第103話「前日譚『酷現実を生き抜く 承』」

 そうだ職員室だ。


 こんなときだから、先生を頼りにしようってわけじゃないけど。

 車を持っている大人がいるのではないかと考えたのだ。安全な脱出といえば、車がベスト。


 もし大人がいなくても、職員室には公用車の鍵ぐらいはあるはずだ。

 オートマなら、免許がなくても運転ぐらいできるはず、そのためのシミュレーションはレースゲームで散々やってきた。


 下駄箱の出口辺りにも、そろそろ逃げてくる人が溢れてきて。

 やはり予想通り、ゾンビも追いかけて出てきた。完全にパニックになってる、デス・ゲームの鬼ごっこだ。


 職員室に向かう俺に、同行するクラスメイトが付いてくる。

 視覚か、聴覚か、ゾンビが何を目がけて人を襲うか分からないが、人の流れの前で走るようにすれば、自然と人垣が防波堤になってくれる。


 名前も知らないクラスメイトが噛まれたとか叫んでるが、知ったことじゃない。

 噛まれた生徒を助けようとする奴も、そのまま死ぬだろう。


 そう思ったら、掃除用のモップで上手くゾンビを叩き落として、噛まれた生徒を救いだした奴が居た。

 俺よりも身長が二十センチは高い大男で、立派な体格をしている。


「佐々木くん!」


 仙谷が、オッパイを揺らしながら感激した声で叫んだ。

 なるほど、佐々木だったな、思い出した。サッカー部だっけ、クラスでも活発なグループで一番目立ってるやつだ。


「オラアアァァ!」


 動きはトロいが、腕力はものすごいゾンビ相手に、佐々木はスパイクシューズを思いっきり投げつけて牽制すると、モップを何度も振り下ろして頭部を破壊して潰しやがったのだ。

 確かに凄いとは言えるが、ゾンビの体液に触れるのは危険だし、噛まれた生徒はもうダメだろう、無駄な活躍だ。


「死ねえぇ!」


 ゾンビをやっつけて、ドヤーって顔をしてみせる佐々木。

 ハイハイ、スゴイスゴイ。


 佐々木の眼が攻撃的にギラついている。どうせ、仙谷とか静寂とか、可愛い女生徒に良いところを見せたいだけなんだろう。

 まあ、どうでもいい。戦いたい奴は戦っていればいいさ。


「木島、しっかりしろ木島ぁぁ!」


 どうやら、佐々木が助けた女子生徒はやはり、そのまま死んだらしく、佐々木と仙谷が愁嘆場をやっているがどうでもいい。

 木島って特に目立つところもない女子は、俺と一言二言ぐらいは言葉を交わしたことがあって、基本的にウザイ女子高生にしては珍しく、悪印象はなかったが死んでしまったものはしょうがないではないか。


 俺は、悲劇シーンをやってる連中に絡むことを避けて、そのまま職員室にまっすぐ逃げる。

 だいたいお前ら、木島って地味な女子とそんなに仲良かったわけじゃないだろ、その場の空気に流されて、たった一人の死で喚いてるんじゃないよ。


 今校舎のなかでどれだけの生徒が同じように死んでると思ってるんだろう、その一人ひとりに同じように悲しむことなんてできないくせに。

 いや、あいつらにはそれが見えてもいないんだろうな。


「……視野が狭いから!」


 うちの高校のサッカー部がどれほどのものか知らないが、目の前のことにしか対応できていない佐々木は選手として優秀ではないだろうと思う。

 どんだけフィジカルが強くても、俯瞰した視野が持てない選手は三流だ。


 さらに行くと、野球部らしいバットを振り回している坊主頭がやっぱりゾンビに囲まれて噛まれていたが、こいつも三流。

 無駄に戦うより、今は逃げの一手だろ。


 暴れれば、それだけゾンビを惹きつけることになる。

 それに運動部出身のガタイがデカイ奴は、ゾンビになると手強くなるんだよな、せめて邪魔にならないように、確実に喰われて死んでくれるのを願いながら、脇を駆け抜けて、なんとか職員室にたどり着いた。


