第144話「『アレ』の上陸」

 ナントの港に入ってくる、カスティリア王国の軍船を見て、白ひげの老代官ジェフリー・アーマスは、豊かな白髭を蓄えた顔を苛立たしげに横に振った。

 そして、深く深く大きなため息を付いた。


 まさに、お家の危急存亡ききゅうそんぼうのときだった。

 ブルグンド家初代の当主ゲルトルート様から始まり、十六代。いやピピン侯爵がお亡くなりになったので、ボルターニュ様で十七代目か。


 二百四十余年続いたブルグンド家も、もしやここに潰えるのかと思えば、焦りもするし弱気にもなる。

 この老ジェフリーも、ブルグンド家に四十年間仕えてきたのだが、これが最後のお勤めになるのかもしれない。


 いや、決して気弱になってはならないと意を強くする。

 街の塀の外からは、シレジエ王軍が攻め寄せ、港には外国の軍隊が入り込んでくるのだ。


 内憂外患の窮地だからこそ、ご主君亡き今、防衛軍を指揮してナントの街を守れるのは、もはや代官のジェフリーだけなのだ。

 埃をかぶった年代物の鉄の鎧を着て、ここ何年も振るったことのない宝剣を腰に差して、仮初めの将として緋色のマントをまとう。


「それにしても、情けないことだ。ナントの街に他国の軍隊を引き込むとは、ボルターニュ坊ちゃまは、何を考えておられるのだろうな」


 戦死されたピピン侯爵の後を継いで、本来ならすぐにでも三男のボルターニュ・ブルグンドが十七代ブルグンド家当主として立ち、軍を率いて侯爵家の軍を指揮すべきなのだ。だが、この火急の事態に、そうも言ってはいられないのはわかる。


 しかし、ボルターニュの命令だと言って、外国の軍船から次々に兵が降りてくるのを見ると、まるで故郷の町を他国に占領されたような忸怩たる思いがした。

 シレジエの王軍に負けても、カスティリアの軍隊が勝っても、ブルグンド家の先行きは暗い。こんな状況で、死力を尽くして戦えと命じなければならない代官の立場は辛かった。逃げ出せれば、どれほど楽だろうか。


「ジェフリー様、カスティリアの将軍が参っております。ナントの街の代表者として、お会いになってください」


 執事長カストロの報告に、老代官は苦い笑いを浮かべた。

 いつもならば、タキシードを着て澄ましている彼も、今は慣れない硬革鎧を身にまとって、どこから見つけてきたのか古ぼけた鉄剣を差している。


「長生きはしたくないものだなカストロよ。まさか敵に囲まれるナントの街を目の当たりにするとは。防衛の将軍役、何なら変わるか?」

「ジェフリー様。長らくブルグンド家に仕えた代官閣下がそんなことでどうしますか。みな、貴方様のご命令を待っております」


 代官に過ぎない自分が、ご領地の最後になるかもわからぬ戦いを指揮するのは僭越であるがと、ジェフリーは豊かな白髭を揺らして苦笑した。

 今は後方のイソワールの街にいる、三男のボルターニュ以外のブルグンド家の子孫が死に絶えてしまった今では、それも仕方がない。


「フッ……。考えようによっては、ボルターニュ坊ちゃまが留守の間でよかったかもしれんな。坊ちゃまが生き残れば、ブルグンド家の血筋は途絶えぬ。しからば、ワシは侯爵家の未来のため、ナントの街で一兵でも多く敵を道連れにして、徹底的に抵抗して戦うまでだ」

「我らもお供いたします、ジェフリー様」


 生まれつき出来が悪く凡庸で、ピピン侯爵にも放置されがちだった三男坊のボルターニュではあったが、幼いころより我が子のように養育していた老ジェフリーにとっては、一番可愛い若君であった。

