第175話「我らナロー海の王者たらん」 

 ダイソンの強烈な蹴りを喰らい、俺は遙か下の黒杉軍船の甲板へと落下した。

 すぐに起き上がり、この高さから落ちても平然と立っているダイソンの前に剣を持って立ちはだかる。


 俺と相対するダイソン、だがすぐにおかしいと感じた。

 あの拳のみにこだわっていた拳奴皇ダイソンが『蹴りなんて放つか?』。よく見れば、だらりと垂れた二の腕の力の無さはなんだ、世界のすべてを叩き殺す気迫に燃えていた眼も虚ろだった。


 そもそも、ダイソンほどの拳士と相対すれば、もっと拳圧プレッシャーを感じるはずなのにこいつにはそれがまるでない。

 まるで別人のようだ。こいつ、本当にあのダイソンなのか。


「おい、何をしたレブナント!」


 落下した俺たちを追いかけて降りてきた、大火竜ハイ・サラマンダー

 その背から舞い降りたレブナントは、魔術師ローブを海風にはためかせながら得意気に勝ち誇る。


「ダイソンの死体を始末せずこちらに渡したのが失策でしたな、シレジエの勇者!」

「まさか、ダイソンの死体を無理やりに死霊化したのか」


 拳に生き、拳に死んだダイソンの魂は死してアンデッドとなることを望むまい。

 つまりこれはただの抜け殻、レブナントが操っているだけの影に過ぎないのだな。


「ヒヒヒッ、もちろんただゾンビにしたわけではありません。アフリ大陸で手に入れた『魔王の核』をダイソンの肉体に埋め込んだのです。肉体は、カスティリアに伝わる真武の全身鎧エル・アルマデューラで強化、もはや魔皇帝ダイソンとも呼ぶべき至高の存在!」

「魔素溜りは、お前たちのオモチャじゃないんだぞ!」


 またそのパターンかよ。

 お前ら、完全に混沌の力舐めてるだろ。人間にコントロールできるものじゃないし、絶対にしっぺ返しが来るんだぞ。


「クククッ、卑怯とでも邪悪とでも好きにお言いなさい。ゲルマニア帝国だってやったこと、カスティリアがやらぬ道理もありません。さあ、死霊魔王として強化された最強の魔皇帝ダイソンを相手にどう戦うか見せてもらいますよ」

