20

いつもの見慣れた住宅地。


いつもの通り慣れた道。


わたしは、ゆっくり一歩ずつ一歩ずつ家路に向かっていた。


あそこの角を曲がれば、もう家だ。


緊張が増してくる。


住み慣れた自分の家のハズなのに、なんだかよその家に初めてお邪魔するような気持ちがどうしても拭い去れない。


曲がり角を曲がる。


もう家はすぐそこ。


わたしの歩く速度は一段と遅くなる。


……着いた。


わたしは家の目の前で立ち止まった。


生まれ育った我が家を見上げる。


ごくごく見慣れたいつもの自分の家。


だけど、この家に住んでいる人達は、見慣れないわたしの新しい家族。


……『ただいま』とこのドアを開けたその先に待っているのは、新しいお母さん。


ドキドキドキドキ。


緊張で心臓が鳴る。


たん……。


一歩、小さく前に足を踏み出す。


でも、わたしはまたその足を元に戻した。


大丈夫、なんとかなるよ。


そう何度も自分に言い聞かせながら歩いてきたあたし。


だけど、いざ玄関のドアを目の前にすると、中に入るのをためらってしまうわたしがいた。


なかなか足が前に出ない。


自分の家の目の前で立ちすくむ。


ケンくん……やっぱり緊張しちゃうよ……。


心の中で無意識にケンくんに呼びかける。


犬の散歩中の通りすがりの人が、ちょっといぶかしげな様子でわたしを見ているのがなんとなく視界に入る。


……そうだよね、いつまでも家の前で立ち止まっていたらなんか怪しい人だよね。


……よし。


わたしは小さくうなずくと、その場に固まって動けなくなっていた足を一歩前に出した。


と、その時。



「なにやってんだ?育子」



ドキッとして背中がピンと伸びる。


振り返ると、整った顔立ちの男の子が学ランを着て肩にカバンをかついて立っていた。


朝、家で見た顔だ。


翔平ーーーーー。


わたしの、弟。


「なんで入んねーの?」


不思議そうに聞いてくる翔平。


「あ……えっと……。なんかちょっと考え事してて……。あ、きょ、今日は部活ないの……?」


とっさになんとか返答する。


翔平はサッカー部だ。


いつもは大体18時半とか19時頃に帰宅する。


わたしは、まだ見慣れない弟に問いかけた。


「今日は休み。っつーか、育子悩み事?」


そう言いながら、さっさと玄関のドアを開ける。


そして、開けたままわたしを見て、早く入れとアゴでうながした。


「あ……ありがとう」


流れで、わたしはそのまま小走りで玄関のドアをくぐった。


まだ、心の準備ができてないまま勢いで家の中に入ってしまった。


でもーーーー。


翔平が来なかったら、わたしはいつまでも自分の家に入れなかったかもしれない。


「なんか悩み事あんなら、相談のってやるぞ」


翔平が靴を脱ぎながらサラッと言った。


え……。


「あ……ありがとう。大丈夫……」


「ならいいけどさ。あー、腹減ったー。ただいまー」


翔平が玄関に上がり、リビングに向かってドカドカ歩いていった。


あ……。


ひとり玄関にポツンとたたずむわたし。


早くわたしも入らなきゃ……。


ドキドキしている心臓をおさえながら、静かに靴を脱いで玄関に上がった。


「た……ただいま」


控えめの『ただいま』


自分の家なのに、心の中ではどことなく『お邪魔します』と言ってる気持ちだ。


おずおずとリビングに向かい、カチャ……と静かにドアを開けた。


「ただいま……」


「あー。育子、おかえりー」


新しいお母さんが、キッチンでなにやらせっせか作業していた。


お母さん……なんだよね、この人が。


「今日はちょっと遅かったわねー」


いつもは学校が終わったら寄り道もせずに真っ直ぐ家に帰ってくるわたし。


今日は、土手で寝転んでちょっとひと休みしたり、ケンくんと話したり、ゆっくりゆっくり歩いてきたり、なかなか家に入れずにいたりしたから。


わたしにしてはいつもよりちょっと遅い帰宅だった。


「う……うん。ちょっと今日は疲れちゃってゆっくり歩いてきたから……」


「そう。それはそうと、あんた今日お弁当忘れたでしょ!」


お母さんが半分呆れたようにちょっと笑いながらあたしに言った。


「あ、うん……。うっかり忘れちゃって」


「バカだねー。で、今日のお昼は?購買のパンでも買って食べたの?」


「うん……。食べた」


「明日は忘れるんじゃないわよー」


「うん……。あ、せっかく作ってくれたのに持って行くの忘れちゃってごめんね。お……お母さん……」


「ホントよー。お弁当も持たないでバタバタ飛び出してくんだからー。お母さん、お昼に食べちゃった。お弁当ってたまに食べるとなんか美味しいもんだね」


お母さんがイタズラっぽく笑った。


その笑顔を見て、わたしの緊張も少しほぐれた。


「だね……」


わたしも少し笑顔になる。


そんな会話の中、制服のままテレビ前のソファに座りながらバリバリポテチを食べている翔平が言った。


「育子の弁当オレ持って行けばよかった。かーちゃん、弁当の量もっと増やして。オレ、今育ち盛りだから」


「そうらしいね。はいはい。わかったよ」


笑いながら話すお母さんと翔平。


そんなやりとりを見て、少し心がなごんだ。


さっきまでドキドキ鳴っていた心臓も今はだいぶ落ち着いている。


……まだ見慣れない家族で、正直まだ違和感もあるけれど。


なんていうか、どこにでもいそうなあたたかい家族の雰囲気のようなものが感じ取れた。


お母さんも翔平も、見た目こそは全くの別人だけど、中身というか……人柄的なものは、元の前のお母さんと翔平と割と似たような雰囲気で。


全く別の知らない家族……といった様子ではないことに、少しホッとしているわたしがいた。


……お父さんとお姉ちゃんとは、朝会ったきりでまだ全然しゃべってないけど、きっと2人も前の2人と似たような雰囲気なんだろう。


この見知らぬ顔ぶれに慣れるまでには、まだしばらく時間がかかりそうだけど、なんとかやっていけそうな気がした。


わたしはいつもどおり、洗面所で手を洗い鏡を見ながら静かにうなずいた。


大丈夫。


これが今のわたし。


ここがわたしの家。


「……じゃあ、部屋行くね」


わたしはリビングのドアを閉めて、小走りで2階へ駆け上がっていった。

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