 坊ちゃまと言っても、すでに十八歳の立派な若君であらせられるのだが、子もおらぬ老ジェフリーにとっては眼に入れても痛くない孫のようなもの。


 ブルグンド家の長年の恩顧に報い、可愛い若のために死ねるなら、この老臣の身など惜しくはない。

 年老いた忠臣。白髭のジェフリーには、覚悟があった。


「シレジエ王軍、来るなら来いだ。ブルグンド家の最後の意地を見せてくれようぞ」


 シレジエ王軍の来襲、敵対的な民衆の蜂起。それに対して、ナントの街を預かる代官ジェフリーとて、手をこまねいていたわけではない。

 敵側に味方した民衆は、みんなナントの街から追い出している。地方の農民に比べれば、ブルグンド家のお膝元であったナントの街の市民や商人は、侯爵家に恩顧の情がある民衆が多かった。


 いまさらになって、敵が来ると逃げ出す兵士はほとんど居なかったし。

 そこそこに民意に沿った善政をしいていた、代官ジェフリーの悲壮な防衛戦に参加しようとする市民もいたのである。


 押し寄せる敵軍への備えは、完璧に行っていた。

 一年とは言わないが、半年は籠城戦を持ちこたえられるだけの食料の備蓄もある。


「さあ来い敵軍……っと! なんでモンスターが館に入っておるか!」


 ナントの街の代官屋敷で、ドラマティックに悲壮の覚悟を決め込んでいた代官ジェフリーは、びっくりして腰を抜かしそうになった。

 ジェフリーの執務室に、いきなり奇っ怪な姿をした亜人種が姿を表したからだ。


 青いセミロングの髪から、黒褐色の竜角が二本、ニョキッと突き出している。手足の先が太く鋭い爪と青い鱗が付いていて、ドラゴンの青い翼と長い尻尾が付いている。

 年格好は若い女の形はしていても、その凶暴で恐ろしげなフォルムにジェフリーは腰を抜かしそうになった。


「おい、レブナント。この人間は失礼だから、殺してイイカ?」

「アレ客将、慣れぬ者は仕方がありませんよ。これでもお味方なのですから、どうぞ広い心でお怒りをお収めください」


 突如現れた、奇っ怪な女性と怪しい男に向かって、ジェフリーは腰の宝剣を抜かんばかりの剣幕で怒鳴りつけた。


「なななっ、何奴じゃおのれら!」

「そう言われましても、我々は援軍ですよ代官閣下」


 澄ました笑顔でそう答える、銀髪の前髪の長い男。

 事情を知っている執事長カストロは、激昂したジェフリーを押しとどめる。


「ジェフリー様、お待ち下さい。この方たちはカスティリアの将軍様です!」

「なんだと、このバケモ」


 ジェフリーは最後まで言えなかった、竜っぽい女の指からグンッと伸びた鈍く光る銀色の爪が喉元にまで来ていたからだ。

 老いたとはいえ、ジェフリーも若い頃はそれなりに鳴らした騎士である。それを、こうも一瞬に懐に入られるとは不覚。


 化物じみていても女だと思って、無意識に侮ってしまっていたのだろうか、まったく腕の動きが見えないほどの神速であった。

 動きが俊敏すぎて、ジェフリーはリアクションを取ることすら許されなかった。この女にもし殺す気があったなら、もうジェフリーの胴と首は泣き別れているところだ。


 ツンと爪の先で、首を突かれただけでタラっと血が流れた。

 恐ろしいほどの切れ味である。


「なにか言ったかな、人間」

「ぐっ……」


 一瞬で緊迫する空気を、カスティリアの将軍という前髪の長い男が爽やかに笑うと、パンパンと手を叩いてなだめた。


「ナントの代官殿はご存知ありませんか、彼女は竜乙女ドラゴンメイドですよ。彼女は、カスティリアの客将ですし、南方のアフリ大陸にあるランゴ島の竜女王レディ・オブ・ザ・ランゴの娘なのですよ。つまり、こちらでいえば一国の王女のお血筋です」

