第五章 王都決戦 編
第146話「ルイーズの焦り」
「ルイーズ団長、こんな速度では人はともかく馬が持ちませんよ!」
「すでについてこれない人も出てます」
あまりに進軍を急ぎすぎるルイーズに、馬で並走するシュザンヌとクローディアが諫言した。
こうも連日、早駆けが続いてはルイーズの騎行に慣れている二人もヘトヘトだ。
シレジエ王国と、その属領をつなぐ街道は整備されていて、タケルの指示で駅伝制が敷かれている。
適切な間隔で、替え馬を常備した駅が置かれていて、馬が疲れたら交換して急ぐことが出来る。
しかしそれは、個人の話だ。
義勇兵団の騎兵隊二百騎全員の分の替え馬などない。
共に随伴する、シレジエ王国近衛騎士団五百騎も、マリナ団長が軽騎士に改良したとはいえ、ルイーズの求める速度に付いていくのは難しい。
すでに脱落者が出ていた。
「しかし、戦争は待ってくれないぞ、一刻も早く援軍に行かなければ」
なおも先を急ごうとするルイーズに業を煮やしたのか、騎士団長のマリナがやってきてルイーズの手綱を奪って、無理やり止めた。
彼女はルイーズが騎士団に居た頃からの長い付き合いだ、何も言わなくともマリナが言ってることは伝わる。
このまま無理に急がせても、戦場に付く頃には軍馬がほとほとに疲れて、満足に戦うことができなくなる。
みんながルイーズと同じように頑強なわけではないのだ、「だから落ち着け」とマリナは言っているのだ。
いくらルイーズが騎乗に長けていても、馬の扱いにかけては天与の才があるマリナ・ホースの乗馬術には勝てない。
手綱を握られて動きを制されては、どうしようもなかった。
「わかった! 済まない……。今日はもう休んでいい。馬も休ませてやってくれ」
ルイーズは、深くため息を付いて、焚き火の薪を集めて野営の準備を始めた。
馬を休ませるときですら、自分は休むつもりはないらしい。ぜんぜん、わかっていないのだ。
そのルイーズの頑なな反応に、シュザンヌはため息をついた。いつもコンビを組んでいるクローティアに目配せするけれど、どうしようもないよねと言いたげな視線が返ってくるだけだ。
急ぐのはわかるのだ。拳奴皇軍に攻められているランクト公国への救援が間に合うように、こうして騎馬だけで駆けているのだから。
でも、ルイーズは義勇軍騎兵隊と近衛騎士団合わせて七百騎の将だ。
その焦りは、軍全体に伝わってしまう。戦を前に、雰囲気が浮つくのは良くないと経験の浅いシュザンヌたちですらわかる。
何をそんなに焦っているのか、いつもの腰の座ったルイーズに戻ってほしい。
そう言いたくても、シュザンヌたちの立場だと、なかなかルイーズに言い出せなかった。
ルイーズがせかせかと、薪を集めてきたところに、栗毛色の髪を風になびかせてマリナがさっと立ちはだかった。
大柄なルイーズに比べると、マリナは小柄だ。それでも、押し黙ってじっと見ている視線の重みが足を止めさせる。
「なんだマリナ、何が言いたい」
「馬が可哀想だ」
ルイーズは、少し驚いたように深紅の瞳を見開いた。
マリナが口答えするとは、いやそれ以前に。
「お前の声、久しぶりに聞くな」
「……」
マリナは、非難するような視線を送ってくる。
睨まれたルイーズは、ため息をついた。マリナが声を出して異議を唱えるなど、よっぽどのことだ。
「済まなかったよ、急がせすぎたのはあやまる」
マリナは、いきなりルイーズの腰に飛びついてしがみついてきた。
せっかく拾い集めてきた、薪がルイーズの手から散らばった。
「うあっ、いきなり何をする」
そのまま、地面にルイーズを押し倒してしまう。
マリナは小柄なのに、器用に大柄なルイーズの身体を抑えこんで、そのままフォールした。
「イタタッ、ふざけるな、うあっ!」
腰にむしゃぶりつかれたルイーズは暴れるが、それをマリナは巧みに押さえ込もうとする。
そこにシュザンヌとクローティアも顔を見わせてから、走りこんできて、ルイーズに覆いかぶさって、両手を片方づつ抱えてルイーズの動きを封じた。
「うあっ、はぁ……参った」
ルイーズも、さすがに三人に押さえ込まれると抵抗できずに降参した。
力任せなら、たとえ三人がかりでも跳ね除けられただろうけど、そういうことではない。三人とも、ルイーズを案じてこんなことをやってきたのだ。
言葉よりも、腕を掴まれて胸にのしかかられる重みのほうが、ルイーズにはよほど伝わる。
自分も不器用だが、こいつらもたいがいだなとルイーズは苦笑した。
「わかったよ、落ち着くから」
「ルイーズ団長は、何を焦ってるんですか」
シュザンヌが代表して、聞いた。
