第5話「エストの街と佐渡商会の設立」

 試行錯誤の結果、ついに石鹸が完成した。


 と言っても、白い良い香りのする泡立ちの良い上質の石鹸ができる確率はまだ低い。

 泥臭かったり、粘土みたいな悪い匂いがする、上手く凝固しない失敗作が出来上がるほうが多い。

 しかし、失敗作も衣服の洗浄には十分に使えることがわかり、片銅貨1枚の大サービスで洗剤として売りに出すことにした。


 この世界の庶民は洗剤に灰汁を使っているらしい、単なる灰汁に比べたら失敗作でも石鹸の方が汚れ落ちが良いに決まっている。

 ちなみに、上質品の方のモンスター石鹸の価格は銀貨一枚である。

 原料費の割にふっかけすぎかとも思ったが、オリーブ・オイルや菜種油の石鹸は、地域によって相場も違うが、末端価格で金貨一枚もするそうだ。


 それを考えたらほとんど品質の違いのないものが十分の一の値段なのだから売れないことはないだろう。


 完成した石鹸と洗剤をロッド家に持って行ったら、サラちゃんに凄く喜ばれた。

 納入前に、ロッド家で使ってもらって製品テストしているのは内緒である。


 あんまりサラちゃんが「ありがとう、ありがとう」と少ない語彙で喜びを表現してくれるので。

 つい「また一緒に温泉行こうぜ」と調子に乗って言ってしまったら、サラちゃんのお父さんにめっちゃ睨まれた。

 ルイーズ姉さん……、親御さんの許可取ってくれたんじゃなかったのか。


     ※※※


 村の雑貨屋や道具屋に石鹸を試験販売しに行くついでに、いよいよ俺のアイテム大人買いが始まる。

 なにせ、俺の財布にはいま金貨が入っている。

 爆弾に加えて石鹸の販売が上手く行けば、もっと儲けが出るはずだし、少し贅沢してもいいだろう。


「魔法のアイテムってありませんか」

「この『炎球の杖』しかないねえ」


 さすが村の道具屋、在庫が少ない。雑貨屋に至っては日用品しか置いてないし。

 この『炎球の杖』は、魔法力がなくても「ファイヤーボール!」とかっこ良く叫ぶだけで、火魔法の基本にして至極、初歩にして究極の魔法である炎球が使える。


 しかし、困ったことに鑑定されてないので何回使えるかわからんと。

 とりあえず買っておくか、火魔法は俺の武器である火薬とも相性がいい。


 この店の目玉アイテム、未鑑定の『炎球の杖』は銀貨五枚だった。

 人のことは言えないけどいい加減な値付けだな、いくらで仕入れたんだろ。


「水魔法の道具ってないですかね」

「うーん、田舎の村だからねえ」


 おトイレの後処理問題があるから、ぜひ初歩の水魔法が使えるマジックアイテムが欲しかったんだが。

 やはり、どっかの街に買い出しにいくしかないか。


「じゃあ、この回復と解毒のポーション全部ください」

「おいおい、買い占めは勘弁してくれよ」


 ああそうか、金があれば全部買い占めても良いってわけじゃないんだな。

 教会も病院もないこの村では、ポーションだけが村人の生命線になる。


「すいません、じゃあそれぞれ五個ずつ」

「ほいよ、まいどありー」


 ポーションはわりと高額だが、それでも一個、銀貨一枚。

 余るぐらいに備蓄しておくべきだ。


 石鹸を売りたいと頼むと、俺はいつも珍しい商品を持ってきてくれると喜ばれた。

 もし残っていたら、俺が異世界転移したときに売った学生鞄とか筆記用具を買い戻したかったのだが、全部売れてしまったらしい。

 残念。


     ※※※


「それならエストの街に行って見ませんか」


 俺がロスゴー村のアイテムのしょぼさを愚痴ると、ライル先生からそのような魅力的な提案があった。


「しかし、ライル書記官。書記官と書記官補の両方が村役場から離れては、マズいんじゃありませんか」

「だって、仕事なんかないじゃありませんか」


 俺が久しぶりに畏まって真面目さをアピールしたのに、ライル先生ぶっちゃけすぎ。

 確かに俺が来てからもう一ヶ月以上になるけど、なんかまともな仕事ってきたことないもんね。

 村で結婚式が一回あったぐらいか。


