第34話「強敵の影」

 エストの街の商館に滞在して数日、すっかりぬるま湯に浸ったような生活をしていたが、急に背筋がゾクッと冷えた。

 嫌な予感がする。このプレッシャーって、もしかして……。


「ご主人様?」

「頼む」


 近衛についてくれるシュザンヌが立ち上がり、クローディアに(お前はここにいろ)と目配せすると、剣を抱えて店の表に駆けていってくれた。

 大いなる災厄が、近づいている予感がする。


「ご主人様、デッカイ変な馬車が表に!」


 シュザンヌの警告に、俺は返事もせず、店の裏に潜り込んだ。

 勝手知ったる自分の店だ、隠れる場所はいくらでもある。


「タケルどこですか、あなたのシスターリアが、参りましたよー!」

「ステリアーナさん、お店の前で騒がないでください!」


 間一髪だったか、シャロンが対応してくれる。

 前も、しつこいシスターを追い払ってくれた実績があるからな。

 頼むぞ、シャロン。


「えっと、タケルはこっちに居るとアーサマのお告げが」

「ご主人様なら、オナ村のベースキャンプに視察に行かれたんじゃないでしょうか」


 すっと息をするように嘘を吐けるシャロンは頼もしい。

 さすが商人として、研鑽を積んできたことはある。


「本当ですか、わたくしに嘘をつくとアーサマの天罰が下りますよ?」

「私は、敬虔なアーサマ信徒です」


 おそらくニッコリ微笑んだであろうシャロンの顔が想像できる。

 味方にすれば、頼もしい存在だ。


「そうですか……。では、オナ村の方に行ってみます」

「ええ、ぜひそのように、ご主人様もリアさんに会いたがってると思いますので」


 ふう、行ったか……。


 しかし、教会に召喚されて『魔素の瘴穴』まそのしょうけつ封印のために、魔の山にかかりっきりになってたはずのリアが、なぜエストの街に来ている。

 王都でいったい何が起こっている。

 というか教会は何をやってる、ちゃんと管理しとけ。


 リアが行ったと見せかけて、まだ店の表に潜んでいるかもしれない。

 念の為に、シュザンヌとクローディアに表を見張らせておく。


 そして、俺は裏から商館を抜けだそうとして、店の裏で、白ローブを目深まぶかに被った女性と鉢合わせになって、悲鳴を上げそうになる。


「いっ!」

わらわですよ」


 同じ白ローブでも、リアとは背丈も年格好もちがう。

 すっとフードを上げて、美しいストロベリーブロンドの御髪をかきあげて、尖った耳を見せてくれる。

 芳しきローズの香り、麗しきごかんばせ、シルエット姫様だった。


「おお、失礼しました。シルエット姫をあんな人間辞めた女せいしょくしゃと間違えるとは」

「聖女様と間違えてビックリするのに、妾がいることには自体には驚かないんですね。あいかわらず、勇者様は変わっておられます」


 そりゃ、デッカイ変な馬車って表現で何となく察しますよ。

 意匠の凝った豪華な馬車は、たいてい王国貴族のものですからね。


「おそらく、ダナバーン侯爵が領地に帰るついでに、こっそりとお忍びで付いていらっしゃったのでは」

「さすがは勇者タケル様。妾を一目見ただけで、そこまで推察するとは……」


 シルエット姫が、エストの街にくることはありえると思っていた。

 唯一のシレジエ王国王位継承者が王都を離れるなど、通常ならば考えられないことなのだが。


 王都の崩壊、『魔素の瘴穴』の不安定化など、ダナバーン侯爵が治めるエストの街のほうがむしろ安全だと判断する材料はある。

 それに何より、絶対ライル先生の策謀がからんでいる。


「俺が、ライル先生に姫をなるべく自由にさせてあげてくれと頼んだのです」

「それでなのですか? 勝手に出歩いても、もう妾のことなど、誰も気にしてくれないのかと思いました」


 また、ネガティブ。

 姫のこの性格、なんとかならないかなあ。


「違いますよ、おそらく先生は、まだ諦めていないんです」

「妾とタケル様の結婚話ですか、確かに先は考えておいてくれと、勇者様の先生にそれとなく諭されました」


 姫を俺の下に送ることで、結婚話を進めようとしているのだ、あの人は。

 会いさえすれば仲良くなって結婚するかも、などと思い込むあたり、政略や戦略に比べると、やはり先生は恋愛の機微にあまり敏くないようである。


 なにせ先生は、そっち方面の経験だけは皆無っぽいからな。

 まあ、俺も純血種ピュアボーイなので、偉そうなこと言えないのだが。

 この姫の場合は、性格改善からやらないと、お嫁とか言ってる段階じゃないと思う。


