前日譚「酷現実の終わりと、酷幻想の始まり」
第102話「前日譚『酷現実を生き抜く 起』」
教室の窓の外を眺めながら、ぼんやりとした時間を過ごす。
少し雲がかかってはいるが、今日もいい天気だ。
教壇では、壮年の国語教師が訳知り顔で夏目漱石について語っている。
書いたものを読んだぐらいで、その時の作者の心境なんて分かるものかよ。
と、悪態ついて見るがどうでもいい。
チラッと横目で、クラスで一番可愛い女子を見て、眼が合いそうになると顔を伏せて本を読む。
もちろん授業の教科書じゃない、国語の教科書なんて既にもらったときに一読してしまったから読んでも退屈だ。
まあ、まともに授業を聞いてないのは国語だけではないが。高校に入ってから、俺はまともに学校の授業を聞いていなくて、
ほんと、たまたま入れた中で一番偏差値が高いなんて理由で、つまらない高校に入ってしまったものだ。
完全にドロップアウトしている俺は、まともな高校生活なんてやつをすでに諦めている。
一つだけ良かったことは、日がな一日こうやって本を読みつつ、ドップリと妄想に耽っていられること。
クラウゼヴィッツの「戦争論」をナナメ読みし、頭が生硬な訳文を受け入れなくなると、ちょっとエッチなラノベを併読して疲れた脳みそに活を入れる。
国語の授業中に、こんな戯けたことをしていても、誰も俺の邪魔をしない。
この前に読んだ、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」に書いてあったとおりだ。
真剣になにか別のことをしていれば、教師は注意しないのだ。
もともと目立たないタイプだし、すでに落ちこぼれになっている俺には教師も興味ないのかもしれない。
他人に興味がないのは俺も一緒だし、お互いに没干渉なら好都合ってものだろう。
しかしこの「戦争論」は、この前読んだ「孫子」や「君主論」に比べるとつまらない。考え方が、大事だってのは分かるんだがいまいち頭に入ってこない。
でも、もし異世界に召喚されたときは、これも必要な知識になるだろうからな。
「俺ほどのレベルの『普通の高校生』なら、いつ異世界に召喚されても魔剣の勇者として活躍できるだろう」
異世界トリップが現実に無いのは、俺だってよく知っている。まあ、本気で言ってるわけじゃない。
こんな知識は、実社会では何の役にも立たない。せいぜいラノベ作家にでもなれば役立つかもしれないが、それだって異世界に行くのと同じぐらい確率の低い可能性だろう。
しかし待てよ、トリップもいいが、転生して最初からやり直すってのも捨てがたいな。ここは思案のしどころだ。
どちらも捨てがたい魅力がある。
そんな俺の現実から遊離した妄想遊びは、突然の叫び声で打ち破られる。
「きゃああっ!」
教室の後ろの扉からふらりと入ってきた、不審者が入り口近くに居た女生徒に襲いかかった。
ガバっと抱きついた感じだ、白昼堂々と変態か?
面白くなったと思ったのもつかの間。
血しぶきが上がり、面白がってる場合ではないと気がついた。
俺と同じクラスなのに、名前も知らない女生徒の「きゃああっ!」がすぐ「ぎゃああっ!」の断末魔に変わった。
変態男は、性的に襲ってるわけじゃなくて、首筋から血が吹き上がるほど強く噛み付いているようだった。
いやこれは、頸動脈ごと肉を食いちぎったってことなのだろう。
首筋を何度も強く噛まれて、血が辺り一面に撒き散らされている。
女生徒が暴れまわっても、強い力で抱きつき噛み付いている不審者は離れずに、やがてその身体は力尽きてぐったりと力を失う。
映画のワンシーンのようなド派手な暴行を前に、誰も何もできなかった。
「なんだ、あんたは」
しばらく呆然と立っていた壮年の国語教師が、遅ればせながら不審者に
噛まれた女生徒は、自らの首から流れでた血溜まりの中に仰向けに倒れて、動かなくなっている。
動かなくなった女生徒を眺めて、首を深く噛み千切られただけで、人間ってあれだけの血が出るのかと思った。
あれは死んでるんだろうかと、やけに冷めた気持ちで俺は眺めている。
「ぐああっ! おいやめろ、やめて! いだいいだぁぁい!」
