第177話「講和交渉」

「やっぱりだいぶ物価が違うな」


 俺はルイーズだけを護衛に連れて、バロスの港の市場を歩きまわっている。シェリーが資料に使えると言っていたので、お土産のつもりで物価を調べて書き記しておく。

 舶来品で溢れかえる市場は、全体的に物価が安く豊富である。特にシレジエでは貴重品である砂糖が安いのが目を引く。


 ユーラ大陸の気候で栽培に適したテンサイで砂糖を作る技術はまだない、砂糖大根ビートはあるのだが、葉を食べる野菜として植えられている。

 つまり酷幻想リアルファンタジー砂糖と言えば、サトウキビから採取した砂糖ということになる。


 精製技術もまだ未熟なので、白砂糖ではない。不純物や蜜を含んだ少し癖のある味の黒砂糖が一般的だ。

 ユーラ大陸南方のラヴェンナ半島のほうは暖かく湿潤な土地があって、サトウキビを育てることができるらしい。それで、このバロスにも流れてきているのだ。


 市場には砂糖だけでなく、廃糖蜜モラセスを使ったラム酒もあった。船乗りの酒として有名なラム酒も、この世界ではまだ珍しい酒である。

 シレジエには入ってこないラム酒をお土産に求めて、黒砂糖も一緒に購入して摘んで舐めると、口の中に程よい甘みが広がる。


「上質だな、これだけでもお菓子になりそうだ」


 シレジエに運ばれてくる砂糖も同じラヴェンナ半島産のはずだが、ローランド王国を通って長い陸路となるので、かなり割り高になるのだろう。

 たしか、サトウキビってイネ科の植物だったよな。


 サトウキビが育つほど湿潤で温かい土地なら、ハーフニンフであるヴィオラの力を借りなくても米を育てることもできるかもしれないとすぐ思いつく。


「この世界の人間に、米が受け入れられるかどうかは微妙なとこだけどな」

「美味しいのにな」


 俺のつぶやきを聞いていたルイーズが、そう返してくれるので苦笑する。

 米は、小麦よりも収穫量で有利のはずだ。育てるのに適した土地であれば、米を食べるほうが多くの人口が養えるはずだが、食べなれないものを広めようとするのはそう簡単なことではない。


 しかし、新しい土地に農園を開き、新しい作物を植えるのは楽しい仕事となるだろう。

 少なくとも、戦争に明け暮れるよりはずっといい。


「交易だけでこれほど豊かになるのだからな、うちの国もぜひ海路を広げて物産を買い求めたいものだな」


 もちろん、買うだけでは赤字になってしまうので産業振興を考えないといけない。

 シレジエは農業国で、売るものはあるといえばあるのだが、いずれはそれだけでは回らなくなる。原材料を輸入して、製品を製造して売るようにならなければ国は豊かにならないだろう。


「大航海時代もまだなのに、産業革命を起こすか、果てしない未来だな……」


 大航海時代、植民地、プランテーション、奴隷貿易……。

 俺が知る歴史は、決して華やかなものばかりではない。光の影には、強者が弱者を、技術に優れた国が劣った国を奴隷として虐げた、暗い過去がある。


 その悲惨を、歴史の針を推し進めることで少しでも緩和していくことができれば、俺がここに居る意味もあるのではないか。

 人生五十年……、例えば俺の寿命があと五十年あるとして、どこまでやれることだろうか。


 酷幻想の過去に存在したいわゆる異世界勇者と呼ばれる人々、明らかに現代技術と思われる遺物を残した彼らは、おそらく俺と同じ現代人であったかあるいはもっと未来から来た人たちだったのかもしれない。

