shape four 油断大敵

三日後、大西エリが学校に登校した。

彼女の取り巻きたちは彼女の復帰を祝いはあれど、非難することはない。担任も含めた全ての人間がそうだった。

リサは大西エリに注目する。以前の大西エリを注目していなかったから、違いは分からない。ただ少しダルそうにみえる。休日明けというのは大体そのような傾向になりがちだが。

大西エリは白髪のボブの主張が激しい。低身長ながら、背筋のいい立ち振る舞いから察するにすさまじい筋力を秘めていると想像できた。

なによりも目を引くのが隠し切れない獣性であった。少しでも彼女の内面に触れたものはかみ殺すだろう。ユカコの話を聞く限りではそのようなケースがあきれるほど起こってきたらしいが。

彼女から染み出している空気は怪物と似ている。リサは怪物が平然と学校生活に潜んでいる現状ほど狂った世界はないように思われた。もちろんリサにとってこの土地は異国でしかないのだが、それでも尊重されるべき命は数えきれないほど存在する。

昼休みにリサはエリの取り巻きに空き教室に呼び出された。一階の科学準備室だ。

ユカコにその話をすると私も付いてくると張り切りそうなので伏せて置いた。

そこにはエリと特に仲のいい女子三人とエリ本人が居た。

「こいつがエリちゃんのこと嗅ぎまわっていたの」

「都会育ちだからって鼻高くしてもそううまくはいかないわよ」

圧倒的強者の陰で思う増分鼻を高くした三人は好き勝手にリサをいたぶろうとする。リサはその手に乗る気はみじんも思わないので、逆に三人に対してやり返す。三人は思わぬ反撃を喰らい、慌てふためいてエリに助けを求めるが

「……」

エリは無言でリサを見つめ続けるだけだった。まるで爬虫類のような、純粋な欲望以外は剥ぎ取られた目つきだ。三人はすっかり意気消沈している。

「なんておいしそうなんだろう」

エリは一言呟き、舌でペロリと口元を舐めた。リサは視線を離さない。

エリは何もしなかった。彼女は高笑いをしながら部屋を出ていった。

人間としてまともな感性がそこにはなかった。間違いなくエリは戦闘狂で、怪物だ。

意気消沈していた三人は腰を抜かしながら、踊るように室外へと姿を消した。彼女たちもああすることでしか生きることは出来ないのかと思うと哀れに思えた。

三人がいなくなってからもリサは思索に励んでいた。すると部屋の片隅で古びれた教科書がどさりと地面に落ちる。

「うってってって…」

何事かとみているとカナタが床に尻もちついて痛そうに頭をさすっていた。いつからいたのだろう。そもそも学校にきていたことに驚く。今日も欠席だなとあきらめていた。初めて出会った空き教室を伺っても姿はなかったから。

「大丈夫?」

リサは話しかけるが、返答はない。だいたいからしてカナタは物事に対して無関心のようだ。

「大北さんって、埃が居眠りしそうな部屋が好きなんですね。私、あなたに会いたくて毎日学校に来ているようなものなのに、それなのにこんなところにいるなんてびっくりです」

少しの嫌味と愛情をこめてリサはつぶやくが、カナタには伝わらない。めんどくさそうに体の上の教科書をずらして、お昼寝タイムへ突入している。ぼさぼさに撥ねた黒髪が妬ましい。

「あなたのトランペットが聞きたくてたまらないのです。聞かせてほしいです」

カナタはすっかり眠ってしまった。天下泰平のいびきをかいている。

邪気のない寝顔をみてリサはため息を吐く。今日という日を迎えるまで、自然なカナタとの出会いを待っていたが、それを迎えてもこのように二人は近くて遠い。カナタに周囲への興味があればいいのだが、リサの知る限り天下泰平のいびきのように、淡くくしゃくしゃにそれは溶けていた。リサの小指に掛けられたトランペットは何の旋律も響くことなく寂しそうに床についている。

扉が開かれる。リサを心配してか、ユカコが不穏な表情で入室する。

「リサ、いるの。返事をして」

「私はここに居るわ」

リサの姿を確認し、ユカコは安堵する。間もなくして床にしょぼんと座るリサの傍にカナタが寝ていることを確認すると、表情を一転させた。ユカコは頭を掻きながら近づいてくる。ユカコはカナタの耳元で叫んだ。

「おっきなさあい」

カナタはユカコの大きな声に驚き、頭をあげた。眼鏡を忘れた人の様に世界がぼやけて見えているのかも。驚きの顔は波が引くように無関心へと戻る。ユカコはほっぺたを膨らませている。赤い林檎のように。