国語教師の野太い怒号は、すぐに割れんばりの甲高い悲鳴に変わる。ざわつきと悲鳴と怒号のなかでなぜかハッキリと、ゴキッ、ブチッと関節が切れたのか骨が折れたのか、嫌な音が響いた。
続いて、グチュッと肉そのものが引きちぎられた音も、俺の耳には聞こえた。
教師が強い力で暴れたのを、不気味に青ざめた顔をした不審者が、さらに強い力で抑えこんだから腕がそのまま引きちぎられたのだろう。
教師の叫び声はすぐに聞こえなくなった、肉が咀嚼される音だけが響き渡る。
頼りの教師が殺られたことで、教室のざわめきは途端に大きな怒号と悲鳴に変わり、空気がプンときな臭くなる。
カチリと、日常が非日常に切り替わるスイッチの音が聞こえた。
ずっとこの手の妄想ばかり繰り広げて、非日常用に特化していた俺の脳みそにアドレナリンの興奮が駆け巡り、すぐに明晰で合理的な思考を働かせる。寝ぼけたような曇りが晴れて、むしろ気分がスッと良くなったぐらいだ。
あの不審者の悪質な病魔に冒されているような青白い顔を見てみろ、こけた頬のカサカサの皮膚なんていまにも崩れ落ちそうじゃないか。
男性教師を食い荒らし、辺りの喧騒には一切反応することなく、よろりと立ち上がったまるで酔っ払ったような歩き方。
俺の鼻は、濃厚な血の匂いとともに腐った死者の持つ異臭を嗅ぎとっていた、こいつはゾンビだと断定していいと思う。
俺は幸運だった、たまたま窓際の席で助かった。やっぱりこの手のデスゲームは初期配置が全てだな。そして、次に生死を分けるのは、最初のターンの迅速な行動だ。
俺は、騒ぎの中心を迂回して、素早く教室の前の出口から、一人でそっと脱出する。
とっさにカバンを持ってきてしまったが、これは武器にはならないだろうな。
廊下にはゾンビはいなかったので、下駄箱のところまで行く。
カバンを投げ捨てて、傘を手に取る。
こっちのほうが、リーチが長いだけ使い勝手がいい。
「しかし、つまらないなあ」
学校の廊下から、下駄箱まで俺が一番乗りだった。俺と肩を並べて逃げるような生徒は誰もいない。
映画みたいに逃げ惑う生徒たちに、揉まれたりしないんだな。
耳をすませば、遠くに多くの人間がざわつく声が、振動となって聞こえるので、他のクラスでも似たような騒ぎが起こっているのかもしれない。
もう少し被害者が出て、パニックが拡大すれば、ここも逃げ惑う生徒でいっぱいになるんだろう。
とっさのことで、外に飛び出すという判断までつかなかったのかもしれない。避難誘導の放送すらまだかかっていない。
俺みたいに、授業中にテロリストやゾンビが襲ってくるとシミュレーションして備えていた生徒は、居なかったということなのか。
それがちょっとさみしい、お前ら本当に『普通の高校生』かよと思う。
「まあいい、好都合だ」
パニックを起こした人の群れに阻まれては危険だ。
自分だけが安全圏まで逃げてから、呆れるなり勝ち誇るなりしようと、俺は足を速めた。
ゾンビは人を噛む、噛まれた人はゾンビになって被害は拡大していく。
学校という人口密集地は、すぐにそのまま危険地帯と化す。
よく学園ゾンビ物で、学校に居残って籠城するなんて話があるが、正気の沙汰とは思えない。
一分でも、一秒でも早く学校の外に出るべきなのだ。
下駄箱から外に飛び出して、学校の裏門に走ると、そこにはもうゾンビが居た。
まるで、学校全体が囲まれて、逃げ場が塞がれている印象を受ける。
「チッ、ここもかよ!」
見覚えのある額の上の方まで禿げた、薄毛の体育教師が、赤いジャージ姿のままゾンビに噛まれていた。
おそらく、裏門でもゾンビが出て、そこをやられたのだろう。
俺は、傘を支柱にして、学校の塀の上にそのまま飛び上がる。
このまま塀を乗り越えて、外に逃げてしまえばと思ったが……、ここもダメ。
塀の向こう側の道にも、ゾンビが徘徊していた。
数は少ないから、突っ切れるかとも思うが、どうだろう。そう思って辺りを見回すと。
「止まれ! 近づくな!」という男の声が響いた、思わず俺のことかとビクッとしてしまう。
続いて、パーン! と乾いた発砲音がした。