「勇者様は、先生様と離れて、少しお寂しいのではありませんか」

「そんな顔をしていましたか」


 寂しいとはちょっと違うけど、いや、やっぱり寂しいのかな。

 確かに相談相手の先生がいないだけで、いろいろと不便を感じる。


「羨ましいですね、妾は勇者様のように、気のおけない友人がいませんから」

「そういえば、本当にお一人なのですか。さすがに危ないのでは」


 そう尋ねると、店の裏の焚き木を積んである影から、すっと大柄の女性騎士が現れた。

 ルイーズと同じぐらいの歳で、ルイーズよりも筋肉質な女騎士。この人は、この世界では珍しいことに俺と一緒で黒髪なんだよな。


「姫が、お一人なわけないであろうよ勇者殿」

「えっと、ジルさんだっけ」


「ジル・ルートビアだ。一度顔を合わせただけなのに、よく覚えていたものだ」

「人の名前と顔を覚えるのは得意なもので」


 商人だからな、まあジルの髪の色が俺と同じだってことが大きいが。

 癖のない黒髪をルイーズと同じようにポニーテールに結んでいる、肌も小麦色に焼けているので、一瞬日本人かと錯覚したぐらいだ。


 ルイーズはゲイルの乱終結後、王国の近衛騎士団に戻るように、再三再四誘われても断って、姫の護衛騎士になることも断って。

 その代わりに、元自分の部下だった女騎士を斡旋して回ったのだ。


 シルエット姫の護衛を務めているジルは、ルイーズの片腕的な存在だったそうだ。よく知らないけどね。

 挨拶だけ済ませたら、ジルはまた物陰に隠れてしまった。護衛は目立つべきじゃないってことか、大きい身体で器用なものだ。


「妾に護衛など必要ありませんのにね」

「いやいや、居るでしょう。姫が一人で歩いてたら大騒ぎになるんじゃないですか」


「あら、国民は妾のことなど知りませんよ」

「えっ、そうなんですか」


「唯一残った王族が、ハーフエルフなどと言えたものではありませんでしょう」

「そういうものなんですか」


 俺はそこら辺よく分かんないんだよな。

 ニンフみたいな露骨な差別でもなければ、他人種が迫害されているようにも見えないんだが。

 国の女王としていただくには反発が大きいってことなのか。


「フフッ、妾など日陰の身なのです。王宮には、面白いことに妾の影武者が居るんですよ。影絵シルエットの影武者なんて……ウフフッ、どうぞお気づかいなくお笑いください」

「いや……」


 それ、そんなに面白く無いし。

 なぜ、自分を卑下して笑いを取ろうとする。

 どうリアクションしたらいいか、困るじゃないか。


「どうやら妾はタケル様のお邪魔のようですね、面白い話もできないシルエットは、何処ともないところに消えさせていただきます」

「うわー、待った待った。邪魔とは言ってないです」


 ジルさんが潜んでる物陰に行こうとするから、ジルさん困ってるじゃん。

 どんなネガティブだよ。さて、これどう励まして自信を持たせたらよいやら。


「では、タケル様のご厚情にお応えして。妾は、もう少しだけ存在することを許していただきます」

「ずっと存在してくれてていいですからね」


 存在することを許さないと言ったら、お前、もしかして消えるのか……。

 姫は姫なりに、自分の性格がネガティブすぎるのを自覚して、せめて笑わせようとしたのかもしれない。

 何か明るい話題を俺も振らないと。


「そうだシルエット姫! こんな暗いところに居ないで、どっか遊びに行きましょうか。街でも案内しますよ。小さい街ですから、たいした名所はありませんが」

「あっ、それってもしかして、デートですか。よろしいですわね」


 グッ……、その話を蒸し返されるのか。

 俺の血の気の引いた顔を見て、シルエット姫もさっと顔を青ざめた。


「ああごめんなさい、デートしないと結婚できないと、聖女様に同行中の馬車の中で何度も注意されたもので」


 あいつ、馬車で暇だったのかもしれないが、姫に何吹き込んでるんだよ。

 姫に悪気はない、全部リアが悪いんだ。


「姫は、えっと念の為に聞いておくんですが、俺とその結婚したいと少しでも思ってるのですか」

「いえ、そんな大それたことは思っておりません!」


 そうだと思ったよ、変な勘違いをする前に聞いておいてよかった。


「結婚しろとか、ライル先生が言ってることは、真に受けなくていいですからね。せっかく王宮から解放されたのだから、姫も好きなように生きればいいんですよ」

「タケル様の側室の末席にでもお加えいただければ……」


 はぁ、ボソッとなんか言ったぞ。

