第89話「戦いは左翼から」

 シレジエ会戦は、左翼が緒戦だった。

 王国軍の雁行の陣の左斜め上。ゲルマニア帝国の傭兵団二万人と、シレジエ王国のガラン傭兵団五千人の衝突。


 二万の物量で一気に畳み掛けてこようと包囲する帝国の傭兵団に対して、ガラン傭兵団は不正規軍の傭兵同士が、巧みに連携しながら果敢に抵抗する。

 戦意は強く身は軽く、金で働く傭兵団の戦いぶりではない、まさに奮迅だった。


「ガラン団長、今日はやけにがんばるね」

「ノコンか」


 ガランが振り返ると、軽装の革鎧に身を包んだ傭兵ノコン・ギクが短い弓を構えていた。


「団長、よけてくれ」

「おっと」


 ノコンは、ガラン団長の横から斬りかかって来た傭兵の頭に弓をヒットさせた。

 どうと転がる間抜けな敵の傭兵を見て、ノコンは頬を歪ませるようにしてキキキッと歯を軋ませて笑う。


 元は迷宮専門の盗賊だというノコンは、誰にも頼まれてないのに、ガラン団長の幕僚として傭兵団をまとめる仕事を手伝っている。


 今もそろそろ撤退の時期かと思い、触れ回るのを手伝ってやろうと確認に来たのだろう。

 戦うこと以外には、怠惰な者が多い傭兵の中では、珍しく働き者の男だった。


「雇い主からすぐ引いてもいいって指示されてるんだろ、二万対五千だ。意地を張ってもしょうがない」

「いや、ここは意地を張る」


 ガラン団長は、大きなハンマーを振るい、敵の頭を鉄兜ごと叩き潰す。


「ほぉ」


 迫りくる敵の傭兵に盛んに短弓を撃ちかけながら、ノコンはさも面白そうに笑みを深めた。


「お前も分かってんじゃないのか、あの『試練の白塔』を一日で八十八階まで踏破してしまったシレジエの勇者様の信じられぬ手際」

「ありゃー、しびれたねえ」


「この戦いでも勇者様は、きっと俺たちに良い目を見せてくれるぞ。ここで活躍して名前を売れば、裏切りの汚名を雪ぎ、ガラン傭兵団も再起できる」

「ガラン団長はやっぱり物好きだな……、そこまで頑張るなら、いっそ騎士にでもなったほうがいいんじゃねえか」


「はは、俺は城勤めなんかゴメンだ。ノコン、お前だってどうせ物好きの類なんだろ」

「そりゃ違いねえ。城の兵士なんかちまちまやってられねえよ。俺たちには、これがないとっな!」


 ガラン団長が、敵から奪いとった戦斧を振るってさらに二人屠る間に、ノコンも矢が切れた弓から投げナイフに持ち替えて、敵の眼球を正確に射抜いた。

 荒れ狂う味方の怒号、泣き叫ぶ敵の悲痛、肉が切り裂ける感触とともに、吹き上がる血しぶき。常に戦塵に塗れていないと、生きた心地がしない人間が居る。彼ら傭兵こそがそうなのだ。


