第143話「書斎王フィルディナント」

 カスティリア王国、首都カスティリア。

 カスティリア半島の中央に位置する、世界に冠たる大都市の一つであり、国を治める王の宮殿がある。


 カスティリア王国は、建国から二百年余年の古い国だ。

 一時は、外国の侵略を受けて国土が四分五裂し、破産寸前まで追い込まれたこともあったが、セイレーン海に活路を求めて、はるか南方のアフリ大陸への海外交易を成功させると、それによって生まれた莫大な富は国威を高揚させて、無敵艦隊ともあだ名される最強海軍を持つ強国ともなった。


 新型軍艦、ガレオン船の開発を成功させ、北の新興海洋国家ブリタニアン海軍との大海戦に勝利したカスティリアは、今度はシレジエ王国へと手を伸ばしつつある。

 その総司令部がここ、カスティリア王の宮殿の奥にある書斎だ。


 古今東西の珍しい書籍が並び、世界中から集まる報告書の類が山のように積み上がっている真ん中に、カスティリア国王はいた。

 右目だけ視力が弱いのか、銀のチェーンのついた片メガネモノクルを眼窩にはめ込んでいる。黒地に金のラインの入ったキルティング仕様のダブレットを着ている赤髪を後ろに撫で付けた大人しそうな青年。


 言われなければ、その姿は真面目な職務中の官僚にしか見えない。

 ひょろっと痩せた長身で、無表情だ。ただ書類を読むときだけ、赤い瞳がギラリと強く光る。


 彼こそが、カスティリア半島全域を支配し、はるか南方のアフリ大陸にまで植民地を持つ、カスティリアの国王フィルディナント・カスティリア・アストゥリアスなのだ。

 書斎に篭って、一切出てこないところから、偉大なる書斎王ひきこもりとあだ名されている。


 彼の統治の特徴は、全てを書類決済によって行うことだ。

 フェルディナント王が見るのは、書類だけ。書類によって、広大な領土を把握し、書類によってそのすべてを運営する。


「ふーん、南部貴族連合から救援要請が来たんだね」


 彼がそう独りごちる。書類を運んでくる官僚はいるのだが、王が独り言に口を挟まれるのを嫌うことを知っているので誰も何も言わない。

 この書斎では、ただ王のみが話す。ただ書簡だけが三方に並べられた机の上を行き来する、静謐な部屋だ。


「まったく、シレジエの貴族ってのは役にたたないもんだな。しょうがない、援軍に『アレ』を送ってみることにしようか」


 書類を、書いて送る。

 しばらくして、王のもとに返信が届く。


「知ってるよ、『アレ』はシレジエの勇者とは戦いたくないって駄々をこねているんだろう。でもさ、ナント侯爵領に攻めこんできてるのは、勇者じゃなくて愛妾だって言うじゃないか。農民の娘っ子相手なら、いいんじゃない」


 そうつぶやきながら、書いて送る。

 しばらくして、また王のもとに返信が届いた。


「よし、了承したか。まったく難しい駒だな。でも、『アレ』の強さはお墨付きだから使わないわけにもいくまい。おそらく送られた側は、扱いに苦労するだろうが、敵の足止めにもしっかりなってくれるはずだ。上手く動いてくれれば、王将軍を下すカードを手に入れられるかもしれない」


 そうつぶやきながら、書いて送る。


「南部貴族連合への援軍はそれでいいとして、そろそろシレジエの兵隊さんたちが三方に散ったところだろうから、新しい作戦を開始するとしよう。さて、シレジエの天才軍師さんとやらが、どういう手で防いでみせるかな」


 そうつぶやきながら、書いて送った。

 フィルディナント王は、返信を受け取って独りごちると、モノクルの位置を指で調整してから、また書物に戻った。


     ※※※


 ザワーハルトの第三兵団の千人、緊急徴募で兵を増やしたサラちゃん近衛銃士隊五百五十に加えて、増援の義勇兵二千が加わった対『地方貴族』方面軍は、ナント侯爵領にまで進軍し、足がかりとして北方の街オータンを落とした。