「公証の手続きなら、頼んでおけば村長が代わってやってくれます。近隣地域の視察も書記官の立派な仕事ですから、一度エストの街まで視察に行くのもいいでしょう」

「なるほど、視察って名目で遊びに行こうと」


 俺もぶっちゃけてみると、アハハと声をあげてライル先生が笑う。

 視察の名目で遊興、どこからみても悪い公務員の会話である。

 こういう冗談も言い合える仲になったのだと思うと嬉しい。


「視察ってのは冗談ですが、全くの遊びってわけでもありません。タケル殿の商売を考えると、一度エストに居られる伯爵閣下に、ご挨拶に行ったほうがいいんですよ」

「なるほど、地域の権力者のご機嫌伺いに行けと……」


 このロスゴー村も含めて、ここらへんはエスト伯爵の領地だ。

 このまま、商売の方を広げていくとなると、地方領主と仲良くなっておく必要があるのか。

 挨拶はビジネスの基本である。


 俺は仕事終わりに宿屋に戻ると、冒険者ギルドで念の為にルイーズに旅の護衛を依頼する。

 荷馬車を買うか借りるか迷ったのだが、「馬車は商人の基本だ」とのルイーズのありがたい言葉に背中を押されて、中古の幌馬車を買うことに決めた。


 幌馬車は、ただの荷馬車ではなくて上に幌がついてて雨風が凌げるタイプだ。

 扱う商品が石鹸と火薬であることを考えると、防水性がしっかりしているものではないとまずい。

 しっかりした幌馬車は中古でも驚くほど高くて、財布がカラッケツになった。金が足りないので、馬はロッド家から貸してもらった。


 鉱山から依頼を受けてロスゴー村の鉄製品を幌馬車でエストに運び、帰りはロスゴー村で不足している商品、布や塩を積んで帰れば利益がでる目算だ。

 なんだか、自分の幌馬車を手に入れて、本当の商人になったような気分で高揚してくる。

 魔剣の勇者への憧れは消えてないが、旅商人ってのも悪くない。


 さっそく輸送を依頼された商品と、作り立ての火薬製品と石鹸を乗せて、エストの街まで出向くことにした。


     ※※※


 エストの街を初めて見た時の俺の感想は「しょぼいな」ってことだった。


 これは、俺が期待しすぎたのが悪い。

 ロスゴーはもともとが山村だから、そんなもんかと思ってたのだが、この地方の領主が住む、いわば県庁所在地なわけだろ。

 丸一日かけて、延々と荒野と丘と田園が続く道を幌馬車に揺られてやってきたのに、着いた先がたいして大きくもない街じゃなあ。

 エスト伯領は、やっぱりどこまで行っても田舎だなって感じだった。


 ただ小さくとも街の周りに、石造りの城壁が張り巡らせているのは、「ファンタジーすげえ!」と感激したりした。

 俺が、感動の面持ちでベタベタ石の壁を触っているのを、ライル先生や城門を守ってる衛兵まで気持ち悪そうに眺めている。

 だって現役の城塞なんて初めて見るんだぜ、お前らは感動が足りない。


 あとメインストリートや広場がきちんと小さい石が嵌め込まれた石畳なのは立派だと思う。

 ライル先生に聞いてみると、村と街の違いは人口ではなくて、街道の整備ができているか城壁などの防衛施設があるのかないのか、という違いなのだそうだ。

 あとエストの街は、小さくとも県庁所在地なので各種ギルドの窓口と教会の支部は揃っている。


 街に城壁があるからには、城もある。

 俺がこれから尋ねる伯爵様は、街の中央奥にあるお城に住んでらっしゃるのだった。


 さすがに伯爵様となると、街の中でも目立つ石造りの城だった。

 ただなんだか赤い原色に塗りたくられた尖塔が無駄に三本も高く聳え立っていて、遊園地のお城みたいな、下手するとラブホテルのお城のような、変な装飾の城だった。

 装飾過多というか、防衛という概念を著しく軽視しているような気がする。

 貴族ってのは、たしか自前で領地を守ってるはずなんだよね。


 ライル先生に聞くと「ここらへんはもう百年以上戦争がないから」と口を濁された。

 やっぱ、ちょっとここの領主様、変なのかな。


 幌馬車を宿屋につけて、部屋を取って一息ついてから、領主の城に出かけることにした。