「どう戦うかもなにもなあ、おっと!」


 レブナントに操られているらしいダイソンの死体は、命じられるままに鋭い拳を放ってきた。

 一応、形だけはダイソンのパンチだ。腕で正面から拳を受けた衝撃で俺の足が、丈夫なオーク材で出来た甲板にミシリと音を立てて沈み込む。


 いいパンチだ、確かに力だけは強い。だが……こんな魂の抜けきった打撃が、ダイソンの拳なわけがない。

 俺が拳を受け止めると、続けざまダイソンゾンビは、足首をナタのように振るい、蹴りあげてきた。やることが小賢しい。


「だから、ダイソンがこんなチャチな蹴り技なんかするわけないだろ!」


 ブンと音を立てて迫るダイソンゾンビの蹴り技を、魔法剣で受け流しながら、後方に下がって距離を取る。

 なんだか悲しくなってきた。強打も、足技も、間合いが浅すぎる。こんなものでは、どれだけ強くても俺にダメージは与えられない。


 拳奴皇ダイソンの一撃は、そのどれもがまともに当たるだけで魂まで砕ける必死の一撃だった。だからチャチな連続技なんて使わない。

 そんな重さのある一撃だからこそ、恐ろしかったのだ。それに比べてこの死肉の塊はなんだ、こんな雑魚の素材に使われたダイソンが哀れである。


 たとえ悪の限りを尽くした簒奪者とはいえ、あくまでも人として誇り高く死んでいった武人に対する冒涜は許しがたい。

 所詮魔術師のレブナントは、戦う者の心が分からないんだな。


「勇者、これは私に殺らせて欲しいゾ」


 アレが竜の翼をはためかせながら、俺の横に舞い降りてきた。その顔は怒りを通り越して無表情になっている、それが逆にアレの心頭にまで達した怒りを感じさせた。

 俺ですら気に食わないのだから、武人であるアレの怒りは当然か。


「アレ、この死肉の塊を粉砕しろ、二度と利用されないようにな!」


 俺の叫びと同時に、ダイソンゾンビに向かって飛び上がったアレは、「分かったのダ!」と叫ぶと。

 必殺の爪を使う必要すらないとばかりに、おもむろに拳でダイソンを殴りつけた。


 硬い鎧を着ているダイソンゾンビは、身体を軋ませながらぎこちなく手足を振り回して反撃しようとするが、その攻撃は一発も当たらずに、一方的な攻撃を受け続けている。

 着ている鎧は、見たところ伝説クラスの全身鎧らしいが、この勢いのアレに叩か続ければそのうちに潰れるだろう。


 確かに、ダイソンゾンビは強い。だがそれは、スペックだけだ。

 地上最強の拳士の死肉に、英雄の全身鎧を被せて、『魔王の核』の力を付与する。


 そのような心技のこもらぬ寄せ集めが、最強の武闘家たる半竜神ドラゴンメイドの力に敵うわけがない。

 武人としての魂が抜けきったゾンビに何ができようか、アレのスピードとパワーの前にはゴミにも等しい。


「はっ!? なぜ……なぜですか。最強の魔皇帝が、竜乙女ドラゴンメイドとはいえ、いともたやすく!」

「レブナント、お前は根本的に考え違いをしている」


 ダイソンは、『人間だから強かった』のだ。

 誇りある人間として、自ら生まれ持った肉体だけで、ただ拳のみを使って最強を目指して戦い続けたからこそ強かったのだ。


 俺は、ダイソンの生い立ちなんか知らない。どんな生き様を経て、どんな思いで戦って来たのかも知らない。

 それでもほんの数回、拳と剣を交えて戦っただけでも分かることがある。


 ダイソンの拳闘士としての『理を超越した』潔い生き様は、アーサマとは真逆の、この世のもう一つのことわりに届いたのだ。

 だからこそ、本来ならば絶対的な強者である『古き者』に拳のみで打ち勝つという無理が通ったのだ。だからこそ、混沌母神に愛され、混沌の加護の力を授かった。


 『古き者』から『中立の剣』を与えられた俺は、混沌母神の加護も感じられるようになっている。

 今のダイソンの腐りきった肉体は神代クラスの『混沌の加護』を失い、ずっと格下の『魔王の核』の力しか無い。


 拳奴皇ダイソンの猛り狂う魂がない、ただの抜け殻だ。


「装備だって、真武の鎧エル・アルマデューラを着せているんですよ、こんな一方的にやられるなんてあり得ない!」

「それも間違った選択だったな。どれほど丈夫な素材か知らんが、拳闘士に全身鎧を着せるバカがいるかよ」


 そう教えてやっても、武人に敬意を払うこと知らない魔術師には理解できないのかもしれないが。

 アレが包帯を胸に巻いただけで戦っているのも、かつてのダイソンが半裸のボクサーパンツの出で立ちだったのにも、きちんと意味があるのだ。


 武闘家が鎧を身に付けないのは、ただ重量を軽くするというだけではない。肌で風を感じることで、敵の動きを紙一重でかわしているのだ。

 硬く重い全身鎧は、肉体のみを武器に戦う拳闘士の動きと感覚を鈍らせる。武闘家に重装備をさせるのは、足かせにしかならない。


 そして、何よりも『再登場のボスキャラは雑魚』って、相場が決まっているんだよ。

 最終決戦を気取るなら、フラグ管理から勉強すべきだったな、レブナント。


「私は、これまでの全ての戦争を研究して来たんですよ。無敵艦隊まで囮に使ってここまで積み上げた策が、こんなバカなことがあっていいんですか!」

「そんなバカなことがあり得るんだよ、所詮は魔術師の浅知恵だったな。さあ、どうするんだレブナント。まだ続けるなら、今度はお前が俺の相手をしろ!」


 俺が魔法剣を構えるのを見ても、レブナントは呆然と立ち尽くしている。

 奴に残された武器は少ない。大火竜ハイ・サラマンダーでもけしかけてみるのが関の山か。


 その大火竜ですら、「グエグエ」と苦しそうに鳴く火竜の首を締めながら、無理やり操縦して地上に降りてきた赤髪の竜殺しの英雄ドラゴン・キラーの存在に圧倒されている。

 あの様子では使い物になるまい。


 アレは、硬い鎧ごとダイソンをタコ殴りにしている。その腐った肉体がこの世から消え失せるまで殴るのを止めないだろう。

 伝説クラスの鎧なら潰させるのは少しもったいなかった気もするが、アレが全身の竜鱗りゅうりんを逆立てて「戦士をバカにするナァァア!」と叫んでいる気持ちがよく分かるから、放っておくことにする。


