第53話「トランシュバニアの公女」

 オックスの城の窓から、大きな白い雲が、向こうの山に流れていくのをただ見つめる。

 今日も平和な一日が始まるかなと、そう思った矢先だった。


「ご主人様、トランシュバニアの公女殿下とおっしゃる方が、謁見を求めているのですが」

「そうか、通せ」


 俺の騎士になったばかりのシュザンヌが、当惑した顔で報告をあげてくる。

 やはりやってきたか、波乱トラブル、覚悟はしていた。


 たっぷり休憩を取っておいてよかったよ。

 俺はオックスの城のささやかな謁見の間で、トランシュバニアの公女を待ち受ける。


「ようこそ公女殿下、我が城に」


 俺は、立ち上がって、公女を迎える。


 裾の長い豪奢な青いドレスに、青いローブを羽織って、静々と公女は赤絨毯を進み、俺の前にひざまずいた。

 公女についている護衛らしき、若い騎士も二人、後ろに続く。


「トランシュバニア公王が一子、カロリーン・トランシュバニア・オラニアでございます。勇者タケル様のお顔は『魔界の門』ご成敗のおり、一度だけ拝見いたしましたが……」

「ええ、こちらも覚えてますよ、カロリーン公女」


 やっぱり来たかメガネっ子。

 さて、立ち上がらせた方がいいのか、このままの方がいいのか。


「本日は、お願いがあって参りました。誠に不躾ぶしつけな話で、慙愧ざんきの念に堪えませんが、もはや勇者様におすがりする他には致し方がないのです」

「構いませんよ、何があったんですか」


 亜麻色の長い髪を青いリボンでくくっている公女は、上目遣いに俺を見上げる。

 メガネの奥の、淡い茶色の大きな瞳は、父親に似て意志が強そうだった。


「我が国は今、ロレーンの伯爵、ブリューニュ・ブランに半ば公然と脅されています。公女をよこさねば、国を攻め滅ぼすと……。公王の一人娘である私が、ブリューニュの好きにされてしまえば、国を奪われるのと変わりません」

「あの、麻呂貴族か……」


 ブリューニュのやつ、シレジエ王国政府に。

 というか、俺の先生に断りもなく、勝手なことをやりやがって。


「国力が弱まった公国に、もはやブリューニュの脅しに抗するだけの力はありません。困り抜いた父は、勇者様に庇護ひごを求めよと、私を送り出しました。勝手なことを申してるのは、かさねがさね承知しております……」

