第2話 『三原則試験』

「では定期報告書、たしかに受け取りました」


 眼前に座るスーツ姿の女性――山下やましたさんは、そう言って柔和な笑顔を浮かべた。


「今週分の給付金については、ツクモさんの口座こうざに振り込んでおきますね」

「よろしくお願いします」

「申し訳ないわね。1週間おきにわざわざ来てもらって」

「いえ。霞が関ここはそんなに遠くないですし」


 最近新設された国の機関、ロボット庁。その応接スペースで、ぼくと山下さんは向かい合っている。

 今日でエメトがぼくの家に来てからちょうど2週間。今日は毎週の定期報告面談だ。


「エメトちゃんは、お留守るすばん?」

「はい、部屋の掃除そうじしてもらってます」


 答えると、山下さんはぼくから受け取った書類をクリアファイルに入れる。

 シワひとつないスーツをかっちりと着込んだその姿は、いかにも国の役人というかんじだ。


「それで、どう? 共同生活は?」

「どうと言われても……」


 特筆とくひつして言及げんきゅうするようなことは、なにもない。


「さっきわたした報告書のとおりですよ」

「いやいやー、そういうことじゃなくて、ね?」


 語尾ごびを上げる山下さんの口角は、なにかおもしろそうなものを見つけたみたいに上がっている。少なくとも、そのスーツ姿にはまったくそぐわない。


「一応、女の子とひとつ屋根の下で暮らしてるわけだし」

「一体なにを期待してるんですか……」


 息をいて、ぼくはイスの背もたれに身体を預ける。


「別に、山下さんが楽しめるような話は、なにもないですよ」

「えー、ほんとにー?」

「本当です」


 いくら見た目が同年代の女の子だとしても、エメトはロボットだ。言い換えれば、ただの機械。家にパソコンがあるからって、おもしろおかしい共同生活とはならないのと同じこと。


「ちぇー」


 山下さんは残念そうに唇をとがらせ、


「それじゃあ、なにか困ったこととかはない? あるようだったら、正式にリリースされるまでに改善しておく必要もあるし」

「困ったこと、ですか」


 ここ2週間、エメトとの生活を思い出す。


「なんか基礎設定にかたよりがあるところ、ですかね」

「あはは」


 山下さんは思うところがあるのか苦笑して、


「たぶん、研究所長の趣味が入ってるのよねー」

「めっちゃ公私こうし混同こんどうじゃないですか……」


 あと、自分の趣味嗜好しこうが全国にダダ洩れなのはいいのか。


「それについては、私からも一応、研究サイドに申し入れておくわ」

「お願いします」


 このままだと、日本全国の人が変な趣味に目覚めかねない。


「あと、せっかくってわけじゃないんですけど、人型なんだからもう少しその……人間っぽい感情みたいなのはないんですか?」


 機械といえど、会話したりコミュニケーションをとる以上、まったくの無感情だといろいろやりにくい。


「あら、一定値の感情はインプットしてあるわよ? 喜んだり、悲しんだり、恥ずかしがったり。まあ、人間ほど感情豊かにってのは難しいみたいだけどね」

「はあ」


 つまり、喜怒きど哀楽あいらくはあると。

 ぼくはエメトとのこれまでの生活を思い浮かべる。あれで感情があると言っていいのかどうかは疑問だけど。


「さて、と」


 仕切り直し、とばかりに山下さんは


「――それじゃあ、もうひとつの本題ね」


 言って、1枚の紙をテーブルに置いた。


「来週分の『三原則試験』の内容についてよ」

「はい」


 ロボット工学三原則。


 1950年にアイザック・アシモフが著書ちょしょの中で記した、ロボットが従うべきとされる原則。現在行われている人型ロボット開発においても、この三原則が大前提ぜんていとされているらしい。


 第1条 ロボットは、人間に危害きがいを加えてはならない。また、その危険を看過かんかすることによって、人間に危害をおよぼしてはならない。

 第2条 ロボットは、人間にあたえられた命令に服従ふくじゅうしなければならない。ただし、あたえられた命令が第1条に反する場合は、このかぎりではない。

 第3条 ロボットは、第1条及び第2条に反するおそれのないかぎり、自己じこを守らなければならない。


 この3つが、ロボットたちにとっての法であり、倫理りんりであり、すべてだ。


「試験は、エメトに知られないようにするんですよね?」

「ええ、そのとおりよ」


 試験の目的は、ロボットが人間との共同生活を送る際に、三原則を遵守じゅんしゅするよう、いかに行動するかを確認するためらしい。

 ――あるいは、三原則に違反するかどうか。


「いつも思うんですけど、共同生活にしても試験にしても、別にぼくらみたいな一般人に協力してもらわなくてもできるんじゃないですか?」


 人間と一緒に暮らすだけなら、研究所の職員がやればいいんじゃないだろうか。


「それも一理あるんだけど、今後社会に普及ふきゅうさせていくにあたっては、いろんな人と暮らしてどうだったかっていうデータが必要になってくるのよ」

「はあ」

「うちの職員だと、どうしても一緒に過ごす時間が少なくなるのよねー。深夜に帰って朝早く出勤してばっかりだし、あはは」


 さらっとブラックな職場環境の話が出てきたが、スルーしておこう。


「それとも、ツクモさんはやっぱりいやかな? ロボットとの共同生活」

「嫌っていうか……」


 よくわからない、とうのが正直なところだ。見た目は誰が見ても生身の女の子なのに、実はそうじゃない。というか、誰かと一緒に暮らすということ自体、ぼくにはまだわからないのだ。


「ぼくは報酬ほうしゅうの給付金さえもらえれば、なんでもいいですよ」


 だから、こう答えてしまう。ただの逃げなのかもしれないけど。


「そう……」


 山下さんは、なにかを察したように、穏やかな口調で言う。

 そして反転、にこりと笑顔を向けてくると、


「それじゃあ給付金のためにも試験、よろしくお願いしますね」

「わかりまし――」


「って、これ」


 渡された紙に書かれた試験内容。それを見て、ぼくは自分の口が引きつるのがわかった。

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