「これは、失礼……失礼しました」


 ようやく、ジェフリーが謝ったので、竜乙女ドラゴンメイドは、フンと小さく鼻を鳴らすと、鋭い爪を喉元から下げた。

 凶暴なのは青い鱗のついた四肢と大きなドラゴンの角と翼と尻尾で、顔や胴体は美しい女性のそれである。


 ジェフリーはもう年寄りなので何も感じないが、青くゴツゴツした鱗とは対照的に透き通るような白い肌で、豊満な肉体の大事な部分だけに白い布を巻きつけているだけのあられもない姿は、若い者には目に毒だろう。

 島から来た青い髪の竜乙女ドラゴンメイド、いろんな意味で、強烈な存在感がある。


「ふむ、謝ったから、殺すのは許してやろうジジ」

「ジジ……。まあ、ワシは白ヒゲの爺ですが」


 同盟国の代官に向かって、言葉を知らんなこの若い娘はと思いながらも、先にバケモノだのモンスターだのと言って怒らせたのは、ジェフリーの方なので、文句は言えない。

 しかし、竜乙女ドラゴンメイドとは驚かされた。一応、亜人種として人類の括りには入っているが、その存在はユーラ大陸の民にとってお伽話だ。


 竜乙女ドラゴンメイドは、竜神という古き者と、人族との混血児がその祖先とされている。

 未知の大陸にある南方のアフリ大陸。大砂漠の沖合に浮かぶ島に住む種族とされ、なぜか女しか産まれてこないので、流れ着いた船乗りを攫って子を成すという伝説がある。


「アレは、まだ島を出て間がないので、少し礼儀に欠けるところがありましてご容赦いただきたい」

「それは良いのですが、アレ?」


「ええ、彼女の名前ですよ。アレ・ランゴ・ランド。こちらからすると、ちょっと変わった名前ですけどね。先ほどの動きを見てお分かりいただけたと思いますが、竜形拳という竜乙女に伝わる拳術を使う武闘家で、まさに一騎当千の武将でもあります」

「はあ、なるほど」


 たらりと垂れ下がる長い前髪の男は、細い目をさらに細めて、貴族然とした立派なお辞儀をした。

 無作法な竜乙女のアレとは対照的に、礼儀をわきまえており、カスティリア王宮に長く仕えているだけの気品がある。


「申し遅れました、ナントのジェフリー代官殿。私は、アレ客将とともにこの度の援軍を任されました、レブナント・アリマーです。竜乙女には敵いませんが、私もそれなりに強いですよ。なにせこう見えても上級魔術師ですから」

「じょ、上級魔術師で将軍なのですか」


 レブナントは、金色の鎧を着て、その上から茶色いマントを羽織っている。

 魔術師といえば、杖を持ってローブを着ているものだとばかり思っていたジェフリーは、目を丸くする。


 いろいろと型破りな連中のようだ。

 しかし、上級魔術師といえばまさに一騎当千。この世界においての大量破壊兵器と言っても良い存在である。


「将軍に就任したのは、ついさっきなんですけどね、なにせ率いている軍隊が軍隊ですから、抑えられるのが私しかいないと、フィルディナント陛下が判断されたようで」

「軍隊が軍隊?」


 そういえば、港の方がなにやら騒がしいような気がする。


「安心してください。我々は、まさにカスティリア最強の陸軍ですよ。今ここに攻め寄せようとしているサラ代将率いる義勇軍は、三派に分かれたシレジエ王国軍の中でも最弱ですからね。弱いところに、強きをぶつけろというのが書斎王陛下のご配慮……」

