第121話「賊将ゲモン」
帝都ノルトマルクの北西に位置し、ちょうど帝国とランクト公爵の諸侯連合との境目を守る要塞街ダンブルクは、もう単に大要塞と言ってしまったほうがいいのではないだろうか。
石造りの分厚い外壁と四方を囲む砦と中央の城で、街の面積の半分を使ってしまっている。大きな要塞に、兵士たちの家族が生活できる街があるだけといった風情だった。
マインツが率いている兵は重装歩兵が二千に騎士が二百騎と少ないが、守りに徹している限りはダイソンが大軍で押し寄せてもそうそう陥落しないと思えた。
幽閉されて衰弱している老皇帝は、兵士によってタンカで寝床に運ばれて、祖父を心配するエリザも付いて行った。
なぜか、楽士ツィターは皇帝ではなく俺に付いてくる。こいつが居ると、マインツ卿と腹を割って話せないから、ちょっと邪魔なんだけどしょうがないか。
客間に通されて、出された紅茶を飲みながら、マインツ卿と善後策を相談する。
「それで、なんとお呼びしたらよろしいのですかな」
「今は
俺がそう名乗ると、マインツは面白そうにホッホッと白髭を揺らした。
「さてさて、黒銃士とは言い得て妙ですね。確かに良い銃をお持ちのようだから」
「見ただけで分かるか、マインツ将軍」
俺が渡した
「ホッホッ、この年寄りも火縄銃のサンプルは何丁か手に入れておるのですよ。それに比べると黒銃士殿がお持ちの銃は洗練されている。魔道具も組み込まれていて威力も高まっておるのでしょうね」
戦場で拾い集めたのだろう、マインツ卿はいくつかの使える部品と、まともに補修しなおされた火縄銃をテーブルの上に並べて見せた。新しい弾丸と、火薬まである。なんと抜け目の無い老人だ。
もしシレジエ会戦を指揮していたのがマインツだったなら、あの戦いはゲルマニアの勝利だったかもしれない。
「もしかして、銃が扱える兵士も養成しているのか」
「思ったよりも扱いは簡単なようですから。この街にも市民はおりますので、足らぬ兵を補うためにも、新しく市民兵を徴募して試験的には使わせております」
こっちの義勇兵制度まで見習って試してるのか。
さすがは名将マインツとしか言いようが無い。
「まったく油断ならない老人だな。今は味方なので頼もしい限りだが、マインツが敵将だったらと思うとゾッとする」
「ホッホッ、そのご心配は要らんでしょう。コンラッド陛下が作りし地上最強の帝国も、もはや風前の灯。この老骨が生きている限り、その火を消させたりはしません……が、この老いぼれも、十年も待たずに文字通りの骨となりましょう」
ゲルマニア帝国の命運などどうでも良かったのだが、結果的にマインツに恩を売って味方に引き込めたのは良かったといえる。
将軍としての長い軍務を経験した老人が、義勇兵制度や戦術を一変させる新兵器を何の抵抗なく取り入れて見せているのだ。マインツは、この世界では稀有な存在といえる。
卓越した智将の任を解き、僻地に左遷させたゲルマニア帝国はライル先生の言う通り愚か者の集まりなのだろう。
おまけに言えば、マインツはここまでの能力を持ちながら、忠義心に厚く野心を持っていない。
安心して大将軍を任せられる逸材と言えるだろう。
こいつは欲しいと思った。
こっちの義勇兵団には、若い隊長だけはやたらといるが、経験豊富な将軍は少ない。
長い経験に裏打ちされた統率力と、戦略眼を併せ持つ大将軍は逃してはならぬ人材だ。
老皇帝コンラッドとエリザさえこっちに抱き込んでおけば、マインツが手に入るわけだから、これは思わぬ良い拾い物をしたと言えるだろう。
「どうかされましたかな」
急に黙り込んだ俺を窺うように見るマインツ卿。
逃さないぜ、お前は絶対にうちの幕僚になってもらうぞ。
「いや、戦況はどうなってるかと思ってな」
