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週末、火鉢の屋敷。

華燐との修行第一回目。


目覚ましの音共に俺は起きた。

この屋敷のベッドは柔らかくて、寝心地よくて、いい匂いがする。

ふかふかのベッドである。

寝ようと思えば何時までも寝れる。

時計の時刻を確認すると、朝の五時。

二度寝したい欲が溢れ再び夢の世界へと誘おうとするが、頭の片隅にある一人の女の子の言葉が脳内に浮かび俺を現実へ戻す。

"私の修行に付き合って、色校戦まで"

その声の主から、朝早くから修行することを希望された。

普段なら絶対に断っているが、しょうがない。

国内戦の期間の間、火鉢には大変お世話になってしまった。しかも現在進行形で。

華燐には強化魔術の色のせのやり方を教えてもらった。

律儀な俺はどうしても、何かでその恩を返したい。

出来ることしか出来ない。

この事実は変わらない。

お金もなければ、社会的地位もない、一方相手は、お金も、社会的地位それに魔術師としても超が付くほど一流。

最近は国内戦で結果を残したが、今の俺にはそれしかない。

深く考えても仕方ないか、少しづつ俺が出来ることで返していこう。

さてと、起きますか。

そしてベッドから降りて、スリッパを履いて、カーテンを開けに行く。

窓から外の様子を見ると今日は雨。

生憎の雨だが、俺は別に雨は嫌いじゃない。


雨ならではの俺の楽しみ方がある、夕方晴れるといいな。

そう思いながら、服を着替え、稽古場に向かう。

稽古場に向かう途中、洗面台があるので、ついでに顔を洗う。


火鉢の屋敷の生活は慣れた。

火鉢の屋敷もひっそりと、朝の準備が始まる。

調理場からだろう、ご飯を作る匂いがする。

すれ違う使用人に挨拶をする。

これも火鉢の生活の日課。

洗面台に着いて顔を洗い、稽古場に向かう。


向かう途中には何時ものお嬢様と出くわす。

肩まで伸ばした赤い綺麗な髪、黒く光沢のように光る瞳、肌は白く、顔は綺麗に整っていて、凛とした表情をしている。

俺を見つけた瞬間その表情が少しだけ崩れ、笑みがこぼれる。

「おはよう、周一」

「おはよう、華燐」

そう言葉を交わして、俺の右隣を歩いてくる。

俺も年ごろの男の子、女の子と一緒にいてドキドキしないわけ無い。

いつ見ても綺麗な奴だ。

歩くと同時に、髪が揺れる、ほんのりいい香りがする。

女の子独特の甘い香り、華燐の匂いはリンゴのような甘い匂い。


何時からかは分からない、俺は匂いフェチだ。

ドブのような気分が嫌になる匂い以外は全て好きだ。

とくに激しく主張する匂いではなく、ほんのり匂いがするものがいい。

外でも家でも、よく一人でいる機会は訪れる。

魔術の修行、図書館での勉強、そして夜寝る時。

なぜか分からないが、長年積み重なったせいもあるのだろう。

人が住んでいるにも関わらず、日常という匂いを感じれなくなった。

料理の匂い、洗濯物の匂い、お風呂の石鹸の匂い、そして父の独特な匂い、日常には様々な匂いがあるが、その匂い全て、ある日から分からなくなってしまった。

聞く、見る、感じるとは違う別の感覚、匂い。

俺はその日から匂いに敏感になった。

いや匂いを求めた。

自分の日常を再認識するために。

たった一ヵ月だが、毎日匂いを感じていれば、それを思い出す。

一緒に国内戦のためにした修行の日々を。

華燐の匂いは俺をただの日常から、魔術という日常へ導いてくれる。

ドキドキした感情が徐々に消えて、魔術の修行をする準備に切り替える。


暫くすると、俺たちは稽古場に着いた。

ドアを開けて、スリッパを脱いで稽古場に入る。

今日は少し機嫌が悪そうだ、表情からは分からないが、雰囲気がそんな感じだ。

そんな華燐が口をひらく。

「雨はあまり好きじゃないわ。じめじめしたのが嫌いよ」

「今日なんか機嫌悪いな、雨だから機嫌悪いのか?」

「雨もそうだし、魔術の修行自体嫌いよ。天気くらい晴れて欲しいわ」

「魔術の修行嫌いってはっきり言うなよ」

「でも、あなたがここにいるから、今は修行するわ」

先ほどの嫌な雰囲気はない、嬉しい雰囲気が伝わった。

何時もよりちょっと明るい声。

恥ずかしいのか、顔は少しだけ赤みがかっていた。

「そうかよ、じゃあ朝の修行始めようぜ」

「そうね」

そして少し距離を離して、お互いが向かい合って、稽古場の床に座った。


朝の修行の予定は循環のみ。

国内戦の期間中に華燐にも普段俺がやっている、循環の練習方法を教えた。

魔力を循環させる。

絞ったり、分けたりせずに、自分の循環をただ感じ取る。

俺は百回と決めている。

次は、魔力少しだけ絞って同じ数回す。

そして魔力少しだけ拡げて同じ数回す。

