第92話「フォルカスの失態」

「バカな、こんなことが……」


 中央軍、主将フォルカスはさすがに冷静さを失っていた。

 左翼総崩れはまだ良いとして、頼みの飛竜騎士団五百騎の敗北と、ロスバッハー団長の戦死の報告に続き。


 右翼の領邦軍二万が要塞街オックスからの長距離砲撃を受けて、弾の届かぬ後方へと撤退していく。

 砲撃を止めようとオックスの街へ攻め寄せた近衛騎士団五千騎は、見る間に崩壊。


 考えたくもないが、オックスが陥落していない以上、猛将バルバロッサも戦死しただろうとわかってしまう。

 前に進むことしか知らぬ誇り高き猛将が、敗北を認めて引くわけがないと、フォルカスの優秀なる頭脳は計算していた。


 幸いにして、帝国の中央軍一万四千はシレジエ王国の第三、第四、第五兵団を合わせた三千人を見る間に押し切り、魔の山へと押し潰すように進撃出来たが、逆に言えばそれだけだった。


「これでは、勝てない」


 勝利のための方程式が崩れてしまった。

 シレジエ王国軍の中央だけ突き破って、どうするというのだ。


 このまま魔の山の麓沿いに敵の右翼に攻めつつ、王都シレジエを落すのを狙うか。

 それとも、ある程度は打撃を与えられたであろう要塞街オックスを完全に叩き潰して、巨大砲を沈めた後に、残存軍をもう一度かき集めて……。


「いや、ここは一度撤退すべきか」

「あら、中央軍だけでも勝てるんじゃなかったの」


 ずっと黙って主将フォルカスを眺めていた姫騎士エレオノラが、口を開いた。

 副将であるエレオノラは指揮に口出しできない、しかし馬鹿正直にただ攻めつづけて敵の罠にハマるフォルカスを見て、その間抜けさに飽き飽きしていた。


 だが、フォルカスをバカだと罵倒しないのは、それはかつてのエレオノラの姿でもあったと自覚できているからだ。いや、フォルカスのほうがまだマシだったのだろう。

 自分のかつての愚かな姿を客観視できて、ようやく見えるものがある。エレオノラも人間として、ようやく少し大人になったのかもしれない。


「フォルカス将軍、大変です!」

「なんだ!」


 これ以上、なんの『大変』があるというのか。フォルカスは、血相を変えて飛び込んできた伝令を睨みつける。

 遠くからドカンドカンと爆発音が聞こえてくる、フォルカスは一瞬、天幕の外で兵士が太鼓でも叩いて騒いでいるのかと思った。


「あっ、あれを、御覧ください」

「どうしたというのだ……」


 天幕の外を指さす、兵士の指は震えている。

 フォルカスが慌てて、外に出ると中央軍の目の前に臨む魔の山が光り輝いていた。


 光っていた、としか言いようが無い。

 黒杉が生えているから魔の山なのだが、中央軍に向けて山の斜面に無数に突き刺さっている黒杉の丸太が、激しい爆発音を上げながら光っていた。


 ヒューと音を立てて飛んできた黒い玉が、本営の天幕を破壊した。


「これは一体……」

「フォルカス将軍、どうやら、あの黒い丸太は全部大砲のようです」


 山の斜面には、確かに自然に生えている黒杉だけではなく、斜めになった丸太が突き刺さっていて、その数は優に千を超えている。


「あの山の斜面の丸太が、全部大砲だというでも言うのか!」