 俺が訂正する間もなく、物陰から、のそっとジルさんが出てきた。


「勇者殿、シルエット王女は、唯一の王位継承者なのですぞ。それを側室などとは、シレジエ王国に対する侮辱にもなりましょう」

「いやいや、ジルさん。俺が言ったんじゃないから!」


 側室ってなんだっけ、正妻とは別の奥さんだよな。サブ的な。

 まず、俺は結婚してないからね。正妻がいないから。


「申し訳ございません、この半端者が側室などと生意気なことを。妾など、端女はしため性奴隷カキタレで結構でございます」

「勇者殿! 言うに事欠いて姫様を端女だと! 王女殿下を奴隷扱いするつもりか」


 激昂したジルさんは、腰の剣に手をかけてシルエット姫を守るように、にじり出る。

 なんだこのコント……付き合いきれねえ。


「とにかく店の裏で立ち話もなんですから、応接間にどうぞ」

「まあ、格別のご招待、痛み入ります!」


 よく考えたら、街をほっつき歩いてリアに見つかる可能性もあるしな。


 リアについては、怒ってとっちめたい気持ちはありつつも、話したくないし顔も見たくない気持ちもあるという、複雑な気持ちだ。


     ※※※


 応接間でお茶を振る舞って、お客さんにお菓子を出す。


「この焼き菓子なんだ、パンのようなケーキのような……うむぅ、すごく美味いなぁ」

「妾も、このようなもの城でも食べたことはありません」


 シルエット姫はともかく、やたらジルがカップケーキに感動してた。甘党なのかな。

 新鮮な卵やバターをたっぷり使った焼きたてだから、そりゃ王都の気の抜けたような菓子よりは美味しかろう。


「まあ、うちの料理長コレットが優秀ですからね。姫様たちが持ってきてくれた紅茶も美味しいですよ」


 俺はどっちかと言うとコーヒー党なのだが、さすがに王室御用達の紅茶も悪くない。


「ルイーズお嬢様が、我らが騎士団に戻って来られないのはなぜかと思ってたが、このようなものを毎日食しているのでは、仕方がないのかもしれん」

「それで納得しちゃうのか……、あとルイーズってお嬢様なの?」


 騎士団のエライさんってのは納得したけど、お嬢様はちょっとありえんぞ。

 そりゃ、名前だけはお嬢様っぽいけども。


「カールソン家は、二百四十年続く武家の名門だ。我がルートビア家も、ルイーズお嬢様の郎党に当たる家柄。タケル殿はよくご存じないようだが、武家には武家の格式がある。ルイーズお嬢様は、その頂点に立たれるお方だ」

「そんなに偉い血筋なのか」


 官僚にしても騎士にしても、そうやって一族郎党だけで、重要ポストを独占してたからゲイルみたいなのが出てきちゃったんじゃないかな。

 などとチラリと思ったが、まあ言わないことにした。


「お嬢様のお父君も、本当は勘当したのを後悔しておられるのだ。ルイーズ様の罪は晴れたわけだしな。お互いに意地を張っておられるだけで、ルイーズ様に戻ってきて家門を継いで欲しいに決まっている。タケル殿からも、言ってもらえぬだろうか」

「うーん、俺はルイーズが居なくなると困るからね」


 カールソン家の複雑な事情は知らないし、ぶっちゃけどうでも良いんだよな。

 ルイーズが居なくなると、義勇兵団まとめられなくなるし。


「そうか、済まなかった。タケル殿にも都合はあろうな」

「ありゃ、やけにあっさりと引くんだな」


「言っても聞かぬだろ、あのお嬢様は」

「ハハッ、そりゃ違いない」


 俺がその「お嬢様」って言うのでからかったら、怒って王都に帰るかもしれないけどね。

 いや、その前にぶった斬られるな。リアの真似はやめよう。


「それに、こんなに美味しい菓子があるなら、こっちに居たほうが、お嬢様は幸せなのかもしれない」

「それ、そんなに気に入ったんなら俺のも食べなよ……」


 そんなに甘味が好きなら、クレープも作ってやろうか。


「おおっ、勇者殿。この恩は決して忘れぬ!」

「いや、そんな大層なもんじゃないからね」


 なんか、騎士って何かしら性格が濃い人が多いなあ。

 そんなこんな、まったりしたティータイムを楽しんでいたら何やら表が騒がしくなってきた。


 すわ! リアが戻ってきたか?

 そう思ったらシャロンがやってきて、得意げに告げた。


「ご主人様、新しい奴隷少女が参りましたよ」


 あれっ、俺そんなの注文してたっけ。

 いまお客さん来てるんだけど、奴隷の引き渡しとか、体裁が悪いなあ……。

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