「ウラ、ウラ、ウラ、ウラァァなのダッ!」


 殴り続けるアレの拳が、ダイソンゾンビの腹を突き抜けて『魔王の核』が砕け散るのが見えた。

 これでアレも魔王殺しか。


「クククッ、クハハハハッ、こうなれば致し方ありませんねぇ!」


 高笑いを上げたレブナントは、今度は泣きそうな顔で顔をクシャッと歪めると、懐から銀の小刀を取り出すと鞘から刃を抜いた。


「おいっ、何をするつもりだ」

「こうするんですよっ!」


 レブナントは、銀のナイフを自分の肩に思いっきり突き刺した。

 自分で突き刺しておいて、グリグリっとナイフを動かして、「ギャーッ!」と悲鳴を上げて転げまわった。いきなり何をしだした……。


「おい、もしかして自分の血を儀式に使って、まだ何かやるつもりか?」

「はぁ……ハハハッ、何を言ってるんですか。もう奥の手は使いきって逆さに振っても何も出ませんよ、ああっ、痛い、苦しい……私は負傷しました、降参しまぁす!」


 なんだそりゃ。

 俺が呆れていると、更にナイフを突き刺してのたうち回り、定期的にチラチラと流し目を送ってくる。苦しみに声を震わせて、哀れみを乞うているつもりらしい。


「その自傷行動に、何の意味があるんだ」

「ヒギャーッ、痛いッ痛いッ、まさかシレジエの勇者様ともあろうものが、傷ついた無力な私をこの場でぶっ殺すなんてことはしないですよねぇ、命ばかりは助けてください。ヒヒヒッ、ヒイイーッ殺さないでぇ!」


 レブナントは、血を流しながらのたうち回っている。もしかしたら、「書斎王に合わせる顔がない」とか言って、潔く自害するつもりかとも思ったのが、そんな殊勝な男じゃなかった。

 自分で自分を刺したのは、レブナントなりの命乞いらしい。

 わけがわからない。


 本当に、こっちの想像の遥か上空を行くやつだ……。

 やることなすこと気が狂っているとしか思えない魔術師将軍レブナントなのだが、その策士としての実力は確かに高いのだ。


 レブナントは、「無敵艦隊を囮にする」と言った。

 この男は、世界の歴史上でも未曾有の規模の大海戦を前にして、そう言い切ったのだ。


 艦隊決戦の行方に全員の意識が集中したさなかで、レブナントだけはその勝敗をどうでもいいと思っていたのだ。無敵艦隊を元から使い潰すつもりで、俺たちの命だけを狙ってきた。

 一見するとバカげたことばかりやる奇術師だが、余人には思いもつかないところに勝利条件を設定している。だからこそ読めない、油断できない策士とは言える。


 おそらく、あの無敵艦隊の死の物狂いの特攻にも、レブナントの意向が絡んでいるのだろう。厄介なやつだ。

 ライル先生がこの場にいたら、上級魔術師でなかったとしても即座に殺せと言ったことだろう。将来の禍根を断つという意味では、それも一つの手ではある。


 だが、俺は俺のやり方でやってみよう。

 レブナントにはまだ生かしておいて使い道がある。毒をもって毒を制すって言葉もあるしな。


 騎手である爬虫類人レプティリアンごと捕獲に成功した大火竜ハイ・サラマンダーの巨体を見上げて、俺はほくそ笑んだ。

 レブナントには、まだ使い道がある。


「レブナント。投降を認め、捕虜にしてやる。命だけは助けてやらなくもない」

「あっ、シレジエの勇者様ぁぁ! ありがとうございますぅぅ!」


 レブナントは、ナイフを引きぬいた肩から血を流しながらも。

 土下座を通り越して、五体投地の体勢で甲板に這いつくばっている。


「その代わり、お前にはこれからタップリと働いてもらう。命の代償は軽くないと思えよ」

「えっ……」


 俺は、懐から回復ポーションを取り出すとレブナントを抱き起こして渡してやった。

 使える捕虜の扱いは丁重に優しく。


 殺されると思ったところを助けて優しく介抱してやる。一種の懐柔法である。

 これならさすがのレブナントも気圧けおされて上手くコントロールできるかと思ったが、渡されたポーションを飲みながら、レブナントは顔に恍惚とした喜悦を浮かべていた。気持ち悪い……。