 金は欲しい、女も欲しい。

 だがそれより何よりも、戦いの中で刹那に生きる実感が欲しい。


 無駄話ばかりするくせに、本当に思うことは口にせず、ガラン団長に率いられる傭兵団は死力の限りを尽くして殺し回った。

 力の限り叩きつける鉄と、それにより撒き散らされる血と肉こそが、戦場のプロフェッショナルである彼らのアートなのだ。


     ※※※


 左翼先鋒のガラン傭兵団は、攻めあぐねる敵に後方から大型弩バリスタを出させるまで粘ってからようやく引いた。

 ようやく勝ったと喜び勇んで、攻城兵器を囲んだ傭兵団二万は攻めに攻めてくる。


 確かに、普通の兵士から見れば大型弩バリスタ大型投石機トレブシェットの威力は圧倒的である。

 後方からの大規模兵器の援護射撃、これほど頼もしいものもない。


 しかし、この大規模兵器は、シレジエ王国軍の左翼を叩き潰した後で、王都シレジエを囲んで陥落させるときに使う予定だったのだ。

 それを早々と投入してしまったのは、すでに戦術が狂い始めている証だった。


 前に出て盛んに射掛ける大型弩バリスタと、後ろから石弾を放射する大型投石機トレブシェットに対して、火を噴いたのは義勇軍の大砲であった。

 十六門の青銅砲が、轟音を吹き鳴らすと。左翼の帝国軍傭兵団は激しく動揺した。


 大砲というものに、接したことがない傭兵が多かったのだ。

 何よりも、火を噴く新兵器の轟音に動揺する。炸裂した弾に吹き飛ばされる味方を見て動揺する。そして、そこを目がけて銃士隊が一斉射撃を行った。


 激しい轟音と、飛び交う鉄の弾。得体のしれない攻撃に、わけも分からず死んでいく傭兵たち。

 二万もの数の傭兵団がシレジエの新兵器の威力の前に、脆くも崩れ始める。


 もちろん、帝国側にも策士はいる。

 二十五歳の若さにして、ゲルマニアの『万能』と謳われた、帝国軍主将フォルカス・ドモス・ディランは、左翼の陣に中級魔術師を紛れ込ませて、敵の砲撃が始まると同時に魔法で雨を降らせる準備をしていた。


 大砲や銃は、水に弱い。

 もちろん、その情報をフォルカス将軍は知っていた。


 しかし、雨雲がシレジエ王国軍の左翼を覆ってシレジエの乾いた大地を雨で湿らせても、砲撃の音は止むことがなかった。

 もちろん、義勇軍が雨雲対策をしていたからである。


 ラットマンの毛皮を張った耐水天幕と防塁。長時間水攻めを続けたなら違ったのだろうが、雨が降った途端に銃も大砲も止むことはない。

 足の遅い大型兵器まで引き連れて、義勇軍の陣深くまで攻め立ててしまったのが帝国軍左翼の誤りだった。


「よし! こんどはこっちの番だ!」


 一度は引いて義勇軍と合流したガラン傭兵団は、誘いこむだけ誘い込んだ敵に逆襲した。

 急に攻めが守りに転じると、軍はもはやその統制を維持できない。


 傭兵団は不正規軍だ、逃げるなと怒声を張り上げて陣容を立て直す騎士すらいない。

 みんな我先にと敗走して、後には大型弩バリスタと、大型投石機トレブシェットだけが残される。


 周りを守る兵士がいなければ、大型兵器は一溜りもない。ゲルマニアの傭兵団は後退、攻城兵器は全滅。

 シレジエ王都を攻めるはずの帝国軍の左翼が、まずここで崩壊した。


     ※※※


 だがそれで、帝国軍左翼が終わったわけではない。

 帝国軍には最終決戦兵器である、飛竜騎士団五百騎がいる。


 この中世ファンタジー世界で、空挺師団である飛竜騎士団がどれほど恐ろしい存在か。言葉を尽くしても尽くし切れないであろう。

 大空を駆ける飛竜騎士は、たった一人でも英雄と呼ばれていい存在なのだ。


 それが五百騎。


 強固な防壁で守られていても、空挺師団の前には何の意味もない。

 どのような大きな城、大きな街であったとしても、制空権を取られては一溜まりもなく陥落する。


「皆の者、これより飛竜騎士団は王都シレジエを制圧する! 味方の傭兵どもは不甲斐なかったようだが、我らが王都さえ落とせばこの戦は帝国の勝ちだ。飛竜騎士の矜持を、いまこそ金獅子皇殿下にお見せするのだ!」


