shape third 陰に住む男

散り切ったかのように思われた桜はまるでまた花を咲かせたように散っている。

まるで普通のように過ごすというのは骨が折れる。

リサは世の中に無関心そうに学校へと向かうが、ポーズをとることに精いっぱいで身体は悲鳴を挙げている。もし今、怪物と出会ったら確実に負けてしまう。

あの怪物は何者であるのか。単純に地方に出没する怪異であるならばその域を出ないので安心するのだが、F国の兵器であるのなら処理しなければならない。

今後の事を考えると気が重くなる。ただ倒すだけではない。今後同じタイプの兵器が登場したときに確実に処理する為出来る限り情報を集めなければならない。

リサは自身の身体がこの任務が終わるまで持つのかどうか不安だった。自分は死んでもいい。しかし、任務は遂行させてから。

教室に入ると、空気のバランスがおかしい。妙によそよそしいと思えば、やけにテンション高い。リサが妙に避けられているのは関係なく。

一体何事なんだろう。

「やー、やー、おひさ」

これまた妙にテンション高くユカコが近づいてくる。

「おはよう。佐々木さん。一体何事なの」

「ああ、この空気か。

ボスが連休体制に入っていますからなあ。鬼の居ぬ間に洗濯ではないけれど、それぞれに羽根を伸ばしてるんやなあ」

ボスとは大西エリのことだろうか。彼女も休んでいたのか。

リサはエリが何者か知りたかった。F国に彼女が特別選ばれた理由を聞きたかった。それは恐らく怪物の正体を暴くヒントが込められている。

朝礼が始まるまで時間がある。リサはユカコを中庭に誘う。ユカコは二つ返事で了承した。



中庭にも桜が咲いていて、桜の花は中庭を渦巻く風に運ばれて校外へと消えていく。

二人は丸太の椅子に座る。

「聞きたいことってなんや。私のスリーサイズか」

あっけらかんと冗談をいうので、リサはスルーして会話を進める。

「単刀直入にいうと大西さんのことです」

ユカコは不愉快そうに顔を歪ませる。

「あんな女のこと知ってもなんの得にもなりませんで」

「つまりあなたのスリーサイズを聴くことは有用ってことかしら」

リサがユカコに変に近づくと、口を隠しながら体をそらした。

「そんなに、知りたいの」

「だれも知りたいって聞いていないよ」

ユカコはほっとする。

「こんなところでかあいい私のスリーサイズを明かすわけにはいけないからね」

一体どこならば、彼女はスリーサイズを明かすのか気になるが追及しなかった。

ユカコは咳をする。

「どっちにしても、あの悪意そのものの野郎について知識を重ねても人生に足しになりませんよ。たった一度の人生なんだからもっと楽しく生きないと」

それは通常の人間ならば有用な意見であるかもしれない。ただリサには使命があり、そのために今ここに存在する。だから、

「わかっているよ。それでも聞きたいの」

有無を問わせないリサの視線にユカコは目を離せない。リサはユカコが見てきた人間とどこか構造が違うような、女の勘は働いていた。しかしそれが何であるのか、ユカコには想像もつかないものなんだろうなと思うから、深く掘り下げようとはしなかった。

「…っつ。うで、何を聴きたいのさ」

「大西さんのどの辺が優秀で特別であるんかってこと」

「どの辺っていうと、あの子は五感が優れているっていうか。私の知っている誰よりも物事を理解して、行動することが出来る。こういうと褒めているみたいでしゃくに触るけれど仕方がない。本当にそうなんだから」

リサは心の中で、あの怪物と大西にどこまで接点があるのか計算を始めていた。リサは知っている。世の中の暗部には世間一般で信じられているような当たり前なんぞいとも簡単に覆る事実に。だからそこらを普通に歩いている女の子が夜中には狼女になっていたとしても全く驚かない。

「でもね。あいつはそれ故にかもしれない。私とかあんたが持っている当たり前の人の心ってやつが、ないの」

「ない」

「そうよ。倫理観を損失している。結構若い時からお国から目をつけられていてね。彼女はかなり投資された人材なのよ。この村も学校も彼女のおかげで信じられない財政を手に入れたのよ。そういうこともあって、大人たちは彼女に口を出せない。彼女に口を出すことは国に反抗することも同義だから」

F国は自分たちの利益以外に目を向けない。関心の外に一歩でも出たならば、干からびてしまう。この村にとって若い人材が国に大いなる貢献を施すと認められること以外に国にとっての利益となるものは存在しないように思える。

