第111話「空を飛ぶ守護騎士」

 さて、空をぶっ飛んでランクト公国まで急ごうと、カアラに抱えて『鉄壁の』ヘルマンを、持ち上げさせたら。


「ぬぉおおおおぉぉおおおお!」


 野太い悲鳴を上げて、ギブアップされたので困る。

 仮にも恐れを知らぬ近衛不死団のトップだった男だろうに、高所恐怖症だったとは。


「なんだ、世界最強クラスの守護騎士が意外な弱点だな」

「む、無理です。人は空を飛ばぬものなれば」


 こういう恐怖は、理屈ではないのだろう。

 しょうがないので、大きな籠に乗ってもらって、それを前と後ろでオラクルちゃんとカアラに持ってもらって飛ぶことにした。

 本当は抱きかかえて飛ぶほうが早いんだが、怖いというものは仕方がない。


「シレジエの勇者様、これ墜ちたらどうなります」


 よっぽど空の旅が怖いのか、『万剣の』ルイーズと渡り合っても沈着冷静だった男が、いつになく青い顔をして額から冷や汗をダラダラ流している。

 慰めてやったほうがいいのかな、でも本当のことだからしょうがないか。


「まあ、普通に死ぬかなあ」

「ぬぉおおおおぉぉおおおお!」


 それを聞くと、またひとしきり叫んだヘルマンは、ある瞬間、観念したように座り込むと、目を瞑りランクト公国に到着するまで一言もしゃべらなかった。

 おお、空が怖くても我慢できるのは、さすがに守護騎士だ。瞑想して精神世界に逃げたのかもしれない。


 ずっと空中浮遊で座禅し続けていたヘルマンは、おそらく着く頃には、なんらかの悟りに到達したと思われる達観した顔つきをしていた。

 まあ、具体的に言うと眼が向こうの世界にいっちゃってた。


 血の気の引いた青白い顔で、地面を踏みしめて「自然、地面、自想……」とかわけのわからないことを呟いている。

 早く帝都につかないと、新しい宗派のアーサマ教会の神官が誕生してしまいそうだ。


 まあ、それはそれとして、空の旅は速くて快適だ。

 人間の飛行魔術と魔族の飛行魔術を併用できる天才カアラもさることながら、オラクルちゃんの方はあれだ……俺の精気をたっぷり食ってるから、飛ぶのが速い速い。


 白い漆喰壁と赤煉瓦の大都会ランクトの大広間に降り立ち、今日は観光している暇もなくランクト公の城を訪ねる。

 市民が飛んできた我々を指さして騒いでるが放って置く、俺は隠形の黒ローブ着てるから目立たないしな。目立つのは、巨漢の騎士ヘルマンだ。


 それにしても何度見ても、豪華な城だと思う。

 ランクト家は、格式の上では帝国公爵なので宮殿と呼ぶわけにはいかないのだが、どこの王の宮殿よりもラグジュアリーな城といえる。


 広い玄関ホールの床には、白と灰色の斑の大理石が幾何学模様でタイル貼りにされており、中央を進むと赤い絨毯が敷かれる謁見の間へと続く。

 玄関の左右には、幅広い階段があって上階はランクトの街が遠望できるバルコニーへと続いているのだ。


 ところどころに、さり気なく配置されている美術品のコレクションは、ため息が出るほど高級感の漂う作品ばかりだ。

 ひねくれ者の俺が見ても面白いと思えるような、プリミティブな陶器の置物や、異国情緒溢れるユニークな作品も混じっている辺り、主人のセンスの良さをうかがわせる。


 この城は、ユーラ大陸の東西南北の文化が集まる、ひとつの美術館にもなっているわけだ。

 木工細工の技術にも見るべきものがあるので、柱に彫られた模様ひとつ見ても唸らされる。趣味にどんだけ金かけているんだろう。


「シレジエの勇者様、これはようこそいらっしゃいました」


 いつも姫騎士エレオノラのやらかした後始末で忙しい銀髪の老紳士、執事騎士セネシャルカトーさんが出てきた。さすがにここでは隠密を気取ってるわけにもいかないので、フードをあげて挨拶する。

 今日の執事騎士セネシャルは、いつもの威厳のある頬を緩めて、珍しく穏やかな顔をしている。


「あれ、カトーさんが居るってことは、エレオノラは暴れまわってないってことかな」

「最近は我が領内も荒れておりますから、姫様は自ら兵を率いてモンスター退治や暴徒の鎮圧に領内を駆けまわっております」


「うーん、大丈夫なのか」

「ハハハッ、シレジエの勇者様が相手ならともかく、下等なオークや野盗崩れ相手に『ランクトの戦乙女』が後れを取るはずもございません」


「いや、それめっちゃ心配なんだが」

「と、言いますと?」


 カトーさんが不思議そうな顔で聞いてくる。いや、俺もなんとも言えないが、何となくね。

 まあ姫騎士がどうこうって妄想は、酷幻想リアルファンタジーには通用しないから大丈夫かな。


「いや、なんでもない。エレオノラは良いとして、エメハルト公爵はご在宅かな」

「ハッ、ただいまお取次ぎいたします」


 玄関ホールで、歴代のランクト公の肖像画を見て待っていると(代々、大金持ちの美形一家なんだよなここ、なんで末代が姫騎士になってしまったのか)柔らかい金髪で、透き通った碧い瞳の公爵がやってきた。