学校の裏門の向こう側、自転車に乗ってやってきた警察官らしいが、目前に迫ったゾンビに向かって発砲を繰り返していた。
やけにあっけなく撃つんだな。お巡りさんは、発砲すると出世できなくなるから、死ぬまで絶対に撃たないなんて、創作物だけの話なんだろうか。
もちろん、撃ち慣れていない拳銃などゾンビに通じずに、お巡りさんはそのまま押し倒されて噛まれてしまった。
ゾンビなら頭を狙えばいいのに、足なんか撃っても意味は無い。
「あー、このルートはダメだな」
さらに発砲音が響くが、あの分じゃ、どうせ弾は撃ち尽くしてしまうだろう。
使えるかどうかもわからない拳銃目当てに、元警察官や元体育教師の強そうなゾンビが動き出す場所に行くなど、リスクが大きすぎる。
これは遊びじゃないし。
「しかし、待てよ」
俺は少し考える、あの警察官。拳銃まで持ってるし、偶然通りかかったってわけじゃないんだろう。
おそらく、学校に不審者が出たという通報で、近くの派出所からやってきたんだろう。
ということは、近くの警察署からここまでは、ゾンビが居なかったと言うことにならないか。
すると、発生源はやはり、学校周辺と考えられる。
ゾンビの発生原因も、気になるが、俺は警察でも名探偵でもない。
生き残りたいだけの高校生だ。原因究明なんかやってる暇に、この危険地帯を離れるべきだ。
ゾンビの発生が学校周辺なら、その囲みさえ抜けられれば助かる可能性が高い。
「ねえ、佐渡くん!」
「ん、うるせえな……」
人が思考してるときに、声をかけるんじゃねえ。
「もう、さっきから声かけてるのに!」
「あ、はい……」
塀の構内側から、女の子が二人やってきていた。
学校の級長の仙谷だっけ、おっぱいの大きい長い三つ編みを揺らしたメガネの子が話しかけてきている。
仙谷は、長い黒髪を三つ編みに結っているメガネっ子という、今時珍しいテンプレ委員長キャラ。
其の特徴的な風貌と、制服のブラウスを攻撃的に突き上げる大きな乳房を眺めるうちに、自然と名前を覚えたのだが、俺と会話したことなどなかったはず。
それなのに仙谷が、俺の苗字を覚えていたとは意外だった。苗字だけじゃなくて、名前ぐらい覚えておいてやればよかった。
級長の仙谷の後ろに、黙って付いて来ているのは、クラスでも浮いているちょっと変わった無口な美少女、
俺がフルネームでしっかりと名前を覚えている、クラスで唯一の女子だ。
なぜ
三次元はクソという奴に、影絵を見せてやりたいと思う。三次元もなかなかやる。
けど、それだけだ。静寂影絵と話したことはないし、話をすることがあるとも思っていない。
俺にとって、リアル女はみんな鑑賞物。干渉する者ではないし、できるともおもっていない。
まして、好きだとか嫌いだとかそういう恋愛的な感情など……。
いや、今そんなことを考えているときじゃない。
「佐渡くん、どっちに逃げたらいいのよ!」
級長の仙谷の後にも、ゾロゾロとクラスの男女がやってきてしまった。
どうやらこいつらは、率先して動いた俺を追いかけてきたらしい。面倒くさいことになった。
普段からぼっちの俺は、クラスに友達なんかいない、ろくに話したこともない。
こんな時に限って、ぼっちの俺を頼るなんて、調子が良すぎだろ。
いや待てよ。
こうなっては、ある程度の人数と行動を共にしたほうが良いか。
爆発的に校内で増えているであろう、ゾンビに襲われるリスクが時間と共に高まってきている、うまく誘導すれば肉壁に使える。
「仙谷さん、裏門や塀の向こう側は、ゾンビがいるからダメだよ」
「じゃあ、どっちに逃げたらいいの」
巨乳の仙谷は、イライラとした甲高い声で大きな胸をユッサユッサ揺らしながら、尋ねてくる。
安全な逃げ道なんて、俺が知るかよと自分で考えろ思ったが、さっきの警官のことを思い出した。
通報先は、おそらく職員室からじゃないか。
だったら職員室の機能は、まだ生きている可能性は高い。あそこには脱出用に使えるアイテムがある。
「職員室に向かおう!」
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