第2話
「お前いつ見ても生傷が絶えない奴だな平坂。桐谷が海外だった日にゃ、今頃あの世だぞ」
髪をオールバックに撫でつけ、痩けた頬に眠そうな目をした中年の男が私を見ながら言う。
その日の夜。寂れた雑居ビルの一室。『古物商嘉神』と扉に書かれただけの事務所に私はいた。
中央にテーブルとソファ、壁際には怪しげな皿や壺、書籍が並んだ棚が置かれ、窓際にパソコンの乗ったデスクがあるだけの殺風景な部屋だ。
車に轢かれた少女の傷を身代わりに受けてなお、私が生き残れた理由。それは、私の所属先のお抱え呪術医による治療を受けられたからだ。その手腕ゆえに、海外の任務に駆り出される事も多々あったが、今回はたまたま日本にいたらしく、その恩恵に預かれたというわけだ。
「……ええやないですか、別に。それで、今回は?
三角巾で右腕を吊り、仏頂面で私は答える。
「そう律儀に店長呼ばわりしなくていい。あと、そう怖い顔しなさんな。綺麗な顔が台無しだ。そう難しくない警護任務だ」
そう言いながら、彼は私に封筒を手渡す。
取り出すと、履歴書のように人の名前と顔写真が載った書類が十数枚入っていた。しかし、それが履歴書などでは無いことを、その人間の趣味趣向から友人関係、病歴に至るまで網羅した文面が物語っている。
「土岐一族の次期当主ですね。私設の護衛が付いてる筈ですけど、なんで私が?」
嘉神支部長は「そういう情報実家から流れてくるのか?次からお前さんに渡す資料もうちょい省略していい?」と目を丸くしている。
「
暗号屋。人の心を読む怪異『サトリ』としての異能を、暗号解読と作成に特化させて生業としてきた一族のことだ。
現代の通信網において、暗号電文などはその役目を終えて久しい。したがって、現代でいうところの暗号屋の仕事とは、ネットワーク通信等における暗号化された通信の傍受や解析、厳重なセキュリティが組まれたデータベースへのハッキングまたはその逆を担う生業である。
そんな暗号屋の業界において、サトリの異能を用いる暗号解読やクラッキングの手腕は伝説とまで評されていた。もちろん、それは自分たちの味方につければ、の話である。その手腕を手中に収めるか、さもなくば物理的社会的あらゆる手段を持って排除せんと命を狙われる事が多い種族。それが、現代におけるサトリという怪異達だった。
そのある一族の子の護衛に、高校生に擬態してつけという事らしい。160に満たない身長、短く切った黒髪が乗った童顔。齢19にもなって子供の頃とそうかわり映えしない、そんな自分の容姿が適任と判断されたらしい。
「相手は?直近だとウォッカ漬けの連中にいいようにやられたって聞きましたけど」
「……それを掴ませてくれないあたりが、今回お声がかかった理由だよ」
嘉神は意地の悪い笑みを浮かべ、毛ほども笑っていない目を私に向けつつ言う。
「承知しました。明日からですね?装備は?」
「いつものように手配済みだ」
私が書類に目を通し終わり、机に置くと、書類は瞬く間に炎に包まれ、灰も残さずに消えた。
「
扉を開けて事務所を出ようとした私が振り向くと、嘉神店長、もとい嘉神支部長が鋭い目をしてこちらを見ていた。
「いいな。毎度言うようだが、3年前の二の舞になるようなら……」
「私も忍の一族の末裔です。この一命に替えても、任務は全うしますよ」
それだけ言い残すと、私は部屋を後にした。
電子の海が世界中にその窓を開き、機械仕掛けの知性が産まれ落ちる現代。
その影で、連綿と続いてきた怪異、異能、魔術師らによる血塗られた闘争と謀略の歴史の最先端。
文明の光によって尽くがまやかしや既に絶えたものとされた陰陽道や忍者、妖怪が密かに集められ、諜報の影の牙となった五行機関。
その一角。忍びの一族の末裔の一人にして、陰陽庁五行機関東部方面支部の一機関員にして伊賀流に属するくノ一。
それが私、平坂輝の現在だった。
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