 均整の取れた細面の美しい顔立ちに豊かな髭、ここまで決まってると嫉妬する気も起こらないハンサムな公爵は、ふらっとやってくるといきなり俺の足元に跪いた。


「これは、シレジエの……いえ、王将軍閣下! お呼びくださればこちらから出向きましたものを」


 ふわっと、上質な絹の長衣を浮かせて片膝を突く姿も優美だったので、思わず黙って見送ってしまったが、慌てて立ち上がらせる。


「いやいや、エメハルト公どうなされた」

「もはや我らは、王将軍閣下の臣にも等しい立場です。臣下の礼を示したまでのこと」


 その割には、カトーさんは普通の対応だったなと思って見たら、カトーさんも跪いている。

 そりゃ、君主がそうしたらしなきゃいけないわな。


 前と対応が違いすぎてこっちが驚くよ。

 このランクト公の変わり身の早さ、清々しささえ感じる。さすが帝国と王国に挟まれて、豊かな公国を保ってきただけのことはある。


 あるいは、頭を下げるのはタダってことかもしれない。この人は、直情的なエレオノラとは比べ物にならないぐらい強かだから気をつけないと。


 ゲルマニア帝国が敗北してからのエメハルト公の身の振り方は、お手本にしたいほどに巧みだった。

 用済みになった帝国の資金協力の要請を蹴って、諸侯連合を率いて帝国から分離独立させた後に、すぐさまシレジエ王国の保護下に入ったのだ。


 保護領となれば、シレジエの友好国であるローランド王国からもトランシュバニア公国から攻められる危険もないし、ライフラインであるツルベ川の交易を再開できる。

 戦中の物資不足と、戦後の決済通貨不足のダブルパンチで荒廃した旧帝国の所領で、いち早く治安を回復できたのはエメハルト公の治めている地域だけだ。


「とりあえず、話しにくいんで普通にしていただけますか」

「閣下がそうお望みであれば、僭越ながら」


 ようやく立ち上がってくれたよ。

 とにかく、相談があるんだと公爵に説明する。俺が、帝国では有名な『鉄壁の』ヘルマンを連れていることで分かるだろうけど。


 豪奢な異国風の絨毯が敷き詰められている、大理石造りの絢爛な謁見の間に通された。

 もちろん、こっちを上座に置いてくる。堅苦しいと話し辛いのだが、会談自体はスムーズに終わった。


「帝都の叛徒をまとめて新皇帝を名乗っている拳奴皇けんどおうダイソンには、何度か使者を送りましたがみんな斬り殺されました。どうせ敵に回っている相手ですから、諸侯連合は老皇と皇孫女の救出に協力してもかまいません」

「えっと、拳奴皇?」


 エメハルト公は、そこから説明しなけれなばらないかと笑う。


「拳奴の皇帝とは、まったくふざけた尊称ですが……帝都には伝統的に拳闘士と呼ばれる奴隷がいます。私などは野蛮な風習で好きになれぬのですが、帝都の人間はコロシアムで奴隷に拳闘ボクシングをさせるのがとかく好きなのです」

「なるほど、古代ローマの剣闘士みたいな娯楽を、この時代にまだやってるのか」


 剣で殺しあわせるよりは、拳闘で戦わせるほうがまだマシな気もするが、奴隷だからなあ。どうせ盛り上がったらデスゲームになるんだろう。


「拳奴は、殴り合わせるために使う奴隷です。捕らえた老皇帝から禅譲を受けたと主張するダイソンは、拳奴より成り上がった皇帝と自称しているのです」

「末期だな」


 古代ローマでも、剣闘士の反乱はあったと歴史で習ったが、王にはなれずに鎮圧されたはずだ。

 拳闘士の奴隷が、皇帝になれる時代。下克上どころの騒ぎではない。こりゃもう、国の滅びだ。


「シレジエ会戦のおりに、手薄になった帝国の防衛に使うため、牢獄から出した犯罪者部隊や、奴隷だった拳闘士を集めた部隊を作りました。治安維持のための急場しのぎの措置でしたが、それが間違いの始まりでした」

「なるほどよくある話だ。そのあとどうなったかは、だいたいわかる。犯罪者や、拳奴が反乱を起こしたんだろう」


 その通りですと、エメハルト公は頷く。

 いま、帝都は蜂起を起こした市民・奴隷・犯罪者、それに地方の農民反乱軍が加わって帝都の正規軍を打倒に成功して、無秩序状態になっているとか。


 そして、帝国から離反した東のラストア、トラニア、ガルトラントの三王国連合、旧領回復を狙って攻めてきている南のローランド王国にも対抗しなければならない帝国軍の残存は、もはや国内で頻発する反乱を抑える力を残していない。

