第八章 帝国の影 編
第56話「帝国からの使節」
いよいよ、ゲルマニア帝国から外交使節団が、王都シレジエにやってくる運びとなった。
なんと、帝国の事実的統治者であるフリード皇太子自らやってくるらしい。
「まあ、俺はそうなるんじゃないかと思ってたけど」
自分で魔素溜り討伐して勇者になるような、腰の軽い目立ちたがり屋の皇子様だ。
戦争になるかならないかの歴史的外交の大舞台に、自ら
相手が皇太子なので、格式的にシルエット姫と摂政である俺も、王都に行かなければならない。
万が一交渉が決裂したら、戦争になるかと思うと、身が引き締まる。
いや俺が心配すべきは、交渉が決裂したら、その場で『戦闘』に突入するのではないかということだな。
城の廊下を歩いていると、お供の騎士を二人連れてカロリーン公女が通りかかった。
公女は、真っ赤な顔をして、俯き加減に通りすぎようとする。
この前の
俺もすごく気まずいのだが、王都に出向くことは言っておかないといけない。
「あの、カロリーン公女」
「はひっ!」
公女の肩が、ビクッと震えて、メガネが目元からするりと床に落ちた。
大きな胸でバウンドした上で、絨毯が敷かれた床でよかった、あやうくレンズが割れるところだ。
俺はメガネを拾い、公女に手渡す。
受け取る手が震えている、まあ俺もちょっと恥ずかしい。業務連絡だけ。
「驚かせてすみません、公女殿下。ゲルマニア帝国より外交使節が参りましたので、これからシルエット姫と共に、王都へと参ります」
「さっ、さようですか……。私は、付いて行かぬほうがよろしいのですよね」
それはそうだろうな、公王ならまだしも、公女にトランシュバニアの外交権限があるわけではなし。
公女がもし、フリード皇太子に見初められでもしたら、ブリューニュのときより厄介な問題に発展する。
「そうですね、公女殿下は御出にならないほうがよろしいかと」
「では、そうさせていただきます」
会話が途切れて、二人共黙りこむ……、気まずい。
「ゆっ、勇者様! この前のことでしたら本当にもうお気になさらず、聖女様の儀式だったのですから」
カロリーン公女は、リンゴのように頬を真っ赤に染めつつも。
意を決したように、顔を上げてこっちを見つめる。
「そうですね、お互いに水に流すということで」
お風呂だけに……、なんてジョーク。
この真面目そうなメガネっ娘には、通じないんだろうな。
「それに、あのあと私もじっくりと考えたのですが、大恩ある勇者様に、私の貧相な身体ごときで、少しでもご恩返しできたのですから」
「うおーい!」
何言い出した、公女。
今のセリフ、誤解されるだろ、後ろの護衛騎士が酷く狼狽してる。
「あっ、すいません。あのえと、裸ぐらい」
「ストップ! 公女殿下。何もなかったんです。たまたま、偶然、不運なことに、お風呂で鉢合わせしてしまっただけですから、セーフです」
新しい噂が立ちかねないから、やめてくれ。
羞恥に頬を染めてそう言われると、余計にヤバイ雰囲気になるから。
「そ、そうですわね、すみません。あれしきのことで、子どものように騒ぎ立てしてしまって。その点、シルエット姫様は、堂々としておられました」
「裸で堂々としてるほうが、どっちかと言えば問題だと思うんですけどね」
なんだかリアに引きずられて、俺も含めて常識がおかしくなりつつあったのだ。
ある種の宗教的な洗脳に違いない。それに気がつけただけでも、公女を
「次回は、私も、もう少し……」
「次はないですから、どうぞご安心を」
ないよな? ないように、俺がリアに釘を打たないといけないのだ。
俺が被害を受けるのは、もうしょうが無いにしても、シルエット姫や、カロリーン公女まで、オモチャにするのはやりすぎ。
よし、リアをとっちめにいこう。
どっちにしろ、勇者になったフリード皇太子だ。
これ見よがしにお付きの大司教を連れてくるだろうから、こっちも対抗してリアを連れて行かないといけないし。
「おい、リア」
「タケル、是非もありませんが、間に合いませんでしたね」
珍しく深刻そうな口調で、リアがつぶやく、コイツがこんなに真剣なんてビビる。
「どうした……」
「この前の
そうか認定の差が、勇者としての、力の差になってくるのか。
俺は魔法力がないから、雷の魔法も使えないし、不利は否めない。
「その
やりたいとは言ってないが、真面目な話だ。
「そう見えてるだけで、
「そうなのか」
リアが自分の気分で、好き勝手やってるようにしか見えないんだが。
「例えば、恐れ多いですが、タケルが女神様であったとして、何の必然性もなく何度も力を寄越せとか願われたら、どう思いますか?」
「それはまあ、いい加減にしろと思うだろうな」