「それですが、どうもシレジエ王国とそれに同調するランクト公の諸侯連合はこちらに味方してくれるようで、先程この城にも食料の援助が届きました」
なるほど食糧援助ね。出されたダンブルク城の紅茶が、すっかり舌が肥えてしまった俺にもまともに美味しいと思えたのは、ランクト公からの贈り物だったのだろう。
俺の前で、マインツ卿は白髭をさすりながら、シレッとした顔でシレジエ王国の話をするのだから、腹芸ができる相手と会話するのは愉快だ。
「それは良かった、程なくしてヘルマンたち救出部隊も、ダンブルクに戻るだろう。拳奴皇軍にとっては、ゲルマニア皇族は正統性の確保に必要な駒だ。追手を差し向けてくるのは目に見えてくるが、マインツ将軍としてはどう動く」
「そこですな、ワシとしては、このダンブルクを敵に抜かせるつもりは毛頭ありませんが、安全な後方へと陛下と殿下をお運びしたく存じます」
「コンラッド帝とエリザベートの意向はどうだろうな」
「ワシが御身の大事を考えた末の結論ですから、陛下や殿下には分かっていただけると存じます」
まあ、現実問題としてマインツ卿の言うことに従わざるをえないのだろうな。
皇族とは不自由なものだ。
「例えばだが、ゲルマニア残存軍を糾合する旗として、皇帝を使うって手もあるのではないか」
俺は、マインツ卿の意図を伺うためにそう提案してみる。
確かに俺もマインツの言う通りにするのが一番安全だと思うんだけど、シレジエに送れば結局はライル先生が政治の道具にしちゃうから、それも少し可哀想な気がする。
もちろん、俺が可哀想なことにはならないように気を配るけど。
マインツほどの男であれば、ライル先生がやりそうな戦略など十分にわかった上で言っているのだろう。
だが、この老将の実力なら、あくまでもここで老皇帝の身柄を守り、帝国唯一の後継であるエリザベートを旗印に、ゲルマニア帝国の独立を守るって選択肢もあるはずだ。
「確かに、黒銃士殿のおっしゃるとおりでもありましょう。ですが、ワシはこれ以上陛下の御身を危険に晒すことはしたくないのでね」
「そうか、卿の意志がそうならば良い。話は承知した。ゲルマニア皇族を、このままシレジエ王国側に亡命させるということでいいんだな」
「さようです。黒銃士殿には、ぜひ陛下たちを護衛していただいて、無事に届けていただきたい。この老人が、伏してお願いします」
「構わんが、この貸しは大きいぞマインツ将軍」
「ホッホッ、この老体に鞭打ってでもお返ししましょう。まさか、ワシのような老人にまだお鉢が回ってくるとは思いもかけませんでしたが。痩せても枯れても、このマインツは、コンラッド陛下の宿将。命の使い所は、心得ておるつもりですよ」
「将軍、俺に貸しを返す前に死んでもらっても困るから、命は大事にしろ」
「ホッホッ、相変わらず面白いお人ですね……。この死にかけの年寄りに、そうも過分なご期待をかけられては、気張らざるを得ません」
「さてと、話は決まった。俺も、任せられたからにはやることをやるまでだ」
そこで城が慌ただしくなったと思うと、伝令兵がやってきて敵兵の来襲を告げた。
もう来たのか。
「噂をすれば影がさすだな、追手はかかると思っていたが、拳奴皇軍も中々に展開が早いじゃないか」
「ホッホッ、迎え撃つ準備はできておりますれば、この年寄りにお任せ下さい」
マインツは、杖を握りしめて重い身体をよっこいしょと椅子から起こすと、いそいそと戦場に向かおうとする。
うむ、頼もしい。
「マインツ将軍、それなのですが……」
伝令兵の若者が、マインツに耳打ちすると余裕の好々爺の顔が変わった。
この老将を驚かせる事態とは何なのだ。
「なんだ、マインツ将軍。何か不測の事態でもあったのか」