「それは援軍だから……いや、そうじゃないか。今回の戦いを焦ってるのは、嫌な予感がしたからだ」
「嫌な予感ですか」
シュザンヌたちには分からない。
ルイーズの戦士の勘。
「そうだ、分かるような合理的な説明ができなくて申し訳ないが勘としか言いようがない。その焦りに、お前たちを巻き込んだのは悪かった。マリナもうわかったから離せ!」
「……」
マリナは、ルイーズの身体を押さえ込んでいた身体を慌てて起こして、後ろに下がってかしこまる。
シュザンヌたちも、慌てて掴んでいた腕を離した。
「マリナ・ホース、近衛騎士団に加えて義勇軍騎兵隊の指揮も任せる」
何故かとも、聞かず。マリナは乱れていた栗毛色の長い髪をさっと撫で付けると、居住まいを正して頭を下げた。
マリナにとって、ルイーズの指示は絶対だ。指揮をやれと言われたら、やるだけだ。
「シュザンヌ、クローディア、お前たちもマリナの旗下でともに戦え」
「ルイーズ団長はどうするんですか」
シュザンヌは不思議そうに聞く。
彼女たちは、ルイーズに騎士として育てられたのだ。その背中を追うのを当然だと思っているから、少し不服そうだった。
「私は、一人の騎士として戦う。わかっているだろう、今度の戦いは拳奴皇ダイソンが出てくる。タケルも勝てなかった相手だと聞く、だからここで確実に倒しておかなきゃならないんだ」
「そうですか……」
そう聞いて、ルイーズが何に気負っているのか、シュザンヌはようやく気がついた。
ならば自分たちも一緒に、という言葉は飲み込む。
高レベルな戦いになれば、騎士として未熟な自分たちは、足手まといになりかねないのはわかっていた。
だから最後まで一緒に戦いたいって、想いは抑える。
「わがままを言って済まない、だがダイソンは、私が倒さなければいけないんだ。そうでなければ、私がオリハルコンの装備を授けられて、タケルの騎士をやっている意味がない」
ルイーズが焦っている理由。
拳奴皇と当たったタケルは、勝てなかったのだ。負けることもなかったが、再び戦場でぶつかれば、今度はタケルの身が危ういかもしれない。
ならば先行して危険な敵を潰しておこうと、タケルの騎士を自任するルイーズが急くのは当然だ。
ルイーズは功を焦っているのでも、強敵を前に猛っているのでもない。タケルを守りたいのだ。シュザンヌもクローディアも、単なる戦闘と考えていたのは浅かったと気がついた。
「一人でご無理はなさらないでくださいね。ご主人様もですが、私達にはルイーズ団長も大事です」
「ありがとう、負けられない戦いだから、肝に銘じる」
ポンと、ルイーズはシュザンヌたちの肩を優しく叩いてから焚き火の準備にかかった。先ほどのような焦りは感じられないが、肩から力は抜けていない。
ルイーズとて冷静さを欠いているわけではない。状況が許すなら、騎士の決闘にこだわらず囲んで倒すことも考えている。
ただ、ルイーズの戦士の勘がビンビンと危険を感じ取っているのだ。
「気負いすぎかもしれないが」
ルイーズは、一度『魔素の瘴穴』の封印の失敗で、一度大きな敗戦を経験している。
今のシュザンヌとクローディアのように、大事だった部下を失ってもいる。その時の感覚に似ているのだ。
同じ失敗は、もう二度と繰り返さない。
今のルイーズには、タケルから下賜された最強の鎧と最強の大剣がある。わずか七百騎だが、一から鍛え上げた騎兵隊が居る。
あの時と同じ過ちを繰り返すことはない、もう二度と失うことはない。
赤々とした焚き火の炎に照らされて、ルイーズは嘆息する。
そう思っても、どこか安心しきれないでいた。
明日の戦闘に備えて、寝ておかねばならないと思っても、なかなか寝付けず浅い夢を何度も見た。
※※※
ルイーズたちシレジエ王国近衛騎士団五百騎と、義勇軍騎兵隊二百騎がランクトの街に入城した時、戦局は難しい状況を迎えていた。
援軍が間に合ったとは言うべきだろう。拳奴皇軍の雑兵二万に囲まれて、ランクト公国軍はランクトの街の何重にも渡る防壁を利用して、守りに入っていた。
「ルイーズ様! ご援軍、ありがとうございます」
「うん……」
ツルベ川の方角の門から、ルイーズたちを迎えるランクト公国軍の数もそこそこに多い。
ルイーズを自ら出迎えた、ランクトの街で防戦する主将は、燃えるような炎の鎧を身に着けた長い金髪の姫騎士エレオノラだ。
その両脇を、ガラン傭兵団の
ベテラン二人が、突撃を仕掛けようとする若いエレオノラの暴発をなんとか抑えていると言った感じかと、
戦局としては、敵にランクト公国の奥深くまで侵略を許してしまったものの、ランクトの街に篭っている限りは負けないと言ったところだ。