 サラ代将の統治は、苛烈を極めた。


「地方貴族側に付いた、貴族・騎士・大商人は財産没収のうえ、見せしめに打首よ!」

「サラ代将、それはちょっと厳しすぎるのでは」


 ミルコは、なんとかサラの極端なやり方を諌めようとしたが聞いてもらえない。


「だってそれぐらいしないと、報奨金に配るお金が足りなくなっちゃうし、租税免除のための蓄えも居るでしょう。いいのよ、全員ぶっ殺して」

「いや、でも旧支配層の恨みを買います」


「そんなの買ってあげるわよ。こっちの領地は佐渡商会と関係ないし、先生の本にも最初に統治に邪魔な奴を全員ぶっ殺してから、民を徐々に慰撫すればいいって書いてあったもん」

「いや、しかし」


 臨時の連隊長として増援の二千を率いてきた、義勇兵団二番隊隊長アラン・モルタルが、パチパチパチと拍手する。

 あいかわらず、調子の良いこの優男は、すぐサラ代将の指揮下に入って完全なるイエスマンとなった。


「いやーさすが、サラ兵長……いえ代将閣下です。一分の隙もない、果断なる処置と敬服いたしました。すぐにそのようにいたします」

「ウフフッ、それほどでもあるわよ。アラン隊長だっけ、シレジエ会戦以来ね。またお世話になるわよ」


 権力者におもねることにかけては、アランの右に出るものは居ない。

 サラが持つ、コネクションの絶大なる権力を、義勇軍で一番理解しているのがこのアラン・モルタルという男だと言っていい。


「ハイ、こちらこそ。また偉大なる代将閣下にお仕えできて、誠恐誠惶せいきょうせいこう頓首再拝とんしゅさいはい、恐悦至極といった次第です。このアラン、サラ閣下のために身を粉にして働きましょうぞ」

「あーはいはい、お世辞はいいわよ。ちゃっちゃとやっちゃって」


 ちゃっちゃと、オータンの街の地方貴族派の面々は、断頭台に上げられた。

 このサラの強烈で徹底した処置に、近隣の土豪は恐々として、平伏した。


 農民の娘サラ・ロッドが、将軍としてやってきて、逆らう貴族を皆殺し、民の租税を免除するという噂はナント侯爵領全域に広がり、各地で農民軍の離反・反乱を誘発。

 秩序を維持しきれず、領地から逃亡する貴族・代官が相次ぎ、ナント侯爵領は戦う前から瓦解し始めた。


 ……にもかかわらず、オータンの街に王都からサラのもとに届いた手紙は、これ以上の進軍を諌めるものであった。

 サラの将軍代理就任と、戦時権限を追認してくれるのは助かるのだが、攻めるなって言われるのは困る。


 サラ代将は、幕僚であるミルコ副将、ザワーハルト男爵、アラン連隊長を集めて会議を開いた。


「せっかくの進撃のチャンスに、これ以上攻めるなってどういうことかしら。タケルの意志なのか、ライル先生の意見なのかってこともあるけど」

「王将軍閣下のおっしゃることです、きっと深遠なる思慮があってのことかと」


 ミルコはそう言うが、サラはそんな言葉では納得せず、小首を傾げて聞く。


「ふーん、タケルの深淵な考えってなによ?」

「それは、王将軍閣下のことですから、僕たちでは到底理解不能なほど深く、精妙なお考えがあって」


「どうせ、負けフラグが立ってるとか、またわけのわかんない勘で言ってるだけでしょ」

「ブッ」


 ミルコも、アンバザックの城でタケルの秘書官をやっていたことがある。

 タケルは、そういう彼自身にしかわからない謎の理屈で行動を決めることが多かった。それはミルコも知っているから、思わず吹き出してしまった。


「まあいいわ、ミルコは攻めるのに反対なのね」


 サラの目配せに、ミルコは真面目な顔で頷く。

 王将軍の指示はときに突飛で、訳がわからないときも多かったが、その選択は後から見れば概ね正しかったとミルコは理解している。冗談ではないのだ。


「サラ代将閣下、私は進軍に賛成です。いま、私の部下がナント侯爵領全域を周り、租税免除の布告を行っているところです。各地で、地方貴族派は民心を失っておりますから、敵は根本が腐った大木のようなもの。軽く叩くだけで崩れるでしょう」

