8

 俺が七人目の水鋏すいきょうの魔術師を倒した。

 その魔術師は、光の粒子になって消えた。

 気絶した者、強化魔術が解除された者、生命にかかわる障害を受けた者は、この世界を去る。元通りに戻って、現実の世界に帰る。

 ふと見られているそんな気配がした。

 そして顔を上げると、俺はようやく待ちに待った目的の人物を視界に入れる。

 この町に、場違いな一人の魔術師が。


 人とは呼べない巨体をしている。

 美しい毛並みが風と共に揺れる。

 顔は狼のように変化している。

 口には鋭い白い牙。

 手足には大きな白い爪。

 体は蒼白の体毛に覆われ、屈強な四肢が見え隠れする。

 呼吸は静かだ。

 ただその吐く息は白く霞んでいる。

 その魔術師が一歩踏むと、この町中を凍らせる勢いで、氷が侵食していく。

 蒼く鋭い目が俺を見ている。

 静かに堅狼けんろうはそびえ立っていた。


 俺が待ち望む魔術師がそこにいる。


 堅狼は一歩、一歩踏み込んでくる。

 そして俺めがけて走り出した。

 堅狼の咆哮が町にこだまする。

 近づいてくる、堅狼の一歩に合わせて、俺も右足を踏む。


 右足の光の輪が一瞬光る。

 俺の魔術が円を描く。

 その円は堅狼の周囲にある氷を薙ぎ払っていく。

 そして、堅狼の足が俺の円を踏む。

 堅狼を捉えた。

 堅狼に強大な魔術が発動する。

 その周囲の地面が強大な魔術によってへこむ。

 だが、堅狼はびくともしない。

 勢いは止まらない。

 ただ俺に向かって走ってくる。

 俺は再度右足を踏み、そして右手を振るう。

 二つの円を描く。

 同じように堅狼の手、足が俺の円に触れる。

 再度強大な力を堅狼に振るう。

 だが、堅狼は立ち止まらない。

 周囲を凍らせながら俺に向かってくる。


 俺は距離を取って魔術を使おうとするが、止める。

 距離を取っても無駄だ。

 俺の魔術は効いていない。

 体毛が揺れるだけ。

 堅狼の周囲が堅実に書き換わっていくのが分かる。

 周囲が凍っていく。

 冷たい匂いがする。

 孤独を予感させるような、冷たく凍える匂いがする。

 目の前に広がる世界は、どんな世界の仕組みで、書き換えているかは分からない。

 だが堅狼に有利な状況が、どんどん広がっていくのは見て分かった。

 しゅんさんが言っていた世界の塗り合い。

 何としても、ここを耐えなければ、負ける。

 負ける、七人の魔術師を退くことは出来た。

 だが、この一瞬で負ける。

 あれだけ、強化魔術が使えるようになってもまだ出来ないことの方が多い。

 そう実感した。

 俺はただ出来ることを探す。

 考えろ、研魔にも集中しろ。

 だが今の俺にできることは少ない。

 俺は足に力を入れる。

 後ろに下がっても、状況は変わらない、前に出る。

 そして魔術を発動させながら俺は一歩ずつ、歩みを進める。


 堅狼の氷の世界が徐々に空間を侵食している。

 凍えるような冷気が辺りに充満する。

 俺は色の塗り合いで押されていた。

 俺の魔術は威力こそ凄いが、塗り合いには向いてない。

 円が触れた部分しか塗れない。

 それが大きな欠点。

 対象を直線で結ぶ関係上そこまでしか塗れない。

 そして、堅狼が俺の円に触れた瞬間、俺の円は消えてしまう。

 塗れるのは円の内側だけ。

 堅狼の後ろ側、円の外側は塗れない。


 堅狼は進むごとに自分の世界を増やしてやがる。

 くそ、研魔に時間がかかる。

 落ち着け、さらに状況が悪くなる。

 目の前のことに、研魔に集中しろ。


 もう堅狼との距離はほとんどない。

 堅狼の直接攻撃を受けきれるのか、そして何回受けれるのか。

 覚悟した。


 そして堅狼の暴力的な右腕が俺に振るわれる。

 俺は魔術を展開しながら横に避けようとした。

 だが堅狼の氷の世界がそれを邪魔をする。

 避けれるそう思った。

 だが、思った以上に動けなかった。

 その凍てつく氷によって動きを制限された。

 俺は両腕で顔を庇うようにして守る。


 そしてそれはやって来る。

 体中に、その圧倒的な力を感じた。

 その右腕によって、俺は吹き飛ばされる。

 全身に強い衝撃が走った。


 だが、俺は耐えた。

 何とか自身の魔術を発動してその衝撃を防いだ。

 体が咄嗟に動いた。

 いや、うまく事が運んだ。

 ただ腕を庇ったと同時に魔術を発動して、堅狼の攻撃とタイミングが合った。

 堅狼に魔術が効かないのは分かっている。

 だが体が勝手に動いた。

 そして体が動いたあと、その思考に追いつく。

 きっと俺が出来る最善の策を選び抜いた。

 生き残るための賭け。そしてなんとか俺はその賭けに勝った。

 地面を転がりながら、その勢いのまま体を起こす。

 