 しかしこのゾンビの異常な増え方。教室の中から行ったら逃げ場所が少なくて詰んでたな。

 いまのところ、俺は正しいルートをたどっている。


 そういう確信を深めながら、外側の扉から職員室に入ると、中はまだ安全圏だった。

 正直なところホッとする。


 震えてしゃがみこんでいる最寄りの女教師に、俺たちは詰め寄る。

 白いブラウスに、黒いタイトスカートの若い女教師。しゃがんでるせいで、今にもパンツが見えそうになっている、というかちょっとだけ見えた。


 よかった。いや、垣間見える女教師のパンツの柄が白だったからよかったわけではなくて、知ってる先生だったからだ。

 若い新任の女教師で、おっぱいも頭も柔らかそうな女だ。


 新任教師の癖に、いやだからまだ熱血が入っているのだろうか。目立たない生徒をやっている俺に、妙に構ってきてウザかった覚えがある。

 一年に数学を教えている教師で、成績の悪い俺に何度も補習を仕掛けて、課題を出しまくってきたのだ。


 どうせ数学なんて使わないところを受験するから要らないって言ってやったのに、まったくこっちの話を聞いてくれなかったので、しかたなく課題に付き合った覚えがある。

 おかげで数学の成績はマシになったけど、どうして一人の生徒にそこまでするのか分からなくて不気味だった。


 俺のことばっかり追いかけるので、好きなんじゃないかと思ったぐらいだ。

 教育熱心な先生には申し訳ないが、実は好かれていたってシチュエーションで何回か自慰のオカズにした、男子はそういうもんなんだよすまん。


 どうせ俺はモテるタイプじゃないし、若い女教師に好かれるとか、そういうのはあり得ないとは本当は分かってるが、まあ俺も若いから仕方ないんだ。

 罪のない誤解ぐらいさせておいてくれ。


 俺はコミュ障までは行かないが、歳の近い女と話すのは苦手なので、その時は困りもしたが、話したことがある繋がりがここで役に立つ。

 確か苗字は、水城だったか。


 俺は水城先生の肩を揺さぶると、腹の底に力を込めて叫んだ。

 俺が、若い女にこんなに強引に声をかけられるのは、緊急事態だからだろう。


「水城先生、運転できますか? 車を出すべきです」

「ふぇ、佐渡くん……。でも先生は、ここで待機しないといけないの」


 おそらく、学校の防災マニュアルではそうなってるんだろう。

 こういうとき、大人という愚鈍な生き物は自分が死にそうになっていても、まだルールを順守しようとする。


 それを「自分だけは死なないと思ってるんじゃないか」なんて詰ったりはしない。

 俺はそんな純粋な子供じゃないから、もちろん分かってるさ。水城先生だって死ぬときは死ぬと思ってるだろう、それでも動けないのだ。


 公務員みやづかえは、大変なのだろうと思う。危険だと思っても逃げられない、公務に命まで捧げなくてはならないのだ。まったく子供のほうが楽で、大人にはなりたくないものだと思う。

 まあ今は、その頭の硬い大人の力が頼りな局面だ。


「一刻を争うんです、お願いです先生。車で早く学校から離れないとここに居るみんなが死にますよ」

「わかったわ……」


 この女教師も、本当は逃げ出したかったのだろう、すぐに同意した。

 地味で気弱な生徒に見える俺が、先生にすがって逃げ出す理由を与えてやったのだ。


 もちろん車なら、安全な場所に逃げられるなんて根拠はまるでない。

 しかし、少しでも生存確率の高いルートを選ぶのに、躊躇していられる状況ではない。


「みんな来て、マイクロバスを出すわ」

「先生、大型免許持ってたんですね」


 自信ありげに頷いてみせる、若い女教師なのに大型持ちとは頼もしい。

 しかし、この学校には、バスなんてあったんだな。俺としたことが盲点だった、テロリストとの戦いに使える設定なのに。


 そんなアホな妄想を続行できるのは、駐車場の方面に、まだゾンビが少なかったからだ。

 車で逃げ出そうとしている背広の大人も居る、この学校は結構デカいので教師か、学校の出入り業者かなんて、わかったもんじゃないが。


「うひゃひゃひゃ!」


 どっから持ちだしてきたのか、弓矢を構えてゾンビと戦っているメガネをかけたひょろっと痩せた生徒がいる。


 競技用洋弓リカーブボウってやつか、確かに飛び道具は効果的な武器になる。

 しかし、この学校に洋弓部があるとは知らなかった。


 まさか常に持ち歩いているというわけではないだろうし、あの痩せたオタクっぽい男子生徒はこの短時間に、わざわざゾンビが溢れる中をクラブハウスまで行って、取ってきたのか。