 帝都より引いた旧帝国軍は、帝都より北西の要塞街ダンブルクにまで撤退して、捲土重来を狙っているそうだ。


「拳闘士のスター選手であり、拳闘士部隊の部隊長であった拳奴皇ダイソンは、元が奴隷ですから、私達のような歴代の貴族は嫌いみたいですな。小癪にも、反乱を起こした東の三大王国とは上手くやっておるようですが」

「老皇帝と皇孫女を救い出すのに成功すれば、こっちに保護を頼むかもしれない」


 そう俺が言ったのを聞くと、エメハルト公は、再び跪いた。

 それ、やめてくれないかな、なんかトランシュバニアの公王を思い出す。あっちは土下座だったけども。


「元を正せば我々も帝国臣民、ご協力は惜しみません。しかし、王将軍閣下の御意ならばこそです」

「分かっている。ゲルマニア諸侯連合は、もはやシレジエ王国の保護領だ、拳奴皇とやらが万が一攻めて来ても、王国は援助する。そうだ、ガラン傭兵団は役に立ってるか」


 戦争が終わって、処遇に困っていたガラン傭兵団だったが。

 諸侯連合が、内乱の治安悪化で兵が足りずに困っていると聞いたので、こっちに就職斡旋したのだ。


「はい、大変助かっております。我が公国もですが、ツルベ川周辺の諸侯連合の兵は帝国と比べると弱卒です。そこで、王将軍閣下に相談があるのですが……」

「なんだ」


 少し言いにくそうにする、エメハルト公を立ち上がらせて尋ねてみる。


「王将軍閣下の、いえシレジエの勇者の御盛名をお借りして、こちらでも義勇兵を募集してみてはいかがかと愚考いたします」

「それは、こっちとしてはありがたいが、大丈夫なのか」


 貴族や騎士は、農民が武器を取るのを嫌う。義勇軍の募兵は、シレジエ王国でも地方貴族の領土では行えていない。

 特権階級だけが、暴力装置を握っていることが、彼らの権力の源泉なのだから反発は当たり前だ。


 まして、帝国は農民反乱で荒れているのだ。

 そこで農民から募兵しようと言うのは、並大抵の決断ではない。


「帝都を落としてしまった市民、農民の力を見て、もはや時代には抗えぬかなと思いました。我が領からもシレジエ義勇軍に参加する民もおります。それぐらいなら、いっそのこと我が領で直接募兵して、郷土の防衛に使ったほうが良いとも考えました」

「そうか、ではエメハルト公の思うようにすると良い」


 やはり、エメハルト公は先を読む力がある。

 他の諸侯には、彼が説得して領内で義勇軍を集めるそうだ。防衛強化されるのは、俺としてもありがたいので協力することにした。

 名前だけと言わず、人とノウハウと武器を送って、その分の対価はしっかりといただけば一石二鳥というものだろう。


「王将軍閣下、せっかくのですのでご夕食を一緒にいかがですか。もうすぐ、我が拙女せつじょも帰ってきますので」


 拙女って、娘のエレオノラのことだろうな。

 拙い女、うむ。謙遜で言ってるのか、本気で言ってるのかいまいちわからないぞ。エレオノラは、いろいろと拙い。


「どうなんだろう、ヘルマンは先を急いでいたんじゃないか」

「いえ、勇者様のお陰で時が稼げておりますから、一晩ぐらいであればかまいません。正直な所を申さば、帝国軍は賊徒相手にかなり苦戦しております。ご協力いただけるならば、ランクト公とも協議したいこともございますれば」


 ヘルマンがそう言うなら、まあいいだろう。

 エメハルト公爵たちが、どんな晩餐を食べているのか気になるところではある。


 しかし、泊まりってことになるのか。

 まあ夜間飛行は、危険だしな。


 など思いながら、通された応接間で芳醇で味わい深い紅茶を飲んでくつろいでいると、外から甲冑をドスンドスンと鳴らす、けたたましい足音が響いてきた。

 あんな勢いで来ては、高級な絨毯が傷つくのではないか。


 慌てて追いかけてくる執事騎士カトーさんを引き連れて、勢い良く扉をバターンと開けて入ってきたのは、『炎の鎧』で完全武装のエレオノラだ。

 どうやら、野盗討伐でクッコロになることもなく無事に戻ってきたらしい。


「エレオノラ久し、ブッ!」


 立ち上がって挨拶しようとした俺は、最後まで言えなかった。

 長い金髪と緋色のマントをなびかせたエレオノラが、駆け寄ってくるそのままの勢いで、俺の腹に炎の手甲パンチを繰り出したからだ。


 なんて鋭い不意打ちだ、黒ローブの下の『ミスリルの鎧』が無ければ即死だった。

 おもいっきりお茶、吹いちまった。


 人の腹を挨拶代わりに殴りつけておいて、エレオノラはニヤッといい笑顔で仰向けに倒れる俺を、碧い瞳で見下ろして言い放った。


「ご結婚おめでとうございます」

「……ありがとう」


 相変わらず苛烈な女だった。

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