 飛竜騎士団長、ロスバッハー・フォン・ライフェンツベルは、率いる騎士に檄を飛ばしながらも俯瞰した位置で冷静に戦況を分析していた。


 左翼の義勇軍の陣から大砲が火を噴き上げ、天を飛ぶ飛竜騎士団を落とそうとしてきた。

 大砲の弾にあたって、数騎が落とされる。


「敵の大砲とやら、確かに大した威力だ」


 しかし、上空高くに向けて打ち上げられた鉄の弾は、速度が減じる。

 よっぽど運が悪くない限りは、腕の良い飛竜騎士なら避けられる。敵の新兵器ですら、大空を駆ける飛竜騎士を相手にしては、この程度なのだ。


 これなら王都は落とせる、大きな飛竜ワイバーンに圧倒されれば、城兵や市民などは逃げ惑うしかない。

 いまロスバッハーが考えることは、王都の防衛力を奪った後に、味方の兵をどう王都に引き入れるかだ。


 今のうちに、頭を絞ってそこまで考えて置かなければならない。

 実は、飛竜騎士とて、噂ほどに無敵ではないのだ。


 野生の飛竜を飼うと、第二世代ではブレスが吐けなくなってしまうという欠点がある。

 飛竜騎士の恐ろしさは、頭上から迫りくる飛竜ワイバーンの迫力である。


 大きなドラゴンの群れを見た時に、人は本能的に『勝てない』と思ってしまうのだ。

 恐竜とよく言ったもので、ベテランの飛竜騎士であるロスバッハーはそれをよく知っている。


 どんな精兵も一度士気を失えば、逃げ惑う烏合の衆と化す。

 人間の恐怖を熟知し、計算されつくした攻撃を行うからこそ、飛竜騎士団が世界最強のままでいられるのだ。


「ではいくぞ、ゲルマニアの飛竜騎士団、お前たちが何者かを思い出すがいい!」


 いつもどおり先頭を飛んでいたロスバッハー団長が降下突撃の合図をかけて飛ぶ。

 その後ろから、大きな声で唱和する飛竜騎士たち。


「誇り高き帝国! 世界に冠たる帝国! 我らは世界最強たる飛竜騎士だ!」


 天空からの降下攻撃は、される側も恐慌をきたすが、する側だって怖い。

 自分たちが世界最強なのだと勇気を振り絞って飛ばなければ、できない攻撃だ。


 先頭を飛び、敵の王都シレジエに急降下するロスバッハー団長の目に。

 キラっと、天に向かって頭を並べる、敵の大砲が光った。


「大砲か、だが!」


 鉄の弾は避けられる、飛竜を疾駆させるロスバッハーには、その自信があった。

 手綱を握る腕が悪い者、あるいは運がなかった者には、弾が当たるだろう。


 だが、それも一度で終わりだ。

 その一度の後、無防備になった大砲の砲手は、全員がその身を飛竜ワイバーンに喰い破られて死ぬのだ。


「ぬっ?」


 大砲が弾を噴きだす瞬間を、臆すること無く目を凝らして見つめていたロスバッハーは、呆気にとられた。

 なぜなら彼の目に飛び込んできたのは、鉄の弾ではなくて大きな白い網の目だったのだから。


 飛竜ワイバーンもろとも、網に絡め取られてロスバッハーは、石畳の上に落下した。


「なん、なんだとぉ」


 石畳に叩きつけられた落下の衝撃で、息も絶え絶えだが、それでも不屈の闘志で起き上がり、網を切り破って立ち直そうとした。

 その彼を襲ったのは、鎧の隙間から針のように入り込んできた牙だった。

 牙などは刺さっても、チクリとする程度だ。


「これは、毒……」


 熟練した竜騎士であるロスバッハーは、過去の経験からすぐに猛毒に冒されたのだとわかった。ただでさえダメージを受けた身体が、毒で弱っていく。

 早く解毒しなければ死ぬ。ロスバッハーは、震える手でベルトのポーチから解毒ポーションを取り出して飲み干した。


 しかし、なんということだろう。

 王都に並べられた大砲から撃ちだされたのは、鉄の弾ではなく粘着性のある大きな網だったのだ。しかもそれには、猛毒の牙まで付着している。


 あらかじめ敵は、飛竜騎士対策をしていたのだ。

 そこへまんまと突撃してしまった迂闊さ、次々と網に落とされる旗下の飛竜騎士を見ながら、もし帝国が滅びるとしたら自分のせいだとロスバッハーは、身が震えるような思いがした。


「だが、まだ終わらん、終わらせてたまるものか!」


 帝国の威信、帝国の栄華、その象徴たる無敗の飛竜騎士団!

 団長となってロスバッハーはまだ五年だ。飛竜騎士団の無敗伝説を、ここで終わらせてなるものか。


 不屈の闘志を燃やし、粘りつく網を切り破ろうと、剣を抜いた。

 そのロスバッハーの目の前に、余りにも戦場に似つかわしくない少女がやって来たために、思わず剣を持つ手を止めてしまう。


「バカな、なぜ子供が……」


 竜騎士がバタバタと落ちる突風の中で、さらさらと金髪をなびかせて、まだどこか幼さを残す少女が、こっちに駆けてくる。

 その愛らしい姿は、まるで無邪気に野を遊び弄れるようで、誇り高き竜騎士は、一瞬戦いを忘れた。その子供の手に、銃が握られているのが見えていたのに。


「竜騎士は見つけ次第、殺すー!」


 ロスバッハーの頭に銃口を突きつけて、不敵に笑う少女の勝気な顔が、彼がこの世で見た最後の光景となった。

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