「あの、何か騒がしいようなので、港を見てきてもよろしいか」


 レブナントは、ニヤッと口が裂けるような悪魔的な笑みを浮かべたので、ジェフリーはゾッとする。

 先程までの爽やかな印象が台無しである、悪魔的なこの笑いが本当の彼なのかもしれない。


「もちろん、クックック……。私たちもご一緒しましょう」


 慌てて港まで援軍を見に行ったナントの代官ジェフリーが見たのは、ガレオン船から降り立った、港を埋め尽くさんばかりの武装したトカゲ人間だった。

 港の人間は、みんな怯えきっている。


「これは一体……」

爬虫類人レプティリアンの傭兵ですよ。彼らが二千匹で、一般の兵士が千人の計三千人が今回の援軍です」


 爬虫類人レプティリアンは、アフリ大陸の砂漠地帯に住むトカゲ人間である。

 同じ鱗がついた人型生物でも、アーサマが作りし人類の末裔である亜人種の竜乙女ドラゴンメイドとはわけが違う。


 竜乙女が「竜神の血が混じった人間」なら、爬虫類人は「人間のような姿はしているが、爬虫類的な要素を持つ正体不明の化物」なのだ。

 人と化物のラインは、ジェフリーのような一般的な人間の意識からすると、絶対的なものである。


 亜人種とは種族的な違いから齟齬もありつつも、創聖女神アーサマより生まれた者として分かり合えるが、魔族とは分かり合えない。

 人族と魔族は、元から生き物として絶対的な違いがあるのだ。


爬虫類人レプティリアンは、魔族ではないか」

「ええそうですよ、それが何か」


 レブナントは、銀色の前髪をさっとかきわけて、笑ってみせる。

 ジェフリーは、伝家の宝刀の柄を握りしめて、怒髪天を突く勢いで激昂した。


「魔族を我が街に引き入れて、それが何かだと!」

「ジェフリー代官、貴方は考え方が古いんですよ」


「なんだとぉ!」

「シレジエの勇者が王宮で魔族を飼っているのは知ってますな。聞けば、先のゲルマニア皇太子も自ら魔王になったとか。いやはや驚きましたよ、ちょうど時を同じくして私どもカスティリアも、アフリ大陸の魔族を懐柔して、傭兵に仕立て上げようとしていたところでしたのでね」


 カスティリアは海軍国だ。

 広大なアフリ大陸で活動するのに、弱い陸軍を補強する必要があったため、なんと魔族である爬虫類人レプティリアンと交渉して、傭兵にしたというのである。


 竜乙女ドラゴンメイドを客将として迎え入れるまではまだしも、そこまでやるのは長らく魔族と人間との争いを繰り返してきたユーラ大陸の人間の常識からすれば、ラインを超えている。

 何を考えているのかもわからぬ混沌の化物を、女神の子である人が制御して利用するなどと、アーサマをも恐れぬ不遜な考えだと言えた。


「レブナント殿は、忌まわしい魔族を人間の戦争に利用するというのか」

「そうですね。魔族という力を制御して使わなければ、戦争に勝てない時代がやってきているといえるでしょう。それを拒み、座して敵の前に膝を屈するというのであれば勝手にすればよろしいが、それは戦死されたピピン侯爵殿のご子息であり、現当主であるボルターニュ殿のご意志に反することになりますぞ」


 理路整然とした、レブナント将軍の語り口には一分の隙もない。

 ボルターニュの名を出されては、忠臣である老ジェフリーは逆らえない。


「うぬぬ……」

「いかがなさるか、ジェフリー代官閣下」


 カスティリアの軍隊をナントの街に引き入れたのは、確かにピピン侯爵の遺児ボルターニュの命令なのだ。

 それに背くということは、ジェフリーがブルグンド家の家臣でなくなるということだ。


「あいわかった。レブナント殿は、好きなようにされるが良かろう。ただし、我々はあくまでナントの街を守るのみ。そなたらは、そなたらで勝手にされるが良い」

「ええそれで、こちらも満足です。いやー味方に攻撃されたら、どうなることかとヒヤヒヤしました」


 うそぶくレブナントの冷ややかな双眸を見て、本当はそんなことは一切思っていないだろうなとジェフリーは思った。

 爬虫類人レプティリアンも恐ろしいが、この上級魔術師で将軍だというレブナントという銀髪の男は、それよりもはるかに薄気味悪い。


 こんな者を頼らなければ戦えないとは、ただただ己の無力が情けなかった。


「何が新しい時代だ、まったく長生きなどするものではない……」


 老ジェフリーは、そうつぶやくと、迫りくる敵に対して防衛戦の準備を始めた。

 不幸にも生き残ってしまった者は、息絶えるその時まで責務を果たさなければならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る