「アラン、あんた結構有能よね」


 優男のアランは、手を広げると、歌うように世辞を言いまくる。


「ハッ、これもサラ代将閣下の善政あってのこと。横柄なる貴族に厳しく、か弱き民衆に優しいサラ様が我らが当主であるからこそ、草民はみな、吹き渡る涼やかな風を前にしたようになびくのです」

「野暮ったいお世辞は余計だけどね」


 そっけなく返すとサラは、今度は腕を組んでずっと考え込んでいるザワーハルト男爵に顔を向ける。


「私は、うーむ……」

「ザワーハルト男爵は、肝心なときにいっつも優柔不断よね。兵団長としては有能なんだから、そういう性格だけは、何とかしたほうがいいと思うわよ」


「ハハハッ、手厳しいな代将。貴君らのように若ければともかく、四十がらみの男に性格を直せと言われても、もう直らんさ」


 そう苦笑するザワーハルトは、結局のところどちらとも判断出来ずに、中立だそうだ。

 判断がつかないときは、わからないと言うのも意見だろう。


「賛成一、反対一、中立が一ね。分かったわ、じゃあ攻める」

「サラ代将!」


 ミルコが諫言しようとするが、サラはそれを小さい手のひらで押しとどめた。


「分かってるわよ、十分気をつけて攻めるから」

「サラ代将、僕は貴女を……」


 ミルコは、魔法銃ライフルを持ちだして、胸に抱きしめるようにしている。


「あれミルコ、それどうしたの最新兵器じゃない」

「実は、ライル摂政閣下が、サラ代将が独断専行したときは、これで守れとお貸しくださいました」


 サラに送られたのとは別の便で、ライル先生はミルコに自分の魔法銃ライフルを貸与したのだ。他にも、魔法抵抗力があるマントなども貰っているが、これはサラにも内緒にしろと言われている。あいかわらずの秘密主義。

 いまは、王都を動けないライルにできる、これが精一杯の献策であるのかもしれない。


「ふーん、私が勝手に攻めちゃうのは、先生にはわかってたのね。さすが、勝てないわ。でも、私だって弟子だから先生にいつか肩を並べてみせる……」

「それで、サラ代将。どこを攻めるんです。やはり、敵の本拠地を一気にですか?」


 アランもサラと同じように攻めたくてウズウズしているらしい、期待に満ちた面持ちで聞いた。

 若者の軽挙を危うげに眺めて、慎重に考えこんでいるザワーハルト男爵にしたって、手柄は欲しいのだ。


 出世欲が強い彼らにとって、この戦いは手柄を立てて成り上がるチャンスなのである。

 ただ一人、サラに恋焦がれる心配性のミルコだけが、代将の身を案じていた。


「攻める先は、ナントの港よ」

「なるほど、先にナント侯爵領の首都を抑えようと言うわけですな」


 アランは、絶妙のタイミングで合いの手を入れて、お追従を言う。


「それだけじゃないわ。劣勢に立った南部貴族連合は、カスティリアに応援を依頼すると思うの。そうなるまえに、まず先にナントの港を占領して、カスティリア王国と地方貴族派を分断する」

「なるほど補給路を遮断するか。理にかなった、見事な作戦だな」


 この中では、それなりに戦争経験のあるザワーハルト男爵は、サラの示す作戦地図を見て息を呑んだ。

 やはり、子供と侮ってはならない。堅実な一手は、さすがあのライル摂政の秘蔵っ子だと、感心した。


 しかし、サラの判断はいま一歩遅かったのである。

 すでに、ナントの港にカスティリア王国の救援の船が向かっていた。


 その船に、カスティリア王国のある意味で最強の戦士である『アレ』が乗っていることなど、この時のサラにはまだ知る由もなかったのである。

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