だからこそ、それに見合う存在の機嫌取りに必死になる。まるで女王様に尽くすように。

「子供たちも同じなのよ。彼女を第一義に考えた環境にあうか、あわないか。あわなかった人間は残念ながら生きてはいけないのよ」

ユカコはそういうが彼女自身は合わせていないが、生きている。カナタもその類だろう。どのような環境であっても二極に簡単に絞ることは難しい。人は二人ではなく、五万と存在し、それぞれがそれぞれの思うままに生きているのだから。F国から独立した某国のように己の牙を守る為に生命を維持する存在だっている。リサは希望はあるのだと思う。そして希望をつないでいくことを大切にしたい。自分にどこまでできるのかわからないが、これもまた自分の使命のように覚えて。

「ここまでにしておこうか。取り巻き連中が面倒くさいし」

見渡すと大西と仲がいい連中が聞き耳を立てている。確かに一事が万事このような状況では好きにお話も出来ない。なんて生きづらくできているんだろう。リサはため息がでる。

ユカコはそれをみて笑う。

「ほんと、おかしいね」

リサも笑う。実におかしい。



その日の夜、リサは外の徘徊を再開した。

まだ体が回復していないのは重々承知ではあるが、徘徊を辞めてしまうことは自分の任務をこなさないのも同然だったので承知できなかった。

それにたとえ怪物と遭遇しても逃げきれるだけの体力は保持している。

今回の目的は怪物が徘徊しているかどうか確認である。

あの後ユカコから聞くには、大西エリは不定期に学校を一週間ほど欠席しているらしい。もしもあの怪物が大西であるのならば、彼女は怪物化する際に大きく体力を使ってしまい、回復するために休んでいるわけになる。

そうすると、現在怪物は外を歩いていないかもしれない。ただ、一定期間怪物でいるケースであると外を出歩いている可能性は著しく高くなる。

どちらにしても自分が確認しなければわからない。そもそも大西エリが怪物と決まったわけではないし。

久しぶりに徘徊するとやけに動物たちが警戒している。無理もない。ついこの間、野犬が一匹死んでしまったのだから。おじいさんが埋葬した野犬の墓の前では野犬たちが寂しそうにたむろしていた。

リサは胸がきゅーと引き締まるのを感じる。一つの生命が怪物のサディスティックな欲望でこと切れた。やりきれない。

怪物にも様々な意思があるのだろうが、過疎の村の更に人目のつかない夜中に果たす程度の欲望ならば、リサは許されるものではないと思う。国家に強大な意思を施すという名目で、それ以外の冒されざる聖域を簡単に汚していく。そのような特別ならば、破壊しなければならない。

リサは周りに神経を配りながら進んでいた。だから、いつのまにか目の前に男がいるのに気付いた時には驚いた。そのような失態を犯すような自分ではないことを理解しているから。だからこそ、リサの神経の間隙をついたこの男は並大抵ではないことに全身が冷や汗をふく。

ただでさえ、身体が本調子ではないのだ。怪物とはまた別の次元で能力の高い人間と闘うのは骨が折れる。リサは男から無事に逃げおおせるとは思っていない。

男は咳をする。カビた白いマスクが揺れる。しなびれたスーツ姿はどう見ても出来る男にはみえない。しわだらけで青ざめた顔に、白髪交じりの風体はどう形容しても働き盛りの人間には思えない。今すぐ救急車を呼びたくなる母性をくすぐる不安定さがある。

そうではあるのに、どのようにしてリサの神経をかいくぐってここまできたのか。この男は暗殺者であるのか。ならば、失格にもほどがある。暗殺者ならば、殺されてすら気づけないほど自らの価値を無へ落とし込まなくてはならない。

高騰しかねない謎の男に対する価値はようやくにして歯止めがかかってきたが、だからといって一筋ですら油断はしない。いつ首が落ちてもおかしくないのだから。

男は臨戦態勢のリサを無神経になめまわしている。まるで女と別離して数十年過ごした旅人のように。

「私、あなたが思っているような人間ではありませんよ」

男はしわがれた声で話す。リサは返答しなかった。

「寂しいなあ。会話できないと対面する意味はないのでは」

男の正体がつかめない。この男が人間であるのかもわからない。しばらくは無言を続けようとリサは決心した。

「…」

b男も口を閉じてしまった。男は両手をポケットに入れて、気まずそうにうつむく。それでは男子中学生だ。そのような態度をとられるとリサはまるで自分が場違いな行動をしているように錯覚してしまう。もちろんはたからみるとパジャマな不良中学生が常識外れの時間、深夜徘徊に慣れ親しんで、業績不振なセールスマンがとち狂って、異常な時間帯に自宅訪問を仕掛けているのを見つけてとっちめいているみたいではないか。リサはどうしてか羞恥心で顔を赤くした。