俺が、今まさに、リアに対して思ってることだ。
「アーサマは、わたくしたちだけを特別扱いしてはくれないのです。是非もないことですが……」
「ああっ、分かった。後は、俺の知恵と勇気で何とかしてやるさ」
リアのできることは、終わったってことなのだろう。
「さすが、タケル。わたくしの勇者です」
リアは声を震わせて、その場に跪き、白銀のアンクを掲げた。
いつもそういうシリアス調でいてくれると、まともな聖女に見えるんだが。
実際に知恵を出して何とかするのは、ライル先生だけどな。
先生の指示通りのメンツで行けば、何とかなるという安心感はある、俺が出すのは勇気だけでいい。
※※※
オックスの街から王都への道すがら。
オラクルちゃんに頼めば、一瞬で城まで飛べるのではないかと思い声をかけたら、なんだか奇妙だぞ。
「オラクル、お前……変な格好してるなあ」
「レディーに向かって、言うに事欠いて、変とはなんじゃ。お前んとこの先生様がワシにくれた正装じゃぞ、威厳があってワシに似あっておろう」
たしかに威厳はある。豪奢な深紅のマントに、綺羅びやかな宝玉をあしらった大きな黄金の肩当。
でも、言っちゃ悪いけど、小さいラオウみたいだぞオラクル……。
少女形態のオラクルちゃんに、その厳つい肩当は似合わなすぎる。
「まあ、先生が着せたんなら、何か意味があるのか……」
「ハレの舞台じゃからな、かの不死王の末、ダンジョンマスターオラクルに相応しき装いと言える」
なんだか、オラクルちゃんは深紅のマントと白ツインテールをたなびかせながら、プカプカと浮遊してその気になっている。
かっこつけたいなら、せめて子どもっぽいツインテール、やめたほうがいいんじゃないか。
今回は、外交折衝だから、どうせオラクルちゃんの出番はないと思うんだがな。
※※※
王都シレジエは、復興事業が順調に進んでいるとはいえ、いまだ戦禍の傷跡が深い。
特に王城や王宮は、補修はされたものの、半壊状態のままだ。
そこにゲルマニアの皇太子を迎えようというのだから、城をひっくり返したような大騒ぎになっている。
「タケル殿、ちょうどいい時間です。万事手はず通り、帝国使節団も間もなく到着すると思いますよ。あなた方も、正装に着替えてくださいね」
「先生、お疲れ様です」
久しぶりというほどでもないが、ちょっとぶりに見たライル先生、疲れの色が濃い。
いつもの黒いベストではなく、袖長のチュニックのうえに、シュールコーを着て、さらに国務卿の地位を象徴する赤と青に彩られたマントを羽織る、着膨れして重そうだ。
ここまで装飾過剰なゴテゴテ衣装を着ても、ちゃんと可愛い先生は、すごい。
俺の贔屓目だろうか。
「とにかく、衣装は用意してありますから、お早めに」
「あっ、すみません」
俺は、騎士で勇者なので、ゴテゴテ衣装でなく『ミスリルの鎧』を着れればいいらしい。
ただ、シレジエ王国の紋章が入ったサーコートを上に羽織る。
なんだか、十字軍の騎士みたいで、滾るぞ。
さすがにシルエット姫も、いつもにも増してドレスアップして、ストロベリーブロンドの御髪に、銀細工に宝飾をあしらったティアラを乗せている。
いつものように、フードでエルフ耳が隠せないので、姫は少し不安そうな顔をしていた。
いい加減、姫にも、王族の務めに慣れてもらわないといけないのかもしれない。
ハーフエルフだから、王位継承権を認めないとか、辞めさせないといけないしな。
そうして、いよいよ王城の謁見の間に、ゲルマニア帝国の使節団が現れた。
※※※
ユーラ大陸最大の帝国、ゲルマニアの実質的支配者。
ゲルマニア帝国皇太子、フリード・ゲルマニア・ゲルマニクス。
改築中の城とはいえ、金襴緞子で彩られた謁見の間の赤絨毯を、
教えられなくても、その若武者が『金獅子皇』なのだとすぐ分かった。
輝くような金色のライオンヘアー、凛々しい顔立ち。
こちらに向けた皇太子の双眸は、青と黄金のヘテロクロミア。
まさに若獅子がごとき風貌の美丈夫。広い肩幅と引き締まった肉体もさることながら、その強い存在感が、彼を偉大なる皇太子に見せる。
元の世界の基準で言うなら、奴のまとう雰囲気は、特進クラスの後ろの方に悠然と座っている、生まれつき『特別な奴』だ。
声高に叫ばずとも、ただ一瞥するだけで人は自然と彼に頭を垂れる。それだけのカリスマ性を有している。
皇子の後ろからは、青白く光り輝く大きな盾を持った重装騎士と、妖艶なるお姉様風の宮廷魔術師、白と青がシンボルカラーの華麗な大司教の衣に身を包んだ聖者が続く。
あーこの勇者を含んだ四人パーティーの雰囲気、どっかでみたことある。
明らかに、向こうが主人公風だろこれ……、しかも帝国皇太子だし、ドラクエよりロマサガか?