 あまりに気持ち悪いので士官待遇を止めて、兵に命じてレブナントに捕らわれたサラちゃんがやられたのと同じように簀巻きにして船のマストから吊り下げてやったが、そこまでされても恍惚の微笑みは消えなかった。

 むしろ、ほんのりと頬を上気させて喜んでしまっている。


「なんでここまでやって堪えないんだよ、気色悪いな……」


 なんでコイツは、自分の命がまな板の鯉になったこの状況で笑顔なんだよ。

 精神的な領域では、レブナントに全く勝てる気がしない。やっぱりここで殺しておくべきだろうか……。


     ※※※


「ドレイク、これ以上の追撃は無理かな」

「王将スマン、敵が速すぎて追いつかねぇ」


 最後の奥の手、火竜サラマンダーによる上空攻撃が失敗したことを悟った無敵艦隊の残存は、突破を諦めて撤退行動を始めた。

 もちろん叩けるだけ叩いておきたい。こちらも動ける艦隊を糾合して、逃げる敵に追いすがって砲撃を浴びせかけたのだが、とても追いつけない。


 今度は相手が向かい風になるので、追撃は容易いと思ったが、船を蛇行させて逃げる、逃げる。これが操舵技術の違い、満身創痍でもここまで動けるか。

 こちらの艦隊も、被害は甚大で敵の最後の空中攻撃のおかげでだいぶ混乱している。


「まあいいさ」

「王将、向こうからなんか来るぞ!」


 すでに敵艦隊に致命傷に近い被害は与えることに成功したので、これ以上の追撃は諦めるかと嘆息したそのとき。

 水平線の向こう側から、ブリタニアンの旗がたなびく軍船団が現れた。


 ブリタニアン艦隊からはまず、新型快速船スクーナーが十隻。飢狼のように海上を走り回り、逃げ惑う無敵艦隊の残存に瞬く間に囲み、接舷して息の根を止めた。

 その早業はやはり海の民、寄せ集めのシレジエ艦隊とは、練度が違う。


「アーサーの艦隊か、やってくれる」


 相変わらず『キング』アーサーの奴は、最後の最後で美味しいところを持っていくと俺は苦笑してしまう。

 後から来てとも思うが、悪い気分ではなかった。その鮮やかな手並みは、いっそ小気味良い。


 それに、無敵艦隊を拿捕した上で、こちらの大破船を陸まで牽引してくれたのは助かった。

 この海戦に終止符を打ってくれたついでに、海に浮かんだ救難者まで敵味方問わず救い上げてくれたのだから、感謝すべきだろう。


 激戦を繰り広げ、ナロー海を血に染めたシレジエ・カスティリアの両海軍は、大破して自力航行も難しい船が多数を占めていたのである。

 もしアーサーの艦隊が救援に来てくれなければ、戦死者の数は更に増えていたことだろう。


     ※※※


 後世にナロー海戦ナロー・シー・ウォーと呼ばれるこの戦いは、まだ田舎の農業国に過ぎなかったシレジエとケチな沿岸貿易に終始していたブリタニアンが、大海洋国家カスティリアを打ち破った歴史の転換点となる。

 そのインパクトは、海を知らなかったシレジエの民にオーシャン・マインドを目覚めさせるのに十分であった。


 かなり恥ずかしいことに、この戦いの結末はゲルマニアの宮廷楽士ツィターが作った勇壮な曲に俗っぽい歌詞をつけて、シレジエの勇者を称える歌として長らくの間、各地の酒場で歌われ続けることになる。


『シレジエの勇者、ただひたすらに波高きナロー海を守らん

 かくして、我らが意に逆らう敵のくることなし


 もし我がカスティリア人の独り占めなる海を取り戻さば

 ことはなべて収まるべし


 シレジエの勇者、容赦なく彼らを滅ぼさん

 然らずんば、欲深きカスティリア人もやがては我らと和すべし


 シレジエの勇者が指し示す正しき道、まさにここにあり

 商いに励め、海軍を興せ!

 さすれば、我らナロー海の王者たらんと』


 ユーラ大陸の諸国は、この歴史的一戦を契機として大航海時代を迎える。


 遙かなる海の向こうにある別世界への憧憬。

 若者が希望とロマンを胸に海へと漕ぎだす「地理上の発見」とも称される時代の幕開けであった。

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