「いや、ワシの出番かと思ったら、そうでもないようでしたのでね」
何のことだと思って、ダンブルクの外壁に上がってみると事情が飲み込めた。
ノルトマルクの方角から、少なくない追手の部隊がやってきている。
その数は、五千にはちょっと届かない程度であろう。マインツが必死にかき集めたこの城の兵が二千二百だから、敵兵がほとんど軽装歩兵であったとしても中々やっかいな敵とは言える。
しかし、ダンブルクの要塞街に向けて、群となって攻め寄せてきた拳奴皇軍を横から突撃している、謎の騎士隊があった。
その数は二千騎程度だが、無謀とも言える凄まじい猛攻で、軽装歩兵を蹴散らして敵陣の横っ腹を一気に食い破った。
謎の騎士隊というか、あの緋色の鷹の紋章……。
「ホッホッ、ランクト公国の騎士団のようですね」
「姫騎士エレオノラか、あいつ何をしにきたんだ」
いや、援軍を差し向けてくれたのを「何をしに」とは失礼かもしれんが。
これから、老将マインツの熟練の采配が冴えるってシーンに、どんだけ出たがりなんだよ。
横っ腹を真っ二つに分断された敵軍は、いかに大勢だろうがもはや軍隊としては終わっていた。
正面の敵は、ダンブルクの外壁から打ち出される弓やクロスボウや火縄銃の射撃によって挟み撃ちにされて壊滅。
後方の敵軍もエレオノラの騎士隊に追われて、敗走を続けて散り散りとなった。
俺も一応手伝ったが、こんなあっけない大勝は久しぶりだ。
「ランクトの戦乙女、真っ直ぐな、よい武将に育ちましたね」
「えー、マインツ将軍はそう見るのか。いつもどおりの猪武者っぷりだと思うが」
勝ったから良いようなものの、攻め筋が直線すぎるだろう。
おそらく急いでやってきたせいで、騎士隊だけの突撃になったのが良かったのだろう。エレオノラは、複数の兵科をうまく連携させて扱うってことができないタイプだから。
複数の兵科を使えない将軍って、言ってて笑ってしまうが。
そんな一軍の将っているんですかといえば、いるとしかいいようがない。姫騎士は本当に特別ケースなのだ。
「エレオノラ公姫は、騎士団長として使えば、理想的な将軍でしょうね。要するに、あの荒馬を乗りこなす上将がいれば良いのですよ」
「なるほど、マインツ将軍が上手く箍をはめてくれれば、姫騎士エレオノラも特性を生かして活躍できるというわけか」
「ホッホッ、それも良いですが、どこぞの王将軍閣下でも、乗りこなせるのではありませんかな」
「マインツ将軍、冗談はよしてくれないか」
なんでみんなエレオノラを俺に押し付けようとする。
俺がエレオノラを使うというのは冗談として、これからダンブルクの帝国軍残党と諸侯連合軍は、連携して拳奴皇軍と立ち向かうことになるのだから、マインツ将軍がエレオノラを使いこなしてくれるならありがたい話だ。
マインツという良将の元でなら、エレオノラもより成長できるはずだ。
※※※
「敵の賊将を生け捕りにしてきたわよ」
「お疲れ様、エレオノラ」
ランクト公国の騎士隊を城に迎え入れると、姫騎士エレオノラはホクホクとした顔で、お縄にした敵の青モヒカン兜を捕虜として引き立てた。
敵将を生首にして持って来なかっただけ、確かにエレオノラも成長してるのかもしれないな。
「捕まっては仕方がない、騎士としての処遇をお願いする」
「お前、明らかに騎士じゃないだろ」
青モヒカン兜をかぶり、丈夫そうな鋲付き革鎧の上に皮革のマントをまとったオッサンが、一端のことを言うので俺は呆れてしまう。
たぶんこいつは、傭兵くずれだ。騎乗して指揮していたのを見たから、おそらく傭兵の騎兵隊出身あたりだろうな。
「なんだと、確かに俺は騎士じゃねえが、帝都の皇帝より征将軍を任されたゲモン様だぞ。騎士より将軍のほうが偉いだろ、少なくとも将として扱え!」