「授業ぐらいでなさいよ」

カナタは欠伸をしながら、ゆっくりと扉へと向かっていく。

通過されるのをユカコは見逃さない。袖を引っ張る。

「なにもかも台無しにさせる気なんか、私にはないからね」

カナタは面倒くさそうに目じりを落とす。

「うるさい。勝手にして」

カナタは湖で乱舞するようにユカコを振りほどく。

カナタはそのまま、トランペットを引きずりながら教室を後にした。

リサはユカコの顔をみる。ユカコの目には涙が溜まっている。

ユカコはリサの視線に気づき、涙を拭いた。

「こんなの、悔し涙よ」

ユカコはカナタの後を追うように教室を出た。

リサは一人、教室に残された。



正直言って体は万全ではない。しかし、リサは怪物から逃げるわけにはいかなかった。引くことも時には大事かもしれないが、若いリサにはまだそのようなことは出来ない。前進をやめればこれ以上先へはいけない焦燥感が胸に定着していた。

大西エリは恐らく今日、リサを待ち受けているだろう。怪物はいったいどこまで回復しているのだろうか。依然と同じ能力であるならば、リサの命もここかもしれない。

様々な予感で頭がはちきれそうになる。だからすべてを棚上げするように、今だけに陶酔する。

動物たちは静かだ。死を悟ったように。

リサはいつ怪物と出会っても戦える精神状態で夜を進む。

徘徊の速度を緩める。怪物ではなく、高山を見つけた。高山は白いマスクをずらしてたばこをふかしている。

高山はリサに気づき、愛想笑いを浮かべる。

「今日も散歩かね。元気だね」

「おじさんこそ、お元気で」

高山は嬉しそうに笑い、空を見上げた。月は何物にも隠されず、遠慮がちの光を照らしている。

「命ってなんだろうね。価値あるものかね」

高山は独り言のようにつぶやく。

「価値はあるに、決まっているじゃないか」

「お嬢さんは幸せなんですね。私は、結構生まれなければよかったと思っているんですよ」

高山はせき込む。この男の目的がリサにはわからなかった。リサはF国に関与する人間はどことなく国に貢献する意思なきものは亡き者にされるイメージがあるから、国の意思から遠い場所にある高山に末恐ろしい気配を覚えていた。

「高山さんは結構なご身分に思えるんですけれど。それでも人生にご不満をお覚えなんですね」

高山は苦笑いをする。

「身分なんて飾りさ。先祖代々からの贈り物に対する僕のご返答に過ぎないからね。

たった一つの魂が満足しない場合はよくよくあるのだね、事実として」

高山はリサの目をまっすぐに見つめる。

高山がF国に不満をもっていることは確かだろう。しかし、それが反抗そのものかというとそこまで言っているようには思えない。彼の言葉を額面通り受け取ると、彼の国への忠実に掬い上げられてしまうだろう。

高山はひょうひょうと不満を抱えながらも、行動に起こすことはないごく一般的な凡人なのだろう。彼みたいな人間は工作員にとっては毒だ。半ば似た意思を抱えているから、引っかかってしまい、エサとして食される運命を迎えるのだ。

これ以上、会話すべきではない。揚げ足取りにはご用心だ。

「君はハーモニカを吹けるんだね。この前、聞いたよ」

高山は全てをご存じなのだろう。リサは確かめられているのだ、彼の目的に見合うかどうか。見合わなければ通報されるのだろう。危険すぎる。

「私もね、昔楽器をやっていた。続かなかったけれどね。

知っているかい。この村には本当にすごいラッパ吹きがいたんだよ」

リサは高山の話に興味をもってしまった。彼がこれから先に何を話すのか聞きたい。

「トランペットですか」

「戦死したけれどね。僕は好きだった。音楽は世界共通だよね。ずるいよね。

だから、僕はこの村にこれて幸福ではあるのだよ。もちろん生前から抱えているような人生への絶望感は紛らわせないけれどね」

「高山さんって、絶望しきっているんですね」

「そうさ。前途ある若者にこんな話をするのは年長者としては気が引けるけれどね。僕という人間というのはそういう成分に包まれているのさ」

リサもまた、実のところ人生の意味について問うとわからない。白い霧が感覚を覆い、模索を拒絶されているような予感が絶え間なく続いており、いつか湿気の多い空気に喉を詰まらせて窒息死するのではないか。リサの人生の情景はそのようなものだ。

柔らかく明るい日差しは先輩が教えてくれた。先輩の存在だけが人生に変化をもたらせてくれていた。先輩が死んでからの人生は、少しずつ暗澹がよどみだしている。

リサは胸の思いをつぶやかない。この思いは誰にも漏らすことなく、死ぬだろう。将来伴侶になる人にも、指切りげんまんした親友にも。

「大北カナタはラッパ吹きの娘でね。僕は、彼女が彼のような、いやそれ以上の、あの青原ユキのような力を持っているのではないかとアタリをつけているんだよ。

だからね、深夜散歩するなじみの君にも協力してほしいだよ。彼女が前向きにトランペットを吹けるようにね」

色々と知らない情報を耳にしたが、高山がリサに近づいてきた理由は明らかにされた。要は高山は、自分のテリトリーを荒らすのは構わない。そのかわりに僕の欲望をかなえてといっているのだ。叶わなければ、取るべき手段を講じさせてもらうという脅迫だ。

