴隷がたくさんいてもあまり使い道は多くない。金で解決するのも悪くない話だ。シレジエとブリタニアンで、半分に山分けって話ならこちらに異存はない」

「済まないな、無理を言って」


 身代金を払えない奴は、奴隷にしてガレー船のオールを漕がせろというのが、ブリタニアン人としては当然の要求なのだ。

 海賊めいた風習を色濃く残しているブリタニアン人の復讐心を満足させる処置でもある。それを説得して抑えるのは、ブリタニアンの臣民を治める『キング』の仕事になる。


「正面切って無敵艦隊を打ち破ったのは、シレジエ海軍だ。シレジエの勇者、佐渡タケルがいなければ、縄に繋がれていたのは私だったかも知れないと思えば……、強くも言えんさ。我が民にはそう言い聞かせよう」

「いや、アーサーの援軍がなければ、こうは上手くいかなかったさ」


 アーサーの好意で、降伏した兵士の処遇は任せて貰えることになった。

 レブナントに降伏勧告をさせ続けるという俺の案にも、従ってくれるらしい。


「ついでと言ってはなんだが、カスティリア本国と講和交渉するときに、ブリタニアン同君連合への賠償金請求もしてくるつもりだが、いくら欲しい?」

「ハハッ、もう講和条件の話をするのか、相変わらず手が早い男だ。そうだな、こちらの大損害を考えると白金貨で二万枚は欲しいところだが……どうした、何がおかしい」


 俺が突然噴き出したので、怪訝な表情を浮かべるアーサー。


「いや、笑って済まない」

「そうだよな、白金貨二万枚は高すぎか。今回の大戦で損害を被った分を考えるとその金額になるというだけで、実際はその半額ぐらいでも……」


「いや、その額で交渉を成立させてみせる」

「それが出来るのであれば、こちらとしては満足だな」


 俺が思わず笑ってしまったのは、アーサーが口にした額が、ブリタニアンへの賠償金としてカスティリアからむしり取ると、シェリーが算出していた額と全く同じだったからだ。

 シェリーの先読みも、大概といったところだ。


 艦隊の修理が終わったら、アーサーとともにカスティリアに占領されたブリテイン大島の港を解放して回るととしよう。


     ※※※


 降伏勧告の軍使を買って出たレブナントは、本当に有能だった。

 様々なネタで脅し、すかし、ときには「書斎王の信任状」をちらつかせてカスティリアに占拠された、ブリテイン大島の港を順々に無血降伏させていく。


 拿捕した船と捕まえたカスティリア兵は、身代金が届き次第に順次解放するという契約になった。

 一部の幹部将校は、こちらの軍船に乗せてカスティリアまで一緒に同行させて先に解放する。


「シレジエの勇者様。約束ですよ、捕虜は適価の身代金で解放すること。金がなくても奴隷にはしないと」

「あー、何度も言わなくても分かっている。捕虜解放の条件は、そっちの言い分を通す」


 ちまちまやっているより、今は速度のほうが大事だ。

 カスティリア王国との講和が早く済めば、南部貴族との内乱もゲルマニアの内紛も早く片付けることができる。


「カスティリアの兵より、爬虫類人レプティリアンの処遇が心配です。あれは、私が直接交渉して雇い集めた傭兵ですから」

「レブナント、そのことなんだが爬虫類人レプティリアンとの傭兵契約をシレジエ軍が引き継ぐって形にはできないか」


 爬虫類人レプティリアンだけではない、火竜も使いようによってはかなりの武器になる。

 そう提案すると、マゾヒスティックなレブナントでもさすがに渋い顔をした。


爬虫類人レプティリアンとの独占契約は、私の力の源泉なのですよ。なんて酷い人だ、ケツの毛まで毟るつもりですか!」

「お前の降伏条件を認めるうちの一つだ。アフリ大陸の魔族との交渉方法、しっかりとうちのカアラにレクチャーしてもらうぞ」