 この世界で、生涯を終えていった彼らも俺と同じような事を考えて、悩んだであろうか。


「タケル」


 ルイーズが、不意に俺の手を掴んだ。


「どうした」

「いや、怖い顔をしてたので大丈夫かと思って」


 少し心配そうに、覗き込むルイーズの茜色の瞳に、俺は笑いかける。


「ああ、大丈夫だよ。ルイーズ」

「ならいいけれど」


 元の世界に戻る方法はないか……なんてことを、ほんの少しだけ考えないわけでもない。

 でも俺は、この世界で最後まで生き抜くことを決めている。


 そう素直に思えるのは。

 きっと、握りしめてくれたルイーズの手がとてもすべすべとしていて心地よいからでもあるのだろうと思う。


「ほらルイーズ、魚介類も新鮮なのがあるぞ、今日の夕飯は鯛の刺身で一杯なんていいかもしれないな」

「うん、魚が食べたいのか。なら腕をふるうぞ」


 なんでもできるルイーズは、料理も上手い。

 俺だって多少はできるようになったが、ルイーズのナイフさばきにはかなわない。


 サバイバルに長けたルイーズは、ゲテモノばかり作って食べている印象があるが、普通に魚を調理させてもナイフ一本で綺麗に捌いてみせる。

 魚市場を見ていくと白身魚が多い、身が柔らかくて揚げ物にしても美味しいタラやピンク色の鱗も鮮やかな真鯛まだい、アサリなどもある。貝は吸い物にするといいかもしれない。米を残してあるから、パエリアなんてのもいいかもな。


 珍しいことにアオサという海藻も水揚げされていた。ごく一部だが、カスティリアにも海藻をスープに入れて食べる人たちがいるらしい。

 そういえば、カスティリアの北部には黒髪でペールオレンジの肌色をした東洋人である俺とよく似た風貌の人たちも住んでいた。


 この辺りが、俺が酷幻想にやってきたときに、白人との風貌の違いで驚かれなかった理由でもあるのだろう。もっとも妖精族やら獣人やらがいる世界で、多少の肌の違いは大したことでもないのかもしれない。

 よくよく見れば顔の彫りの深さとかに違いはあって、知識と観察眼のあるライル先生なら一目で俺が東洋人だと見抜けるのだけれど、素人目には俺もこの辺りの出身だと言っても通ってしまうだろう。