「私はですね、国家の犬ですからね。こういった時間にでも普通に出歩いている男なのですよ」

男は顔を逸らしながら、話す。

この時間帯に出歩く人間はだいたいからにしてろくでもない野郎だ。F国の犬、その目的はなんだろう。

「はじめまして。私の名前は高山といいます。今後、お見知りおきを」

男は胸ポケットから名刺を出して、リサに差し出した。

F国総務省職員。高山ショウジ。

年齢不詳(ご想像にお任せします)。

独身。

恋人募集中。

いらぬ情報がごまんと明示されている。分かる事は高山は某国と敵対する存在であること。

リサは特に差し出す名刺はないが、礼儀上何もしないのはまずい。なにか負けた気がするが、気にしないで自己紹介をする。

「悠木リサ。女子中学生」

これ以上、伝えることはない。男は感服したようで、拍手をした。

リサは無性に背中がかゆくなる。

「最近の女子中学生というやつはよく外を歩くんだな」

「そうなんですか」

興味深い情報を男は話す。それは釣り針でしかないだろうが、引っ掛かった所で何の問題もない。

男は思いがけない回答を頂いたように唖然としている。いや、その反応は違うやんって、リサはずっこける。

「君はよく深夜徘徊してそうなんだけれど、君のほうがその辺の事情に詳しそうで僕を聞きたいことがあるんだけれど。お呼びではなかったかな」

まったくもってその通りである。だからと言って話を打ち切るのも興が逸れるので話を続ける。

「少なくとも女子中学生事情については私の方が詳しいわよ」

全くの嘘である。絶対に男の方が詳しい。

「いやね、私はね、トランペットの女の子。知っているだろう。大北カナタ。彼女に私の想いを伝えたくてたまらないんだよ」

男の口からカナタの名前が出てくるのは驚きに値する。リサにとっては先輩と似た部位が存在するように思えるので、自然と意識してしまうだけではあるのだが。そもそも先輩、青原ユキと重なる部分を感じさせるだけで並大抵の人間ではない。

青原ユキは某国、いや世界にとってかけがえのない人材として産まれた。彼女は新時代の歯車の一つだった。そして、今の世界は歯車を一つ欠けて回り続けている。

もちろん一度しか見ていないカナタの姿は、リサの知る青原ユキの姿とはあまりにも違いすぎるのだが。

だから男の口からカナタの名前が出ることはリサの胸の希望に栄養を与えるのも同然であった。F国の人間ではあるが、ユキのような力を彼女も持ち合わせているのならば、未来に対して希望が生まれる。

男がカナタに対して何を期待しているのか、リサは知らなかったがそれでも男に対する印象が変化した。

危険な期待だが、敵ではあるがこの男にも従来のF国とは違う意思が潜んでいるのかもしれないと。

「想いって何ですか」

リサは高ぶる胸の想いを潜ませて聞く。

男はリサの態度を信じられないように笑う。

「君はあの子の演奏を聞いたことのない人間か。それはかわいそうに。彼女の演奏を聴いた人間ならば、間違いなくこう思うだろう。この才能を殺せる資格を持つ人間はだれ一人存在しないと」

「それはわかります」

「君は聞いたことがあるタチなんだね。そして、私は彼女に未来を提供できる人間なのでね。この村の連中、彼女も含めて誰一人も芸術的感性を持ち合わせていないようで、私が動くしかないわけなんだが。私の話など彼女は耳を貸してくれないのだ。もどかしい。もどかしくてたまらない」

男はため息をはく。

その時トランペットの音がかすかに響いた。間違いない。カナタの演奏だ。

演奏に胸を震わせた男は両手をパッチンと鳴らし興奮を隠さない。

「この通り、彼女は夜中にトランペットを時々吹くわけなんだよ」

音のする方へ、男は駆けていく。リサもついていくが、音はすぐに止む。

男は残念そうに両手を顔にあてた。

「いつだってこうなんだよ。どれほど素晴らしい才能も花を咲かせなければ、散ってしまう。彼女が拒絶する限りはいつまでも、なんだよ」

男はそう言い残して、闇に消えた。

リサは男が本当に周りからいなくなってしまったのかわからないが、だからといって行動をやめるわけにはいかない。どうせ男に想像通りの能力があるならば、この程度の情報とっくに掴んでることだろう。リサはカナタのいるであろう場所へ全力で向かう。

しかし、そこにカナタはいなかった。

リサは呆然としながらも、もしかしたら狐に騙されたのではないかと不安になった。あの男が幻のはずはないと思うのだが、事実音がした場所に誰もいない現実を思うと、そう考えるしない。

そこまで先輩のことを恋しく思っているのか。リサは胸に掛けている小さなハーモニカのペンダントを取り出し、吹いた。まったくでたらめな旋律が夜の空に消えていった。

今夜、怪物出会うことはなかった。やはりそう頻繁に出歩いていないんだろう。

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