ちなみに、金獅子皇フリードが着ているのは、『オリハルコンの鎧』である。
「あやつが着てる鎧は、伝説の金属、オリハルコンじゃな」
俺の耳元で、オラクルちゃんが囁いてくれるけど、それ俺がいま解説したからね。
ファンタジー知識なら、俺もあるんだから、だいたい察せられるよ。
俺が着ているミスリルが白銀の金属なら、オリハルコンは青白く輝く金属と相場が決まっている、あの重装騎士が持ってる大盾もそうなのだろう。
勇者レンスが作ってる謎合金とかもあるので確実とはいえないが、おそらく世界最強の金属だろう。
「大丈夫じゃ、勇者どのの鎧だって『オラクル大洞穴』最強装備じゃぞ。向こうのオリハルコンには魔法力はかかっておらん。強化魔法を加味すれば、こっちの『ミスリルの鎧(全抵抗)』だって負けておらん」
すっかり解説役に収まったオラクルちゃんが、したり顔で言う。
鎧は負けてなくても、中身がな……。
皇子たちの四人パーティーの後から、後から騎士や文官も続くけれど、それより綺麗どころの宮廷女官がやたら多い。
さっと、輝く金髪をなびかせるフリード皇子に向かって、綺羅びやかなドレスのお姫様たちが、キャーキャー黄色い声援を送っている。
なんだか、何もしてないのに負けた気になる。
クソッ、戦闘要員ならともかく、他国にまで女の子を連れ回してるんじゃねーぞ。
「ようこそおいでくださいました、フリード皇太子殿下」
ライル先生の父親、ニコル宰相がフリード皇子を出迎えて、代表して挨拶する。
「ゲルマニア帝国皇太子、フリードだ」
「ささ、長旅でお疲れでしょう。どうぞこちらに」
宰相が、案内しようとするが
「長話は好かん、シレジエ王国唯一の王位継承者、シルエット・シレジエ・アルバートはいずこか」
「シルエットは、
フリード皇子はじっと睨めるように眺めると、フッと笑って言った。
「素晴らしい美姫ではないか。気に入った、
おっと、フリード皇太子、会っていきなりの告白。
展開早すぎるだろ、これが
「妾は、会ってすぐの男とは結婚しません」
「ふんっ、余の求婚を断る姫がいるとは、面白い」
プロポーズを断られて、面白いとはどういうことだ……。
どこまで自信に溢れてるんだよ、金髪イケメン皇子。
「シルエット姫、美しさもさることながら、意志に満ちた瞳が気に入ったぞ。そなたなら、余の正妻として迎えても良い。そうなれば、ゲルマニア帝国の版図にシレジエ王国も加わる。余の后になるとは、つまり世界の半分を手にするに等しい。姫の欲しいものは、なんでも手に入れられよう」
フリード皇子は、大きく手を広げて、さらに姫を掻き口説く。
芝居がかった大げさな仕草が、様になっているから小憎たらしい。
なにせマジモンの皇子様だ、普通の女の子なら即効落ちるなこれ。
「妾が欲しいのは、自由だけです」
「自由か、シレジエのような因習に囚われた国とは違い、余の新しい帝国ではハーフエルフの王族も差別されない。そなたのような麗しい姫を女王と認めぬ、シレジエは酷い国なのではないか」
フリード皇子は、その大きな腕にシルエット姫を抱こうとして、さっと避けられる。
普通に姫に振られているんだが、仕草がいちいち演劇みたいに様になっている。
皇子も、口説きが上手くいかないのを、却って楽しんでるんだよな。
これが、イケメン皇子の余裕ってやつか。
俺も、シレジエの廷臣も、突然始まった皇子と姫の小芝居を呆然として見てるだけだ。
これも一種の外交ってやつなのだろうか。
向こうの廷臣も何も言わないから、皇子が初対面の女の子を口説くのは、いつものことなのだろうか。
綺麗どころの女官たちが、この謎の展開に、キャーキャー騒いでるのがわけわからん。
「妾が女王とならずとも、この国にはいずれ国王となられる方がおります」
シルエット姫が、すがるように俺に視線を送る。
「えっ、俺?」
「ほほぉ、シレジエの勇者タケルか」
フリード皇子が、青と金のヘテロクロミアの瞳で、俺をふてぶてしく睨んでくる。
いやいや、この恥ずかしい小芝居に巻き込まれたくないんだけど!
「いや、俺は違……」
「フンッ、シルエット姫が、因循な貴族どもに認められぬのを良いことに、シレジエの摂政となり実権を握らんとする、なかなかに小癪な男だと聞くな」
実権握らんとするとか、ライル先生が勝手にやってるだけだし、いきなり悪者ポジションにされても困る。
俺が悪いっていうのか……? 俺は悪くねえぞ、だって先生が言ったんだ……そうだ、先生がやれってっ!
「タケル、余とお前は勇者同士だ。いっそのこと、姫とこの王国を賭けて、真剣勝負といこうではないか」
ブンッと光の剣を抜いて、俺の前に立ちはだかるフリード。
なんでいきなり決闘になるんだ、まず外交交渉じゃなかったのかよ!
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