8

競技場をドーム状に包み込む灰色の空間。

同じ観客席から向かい側の観客席を見ると灰色になっている。

観客席にいる人たちにもちゃんと色はある。

灰色になったのは二人が戦っているところと、一人の少年だけ。

観客席の音も遠く感じる、戦っている二人はもっと遠い。

魔術がぶつかり合う音、二人の体が空間を引き裂く音、どれも音はない。

聞こえるのは、雪を踏む足の音。

妙にそれが、観客席にいる人たちを虜にした。


周一の目の前には青い狼がいる。

先ほどまで、人狼のような姿だったが、人間と呼べる要素は何処にもない。

耳が三角に尖り、尻尾もある。

口には鋭い牙、それぞれの足には鋭い爪。

綺麗な青い体毛、体長は約四メートルの巨体。

気高く、美しく、正しい姿だった。


ゆっくり、ゆっくりと青い狼は周一に向かって歩いていく。

雪を押し固める音だけが響く。

その様子も見て、周一は急いで後ろに飛びのこうとするが、距離は短い。

魔術で強化していない人と同じような距離しか飛べない。

周一は腕を振り、その場で足を踏んで魔術を展開する。

薄い光の円が波紋のように広がっていくが、この灰色の世界では無意味だった。

円は灰色になって、雪と一緒に消える。

周一が持つ魔術、色では何もできない。

周一は後ろに走り出す。

自身の耳には、息を吐く音、雪踏む音しか聞こえていない。

後ろから静かに追ってくる。

ゆっくり、ゆっくりと獲物を追う足音、獣のような息遣い、本能を奮い立たせる殺気。

見ただけでは感じ取れない巨大な存在。

周一は、足元の雪を振り払いながら、見た目も気にせず、ただひたすらに後ろを向いて逃げる。


この灰色の世界で、俺の魔術は無力。

強化魔術すらほとんど意味をなさない。

魔術で対象すら捉えることが出来ない。

こんな事は初めてだ、何もできない。

研魔はもう少しだもう少しで終わる。

目に見えることが全てではない。

ひしひしと後ろから強大な存在を感じる。

そして、俺は俺の体を見た後に、一瞬後ろを振り向く。

俺には色がない、灰色だ。

だがあいつはどうだ、青色だ。

色がある、そして美しく輝いて見える。

俺の色でこの世界を生き残ることは難しい。

ただ黙ってやられるのは最悪だが、出来ることと言えば抵抗と自然に身を任せるだけ。

今のちっぽけな力では何もできない。

俺も色が欲しい、お前と同じ輝く色が欲しい。

そんな周一の願いは虚しく、白い雪が舞う灰色の世界に溶け込んでいく。


とうとう、周一は競技場の隅まで追いやられてしまった。

青い狼はゆっくり、ゆっくり歩いてくる。

決して走りはせず、静かに獲物を追いやった。


周一の体には三本の輪。

逃げるさなか、研魔を終えて、自分の魔術を展開していた。

周一が信じる輝きと絶対的な力を向けた。

しかし、青い狼には効かなかった。

周一にとって、この灰色の世界は残酷だった。

周一の魔術のありかた全てを否定する世界。

魔術は灰色になり、輝かない。

魔術で描く円も灰色になり、周一の胴体を巻く円ですら灰色になる。

光り輝く円は存在しない。

周一が追い求める輝きは、周一にしか見えない。

輝きは、その中に閉じ込められてしまった。



志津河しずかは観客席で、追い詰められていく周一を祈るように、指を組んで見つめていた。

新人戦だけは直接見れなかった。

師匠との戦いの日々、火鉢での試験、国内戦、そして色高戦。

いつも距離は関係ない、たくさんの戦いを見てきた。

周一が負ける姿、勝つ姿、悔しがる姿、嬉しがる姿。

師匠と周一と一緒に修行した日々を思い出す。

輝きに貪欲な周一がこれで終わるはずない。

このまま灰色の世界で終わるなんて周一らしくない。

周りはもう終わりだって、雰囲気を出してる。

まだ終わりじゃない。

私は信じてる。

魔術の輝き、周一の輝く姿。

一番近くで見守ってた、私が知っている輝き。

私は信じてる。

私の中から熱いものが自然とこみ上げてくる。

志津河はただ信じて、戦う周一を見つめている。


もう絶対に逃れない、距離。

青い狼は立ち止まる。

倒す前の決まり事。

そう思わせるほどの洗練された優雅な動きだった。

周一に、静かに左腕が振るわれた。

人を壊すのとは裏腹に、それは静かな行いだった。


周一はその無慈悲な左腕が振るわれると同時に、自分の不甲斐ない姿に腹が立った。

無力、あまりにも無力だった。

研魔が終わっても何もさせてもらえなかった。

これじゃあ堅狼に勝ったなんて本当にまぐれだ。

致命傷も受けず、一方的に俺が優位な状況で勝ち切った。

あの時は出来すぎた、調子も、思考も何もかもがよかった。

だが、その結果がこのざま。

俺はこの腕に振るわれて終わりだ。

俺に輝きなんてない。

魔術を使うのにあれだけの手順を踏んで、ようやくまともに使える。

循環と色の波長を合わせること、研魔して、ようやくだ。

普通の魔術師ならどちらか出来れば一流になれる。

俺はその両方をやっても一流に届かない。

