第5話

川の字状に並んだ3棟の校舎のうち、南に面した棟の一階。そこが保健室だった。

担当の教諭は離席しているらしく、ベッドで休んでいる人を除けば、部屋には私と彼女の二人きりだった。

「……助かったわ。同じクラスにおったやんな?名前なんやっけ?」

「黄っていうの。黄恋春ファン・リンチュン。さっきのは猿に出会ったとでも思っておけば良いから」

そう言いながら笑う彼女は、絵に書いたような中国系の顔立ちの美少女だった。グラマー、という形容詞そのままな体躯に、小さな顔。そして、シニヨンにした亜麻色の髪が器量の良さを際立たせていた。

「平坂さん、慌てて教室出てっちゃったけど……何かあったの?」

「えーと……自分と同じクラスにおるはずの人を探しとんねん。男子なんやけど、親が昔馴染みらしくて、サボっとらんか見張っといてって頼まれてしもて」

「そうなんだ……その人の名前は?」

「土岐湊って言うんやけど」

「俺の知り合いにそんなダウンタウンみたいな喋り方の奴はいなかったはずだけどなぁ」

突如、カーテンで囲まれたベッドから男の声がして、カーテンが開かれる。

ベッドに横になっていたのは、探し周っていた警護対象である、土岐湊その人だった。

「湊……いくら成績良いからってサボりすぎ。出席足りなくなっても知らないよ」

「二人は知り合い?」

「黄とは中学からの付き合いだよ」

私の質問に、黄ではなく土岐が答えた。

事前に読み込んだ資料によれば、中学時代に黄が土岐家の近くに引っ越してきた事がきっかけで交友が始まったとあった。事前情報と齟齬は無さそうである。

「……ごめん黄ちゃん!案内してもらっといてホンマにごめんなんやけど、この人と話があるから、ちょっとの間外してもらってもいい?」

「え、うん。いいけど……平坂さん、気をつけてね?」

「……気をつける?何を?」

「やっぱ何でもない!いざとなれば、大声を出してくれれば良いよ!」

黄さんは、少し顔を赤らめながら保健室の外へ出て行った。それを確認した私は、鍵を締める。スマホに素早く文字を打ち込むと、土岐に見せた。

「私は土岐家現当主の依頼で陰陽庁五行機関から派遣されてきました。これから、貴方の誘拐を画策する工作員の排除が成されるまで、貴方の護衛を務めます。これが私の連絡先です……

……それと、今後はいくつか守ってもらいたいことが。

第一、私の許可無く自宅敷地外へ出かけない事。

第二に、居場所は以前から使用していただいているウェアラブルGPSを追跡しますが、外出時には常に私を同行させてください。

第三に、命をかけて貴方を守りますが、前提として貴方自身の自制も必要になってきます。

重要なものは以上です。他に細かいものは貴方の端末に転送しておきます。

質問はありますか?」

土岐は口笛を吹くと、自分のスマートフォンに手早く文字を打ち込んで見せてくる。

「無いよ。写真で見てたより可愛い人が来たんでびっくりしちゃった。頑張ってよ」

「疑わないのですか?私が貴方を誘拐しようとしている犯人の可能性もあるわけですが」

「事前に資料はもらっているし、このタイミングで対象に接触してくる人間が一番疑われるのにそこに合わせてくる誘拐犯もいないでしょ。それに、アンタらの世界じゃ保障って二文字は存在しないって聞いたけど」

以前からこうした危険にはさらされてきていたからなのか、この程度は慣れているらしかった。

「わかった。これからよろしく……黄さん?ごめん話終わったから!」

テキストではなく発声での会話に切り替える。

「それはそうとさ……」

土岐はおもむろにベッドから立ち上がると、つかつかと私に歩み寄ってきた。あっという間に壁際にまで追い詰められる。

「ん?……んん???」

「一目ぼれしちゃった。僕と付き合おう」

思考が一瞬フリーズする。

「……あ?えっとごめん聞こえへんかったもっかい言うて」

「一目ぼれしちゃった。俺と付き合おう」

「唐突ぅ!!!そんなもんお断り……」

だ、と応えようとした私へ、土岐が目くばせをしていた。その視線の先には部屋に戻ってきた黄さんがいた。

つまり、表向き『そういう関係』としておいた方が、何かと都合がいいだろう、ということらしかった。

「……へぇ。一目惚れねぇ。ええで。付き合ったるわ」

「え?ちょっ、湊?平坂さん???」

「もうちょい渋るかと思ってたんだけどな。それじゃぁ……」

「ただしいくつか条件があるで。それ守れるんやったら付き合ったるわ」

「それって?」

「一つ、連絡の間隔を睡眠以外で1時間以上開けない事。

一つ、家族以外の人間と、私の許可無く出かけない事。

一つ、週に一度は私をデートに連れて行く事。

一つ、常に自分の居場所について私に知らせる事。

……これが守れるんやったら付き合ってあげてもええで」

「平坂さん!!??平坂さんって、病んでデレてしまっているとかそういう属性の人だったの???」

黄さんには盛大に勘違いされてしまったかもしれないが、身辺警護で必要な四六時中行動を共にする事の不自然さをカバーすることを考えると、こうせざるを得なかった。内心不服の極みだったが。

「そんなんでいいんだ。OK、それじゃあ今日から僕らは恋人だね!!!」

何で少し嬉しそうなんだこの男はもう少しプライベートが失われる事への不平不満感とか出さないのかというか本当に恋人が出来たみたいな反応するんじゃない。

「あ、え、あぅ……そう、ですねぇ……???」

「そんじゃこれ僕の連絡先ね!後で連絡するから!」

土岐が去った後、私の手元のスマホにはきっちり彼からのはじめてのメッセージと、ウェアラブルGPSからの位置情報通知が届いていた。

「あの、平坂さん……大丈夫???」

私は諸々自分の想定を裏切られた事と(建前上とはいえ)人生初の恋人が出来てしまった事に対して混乱しつつ、至極落ち着き払って泰然自若を絵に描いたように答えた。

「どないぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ?????」

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