「はい、山の中に逃げ込んだ敵兵を追っていったところ、斜面にたくさんの穴が掘ってあってそこから突き出ている丸太から、弾が飛び出ている様子で」


 こんな事態に陥っても、本陣の近衛不死団は決して狼狽えない。

 彼らは、幼少の頃より洗脳教育を受けており、雨が降ろうが槍が降ろうが命令がない限り持ち場を動いたりしない。


 彼らが不死と呼ばれている理由は、アンデッドだからではない。

 自らが死してもなお、微動だにしないから、不死兵と呼ばれているのだ。


 しかし、普通の兵である重装歩兵四千人は違った。

 そちらは、千を超える大砲がこちらに向けて火を噴いた瞬間に、その轟音だけで散り散りになってしまった。


 これで、もはや本陣に残った戦力は近衛不死団一万だけとなった。


「どうするのよフォルカス!」


 他人ごとのように冷めて見ていたエレオノラも、これにはさすがに焦りを隠せない声で叫んだ。

 ゲルマニア皇族の親征で、帝国の本営がここまで追い詰められたのは前代未聞だ。


 フォルカスは、無数の光が爆発する魔の山から目を背けると。

 今一度作戦地図を凝視して、悲鳴のような声で作戦を語る。


「まだです! 右翼の傭兵団も、左翼の領邦軍も撤退しただけで全滅したわけではありません。ここは一度スパイクの街まで戻り、残存戦力を結集してから再度、王都シレジエを落すことのみに集中すれば……」


「引くな!」


 後方の天幕から、ようやく治療を終えた金獅子皇フリードがやってきた。

 煌くようなオリハルコンの鎧、貝紫色のマントに身を包んだ、堂々たる姿だがフォルカスは皇太子の眼の色を見てぎょっとした。


 青と黄金のヘテロクロミアだった瞳が、両方ともに赤く染まっている。

 白かった肌も、心なしか青ざめて見えて、ただ獅子のような金色のライオンヘアーだけがそのままだった。


「ご、ご無事のお戻り」

「挨拶はいい、戦況も今把握した。フォルカス、お前らしくもない失態だな!」


「はっ、申し訳ございません」


 フォルカスは、悔しげに片膝をついた。

 皇太子の不在に、主将として指揮を執ったフォルカスの失態と言われても仕方がない事態だ。


 飛竜騎士団の団長ロスバッハーも戦死し、おそらく近衛騎士団を壊滅させたバルバロッサも戦死している。

 ならば、その指揮の責任は全て主将のフォルカスに覆いかぶさってくる。


「指揮の失態は、指揮によって返せ。よいか、余はこれより自ら側近を連れて魔の山を登る。後方から、秘密裏に登れるルートを確保してある」

「魔の山ですか?」


「うむ、魔の山の頂きにある『魔素の瘴穴』を開く」

「なんと!」


「非常事態だから仕方あるまい、魔の山には伏兵である敵の砲兵と、お前が後方に逃してしまった敵の兵団がウヨウヨしておよう。フォルカスお前は、不死団一万と共に、決死の覚悟で山を前方から攻め進めて、敵兵を前に引きつけよ」

「御意……」


「良いか、まだ余の勝ちは揺るがぬ。『魔素の瘴穴』さえ開けば、王都シレジエも要塞街オックスもモンスターの襲撃でめちゃくちゃになるであろう。その後に、後方の残存戦力を結集して挟み撃ちにしてやれば、ゲルマニア帝国の勝利だ」