姫騎士に捕まった間抜けなのに、偉そうなことだ。
密かに騎士に憧れちゃってるタイプなんだな、なんかそう思うと憎めないところもあるモヒカン兜だ。
「ああ、わかったわかった。だけど五千もの軍隊を壊滅させちゃったんだから、おめおめと戻ったらお前、ダイソンにぶっ殺されるぞ」
「それは……」
モヒカンの青さと同じぐらい、青白い顔に変わる賊将ゲモン。
あの拳奴皇は、無能な部下には甘くない。普通に斬首されるぞ。
そりゃ、この青モヒカン兜も、図体はデカイし騎乗もできる。騎士ではないにしろ五千人の兵を曲がりなりにも統率して攻めてきたんだから、そこそこはできる男なのだろうけれど。
逆に言えば代わりはいくらでも居る程度の男だから、「負けちゃいました」なんて言って戻れば斬首されるのが目に見えてる。
「まあまあ、黒銃士殿。ワシは、ゲモン将軍を条件によってはこのまま解放しようと思っておりますよ」
「え、そうなの?」
賊将ゲモンは、嬉しそうな顔をする。マインツの優しげな顔が、地獄に仏に見えたんだろうな。
そりゃ、こんなの捕まえてても何の交換条件にもならないけど、敵将をそのまま逃しちゃっていいのかなあ。
まあいいか、ダンブルクはマインツ将軍の城なんだから戦後処理は、任せよう。
どんな人間でも、生かしておけば使い道があるってのが、マインツ将軍のやり方なのかもしれない。
「征将軍ゲモン閣下は、その縄を解けば、このまま拳奴皇を名乗る賊将ダイソンの元に戻るおつもりか?」
「それはわからんが……」
わからんというか、戻ったら斬首だから戻るわけがない。絶対帰参せずに逃げるよね。
名誉ある騎士ならばともかく、傭兵は自分の命が一番大事だ。ゲモンもそこまでバカではないだろう。
「もし正統ゲルマニアの旗のもとに立つ気がおありならば、征将軍ゲモン閣下を捕虜ともどもに解放するので、そのまま治めていた領地で今度は正統帝国派として蜂起するがよろしい。敗走した兵士も、もう一度かき集めれば良いではないですか」
「おお、なるほど!」
縄目を受けたゲモンに、あくまでも恭しく頭を下げてみせるマインツ。
「挨拶が遅れたが、ワシはダンブルクの街を治めるマインツ将軍であります。言うまでもないことだが、正統なるゲルマニア帝国の支配権は我が方にある。ゲモン将軍が、正統なる側について賊将ダイソンと戦うというのであれば、その罪一等を許して将軍として任じましょう。これまで治めていた地域を支配して、賊徒に立ち向かえばよろしいのです」
「分かった、俺だって一軍の将だ。ダイソンの野郎を討ってやる!」
「その意気ですぞ、ゲモン閣下。賊将ダイソンなど、元はと言えば拳奴隷ではありませんか、正統軍の将軍になった閣下があのような男の風下に立つことなどはない」
「わかったぞ、マインツ将軍。共に戦おう」
「頼もしいですね、では正統ゲルマニア帝国のために!」
「おう、正統ゲルマニア帝国に栄光あれ!」
マインツは、ゲモンを捕らえていたロープを切ると、肩を抱いて立ち上がらせた。
その気になったゲモンは、解放された仲間を意気揚々と引き連れて、自分の本拠地へと戻っていく。
ゲモンは、本拠地であるロイツ村で、一度は打ち払われた残存をかき集めて、今度は正統ゲルマニア帝国軍の将軍として蜂起することを宣言した。
元は傭兵騎兵隊の隊長であった賊将ゲモンも、この混乱の中で成り上がろうとする雄であり、野心のある男であった。
彼は将軍になれるなら、陣営なんてどっちでもいいのである。
それにしても、上手いこと丸め込んで賊徒を味方にするものだ。
マインツの手際に、俺は感心した。
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