リサは首を縦に振った。

「もちろんです」

高山は愉快に笑う。

「それは心強い」

高山の背後に黒い気配を感じる。怪物だ。

高山は胸にかけた空き缶にたばこを捨てた。

高山は無言でリサに笑いかけて、手を振り、闇へと消えていった。まるで怪物を呼び寄せたように高山は退場した。

怪物は何の躊躇をすることなく、リサへと向かってくる。リサはサーベルを構えて応戦する。

怪物の圧力にはじき返される。飛ばされながら、怪物の威力は以前よりも増しているのではないかと思われた。

態勢を取り直し、次の攻撃に備えるが、怪物は次手をうたない。

怪物は凝視するリサを確認する。

にたぁ。

怪物は好敵手の登場が嬉しくてたまらないと全身で喜びを表現している。リサにとってはただの仕事に過ぎないから、正直勘弁してほしいとため息をはく。もちろんそのような余裕はない。怪物はあっという間に背後にいた。リサは攻撃を受け流すのに精いっぱいだ。

まだ殺せない。今日もまた、倒すためではない闘いだ。普通に戦ったとしても敗戦濃厚というのに、どうしてここまで至難を極めるしかないのか。リサは特別闘いが得意ではない。初めの仕事でここまで戦闘が組み込まれているなんて人生の巡りあわせは不思議だなと思う。

リサは怪物が勢いに乗りすぎないように抗戦のバランス調整に終始し続けた。潜在能力の知れない怪物の底に生命がすり潰されないように夢中となって戦う。

しかし、時として偶然が人の命を簡単に決定してしまう。リサは極力動物がいない場所で戦い続けたが、ウサギがぴょんぴょん跳ねていた。リサは怪物の餌食にされないためにウサギを左手で抱きかかえた。怪物は遠慮しない。左手が不自由なリサは怪物の攻撃を防ぎきれず、右半身に重大なダメージを負ってしまった。

(ああっ、これはダメなやつだなあ)

気を抜くと意識が飛んでいきそうだ。血がボタボタと落ちる。一目散にリサは怪物から離れてウサギを安全な場所において、怪物へと攻撃する。スピードは先程となんら変化していなかったが、それもどこまで続くのかわからなかった。

戦闘離脱することを優先するべきであるのだが、怪物の攻撃はここが勝機とばかりに絶え間なく続いており防戦一方だ。

決断するときかもしれない。このままジリ貧に戦闘を続けていても、何も始まらない。ほんのごくわずかな隙をみつけたときに、大技を仕掛けて、怪物の攻撃の手を緩める。そして、そのすきに乗じて、逃亡を図るのだ。

リサは全身を汗吹かせて、耐える。怪物は本当に楽しそうだ。戦闘の痛みなど全く考慮しない無謀な攻撃は、怪物の圧倒的な戦闘センスに裏付けられている。リサは工作員としては合格点以上の戦闘能力を持ち合わせていたが、このまま組手を続けていると、必ずリサは敗北する。先程のウサギのように、リサは戦闘第一に動けていないから。

(いまだ)

連続攻撃に耐えきれずひるんだリサをみて、大きく振り構えた怪物。リサは胸元に隠し持っていた爆弾を投げて、爆発させた。もちろん怪物はひるまない。リサは爆発に身を焦がしながら、大きく体をスクリューさせて怪物が予期する部位をずらして回転を突撃させた。

リサは愛用のサーベルに呪文をしみこませて、怪物に差し込んだまま逃亡を図る計画であった。しかし、刺すはずだった部位に肉はなかった。まるで全身闇が敷き詰められたように空白だった。

計画は失敗だった。リサはなんてことなく怪物に全身を掴まれ、地面に強く撃ち落される。何度も。何度も。

全身が悲鳴を上げる。死がすぐそこまでやってきている。それでも、あきらめず生きるための算段を取り続ける自分はなんて健気なんだろうと半ば呆れた。

リサは地面に寝つぶれた。自分の身に何が起こっているのか見当もつかない。全身が赤ダルマのように火を噴いている。これでは命乞いも難しい。

新しい衝撃は自分の身には加わらない。一体どういうことなんだろう。何が起こったのかわからないけれど、確実なのはたすかったのかもしれないという希望だけ。

「すっごい姿だね」

なにかバカにするような笑い声が聞こえたような気がする。懐かしい音が遠ざかるように離れていく。リサは命を終える気配を覚えながら、意識を閉じた。

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