もどかしくてしょうがない。

圧倒的な力、魔術があるなら使いたい、使ってる。

輝きが欲しい、色が欲しい、

俺に色を輝きをくれ。


――無慈悲な左腕によって周一の体をは引き裂かれた


爪により引き裂かれた、右腕と腹部。

千切れそうな右腕、骨が少しはみ出した腹部。

雪には、その血が乗り移り、赤く浸み込む。

残酷なこの世界は、周一がいたことを赤でしか表現出来ない。

だが、ぼろぼろの体で周一は立ち上がった。


痛みすらない。

右腕は千切れそうだ、何とか、くっついている。

腹はなんか違和感。

なんか通り過ぎる妙な感触がする。

腹がすーすーする。

まだ意識がある。


思考は冷静だった。

何でそれを思い出したか分からないが、思い出した。

そうだ、堅狼と戦っていた時。

一つの円に執着した。

そして、俺の理想とする輝きを追い求めようとした。

決して欲しいのは、最強ではない。

剛牙が言う最強は俺には存在しないし、俺は持っていない。

最強がいらないわけじゃない。

もっと別のものが欲しい。

強く求めるのは、強さと輝き。


堅狼を倒した時もそうだ。

強さと輝きを求めた。

何故かは思い出せない、方法も手順も。

だが、俺はその形が正しいと知った。

俺は何をした、何をしたんだ。

何をしたかは思い出せない。

ただ俺は求めたんだ。

こうしちゃいられない。

倒れているのは終わりだ。

痛いのは痛い。

関係ない、俺は負けない。

魔術の拘りも捨てる。

俺が欲しいのは、


瞬間、俺の目の前には、光の道が見える。

その道が正しいと信じて、俺は歩き始めた。

そこに思考はない、ただ歩みを進める。

脳では覚えていない、あの感覚を体が思い出す。

正しい事だけが、俺を包み込んでいく。

そこにある真実を俺は見つけ出す。

ふと赤華音あかねさんの言葉を思い出す。


俺は思わず、叫ぶ。

この灰色の世界でそれが聞こえるかは分からない。


「赤華音さん!!!」


そして、周一の足元に真実の魔術が広がっていく。


来賓席にいた赤華音は即座に何が起こるか把握していた。

赤華音が魔術を展開する。

ぼろぼろの周一を見ても、その戦いを止める様子はない。

自身がやるべきことは分かっていた。

すぐに競技場に向かって走り出す。

赤華音がその魔術をのは二度目。

映像には残っていない周一が堅狼を倒した時の魔術。

赤華音はその魔術の手順を知っていた。


"世界の一端に触れた"

映像には残らない、実際に視ないと分からない。

恐らく、堅狼の息子もこの戦いで、直には触れてないけど視たと思う。

周一の場合は違う、直に視て触れている。

この世界自体がそれを認めるように、世界が周一を求める。

国内戦、展示会の戦いでそれを引き起こすのはいい。

でも、この世界で引き起こすのは反動がでかすぎる。

直接、周一の世界が現れてしまう。

せめて私の世界で中和しないと、下手したら火鉢市全体が染まってしまう。

日常のために動いている、に影響を及ぼす可能性がある。

実際に国内戦の魔宝陣は歪み一部を無力化した強力な魔術。

周一、よくこの約束を覚えてた。

そして、よく耐えた。

あとは自由にしていい、こっちも何としても食い止める。


周一とは違う手順で、丁寧に世界と繋がる。

赤華音の持つ滅却の魔術。

全てを滅する世界。

魔宝師と呼ばれる最強の魔術師が、競技場を紅く、黒く染める。


灰色の世界が突如輝き出した。

まるでめっきが剥がれるように、灰色のさびは落ちて行く。

周一自身、周りの空間、全てが光輝く。

足下には、綺麗な花模様の魔術。

周一が求めた強さの象徴。

そして言葉を紡ぐ。

「――――流転るてん、輝け」


この灰色に包みこむ空間、静かに振る雪を吹き飛ばしていく。

競技場を観客席を光の輝きが侵食する。

それが漏れないように、紅く、黒い世界がそれを阻む。

周一の魔術、剛牙の魔術、赤華音の魔術が衝突する。

輝きが生まれる。

輝きの音、輝きの匂い、輝きに触れ、輝きを見る、そして輝きの味を感じる。

周一の暴力的な輝きがこの競技場を包み込む。


血塗れで、ボロボロの少年は左手をかざす。

足元の花模様の魔術が青い狼を補足する。

周一をいたわるように、堅狼の時よりも、大きく広がる。


「――――流転、輝け」

かざした手の先に現れる。

29の楕円からなる、花模様の魔術。

58の接点が光り輝く。

輝きと、円環によって実現する。

生み出すは、光速の弾丸。


その弾丸は、青い狼に向かって飛んでいく。


弾丸は灰色の世界を輝きに変え、降りしきる雪に輝きを与える。

巨体に纏われている魔術を一つ一つ、輝きによって剥がしていく。

雪のような白い肌、体毛の隙間埋める雪、そして青い毛並み。

全てをはがされる。

一瞬で輝き以外の魔術を否定する。


圧倒的な輝きによって、剛牙の体は包み込まれた。

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