 いつの間にか、レブナントの後ろに回り込んでいたカアラにガチっと肩を掴まれて、レブナントは恍惚とした笑みを浮かべた。


「ダメですよ、お二人で囲んでも、私がこんな手で簡単に言うことを聞くと思われては心外……」

「まあまあ、ゆっくりとアフリ大陸の話でも聞かせてもらおうじゃないか」


 追い詰めると喜んでしまうレブナントの相手は疲れるが、これも兵力増強のためなので仕方がない。

 カスティリアにしても、もはや大戦を行う国力を持ち得なくなるのだから、爬虫類人レプティリアンの傭兵を抱えていてもしょうがないはずだ。


 結局、俺とカアラの二人で責め立てたことが功を奏して、レブナントはアフリ大陸の魔族との交渉の秘訣を白状することになる。

 要は、彼らに欲しがってるものを与えれば良いというだけの話ではあったが、彼らの独特な言語と風習は、レブナントが自らの足で調査したものだ。


 アフリ大陸の魔族が欲しがっているのはユーラ大陸の物産と食料なので、これはシレジエでも十分に用意できる。引き継ぎは、問題なさそうだ。

 レブナントが持っている一番価値のある宝は、こいつの頭脳の中に存在する。


 アフリ大陸の危険な砂漠を、実際に旅をした人間なんてレブナントぐらいしか居ないのではないだろうか。なかなか興味深い話がたくさん聞けた。

 ここまで奪ってこそ、レブナントを生かして置いた価値があるというものだ。


     ※※※


「すこし暑苦しいところだな」


 カスティリアの最大の港湾都市バロスは、やたらと暑かった。

 黒杉軍船から久しぶりに陸地に降りて、首筋に伝う汗を、俺は何度も手ぬぐいで拭く。

 大海運国家の中枢、世界の物産が集積するバロスの港は豊かである。国際自由都市といった賑わいだ。

 綺麗な石畳に、整然と赤レンガの倉庫が立ち並ぶ。


 不毛な荒地が多い代わりに、粘土と泥炭には恵まれているカスティリアにはレンガ工場がたくさんある。

 そのため、建築資材に赤レンガを使用した建物ばかりで、遠方から見渡す港街は、どこも赤茶けて見えるわけである。


 カスティリアは、ちょうど初夏に当たるシーズン。レブナントの話だと、これからもっと暑くなって、日中に午睡を取らないと過ごせなくなるそうだ。

 これまで全く意識していなかったが、シレジエの気候は乾燥している上に温暖であり、年中過ごしやすい。


 一方で、海から見えるカスティリアの半島は、ほとんどが荒廃した土地が多かった。街や村がなければ、照りつける太陽で干からびた荒涼たる大地が続くばかり。

 カスティリアで陸路を行くのは、それは大変な旅になるそうだ。


 土はどこも赤茶けていて痩せている。聞けば暑さと乾きで、作物の育ちも悪いらしい。なるほど、こんなに気候が厳しく痩せた土地柄だからこそ、海へと活路を見出したのかと納得できる。

 バロスの港は、カスティリア半島の南西に位置し、内陸部にある王都カスティリアと各地域を繋ぐ中継点ともなっている。講和会議を開く場所としては、この上ない立地だろう。

 俺は、水先案内人を務めるレブナントに尋ねた。


「蒸し暑いのは、もうアフリ大陸が近いせいか?」

「確かにバロスの港からすぐ南に行けば、もうアフリ大陸ですね。アンドラ山脈を超えたら、もうアフリ大陸だなんて言う人もいますが、私に言わせればカスティリアの暑さは序の口です。アフリ大陸の砂漠に吹き荒れる熱波は、暑いなんてものじゃ済まないですよ」


 銀髪の前髪を垂らした生白い顔のレブナントだが、見た目よりもかなり鍛えられているらしく、この程度の暑さでは頬に汗粒一つ浮かばない。魔術師のくせに、耐久力がやたら強い。

 レブナントの話だと、アレたち竜乙女が住むランゴ島は、まだ島なので過ごしやすいそうだが、爬虫類人レプティリアンたちが住む北アフリの広大な砂漠は、頑丈な魔族であればともかく人間には行き交うのも命がけだという。