 土煙の臭い。

 でもどこかその臭いは冷たく感じる。

 周囲を確認するまでもない、俺の周りの空間も凍り始めている。


 油断はできない。

 もう堅狼は次の行動に移してる。

 その巨大な左腕が俺に向かってくる。


 無駄な思考はない。

 最善と呼べる選択を常に選べる感覚があった。

 どんな危機的状況に追い込まれても、冷静でいられる自信が体の中で生まれていた。

 魔術の調子もいい。

 堅牢には効かない魔術だろうが、上手く利用できると確信していた。

 対処出来る、体が神経という限界を突破して、体自体が意識を持つように最適に動こうとする。


 さっきので、やり方は分かった。

 息を整える。

 これなら何とか耐えれる。

 そして同じように魔術を発動して、その左腕の攻撃を防ぐ。

 そんなやり取りを何度か続けた。

 全部が全部防げるわけじゃない。

 油断をすれば負ける。

 俺は焦りながらも、冷静でいるという矛盾の中でひたすらもがいている。

 鈍い衝撃、重い攻撃、少しずつダメージは蓄積されていく。


 再度、堅狼が右腕を振ってきた。


 このタイミングでようやく、研魔が終わった。

 俺も魔術が使える。

 俺は自分自身に呟く。行くぜ。

 俺が求めた光を作り上げる。

 体を巻くように一本の光の輪。

 そして、右手と右足にあった輪を取り込む。


 三本の輪が絡み合い、うねるように俺の周囲を囲む。

 だが上から見ると一つの円に見える。

 そこには以前とは違う輪が出来ていた。

 俺はいつもの言葉を口にする。

「回れ」

 堅狼の視界から外れるように横に動く。

 その円上にある、氷を弾き飛ばす。

「回せ」

 俺を中心に、堅狼と空間を回した。

 瞬さんの修行の時には出来なかった、空間を対象とした魔術を始めて実践する。

 円上の空間を強引に回し、その力を使って堅狼を攻撃する。


 先ほどの魔術とは違い堅狼が体勢を崩す。

 だが簡単には倒れない。


 同じことをしようとするが、堅狼も円上に氷を置いてそれを防ぐ。

 円上にあった氷を打ち砕いた。

 堅狼も俺の魔術の弱点を的確に突いてくるが、その氷自体が何か攻撃手段ではない様子。今の所触れても問題ない。

 さらに堅狼は魔術を使い、その体毛を凍らせて纏い始める。

「回して、回せ」

 だがやらせない。

 世界そのものを歪ませる力でそれをねじ伏せる。

 あいては一瞬驚いた顔をこちらに向けた。

 だがすぐに真剣な表情に戻る。


「回せ」

 堅狼と空間を回した。

 しかし今度はびくともしない。

 堅狼は魔術の強度を上げた。


 堅狼に触れたことで、その特性は分かった。

 あの体毛一本一本が高度な魔術で再現されている。

 その圧倒的な魔術の密度によって、こちらの攻撃を寄せ付けない。

 水鋏の堅狼は壊れない。

 その異名を実感する。


 俺の苦手とする広範囲の魔術が現状ないのは分かった。

 俺が遠距離で攻撃していても、堅狼は俺に向かってくる。

 周囲にある氷は邪魔になるが、その程度。

 俺の魔術で回して吹き飛ばすことは出来ている。

 広範囲に干渉する魔術があるなら使って来そうなところだが、その気配は感じない。

 堅狼も打つ手はないがように、俺も今のところ打つ手はない。

「回して、回せ」はもう使えない。切り札。

 そして、近距離で戦ったら間違いなく勝てない。


 時間だけが過ぎていく。

