第3話 お風呂でバッタリは人為的に

 家に着いたころには、いつの間にか夕陽ゆうひであたり一面オレンジ色になっていた。

 どうやら中央官庁かんちょうは外界とは時間の流れが違うらしい。どこの精神と時の部屋だ。山下さんも大変だな。


「おかえりなさいませ、ツクモ様」


 玄関の扉を開くと、エメトが律義りちぎに出迎えてくれた。


「ああ、ただいま」

「ご夕食の準備ができておりますが、いかがなさいますか?」

「あー、うん。食べようかな」

「かしこまりました」


 きれいなお辞儀じぎのあと、キッチンへと歩いていき――その姿は見えなくなる。


「……『三原則試験』ね」


 エメトには知られずに、指定された事象じしょうに直面させる。

 そしてその事象に対し、エメトがどう行動するか。


「人間も自分勝手だよな」


 エメトが知らされているのは、ぼくとの生活が「試験的な人間との共同生活」であるということだけ。だが山下さん曰く、それはあくまで付加的なものであり、本来の目的は『三原則試験』なのだ。

 つまり、今のふたり暮らしは仮初かりそめのもの。偽り。嘘、そういうことだ。

 ロボット相手はとはいえ、だましているみたいで少し罪悪感がある。


「共同生活が終わったら、エメトに謝らないとな」


 謝っても特に表情を変えないんだろうけど。


 そのあと、晩ごはんを食べた。ちなみに今日の献立こんだては麻婆豆腐だった。


「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」


「お風呂に入られますか?」

「ああ、そうだな……」


 ぼくはえて考えるようなしぐさを見せ、


「あとで入るから、エメトが先に入ってきていいよ」

「よろしいのですか?」

「うん。エメトも今日は掃除そうじで汚れてるだろうし」


 初めて会ったとき、定期的な洗浄が必要だと本人も言っていた。


「では、シャワーだけ。お先に頂戴ちょうだいします」


 そう言って、晩ごはんの片づけを早々に済ませ、エメトの姿は脱衣所へと消える。


「……」


 さて、と。

 シャワーの音が聞こえてきたところで、ぼくはカバンから1枚の紙――『三原則試験』の内容が書かれた紙を取り出す。


「ほんとにこれ、やるんだよな」


 そこには、こう書かれていた。


『脱衣しているところで命令を出した場合、ロボットはどう対応するか』


「……」


 もちろん抗議こうぎした。こんな内容でいいのかと。

 だが山下さんは、


「いやー、私もどうかなーとは思うんだけどね? でも実験内容には口出しできないからさー」


 と言って苦笑するだけ。結局、ぼくはただのテスター。拒否権なんかはあるわけない。


「まあ内容はともかくとして」


 実験の趣旨しゅしはこうらしい。


・脱衣中を見られた際、設定された羞恥しゅうちの感情により、人間に危害を加えるか。

・命令を優先せず、自身の着衣を優先するか。


 ひとつ目が実行された場合、三原則の第1条に反し、ふたつ目だと第2条に反することになる。

 つまりこの場合、自身の羞恥も着衣も顧みず、人間の命令を優先すること、これが唯一の正解となる……わけだが。


「なにもこんな方法で確かめなくても……」


 ぼくは嘆息たんそくする。が、の言ってはいられない。ここでぼくが実験をやらなければ、テスターとして不適格と判断され、給付金がもらえなくなる。


 ……仕方ない。

 覚悟を決めて、脱衣所の扉の前まで近づき、中の――浴室の音を確認する。シャワーの音が止まって、浴室の扉が開く音が聞こえた時が合図だ。

 なんだかこれ、ぼくがただの変態みたいだな。


 なんて考えていると、シャワーの音が聞こえなくなり、ガチャ、という扉の音が聞こえた。

 ええい、どうなっても知らん!


 ガラッ!

 思いきり、というか自暴自棄で、ぼくは勢いよく脱衣所の扉を開いた。


「…………」


 そこには。


 全裸のエメトがいた。

 そりゃそれを狙って開けたんだから当たり前なんだけど。


 女性らしいなめらかな曲線。無駄な肉(でいいのか?)は一切なくて、出るところは出て引っ込むところ引っ込んでいる。まさにひとつの理想形ともいえる女性のスタイル。

 なんというか、すごいきれいだ……。


 って、いや! そういうことじゃなくて!


「ツクモ様?」

「……えーと」


 じっとこちらを見てくるエメト。いつもと同じ眼差まなざしなのに、心なしか視線が痛い。

 ぼくはなるべく彼女の方を見ないよう目をそらしながら、


「あっ、そうだ! 醤油しょうゆ! まだストックあったのかなーって思って!」


 なんて適当な命令。でも今思いついたんだし。

 と、いつもの抑揚のない声が聞こえ、


「……かしこまりました。確認してまいります」

「って、あれ? いいの?」


 エメトは不思議そうに首をかしげて、


「命令されたのはツクモ様ですが」

「いや、それもそうなんだけど」


『きゃーエッチ!』とか、そうでなくとも『先に服を着させてください』とか言うのかと思っていた。いや、言ったら三原則に反するからダメなんだけど。


「ぼくが言うのもなんだけど……本当にいいの? 裸だし、服着てからでもいいよ?」

「いえ、わざわざツクモ様が今ご命令されたということは、今必要ということと理解しました」


 言って、エメトは全裸でまだ身体もれたまま、脱衣所を出ていこうとする。

 その動きに、表情には、なんの迷いもなくて、


「――ちょ、ちょっと待った!」


 ぼくは思わず、彼女の肩をつかんでいた。


「はい」

「その……やっぱり命令は取り消し。あとで、いいからさ」

「よろしいのですか?」

「うん……ごめん、シャワー浴びてるときに」


 すると、エメトはぼくに裸体を見られたことなどなかったかのように、


「では、先に服を着させていただきます」


「ご命令は、後で実行いたします」

「うん」


 言って、ぼくは脱衣所の扉を閉める。


 実験は成功。エメトは守るべき三原則を、ちゃんと守った。成るべくして成った結果だ。

 これをきちんと報告して、報酬ほうしゅうとして給付金をもらう。給付金がもらえれば、生活がうるおう。喜ばしいことだ。


 なのに。

 ぼくの心は、さざ波のように静かにれている気がした。

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