これを二時間かけて行う。

輝きが欲しくて始めた修行だが、手に入ったのは、速さと器用さ。

師匠と会ってからもこの修行は続けた。

だが、その頃にはほとんど成果はない。

進んでいると分かったのは最初の五年間だけ。

九年間欠かさず毎日行った、時間にして約六千五百時間。

もうこれ以上この修行を積んでも、期待するような成果は得られない。

だがそれでも、俺はこの慣れ親しんだ修行が好きだった。

魔術に才能の無い自分が成長していると気づけたから。


華燐はこういう地道な修行が嫌いらしい。

華燐はすぐに飽きちゃうため、色々な魔力をいじってしまう。

そんな彼女も、徐々に操る回数を増やしていって、今では三十回まで数えられるようになった。

彼女の魔力の素の性能は俺と比べる程もなく良いため、三十回もあっという間に終わってしまう。

本人から聞いたが、全部やるのに三十分で終わるらしい。

そして、夏休みが終わった後も、こつこつ練習していたらしいが、俺が目の前にいないとどうも二時間続かないらしい。

彼女も彼女で嫌いな魔術の修行と向き合っている。

魔術師になった理由は詳しく聞いていない。

だが魔術と向き合う覚悟を華燐は決めた。

目的は分からない、分かることは、決めたことだけ。

目の前にいる彼女は目を瞑り静かに魔力を循環させている。


この修行では、目に見えた結果は得られない。

循環がスムーズになるだけ。

だがそれでいい、魔力の操作が体の隅々まで届くようになる。

そこから魔力の操作というのを無意識に行えるようになる。

魔力を絞ること、拡げること、そして分けること。

どんな魔術にも応用できる。

実体験から言うと、強化魔術に生きた。

このおかげて循環の波長と色の波長を合わせるのは簡単だった。

徹底的な基礎固め。

魔術は循環で始まり、循環で終わる。

ありとあらゆる魔術に必要な最初の行為。

決してないがしろには出来ない。

俺もそろそろ始めよう。

そうして、修行を始める。



***


夕方。

そろそろ、華燐の集中力も切れてきた。

雨はようやく上がった。

雨で外が使えなかったため、地道な循環の修行を続けていた。

華燐はもう飽きてしまって、俺の近くに座っている。

「つまらない、飽きた」

本音の声が漏れていた。

午後の休憩からずっとこんな感じだった。

流石に俺もずっとは出来ない。

一日二時間と決めているから、集中力が続くのであって、それ以上やることを想定していない。

ずっと循環というのもつまらない。

「そろそろ、今日は終わりにしよう、俺も飽きた」

俺もその言葉にしていた。

今日は循環は出来ない。

近くにいる華燐が気になってしょうがない。

「屋敷に戻りましょう」

「うん、そうしよう

 あ、でもちょっと待って、俺は少しだけ庭を散歩するよ」

外の雨は止んでいる。

俺のちょっとした楽しみを思い出す。

「じゃあ私もついていく」

「行くか」

俺達は立ち上がり、簡単に掃除をして、稽古場から出る。

一度屋敷に戻り、スリッパから靴に履き替えて、屋敷の庭に向かった。

火鉢の屋敷には庭もある。

一面緑色の芝生。

たまに魔術の修行の息抜きにこの庭に立ち寄っていた。

庭は使用人達によって丁寧に管理されている。

空は雲が少しかかっているが、その隙間から橙色の光が漏れる。

その光を浴びて湿った地面はきらきらと輝く。

庭に着いた後立ち止まって、俺は深く鼻から息を吸った。


匂いがする。

普段はしないはずの匂いが、雨粒によって凝縮され、地面に落ちる。

そして雨が上がったことによって、特別な匂いが当たりに少しづつ広がっていく。

凝縮されたことでより匂いを感じ取れる。


雨の匂い、自然の匂い、秋が近づく匂い、それらが混ざり合って心地良い匂いが当たりに充満する。

いい匂いだ。

心地良く俺に染み渡る。

華燐の声がする。

「立ち止まって何してんの?」

「余韻に浸ってた、変なこと聞くけど今いい匂いしない?」

「何それ意味わかんない。それより晴れたから、お散歩しましょう」

華燐に右手を握られ、俺を急かすように引っ張て行く。

表情は嬉しそうに笑っている。

俺もその表情を見て笑った。

意味がわからなくてもいい。

俺が俺だと再認識するための行為。


たまたま彼女と夕日が重なった。

俺が苦しんでいた時と状況が違うが、あの時のように一際輝いて見える。

夕日を背景にしたその輝きは何処か暖かい温もりを感じる。

今はいい気分だ、自然の匂い、俺が求める輝き、その両方を見ている。


そして華燐の手に導かれるように、俺は歩みを進める。

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