 何度も腕を振り、その場で足を踏み、言葉を発して、魔術を展開するが、堅狼は倒れない。

 この状況を今の俺に打開するだけの魔術がない。

 現実はそう甘くなかった。

 完璧な状態で出した俺の結論。

 勝てるという選択肢は、俺の頭の中にはなかった。


 戦いが動かない中、突然堅狼の魔術師が俺に話を始めた。

「実に見事だ。その年で、これほどの魔術。無謀な馬鹿と思ったが実力は本物だな。魔術師として敬意を表す。

 氷銅ひょうどう 嶺自れいじだ」

輪洞りんどう 周一しゅういちです。氷銅ひょうどうさん、あなたを倒したい」

「俺は堅狼だ。その誇りにかけて負けるわけにはいかない」

「俺も負けたくないです」

 堅狼は笑って答え、そして再び俺に向かってくる。

 その体毛は氷に覆われていた。


 このままだと負ける。

 目の前にある勝利の二文字が遠のいていく感覚に飲まれた。

 遠ざかっていく勝利を目にしても、勝ちたいと強く願った。


 負けたくない。

 ただ、負けたくない。

 もう負けるの嫌だ。

 拘るのはもう止めよう。

 撥さんに負けた。

 もう負けたくない。


 俺はあの輝きが欲しい。

 あの透き通った青い、美しい一つの輪。

 それがとても輝いて見えた。


 そして俺が欲しい輝きだった。

 俺も輝きを手に入れた。

 師匠が見せてくれた、あの美しい輝き。

 その輝きに似せるために、俺も一つの円にこだわった。

 そう、俺はと思っていた。

 今俺の周囲には歪な輪が俺の周囲を囲んでいる。

 許せなかった。

 こんな美しくない円。

 勝つために必要だった。

 そこは妥協した。

 でも、どうしても魔術を描く軌道は一本の綺麗な円にしたかった。


 魔術も描くなら、一つの円にしたい。

 俺の魔力の素には、美しく輝く一つの円。

 これは他人に見せることが出来ない。

 どうしても自分でもあの透き通った青い、美しい一つの輪を再現したかった。

 師匠のような美しい輝きを再現したかった。

 色はない。

 俺の周囲の円は妥協した。

 魔術の軌道はどうしても妥協できなかった。

 美しい円を魔術で再現した。

 輝いているかは分からない。

 でも、それが一番輝くと、そう信じて。


 だが今はそんなこだわりを捨てよう。

 俺が描く魔術も一つの円は止めよう。

 俺が一番欲しいのは輝きだ。

 そう、志津河しずかが見せたあの輝き。

 俺は輝きが欲しい。

 そしてその輝きをもらった。

 今この場に立っているのはその人のおかげ。

 魔術師として強さが欲しいかと言われたら、それはまた別の話。

 ただ、負けたくない。

 その人のために俺はもう負けたくない。


 思考はクリアだった。

 無駄という無駄が全て省かれた。

 いや考えるというもの、そのものが欠落した。

 ただ目の前にある道を正しいと思う方向に進んで行った。

 進み続けた結果、求めるものがそこにあった。


 俺の足下に半径二メートルの円が出現する。

 その円の中に二十九個の楕円。

 それが外側の円に接する。

 均等な間隔で、五十八か所の接点を生む。

 それはまるで、花のような形に見える。


 そこに俺のこだわりはない。

 ただ輝きと求めた魔術。

 そんな円が俺の足下に広がる。

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