第3話

M県I市立雲雀ヶ丘高等学校は、東側を山、西側を海に面した市街地のある平野部が挟む丘陵地の中腹にあった。

南に向けてちょうど三の字のように並んだ3棟の校舎と、グラウンド、部室棟、体育館、武道場を敷地内に持ち、普通科、情報科の2学科を備えており、特に情報科に関しては国内難関国公立大への高い進学率と就職率を誇る事で有名だった。

その3棟の校舎の最南端2階の一室。そこが私が潜入した情報科2年1組の教室だった。

「……現代の暗号の一部は、このように、素因数分解の困難さを暗号の安全性の根拠に置くものだ。

とは言っても、量子コンピュータの普及に伴い、それも過去のものになると言われている。

では、今日の一問だ」

ホームルームが終わった後の一限。担当の数学教師の趣味らしい数学蘊蓄から授業は始まるらしい。面食らっている私に対して、他の生徒は当たり前のように話を聞いていた。

「自然数85401479の素因数は何か?答えられた者には……」

「9697×8807」

講師が話を終える前に、回答を出した者がいた。声のした方を私は見やる。

混じり気のない黒髪の下に、猫を思わせる大きな目と高めの鼻梁が小さな顔の上で絶妙なバランスで配置されている。色の白さを線の細さから、恰好を整えれば女性に見えなくもない容姿。

今回の警護対象者、土岐湊の姿がそこにあった。

「……正解だ。土岐、たまには他のやつに回答を譲ってやったらどうだ?」

「先生がもう少し骨のある問題を出してくれれば考えますよ」

周囲の人間は慣れているのか、ため息をついたり無関心にテキストに目を通している者が大半だった。しかし、計算機も筆記も用いない暗算で1秒かからずにあの素因数分解を正確に行えた事がいかに異常であるか。それを理解しているのは私と教師、そして回答した土岐本人だけだったろう。

授業が終わり、2限が始まるまでの間に今後の警備計画について少し話をしておこうと、土岐の姿を探した。しかし、いつの間にか土岐は姿を消していたのだった。

「しまった……‼」

着任初日に警護対象を見失う間抜けと呼ばれてはたまらない。

私は即座に教室を飛び出した。

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