 ライル書記官と、そのおまけがご領地で新商売をするので挨拶したいと城に連絡するとすぐアポイントメントが取れた。

 ライル書記官の顔がここでも生きた。権力良し、知識良し、容姿良し、本当に万能選手。

 俺じゃなくて、ライル先生が異世界の勇者なんじゃないだろうか。


 ちなみにルイーズにも、一緒に城に行ってみないかと誘うと。

「貴族は好かない」と、にべもなく断られてしまった。

 麗しい書記官に加えて、美しい護衛も居たほうが、通りが良いかと思ったんだが、まあ好かないものは仕方がない。

 ルイーズが手伝ってくれてるのは、ギルドの依頼という形だが、半ば好意に甘えているわけだから無理強いはできない。


 領主の城に招かれると、中はすごい豪勢だった。

 これまで見たどの建物より、広いし、天井が高い。

 中世の本物のお城ってことにも興奮したが、床に隙間なく敷いてある赤い絨毯もこの世界に来て初めて見た。

 ロスゴーみたいな山村に居たから、余計に感動してしまう。


 あと分かったことは、ここの伯爵様は赤が好きってことだ。

 豪華な調度品が並んでるが、赤っぽい物が多い。

 しまったな、石鹸も赤く染めてくるべきだったか。


 偉い伯爵様に会うのに、てっきり謁見の間みたいなところに通されるのかと思ったら、燕尾服を来た執事に、丸いテーブルのある部屋に通された。

 ちなみに椅子もテーブルのクッションも赤である。どんだけだよ。

 椅子のクッションも柔らかく、くつろいだ空間だ。

 思わず座ってゆったりしてたら、豪奢を絵に描いたような赤き衣に身を包んだ太ったおっさんがやってきたので、俺は慌てて立ちあがった。


「ああっ、どうかそのまま楽にしていてくれ。この城の主、ダナバーン・エスト・アルマークだ。今日はよく来てくれた」


 楽にと言われても、伯爵様にそれは無理じゃないのかな。俺は直立不動になって、とにかくライル先生の動きに合わせる。

 伯爵が着席して、もう一度席を勧められてからようやく座っていいようだった。

 えっと、まず挨拶だな。このいかにも育ちが良さそうな貴族様にどう挨拶すれば好印象かな。


「お初にお目にかかります、エスト伯爵閣下。わたくしは佐渡タケルさわたりたけると申します、本日はごきげん麗しく、お日柄もよく……ああ、これつまらないものですが」


 なんかグダグダになってしまったが、挨拶がわりの贈り物として火薬製品と石鹸の詰め合わせセットを送った。

 なんだかお歳暮みたいだ。


 伯爵様は、火薬には一切興味を示さず、白い石鹸を手にとって舐めるように眺めていた。クンクンと匂いまで嗅いでいる。

 なんだ爆弾の方が大発明だと思うんだが、伯爵は石鹸が妙にお気に入りなようだ。

 育ちが良い人とはそんなもんなのかね。


「タケル殿は、この度、書記官補に任ぜられたと聞く。シレジエ王国では、官吏も貴族も国王陛下に使える臣という意味で同格である。ぜひ気軽に、ダナバーンと呼んでくれたまえ。アッハッハ」


(これは建前ですよ、貴族には様付けして敬意を払ってください)

 作法を知らず、何をやらかすかわからない俺に、隣のライル先生が慌てて耳打ちしてくれる。

 たしかに俺なら、タメ口ききかねないもんね。


「ではダナバーン様とお呼びします。今日は、ご領地で商売を始めるご挨拶に……」

「まま、タケル殿。込み入った話の前に、とりあえず一息いれようではないか」


 俺の話を遮って、伯爵は執事に言いつけてお茶を出させた。

 メイドさんがテーブルに出してくれたのは、もちろん貧乏臭い白湯ではなく、こっちの地方によくある紅茶でもなく、真っ黒い液体だった。


「えっ、これはもしや……」


 この苦みばしった匂いには、馴染みがある。懐かしさに涙が出そうになる。

 まさかこれで、飲んでみたら泥水だったなんてオチは止めてくれよ。


「私は変わったモノが好きでなあ。これは近頃、王都でも流行っている南方の地方で採れるコーヒーという飲み物なのだ。かなり苦味があるので、もし口に合わなければ別のものを……」


 やっぱりコーヒーか。やったね!