「もしかしたら、先祖が一緒だったりしてな」

「んっ、なんだタケル」


「いや、同じ物を食べる人がいると思うと、親近感が湧くなと思って」

「私もタケルと一緒の物を食べるぞ」


 そうだな、ルイーズはそうだ。だから俺はここに居ても疎外感を感じることはない。

 これは夕飯が楽しみだなと思いながら、ルイーズと連れ立って、しばらく市場をそぞろ歩き、食材を求めた。


 そして最後は、やっぱりコーヒーや香辛料を見に行ってしまう。

 俺が好きというだけではなく貴重な物資でもある。カフェがあるらしく、焙煎されたコーヒー豆のいい香りがする。


「美味いコーヒー豆があれば、どこでも生きていける」


 やはりコーヒー豆や香辛料も、バロスの港のほうが安価であった。

 せいぜい今のうちに買い占めておくことにしよう、金はそのうちたんまりと入ってくる予定なのだから惜しむことはない。


 金貨、銀貨だけではなく舶来品での支払いによって、この国から莫大な賠償金を取るということになれば、物資の供給が減って市場も荒れてしまうことになるだろう。

 安定して買い物ができるのは、今だけかもしれない。カスティリアの民には悪いが、これも戦国の世の習いだと思って諦めてくれと、心のなかで祈った。


「勇者こんなところにいたのか!」

「んっ、なんだ俺に用か」


 両頬に切り裂いた傷跡のような刺青のあるメアリード。

 どうやら、俺を探していたらしい。


「話があるから来たんだ、少し時間をもらっていいか」

「もちろんだ、そこのコーヒーハウスで休みがてら聞こう」


 コーヒー豆が売っている店で聞いたら、やはりカフェもやっていた。

 市場の路地に並ぶ席の一つを頼んで開けてもらった。


 俺に席を勧められると、向かい側にいつになく素直に座った。

 勧めるままに、出された湯気のたつコーヒーを飲んですぐ顔を顰めた。


「それで話なんだが……ううっ、なんだこれ苦ッ!」

「アハハッ、吹き出さなかっただけ偉いな、砂糖を入れないと苦いだろう」


 苦さに震えがっているメアリードは、コーヒーを飲んだことがなかったらしい。砂糖を入れるって教えてやれば良かったな。

 砂糖はちゃんとコーヒーに付いていたのだが、俺がブラックで出すように頼んでそのまま飲んでいたから、同じように飲んでしまったようだ。


「グウッ、勇者はよくこんな苦いものを飲むな……。まあいい、処遇のことだ。戦の前に言っていた、海軍に雇われる話が本当なら引き受けようと思う」


「なんだ、引き受けてくれるのか」

「あの戦いで、我々は犠牲を出しすぎた。それに対する代償は、金だけでは足りないと思っての決断だ」


「海賊たちは、よく働いてくれたからな」

「あんな状況に陥って、逃げられなかっただけだ。好き好んでやったわけじゃない」


 正直なことだ。

 たしかに、逃げるも進むもどうにもならない海戦だったから、メアリードたちにあんな酷い戦いを強いたのは俺の責任だ。


「それでも、助かったよ。もちろんシレジエ海軍は君たちを全員迎え入れて、処遇もできうる限りの地位を保証する」

「そうしてもらわなければ困る。あの海戦で、船の半数が沈み二千名を超える仲間が死んだ。あの時、お前の味方をすると決めた私の判断は誤りではなかったとは思うが……」


「それに責任を感じることはない。責任があるとすれば、メアリードのせいではなく戦うことを決めた俺のせいだ」

「お前は……どうしてそんなに平然と受けられるのだっ! お前の部下だってたくさん死んだんだろうに」


「そうだな、俺が鈍いだけかもしれないけれど。シレジエの勇者の名のもとで死んでいった兵士は、先の海戦だけではない。今この瞬間にも、シレジエの国内で、ゲルマニアの地で、俺の旗のもとで兵士たちは戦って死んでいる」

「だから、海戦で死んだ兵士たちだけを悼むわけにはいかないってことか……私の嫌いな王族の言いそうなことだ」


 俺が、メアリードに嫌われるのはよく分かる。

 犠牲を出すことを強いた相手には嫌われて当然だろう。今回の講和交渉もそうだ。たとえ戦争が終わっても、カスティリアの民は、多額の賠償金で苦しむことになる。


 街角で庶民が美味いコーヒーを飲めるほどに豊かで、平和なこの市場も荒れ果ててしまうのだ。

 それでも、俺は自分にとって大事なものを守るために他者を倒し続けてここに居る。それは誰でもない俺の決断の結果だ。


「俺が戦うことを命じて殺した兵だ。何の因果か、俺はいつの間にかそのような者になってしまった。俺が果たさなければならない役目ならば、逃げるわけにはいかない」

「そうか、私もお前を非難できる立場にはもうない……、皆に命じて戦わせるハメになったのだからな。辛いものだな」


「戦争だから人は死ぬ。犠牲をなるべく少なくすることと、意味のあるものにすることしか俺には約束できない」

「強いな、お前は……勇者と呼ばれるはずだ。私はどうも、そこまでは割り切れないんだよ……」


 メアリードは頬を歪めて唇を噛み締めて、険しい顔を俯ける。その悲しみに彩られた瞳は、一瞬だけ海賊の頭目の女性的な弱さを垣間見せた。

 彼女には俺の艦隊の提督になってもらわければならない。いずれは、平然と部下に死を命じられるようになってもらわなければならないのかもしれないが。


 今はまだ、彼女は困り切った海賊たちに頼られて、押し立てられた頭目に過ぎない。

 感じている悼みも苦しみも、かつては迷っていた俺と同じようなものだろうと思えば同情だってする。さっさと俺と同じように覚悟をしろとは、無理強いできない。


「辛いならば、仲間を失ったのは俺のせいだと思って俺を恨めばいい。俺は俺で、その犠牲を意味あるものにするよう努力はする」

「ああっ、そうしてくれ……今はまだお前の言葉を信じよう勇者。お前の言葉に乗って戦った仲間の死を、せめて意味あるものにしてくれなければ、その時は存分に恨ませてもらうぞ」


 船に物資を補給しておく手配の仕事が残っているといって、メアリードは赤い天鵞絨ビロードの外套をなびかせて去っていった。

 あの暑苦しい外套を脱げばいいのにと思うのだが、あの着飾りは彼女なりの気の張りようなのだろう。そうやって自分を奮い立たせていなければ、耐えられないことというのもある。