「了解であります」


 勝つために魔素溜りすら利用する、金獅子皇フリード殿下の恐ろしさ。

 それを改めて感じたフォルカスは、自身も死を覚悟した。

 少なくとも死を覚悟して戦わなければ、この失態を許してはもらえないだろうと感じた。


「フリード殿下、私はどうしたらよろしいですか」


 副将エレオノラは、フリード皇太子に尋ねる。

 フリードは、初めてそこにエレオノラが居ることに気がついたと言う顔をして、少し考えると。


「副将エレオノラ、貴君は後方へと下がり、撤退した兵力をスパイクの街で糾合して我が命を待て」

「畏まりました」


 エレオノラは、命を受けるなり愛馬を駆って出ていった。

 それを眺めていたフォルカスは、エレオノラを険が取れて、少しは素直な女になったと感じていた。


 じゃじゃ馬公姫を口説いたのは戯れだったが、この戦いに勝利したなら本気で口説くのも良い。

 生き残りたい理由が、これで一つできたと、フォルカスは不敵に笑う。


「何をしているフォルカス、お前も早く行くのだ」

「ハッ、殿下の御意のままに」


 帝国軍主将フォルカスは、腰の刺突剣エストックの具合を確かめて、本営のポーションを持てるだけ持っていく。

 そして、近衛不死団一万人を指揮し、二度と退かぬ覚悟で魔の山に向かって突撃を開始した。


     ※※※


 魔の山の中腹に、黒杉でカモフラージュされた石造りの小さな司令塔が、シレジエ王国軍の本当の大本営であった。

 王城を落とそうが、要塞街オックスを落とそうが王国は負けない。本当の王国の総司令部は幾重にも塹壕、防塁で守られた魔の山にある。


 司令塔から双眼鏡で帝国軍の中央軍崩壊を俯瞰した俺は、あまりにも鮮やかな勝利に酔いしれていた。

 こんな胸のすくような大勝利は初めて見た。


「さすが、さすが先生です。まさかあの黒杉が大砲になるとは……」

「大砲の原理自体は簡単です。タケル殿が、黒杉を光の剣で断ち切って見せたときから、これをくり抜いて導火線を付ければ、立派な大筒になると考えていました」


 黒杉は鉄より堅いのだ、しかも丸太は元々大筒の形をしている。

 くり抜いて取り出した部分は、細かく割って丸く削れば弾に使える。黒杉の弾が切れたら、石の弾を詰めて撃ちこめばいい。原始的な射石砲ボンバードならではの、使い勝手の良さであった。


「しかし、敵があまりにも無防備に射石砲が並んでる山に近づいてきたのはどうしてだったんでしょうね」

「敵には、射石砲が黒杉の丸太が並んでいるようにしか見えなかったんでしょう」


 人間には、盲点スコトーマがある。

 大砲の原理を知っている我々にはきちんとした大砲に見える黒杉の射石砲が、敵には山の斜面に黒い丸太が立てかけられているようにしか見えなかったのだ。


「先生は、そこまで計算して黒杉の射石砲ボンバードを奥の手として用意してんですね」

「それはそうですが、その奥の手を使わないといけないほど、追い詰められてしまったのは、不覚と言えますね」


 そう言って、ライル先生は苦笑してみせる。

 戦場に立てばウキウキと楽しそうなのに、勝てば勝つほど、淡紅色の艶やかな唇に自嘲気味な微笑みを浮かべるのが先生だ。


「帝国の中央軍も、重装歩兵が崩れただけで帝国近衛不死団一万と『万能』と名高いフォルカス将軍は健在でしょうから、厳しい戦いにはなります」

「そうは言っても、上から狙い撃ちです。これぐらいの戦力差なら楽勝でしょう」


 戦いは基本、高地を取ったほうが勝つ。

 銃や大砲による攻撃があれば、さらに高地を占めることは重要になる。


 下から幾重にも罠が張られた塹壕を越えて、山道を駆け上がり、土嚢と防水天幕で守られた無数の防塁を攻め落とすのは至難の業に思える。

 今のところ王国軍は、一方的に撃ちまくっていた。ここまでやられて、退却しない帝国軍はどこまで愚かなのかと思ってしまう。


「だといいのですがね。死に物狂いで攻め上がろうとしているフォルカス将軍は、この辺りが本当の大本営だと、すでに察知しているのかもしれません」

「まさか……」


「万能のフォルカスは、仮にも大帝国の主将を務めるほどの策士。敵を侮ってはいけません。司令部と女王が落とされたら、どれほど勝っても意味はないのですから最後まで気を抜いてはいけません」