 バッカジャネーノと思う。

 どんだけ危ない橋渡ってるんだよ。

 その間に、逃げられるだろ。


 バカだけど凄すぎる。ビックリしすぎて、思わず足を止めてしまった。

 ゾンビ対策で、俺を超える逸材がいたとは信じがたい。


 しかも彼は、きちんと有効性の高い武器を手に入れてから、最短距離で学校から脱出する俺のパーティーに紛れ込んできたのだ。

 俺は緊急事態に限って、思索型としては優秀だと自負しているが、コイツにはその上に行動力まで伴っている。


 この学校は軽く千人以上の生徒がいるのだから、まあ中にはこんなヤツが居ても不思議はないけど。俺を超えてくるとは信じられない。

 バカだと思ったのは、俺の嫉妬も混じってる。やっぱりコイツは凄い。


「えっと君は名前、なんていうの?」

「町田だよ、イヤだなー佐渡くん。同じクラスじゃないか」


 やけに馴れ馴れしい町田。しかも同じクラスだったのかよ。まったく記憶にない。

 まあオタグループは、ぼっちの俺に絡んでくることが多かったので、余計に記憶から消してたからな。


 無視していれば、相手も諦めるし、トラブルにもならない。しかし、そんな連中のなかにこんな玉が隠れていたとは迂闊だった。

 こいつとなら、対等な友達になれたかもしれないのにな。


「このゾンビは、脳幹を破砕すると動きを停止するようだよ、意外に弱いね」


 町田というメガネの冷静な観察と分析に息を呑む。

 しかし、そのレンズの奥は、敵を倒した興奮にギラついている。俺とはやっぱり性質が違うなと思う。


 少なくない危険を冒してまで、積極的に敵を倒そうなんて暴勇は、俺にはないものだ。


「町田くんは、洋弓部なのか?」

「んっ、全然違うけども、どうして?」


「いや、なんでもない……」


 部活動でやってるわけでもないのに、どうしてそんなに上手いんだよ!

 この町田という男子も、こんな機会でもなければ、おそらくは一生関わりあいにならない存在だっただろう。


 マイクロバスまで来ると。

 俺は入念に注意を払って、ゾンビに噛まれたやつが混じってないか調べた。


 ラッキーだったのは、サッカー部の佐々木が助けようとしたやつが、すでに死んでたことだ。

 今頃ゾンビになって起き上がってる頃だろうが、あれが下手に生きていて、連れていくなんてことになれば、その先は想像がつく。


 人情に押し流されて、助けた中に噛まれた奴が混じってたら、そこで終わりなのだ。

 町田もそこら辺の事情はわかってくれているらしく、うまくアシストしてくれた。


 実はこっそりと、一人で逃げられるように他の公用車の鍵もくすねてきていたのだが、使わずに済んで良かったというものだ。

 やっぱり、自分で運転できるかどうかと言えば不安である。


 マイクロバスにみんなが乗り込んだあたりで、ゾンビが校舎から駐車場の側にも迫ってきた。

 バスの窓の外から、ヨタヨタと歩いてくる元生徒のゾンビが来ている。


 間一髪だったなと思うが、マイクロバスは動き出さない。

 ようやく安全圏かと座席で悠々としてた俺は、慌てて運転席まで文句を言いに行った。


「先生、どうして出さないんです!」

「でもおぉ、このままだと轢いちゃう」


 クソが、轢いちゃうじゃないだろ。ガキじゃねーんだろ、いい大人が可愛い声だして、カマトトぶってるんじゃねーよ。

 ゾンビはもう人間じゃないんだ。


 くっそ、そう言っても、この女は聞かないだろう。

 どう言えば、動くかな……。


「いいですか先生、あいつらはゾンビなんです。映画で見たことありますよね。もう死んでるんです、そして死をまき散らしてるんです。ここで潰さないと、もっと人が死にます。次は俺か貴女かもしれない、やるしかないんです!」

「そんなぁぁ、ゾンビなんてあるわけないじゃない!」


 そこからかよ、言ってる間に囲まれるぞ。


「ええいもう、俺がやります、どいてください!」

「まって、やるわよ……もう、やればいいんでしょ!」


 俺が先生の身体を押しのけてアクセルを踏もうとしたら、ようやく水城先生は目を瞑って、アクセルを踏んでくれた。

 びちゃっと、潰されたゾンビの死肉がこびりつく。


 先生がそれをみてキャーと悲鳴を上げている。いいから運転に集中してくれ。


 しかし、死んでいてすら、窓に張り付いたゾンビの肉は、しばらく動いているのは確かに気持ち悪い。

 どういう理屈になっているんだろう。


 学校の正門まで行くと、また難関が待ち構えていた。

 逃げようとした車が焦って事故をしたのか、何台かが玉突き事故を起こして、入り口を塞いでいる。


 隙間をすり抜けようとしても、無理だろう。

 そして、バスの大きさだと正門から出るしか道はない。


 停止したバスにも、ゾンビが群がってくる。あるいは助けを求めて、まだ生きている人が混じっているかもしれないとも思ったが、絶対に口にしてはいけないことだ。

 ここで迷ったら死ぬ。


「佐渡くん」


 俺をすがるような目付きで見上げてくる女教師。

 はぁーとため息をつくと、俺は息を吸い腹に力を込めて、先生に叫ぶ。


「突っ切るしか無いんです、このままアクセルを踏んで、弾き飛ばしてください」

「でも、車の中にまだ人がいるかもしれないし、衝撃で爆発するかも」


「このままじっとしてたら、どの道、死にますよ」

「わかった……」


 みんなに伏せろと叫ぶと、俺も身を伏せてポールにしがみついて、衝撃に備えて身を固くした。

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