 カスティリアとの講和が予定通りに済めば、この港にもそう長くは居られない。きちんと食料を船に積み込んでおくのは大事な仕事だ。

 俺の艦隊は、ジャン提督がきっちり兵站補給してくれているので、こうしてのんびり夕飯の買い物をしながらコーヒーを飲んでいられるわけだが。


 ルイーズとゆっくりカフェで休憩して、二杯目のコーヒーを飲み干す頃、市場が慌ただしい雰囲気に包まれた。

 聞いてみると、カスティリア王が街にやってきたというもっぱらの噂である。


「いよいよ来たか」


 休憩時間は終わりだ。俺はカップを置いて立ち上がると、王の馬車が来たという街の大通りへと向かった。

 書斎王ひきこもりとの交渉を成功させてこそ、この大戦をようやく終わらせることができる。


 綺羅びやかなカスティリアの車列のところまでいって、間近にいる近衛兵に自分の身分を明かすとフィルディナント陛下に会わせてもらえるように頼んだ。

 兵が慌てて王の馬車に走って行くと、空からレブナントが降ってきた。魔法で上空まで飛んで俺を探していたらしい。


「何勝手に会いに来てるんですか、陛下にお会いするなら私を通してもらわないと困りますよ!」

「なんだ来たのか」


 もう会談のセッティングは済んでるので、レブナントは必要ない。

 この一癖も二癖もある魔術師がカスティリア王に口添えすると、交渉の邪魔になりそうだったので、電撃的に講和交渉を済ませてしまおうかと思ったのだが、甘かったか。


「歴史に残る講和交渉だ。当事者同士がいきなり対面するなんて演出も悪くないんじゃないか」

「シレジエの勇者様は、私を心労で殺すつもりですね。分かりますよ……」


 この程度の心労で死ぬような玉でもあるまい。

 とにかく、レブナントに見つかってしまったのはしょうがないので、王の馬車まで案内してもらうことにした、


「こちらです」

「でっかい馬車だな」


 カスティリア王の巨大な馬車は、大きな屋根がついていてまるで二階建ての家がそのまま移動しているような大きさだ。

 馬車の周りにはさらに屋根から天幕が張られていて、大きなキャンプのようにも見える。レブナントの先導で天幕の中に入ると、全く暑さを感じない。ひんやりして静謐な空間がそこにあった。


「クーラーでもかけてるのか」

冷房クーラーってなんですか? 部屋が涼しいという意味でしたら、馬車の周りに天幕が張ってあったでしょう、奴隷が屋根や天幕に水を撒いて過ごしやすくしています」


「冷やすなら、魔術師に氷柱でも作らせればいいんじゃないか」

「どこかの誰かのせいで、魔術師は上級下級の区別なくみんな戦に赴いたのですよ」


 そうして、その多くは戦死したか。レブナントは、言外にそのような非難を滲ませている。

 こちらも疲弊したが、カスティリアが今回の大海戦で負った人的損害は致命的なものだ。


「それは悪かったな。しかし、高温の風が吹くこの地なら適した冷房法だ。水を蒸散させた気化熱で冷やしてるということだろう? クーラーと原理は変わらない」

「シレジエの勇者様のおっしゃることは、相変わらず分かりかねますね」


 肩をすくめたレブナントに苦笑されてしまった。

 しかし、原始的とはいえクーラーがあるとは良い。何時の時代も、王侯貴族ってやつは快適に過ごせるということなのだろう。


「フィルディナント陛下はこの中か」

「書斎王陛下は、そのなんというかとても話をするのが苦手ですので、重々承知のうえでお願いしますよ」


「そういう評判は聞いている、では入るぞ」

「はい」


 レブナントが扉をそっと開けると、中は静謐な書斎があった。

 机の上には書類の束が積み重なっている。なるほど馬車で移動しながらも、書斎に篭っているとはまさに書斎王の名に相応しい。


 机に向かっているカスティリア王は、銀のチェーンのついた片メガネモノクルを眼窩にはめ込んでいる。黒地に金のラインの入ったキルティング仕様のダブレットを着ている赤髪を後ろに撫で付けた物静かな青年である。