「シルエット女王はいっそ、俺たちと山頂に行ったらいいんじゃないですかね」


 俺の予想通り、生き残っていた(あるいは死して魔王に転生している可能性もある)フリードが最後に狙ってくるのは『魔素の瘴穴』だろう。

 そこが決戦場となるならば、シルエットにも居てもらったほうがいい。


 ここまでの混戦となれば、俺たちの元にいるのが一番安全だろうし、彼女にも最終決戦を見届ける権利があると思うのだ。

 女王の身は、上級魔術師であるニコラ宰相が守っているが、それでも万全とは言えまい。


 俺は、護身のためにと、自分の魔法銃ライフルをシルエット女王に渡した。


わらわに、共に戦えとおっしゃっていただけるのは初めてですね。タケル様の行く場所に、わらわも妻として最後までお供致します」


 さすがに敵に悟られてはまずいので、シルエット女王は白いローブにフードを被って、地味なケープを羽織っている。

 でも、豪奢なドレスがなくても、綺羅びやかな王笏レガリアを持っていなくても、魔法銃ライフルを握る彼女は、すでに女王の風格を身にまとっていた。


「あれ、先生。魔法銃ライフルを二丁持っていくんですね」

「一つは、ウェイク殿の分ですよ」


 盗賊ギルドは、国家間の戦争には介入しないのが建前だ。

 さすがに戦場のど真ん中に、盗賊王ウェイクは来ないと思うのだが、先生は来ると思っているらしい。


「これより先の陣頭指揮は、オルトレット将軍にお任せしましょう。どうせ、そろそろ『転移魔法』で、最後の上級魔術師イェニー・ヴァルプルギスがやって来る頃です」


 先生がそう言ってる間に、密偵スカウトのネネカがやって来た。


「ご報告いたします! 軍師様のご指示どおりの場所で、爆発を確認しました」

「爆発?」


 訝しがる俺に、先生が説明した。


「設置された転移魔法の魔方陣をわざといくつか残しておいて、そこに爆弾の罠を仕掛けておいたんですよ。もちろん、憎き上級魔術師……いえ、フリード皇太子の側近には通用しないでしょうが、少しは戦力を削れるはずです」


 先生は、相変わらずやることがえげつないなあ。

 俺たちは、『魔素の瘴穴』に向かってくるフリードたちを迎え討つために、司令部を後にする。


「わっ、ワシはどうしたらいいかなあ、タケル殿」

「あっ、ダナバーン侯爵……」


 居たのかって言葉をなんとか飲み込む。作戦司令室の端っこのほうで、ダナバーン侯爵は青い顔をして震えていた。

 でっぷりと太った身体に、フルプレートを着込んでるんだけど、鈍重な侯爵には似合わないにも程がある。鎧が重くて動けないんじゃないか。


 緊急事態だからしょうがないとも言えるが、みんながダナバーン侯爵をスルーしてるのは可哀相だ。

 この人、仮にも全軍の主将じゃん。というか、侯爵のことだから後方に隠れてるんだとばかり思ってたが、きちんと前線に居たんだな。


 そうだよなあ、ダナバーン侯爵は愛国心があるし、やる気だけはあるんだよなと、青い顔をしてそれでもなお逃げずに立っていた、彼の顔を眺める。

 先生も、主将たるダナバーン侯爵を無視して、オルトレットに直接指揮を頼んでたのはちょっと酷い。


「ええっと、おい! 誰か侯爵、じゃなかった将軍閣下に銃をお渡ししろ」


 俺は、従卒に銃を持ってこさせた。

 震える手で、ダナバーン侯爵は火縄銃を受け取る。危なっかしい。でも、剣を振るうよりはまだマシだろう。


「こ、これで敵を撃てばよいのか」

「陣頭指揮はオルトレットに任せておけばいいんです。ダナバーン閣下は、主将として本営の一番後ろでジッとしていてください。主将たる閣下が生き残れば、この戦いは勝ちです。この銃は、閣下のお守りです」


 司令室が襲われてダナバーン侯爵が直接戦うことになったら、本当はその段階で負けだとは思ってるが、これは気持ちの問題だ。

 戦う意志があるなら、向き不向きを問わず、銃を持ってもらおう。


 これはシレジエ王国、全軍一丸となっての戦いなのだから。

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