「ああ、どうぞ顔を上げてください。悪いのは、ブリューニュ伯です。もちろんお助けしますよ」


 やはりあの公王の娘か、だんだん土下座の体勢に移行しようとするので、さすがに立ち上がらせる。

 俺に、人をゲザらせて喜ぶ趣味はない。


「ありがとうございます」

「とりあえず、カロリーン公女は我が城に匿いましょう。ブリューニュの独断専行には、こちらから抗議を入れます。それでよろしいですか」


「はい、勇者様の保護下であれば、私も安心できます。ご厚情、重ねて感謝申し上げます」

「では、お部屋にご案内いたします。護衛の方もどうぞ」


 しかし、厄介なことになったな。

 これなら、また公女との結婚がどうとかの方が、よっぽど簡単だったかもしれない。


 王都のライル先生に、早馬を送らなければ……。

 いや、それだけでは済まないな。


「カアラ!」

「はっ、真祖しんそ様」


 なんだ、真祖って……吸血鬼か、フザケてる場合じゃないんだが。

 カアラは、隠形の魔術師だけあって、たいていは気配もなく、近くの闇に控えている。


「ブリューニュ伯爵の周りを探ってくれ。もともとカアラはそっちに詳しかっただろ、外交関係とかな」

「ゲルマニア帝国辺りと、通じている可能性があるということですね」


 さすが、それなりに敏いな、魔族軍師。

 たんなる地方領主のブリューニュが、ここまで強気に出る理由を知りたいんだよ。


「もしそうなら、できれば証拠を掴んでおいてくれ。先生の役に立つかもしれない」

「御意……」


 カアラは、音もなく闇に消えた。

 それなりには、頼りにしてるぞ。


     ※※※


「ご主人様、ロレーン伯爵ブリューニュ・ブランが、謁見を求めているのですが……」

「なんだと!」


 さっき、先生に確認の手紙を出したばっかりだ。

 なぜいきなりうちにくる。


 ああそうか。もしかしたら、ブリューニュ伯爵は、すぐにカロリーン公女を追ってきたのか。

 貴族のくせに、フットワークが軽いじゃないかブリューニュ。


「よし分かった通せ!」


 兵は神速を貴ぶか、まだこっちは事実関係の調査も済んでないのに、意表を突く動きだ。

 この行動力、ブリューニュのやつを、ただの麻呂貴族だと見くびっていたかもしれん。


「ノホホホ、ごきげんよろしゅう勇者殿」


 黒光りする実用度ゼロの豪奢な甲冑に身を包み、今日も室内なのにベレー帽をかぶっている伯爵。

 振られた女の尻を追ってきた男にしては、随分と機嫌が良さそうだ。


 ブリューニュ伯は、これもまた綺羅びやかな服装の家臣を、ぞろぞろと引き連れている。

 大名行列かと思うが、豊かな王国貴族だからこれぐらいのお供は、当然なのか。


「俺のゴキゲンは、貴君の顔を見た途端に悪くなったが、我が城になんのようだ」


 癇に障る笑いに対しては、嫌味の一つも言いたくなる。


「なあに、敗戦国の姫君が、ここに逃げ込んでおじゃらなかったかな」

「逃げこんできたら、なんだと言うんだ」


「麻呂は、カロリーン公女に用があるので、こっちに引き渡していただきたいのでおじゃるよ」

「断る、カロリーン公女殿下は、俺の保護下に入った。貴君には渡さん」


「ぬう、何の権利があって、麻呂の邪魔をするでおじゃる!」

「それはこっちのセリフだ、お前こそ何の権限があって、公女を引き渡せというんだ」


 なんだ、こいつやけに余裕で来たと思ったら、空手からてか。

 何の策もなく、ただ偉そうに威圧すれば、公女を奪えると思っていたのか。


 だとしたら、それこそ拍子抜けだ。

 俺だって、それなりにお偉い貴族も王族も相手してきたんだ、若造だと思って舐めるなよ。


「麻呂は、戦勝将軍として、敗戦国に当然の要求をしているまででおじゃる」

「シレジエ王国の政府に許可は取ったのか」


「麻呂は前線指揮官として、トランシュバニア公国への戦争の全権を持っておじゃる」

「戦争はもう終わってる! シレジエ王国政府に許可は取ったのかと聞いているんだ!」


「ぬうっ、それは……」

「やっぱりか、お前なあ。国の外交ルートを通さずに、地方領主が勝手に他国に圧力をかけるとか、やっていいと思ってるのか」


 異世界人の俺だっておかしいと思うぞ。


「だまりゃ! 麻呂は、恐れ多くも建国王レンスの血を引くブラン家の当主なるぞ。それを、何処の馬の骨ともわからぬ田舎者風情が」


 その手の威圧は、聞き飽きてるんだよ。

 この世界の貴族だの王族だの、俺にとっては何の価値もない。


「そうか、じゃあレンスの遠い親戚のブラン家当主のお前と、シレジエ王国摂政の俺、どっちが偉いんだ。言ってみろ」


「おのれ……」


 腰の綺羅びやかな宝剣に手をかけるブリューニュ。

 何の剣圧も感じない、お前の連れてる格好だけは立派な騎士がまとめてかかってきても、負ける気がしない。


「いいぞ、やる気なら抜け。お前も王国貴族で、騎士であるなら尋常に勝負してやる。死んでも知らんがな……」


 俺は、いつでも光の剣を出せるように、気を練った。

 今は『ミスリルの鎧』を着ていないが、ブリューニュごときに一太刀浴びせられるほど鈍ってはないつもりだ。


「勇者、卑怯ではおじゃらんか! その方はシレジエ王国の王女も、トランシュバニア公国の公女も独り占めにして、麻呂にせめて半分よこすのが筋でおじゃろう」

「そんな筋はない」


 何度でも言うけど、ブリューニュは何の権利があって、言ってんだよ。

 自国の姫や、隣国の公女を、よこすとか、よこさないとか。何様のつもりだ。


 シレジエ王国の門閥貴族がみんなこんな意識ならば、「自分は奴隷に等しい扱いをされている」と訴えたシルエット姫の言うことも、分からなくもない。

 今ハッキリと分かったが、俺はこいつら門閥貴族が嫌いだ。


「くうっ、覚えておじゃれ……。その傲岸不遜ごうがんふそん、強欲の報い、かならず受けさせるでおじゃるからな」


 典型的な悪役の捨て台詞を吐くと、ブリューニュ伯爵はお帰りになられた。

 結局、何がやりたかったんだ。


「クローディア、すぐに盗賊ギルドのネネカを呼んできてくれ」

「はい、ご主人様!」