 その痩せた雰囲気は、独特の上品さは感じるがおおよそ王という威厳がない。俺が見てきた王族は、もっと自分の偉大さを演出する者だった。


 その風情は図書館司書か、せいぜい下級の官僚といったところか。

 ただ存在感はある、相手を思わず黙らせるような静謐がこの部屋にはある。あれほどお喋りなレブナントも、ここでは口を閉じている。


「この男が、本当にカスティリアの国王なのか」


 思わず、レブナントに聞いてしまった。


「カスティリア国王、フィルディナント・カスティリア・アストゥリアスであらせられます」

「そうか、お初にお目にかかる。フィルディナント陛下、今更自己紹介もなんだが、俺はシレジエ王国シルエット女王の王配であり、王将軍に任じられた佐渡タケルだ」


 そう挨拶してみたものの、まったく返事がない。

 カスティリア王、フィルディナントは机の上にある書類に目を向けたままで、眼すら合わせない。


 なんだ、こっちを無視する外交戦術か。

 まあいい、そっちがそういう態度なら、こっちはこっちで厳しい要求を突きつけるだけだ。


「えっと……俺はシレジエの人間だが、貴国との戦闘で被害を受けたトランシュバニア公国、ブリタニアン同君連合の名代でもある。今回の講和交渉の全権大使というわけだ。講和条件はすでに伝えてあるが、そちらの返答を頂きたい」

「……書類」


 俯いているフィルディナントが、消えるような声でつぶやいた。

 よく見ると、肩が小刻みにふるえている。


「んっ?」

「書類だ、書類を出してくれ……シレジエの……」


「ああそうか、済まない。講和条約締結の文書はこれになる」


 俺が差し出すと、ホッとした顔で、一瞥するとさらっと署名した。

 ……総額白金貨十万枚の賠償金だぞ。国を売り渡すにも等しい厳しい講和条件なのだが、そんなにすぐにサインして良いのか。


 もっと脅しを掛け合うような難しい交渉があると思っていたのに。

 こっちのほうが、唖然としているとカスティリア王は無表情でこう言った。


「どうせ交渉したところで条件は変わらないのだろう。こちらには妥協を引き出せる材料がもうない」

「そうだが、あんまりにもあっさり……」


「時間の浪費だ、私には次の仕事がある、君にだってあるだろう。君も自分の仕事に戻り給えよ」


 そう言いながら、カスティリア王はこちらには顔を向けず新しい書類に没頭している。

 なんだかあまりにも平然と言われて、拍子抜けしたというか、ちょっと怖くなる。


「フィルディナント王……」

「そうだな、次の戦は負けないとだけは言っておこう」


 ポツリと漏らすように、カスティリア王はつぶやいた。次の戦がないように、俺は徹底的に無敵艦隊を討滅とうばつしてやったのに。

 戦争を終わらせるという大義がなければ、あれほどの犠牲を払った意味がない。


「まさか、次の戦争はないだろう?」

「……ああ、私達が生きている間にはおそらくない。だが、五十年後か、百年後になるかはともかく、我がカスティリア王国が再び息を吹き返して、世界に覇を唱える機会はかならず来る」


「そのための仕事をすると言うのか」

「私の机には、過去が積み重なっている。それはこの国の未来へと続く」


「気の長い話だな」

「私が生きていなくても、書類とシステムは百年後も残っている。そして、その時にはもうシレジエ王国に勇者は居ない」


 それだけ言うと、後は何も語らず仕事に没頭していた。

 悔し紛れに言ったわけではない、何気ない口ぶりで、本気で百年後のことを考えて仕事をしていると言ったのだ。


 十年なら分かるが、百年とは、なんという気宇の壮大さであろう。

 俺は正直、自分の死んだ後のことなど深く考えてはいなかった。


 今しか見えてない人間にとって、カスティリア王の言動は狂人にも映る。

 しかし、五十年後、百年後は必ずくるのだ。俺たちが生きていないとしても必ず。


 今回の大戦には勝利したが、技術的にもう少しで追いつかれるかもしれない危ういところであった。

 確かに五十年、百年のちの大戦には負けるかもしれない。


「邪魔したなフィルディナント」


 返事はなかった、俺は静かにカスティリア王の馬車を後にした。

 この書斎王ひきこもりは、決して表舞台には出てこないと聞く。もう生きて再び会うことは無いかもしれないが、俺が生き続ける限りこの男への警戒は怠る訳にはいかない。


 もう一度だけ、部屋を出た時に振り返った。

 静謐なる書斎で、机に向かって一心不乱に仕事を続けるフィルディナントの姿を眺めて嘆息した。


 筆の力だけで、時空をも超えようとするその意気込みに心を打たれた。

 俺の子供かずっと先の子孫とも、フィルディナントは今ここで闘い続けているのかもしれない。

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