 そんな死の砂漠でも、国から追われた人たちが点在するオアシスに張り付くように住んでいたというレブナントの話は実に興味深い。

 北限の永久凍土、南方の砂漠、人はどこに追いやられても生き抜こうとするのだ。


「レブナント、講和交渉の準備はできてるのか」

「講和交渉……降伏勧告の間違いではありませんか」


「茶化すなよ。俺だって一国の王将だぞ、建前はちゃんとする」

「本当に建前ですよね。酷い講和交渉ですよ、まったくっ!」


 この話になると、ドMのレブナントですら、もはや笑ってくれない。

 ここにくる途上の話だが、一切の領土要求をしない代わりに、賠償金請求に白金貨十万枚の提案をレブナントにしたら、どこまでも伸びるかと思われた奴の堪忍袋の緒もブチ切れた。

 絶対に無理、そんな要求は国が滅ぶと絶叫するレブナントに、「金が足りない分は相当する額を軍船・商船・舶来品などで払えば良い」と、シェリーに指示された通りに言うと、「いっそ殺せぇぇ!」とその場で泡を吹いて失神した。


 気絶するのも無理はない。白金貨十万枚、うちの国が要求されても絶対に払いきるのは不可能な、天文学的数字だ。そもそも、現金でその量の白金貨や金貨は、この世界のどこにも存在しないだろう。

 もちろんこっちの要求とは別に、カスティリアはカスティリアで、講和交渉の条件を打診してきていた。


 たとえば、それなりの領土を割譲した上でカスティリア副王ヴィセレイの称号を俺に送るという条件をレブナントを通して出してきたりもしている。

 普通の貴族ならば、その手の称号は嬉しいものなのであろうから悪い条件とはいえないのだろう。


 しかし、統治の難しい他国の領土も、王の称号も、それらを持て余している俺には価値のないものだ。商人勇者と影で罵られようと、俺が欲しいのはあくまで現金げんなまだ。白金貨と、金貨と、銀貨と、銅貨と、それに相当する額の物資だけが俺の欲するものである。

 シェリーが、カスティリア王国が長年溜め込んだ国庫からなら絶対に支払えると試算しているので、一切差し引くつもりはない。


 いまさらレブナントが交渉の心労で憤死しても一銭の得にもならないので、カスティリア王に俺の要求を伝えるだけで良いと命じた。

 そうして、カスティリアの半島を縫うように航行しながら、書斎王フィルディナントと直接、詰めの交渉を行うためにバロスの港までやってきたのだ。


 和平できるかどうかは、このバロスの地に呼び寄せた書斎王との会談で決することとなるだろう。

 もし講和交渉がまとまらなければ、いまの停戦からすぐさま戦闘状態に立ち戻り、俺達の艦隊がカスティリアの港を順々に占領していくことになる。


 未だ健在なシレジエの大艦隊を見せつけて、こちらはいつでもそう出来るのだという海軍力を示したつもりだったし、一切の抵抗がなかったところを見ると敵もそれを理解してくれているとは思える。

 しかし、万が一戦争継続となればカスティリア本土は二度と立ち上がれぬ致命的な打撃を受けることになるし、俺達としても敵を後背に残したままで戦力をすり減らし、何よりも貴重な時間を失うことになる。


 もはや勝敗は決しているのだ。お互いに、これ以上の無益な犠牲を出すのは避けたいはず。

 しかし、まあ人間というのはそう合理的になれるものでもないから交渉が上手くいくかは分からない。

 カスティリア王の賢明さ次第だ。その王はというと、まだバロスの港に到着していない様子だった。


「レブナント、カスティリア王はまだなのか」

「カスティリアでは、陸路は海路よりも時間がかかるんですよ。フィルディナント陛下が書斎から外に出るなど、ここ十年ほどは聞いたこともない話です。多少手間取っても、仕方がありません」


「そういう事情なら仕方ないな」


 敵情視察というわけではないが、時間があるのならバロスの港の賑わいでも見て、今後の参考にさせてもらうことにしよう。

 今は平和な時だが、停泊しているシレジエの船の大砲は、常にバロスの街へと向いている。


 講和交渉のいかんによっては、それらが火を噴くこともあるかもしれない。

 できれば、この豊かな港街を赤茶けた煉瓦の破片が転がる廃墟にするような真似はしたくないものだ。

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