 俺は、密偵部隊スカウトを動かすことにした。

 うちの領内に入ったブリューニュの監視を怠るつもりはない。


     ※※※


「ライル先生、忙しいところすいません」

「いえ、私も申し訳ありません。ブリューニュ伯がここまで愚かだとは、予想の範囲外でした」


 カロリーン公女とブリューニュ伯爵の来訪のあと、ライル先生が早馬で慌てて王都からやってきた。

 久しぶりに、ライル先生の焦った顔が見れた。本当に予想外だったのだろう。


「ブリューニュ伯爵は、何を企んでいるんですかね」

「いや企むというか、あれはもう何も考えずに、本能で動いてるだけですね」


 苦手なタイプです……と、ライル先生は形の良い眉根を顰ませた。

 真性のバカってのは、策士の天敵であったりするのだ。


「まあ、言ってることむちゃくちゃですもんね」

「そうですよ、その最悪の男が、味方の陣営に居るのが一番痛いところです」


 先生はただでさえ、ゲルマニア帝国との外交折衝で、てんてこ舞いになっているのだ。

 その足元で、あの麻呂ばかがバカをやらかしては、目障りだろう。


 いっそ、あいつを闇討ちしてしまうか。

 そんなことを話し合っていると、カアラが文字通り飛んで戻ってきた。


「真祖タケル様。やはりブリューニュ伯爵に、トランシュバニア公国を取ってしまえとそそのかしたのは、ゲルマニア帝国みたい」

「何か証拠は取れたか」


 カアラが、首を横にふる。


「ゲルマニアの政府筋ってことは分かったけど、それ以上はちょっと手繰れなくて」

「あの麻呂ばかはともかく、帝国の工作員が手強いのは分かる、まあよくやった」


 あくまで帝国から、それとなく暗示があるだけなのだろう。

 ブリューニュ伯爵が、敵国に通じている証拠があるわけではないので、それを理由に処分は難しい。


「帝国は、いま介入戦争を行う大義名分を探しています。下手をすると、ブリューニュ伯爵を排除してしまうことが、介入の理由にもなりかねません」


 ライル先生の簡単な国際情勢の説明。


 ゲルマニア帝国が、即座に弱ったシレジエを攻めないのは、帝国とは疎遠でシレジエ王国には友好的なローランド王国やブリタンニア同君連合が、目を光らせているから。


 サバンナの世界と一緒だ、獲物を喰らおうとするときが、一番危ない。

 百獣の王ライオンが、ハイエナの群れに囲まれて、美味しい肉を前に退かなければならない時だってある。


 ユーラ大陸一の強国と言えど、無節操な侵略戦争はできない。

 逆に、諸外国を納得させるに足る大義名分さえ見つかれば、今にも介入戦争してきておかしくない。


 そりゃ、ライル先生がライフリング砲のロールアウトを急ぐはずだ。


「そのような理由で、すぐにブリューニュ伯爵を亡き者にするのは、帝国を刺激してしまいます」

「難しい情勢ですね」


 ブラン家は、仮にも建国王レンスの血を引く名門貴族。

 直系王族のシルエット姫が居なくなれば、遠い親戚のブリューニュ伯爵や、分家筋のカロリーン公女がシレジエ王国を継ぐことも可能になる。


 あのブリューニュ伯爵は、ゲルマニア帝国にとって便利に使える駒なのだ。

 ブリューニュが邪魔だと言っても、殺せばシレジエ王国内の門閥貴族は動揺し、国境のロレーン伯領は領主を失って不安定化する。


 戦争になるかならないかの鍵を、あのどうしようもない愚物である麻呂ばかが握っている、不思議な構図が浮き彫りになる。


「いま少しだけ時間をください。戦争回避に向けての折衝を続けていますので」

「もちろん、戦争はないに越したことはありませんから」


 さっさとブリューニュのやつを蹴倒してやりたいぐらいだが。

 今のところは、泳がしておくしかないか。


「まあ、仮にですが、ゲルマニア帝国と戦争になったとしても負けない態勢に、持って行くつもりではあります」

「本当ですか、先生?」


 いや、聞き返すのが失礼か。

 ライル先生に虚言はない。


「相手は帝国、今回だけは、私も手段を選びません。もうタケル殿にもわかってると思いますが、そのための備えを、できる限り続けています」

「なら、大丈夫ですね」


 先生に策があるなら大丈夫だ。


 カアラが「いや、国力を見積もって軽く十倍の大帝国相手だよ。さすがに無理があるんじゃない?」とか言ってるが、先生ができるといえばできるんだよ。


 カアラが「おそらく帝国が出してくる兵数は、少なくとも万を超えるよ。規模わかってる?」とか言ってるが、先生ができるといえばできる!


「分かりました先生、とりあえずブリューニュが、うちの領内に居るのがウザいんですけど」


 あいつ、公女に結婚を断られた癖に、家臣を連れてうちの城の近くをうろうろストーカーしてるんだよな。

 だから公女も、城から出られなくてたいへん困っている。


「そうですね、とりあえず殺さない程度に、伯爵を街から退出願う手立てなら、王都からここに来る間に、七通りほど考えておきました」

「さすが先生、ブリューニュが一番ダメージ食らうやつ、お願いします」


「では、お耳を拝借」

「……なるほど、それは黒いですね」


 先生の作戦なら、ぐうの音も出ないように、ブリューニュを懲らしめられるだろう。


 カアラが「ブリューニュはバカだから、上手く使って利用したほうが」とか言ってるが、お静かに!


 愚かなブリューニュを蹴散らし、ゲルマニア帝国すらも打ち破れる神算鬼謀が、いま先生の頭の中で練られているのだぞ。


 だって、今までの先生は『手段を選んでいた』んだぞ。

 世界最大の帝国軍だかなんだかしらんが、迷いを捨てたライル先生に勝てるチートが、この世界に存在するわけないだろ。


「タケル殿の、私に対する信望はとてもありがたいのですが、たまに重圧に感じるときがあります」

「先生なら、世界中を敵に回しても、大丈夫ですよね」


 カアラが、何か言いたげにしていたが、結局言わずにため息をついた。

 やはり魔族は、先生に対する信仰心が薄いからダメだな。

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