ランクトの街は後背にツルベ川があり、北はトランシュバニア公国、南はローランド王国に通じている。
たった千人ではあるが、川路を伝ってトランシュバニア公国からも援軍も来ているのだ。ローランド王国は、さすがに援軍を寄越すまでには至らなかったが、物資は豊富に送ってくれている。
ランクトの街に篭るは、ガラン傭兵団五千、トランシュバニア公国からの増援が千、城兵が千五百、街を守るために義勇兵としてかき集められた市民兵が五千、エレオノラの率いるランクト公国騎士団重騎士二千に加えて、ルイーズたち軽騎兵隊が七百騎。
これで、総勢一万五千二百になる。
攻め寄せる拳奴皇軍が二万を超えていたとしても、十分戦える数だ。
いや、エレオノラの突撃力なら、雑把な農民兵をかき集めただけの拳奴皇軍など、篭城せずとも突き破れただろう。
無鉄砲な姫騎士エレオノラが、野戦を避けて苦手な籠城戦を選ばなければならなかったのには理由がある。
そう、敵は拳奴皇軍だけではなかったのだ。
ゲルマニア帝国の東の果ての三王国から、援軍が付いてきていたのである。いや、むしろ多くのベテラン騎士を抱える三王国の援軍こそが、本軍といっても良いほどだ。
ラストア王国の将軍ライ・ラカンが率いる混成大隊が四千。
トラニア・ガルトラント王国からも騎士団を中心として、合わせて一万の増援が来ている。
拳奴皇ダイソンは、元ラストア氏族の出身であり、幼少の頃に捕らえられて奴隷にされた経緯がある。
それもあって、ラストア王国軍の騎士たちは新皇帝ダイソンを同胞と捉えており、援軍どころか雑兵揃いの拳奴皇軍に変わって、本軍を自認している程に士気が高い。
トラニア・ガルトラント王国は、それに釣られてと言おうか、ラストアとの盟友の義理で一万の増援を送ってきている。
しかし、積極性に欠けるとはいえ、それを率いているのは『生ける民族的英雄』とも呼ばれる、トラニアの盲目将軍ダ・ジェシュカと、ガルトラントの『黄将』サンドル・ネフスキーだった。
ランクトの街が防戦に入って程なく、北西のダンブルクよりマインツ将軍旗下の重装歩兵二千、騎士二百、そして新式火縄銃を装備した義勇兵千の合わせて三千二百が増援に駆けつけていた。
寡兵ながら、『穴熊』のマインツはランクトの街に攻め寄せる敵に包囲戦を仕掛けようとしたが、同じく練達の将を有するトラニア・ガルトラント王国軍の牽制に阻まれて、膠着状態に入った。
慣れない新式火縄銃を使って、マインツが育てた義勇銃士隊はよく戦ったが、ダ・ジェシュカの機動性のある戦車戦術(馬車が引くワゴンの防御力と、クロスボウの攻撃力を使った効果的な戦術)による反撃も甲乙つけがたい活躍を見せた。
撃ち合いになれば、互角の勢いを見せて、お互いに譲らない。
そこで敵に阻まれたマインツの援軍は、ランクトの街には入らずに、今は森や村落を利用したゲリラ戦に移行して、一進一退の攻防を繰り返して、外から隙を窺っている状態だという。
こうして、ランクト公国軍一万八千四百と拳奴皇軍三万四千が向かい合うようにして、のちに『ランクト攻防戦』と呼ばれるこの戦いは、敵味方ともに手詰まりの状態を迎えていた。
戦局の報告を、主将エレオノラの幕僚である執事騎士カトーから聞き終えると、ルイーズは分かったと頷いた。
それで「どうしましょう」と、期待に満ちた顔のエレオノラに聞かれたので、ルイーズは笑った。エレオノラが言って欲しいセリフを、自分が語る立場になっていると分かったからだ。
「そりゃ、街から打って出るさ」
「ですよね! それでこそ『万剣』のルイーズ様です」
期待通りの言葉に、碧い瞳をパッと輝かせるエレオノラを見て、ルイーズは苦笑を禁じ得なかった。
街に籠城する主将に、これほど向いていない人材も珍しいと思ったからだ。
よくルイーズたちが援軍に来るまで、エレオノラが進撃を我慢したものだ。
脇についてる将軍たちが有能だということもあるのだが、エレオノラ自身もだいぶと成長したらしい。
かつての彼女なら、早々に敵軍に突撃して何らかの罠にハマり捕縛されて、また
この大事な一戦を前に、そのような事態にならなかったのは、まさに不幸中の幸いと言えた。
主将たるエレオノラは、きっと攻勢に打って出るキッカケを待っていたのだろう。
女騎士の憧れ、『万剣』のルイーズさえ来れば勝てる。
そのエレオノラの無邪気な期待は間違っていないと、これからの戦いで証明してやらなければならない。
そうルイーズは覚悟を決めた。
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