 俺はこれの中毒なんだよ、我慢しきれずに俺は一気に飲み干した。

 いと懐かしきカフェインが、俺の身体の隅々まで染み渡るようだ。

 これだよ、これが欲しかったんだと身体が喜んでいる。


「うまい!」

「驚いたな、タケル殿。それはたっぷり砂糖を入れてようやく飲めるモノなのだが、そのまま一気に飲み干すとは、よっぽど気に入られたのか」


 香りが高く酸味も少ない。

 こんな口当たりの良いコーヒー飲んだことないんだけど、ブラックで飲んだら変わり者扱いされた。


 コーヒーの苦味は、この地方の人には口に合わないってことなのかな。

 ライル先生も俺の真似をしてそのまま飲んで、苦そうな顔をして慌てて砂糖を入れている。

 もったいない、上物のコーヒーはブラックに限るのにな。


「俺はブラックで飲むのが好きなんです。砂糖の他にミルクを入れて飲む人もいると聴きますが」

「ほほー、ミルクティーのようにして飲むのか。それは王都でもやってなかったと思う。タケル殿は、たいそうな通なのだな」


 伯爵は、早速ミルクを取り寄せてカフェオレにして飲んで、悪くないと喜んでいる。

 貴族ってのはもっとどっしり構えているのかと思えば、見た目よりフットワークの軽い人だった。


 コーヒーのお代りもくれるし、本当に良い人だ。

 王都で今流行っているらしい、コーヒーを飲ませるカフェの話に花が咲いて、南方のコーヒーの銘柄から珍しい物産の話に広がる。

 ダナバーン伯爵は珍しいモノ好きらしいし、ライル先生も博識なので面白い話がたくさんできた。

 ごく自然に、エスト伯領で商売がしたいという話に繋がる。


「もちろん、商売の許可はだそう。しかし、火薬にしても国家契約を結んでおるようだし、民生品でも新しい商品を出せるのなら、いっそのことタケル殿が商会を開かれてはどうか」


 勢いがつきすぎて、いきなり話が大きくなった。

 商会と言うと、会社を作るようなものなのだろうか。


 まだ俺とライル先生のお手製で作って、幌馬車で売り歩こうって段階なんだけどな。

 俺が躊躇してると、ライル先生がこう言った。


「確かに扱う品が品ですから、どこかの商会の傘下に入るというわけにも参りません」


 先生は、含みのある視線を俺に向けてくる。

 つまり、作れってことか。ライル先生がそう言うなら俺は決心しちゃうよ。


「では、その……商会を作る方向でお願いします」


「そうか、タケル殿は商会を設立されるのだな。ではお祝いに、このエストの街に土地を進ぜる。ぜひ我が領地に商館を建てて欲しい」


 えっ、進ぜるってくれるってことか。

 土地貰えるの?


 横目で、ライル先生を見ると彼女も……じゃなかった、彼も驚いた顔をしていた。

 そうだよな、不動産だもんね。

 お金持ちの貴族にしても気前良すぎだろ。


「ハハッ、タケル殿がくれたこのモンスター石鹸と言ったか。これは実に上質な品だ。エストから新しい特産品が生まれるならワシも鼻が高い」


 なるほど、久しぶりにコーヒーを飲んで、カフェインで脳が冴えている俺は、ライル先生よりも先にダナバーン伯爵の意図を悟った。


 土地をくれるのは先行投資だ。

 オリーブ・オイルや菜種油の石鹸があると聞いたが、この世界で石鹸はまだ特殊な地方にしかない特産品らしい。

 自領から新商品が生まれれば、街の商業取引が活発になって商人の行き来も増え、豊かになる。

 結果として領主の実入り(税収)も良くなることだろう。


 人が良いだけの田舎貴族かと思えば、伯爵はきちんと商売の基本が分かってる。

 エストの街は食料生産が盛んで、特産品に織物まで開発されている。

 この街が豊かで、餓死者や行き倒れも出ていないのは、土地に恵まれてるってこともあるが、この領主の手腕もあるのだろう。


「ダナバーン様、ありがたく頂戴いたします。佐渡商会さわたりしょうかいは、これから新製品を閣下のもとにお届けに上がりますので、ご期待ください」

「うむ、ワシに協力できることがあればなんでも言ってくれ、期待しておるぞ」


 ダナバーン伯爵は、我が意を得たりとふっくらとした血色の良い頬に笑みを浮かべた。

 いいぜ、投資してくれた分はしっかり儲けさせてやる。

 美味い話は分け合おうじゃないか伯爵。

 こういう物の分かった領主の下にたまたまつけたのは、ラッキーだったといえる。


 しかし、つい調子にのって新製品とか約束しちゃったけど、ノープランだったりするんだよな。

 まあ、なんとかなるか。

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