第16話 紫陽花と茜に染まる空火照り

 話の内容から察するにストゥヴォアとリティンヴォアとはフィヴォーアと同じような楽器に思われた。


「どうしようっ! ソラトっ! きっと明日から私達有名人だよっ!?」

「そ、そうなの?」

「そうなんだよっ! どうしようっ! どうしようっ!」


 にやにやしたり、狼狽したりするアリスとは対照的に、別の世界の住人の僕はどうしても温度差を感じてしまう。


「とりあえず、アリスちゃん。皆で写真を撮りましょう? もちろんその後水晶碑の写真もね」

「そ、そうですねっ! みんなで撮りましょうっ!」


 徐にアリスのポケットから出てきた異世界のスマホは、一見フォトフレームのような外見をしていた。

 樹木の葉っぱや蔓をかたどった金属フレームに、向こう側が透けて見えるくらい薄い画面だけで、バッテリーもスイッチも見当たらない。


「それで写真が撮れるの?」

「うん、通話もメッセージも送れるし、ニュースだって見られる。ソラト達の世界でいうところの本当にスマホだね」


 ひ弱なデザインの異世界スマホを、アリスはバスケットに入っていた円錐状の機械に淡々と取り付けると、僕達から少し離れた場所に置く。

 弾むような足取りで駆け寄ってきたアリスは、僕の腕に自分の腕を絡ませて引き寄せてきた。


「えっ!? ちょっとっ!? アリスっ!?」

「ほらっ! 始まるよっ! ソラトっ! あっち向いてっ!」

「あらあら、うふふ」


 おっとりした笑みを浮かべたファイユさんが僕らの肩に腰を下ろすと、宙に浮き始めた異世界スマホが僕らを撮影した。


「ソラトの表情かったーいっ!」


 写真を見るや否やアリスは吹き出した。

 水晶碑を背景に取った記念写真は僕を除いて、満面の笑み。僕の顔の強張りようと言ったら、控えめに言っても石膏で出来た彫刻のようだった。


「誰のせいだと思っているのさ」

「うふふ、ソラト君はアリスちゃんに抱き着かれて恥ずかしかったのよね?」

「そうなんだぁ~意外に可愛いところがあるんだね」


 おちょくられても不思議と嫌な感じはしなかった。


「じゃっ! そろそろ日も傾いたし、帰りましょうか」

「そうね。今から帰れば夕方には町に着くわね」


 アリスが笑うと不思議と嬉しい気持ちになって、もっと見ていたい気持ちになる。

 アリスの笑顔には励まし慰める不思議な力が宿っているように思えた。



 ベアトリッテ遺跡からの帰り道。紫陽花と茜に染まる空の下、残照を浴びて朱金色に輝く河川を、アリスの操る手漕ぎ舟スケーレンに揺られ、僕はこれからの事を考えていた。


 多分、地球にも僕のまだ見ていない景色があるんだと思う。

 その景色を見ないで死ぬなんて勿体ないかもしれない。


「ねぇ、ソラト、どうだった? 私達の世界は?」

「そうだね。きっと世界には今僕が見ているような景色が溢れているだろうね。アリスの言っていた『勿体ない』っていうのが分かった気がする」


 アリスには感謝してもしきれない。そしてアリスが見せてくれた別世界は、僕を魅了して心を釘付けにした。だけど――


「だけど一つだけ気になる事があるんだ。どうしてアリスはそこまで強く生きられるようになったんだ? 教えて欲しいんだ」


 前にアリスは大切な人を失ったと言っていた。神秘の探検というのがその人の『夢』だったという事はわかる。そしたら今頃は義務感に押しつぶされていたような気がする。

 僕がそう思うのはただ自分が弱いだけかもしれない。省吾や愛花に抱いていた『下種の勘繰り』なのかもしれない。


 思い過ごしなら構わない。僕はアリスの言葉が欲しかった。


 けど、アリスは首を横に振る。


「私は強くなんかないよ。ただ私は気付いただけなんだ。差し伸べられる人の手や、温かい人の言葉の慰め励ます力は、弱々しく見えても、人の中で決して色褪せることは無いんだって、それは人が持つ特別な力なんだっていうことに、ね」


 僕が感じていたアリスの言葉に宿る透明な力の正体が漸く分かった。


「それを私の大切だった人が教えてくれた。だから私はその人のようになりたいって思ったんだ」


 多分、初めから持っていたものだったんだ。ただ忘れていただけだったことに僕は気付いた。


「ねぇ? ソラトさえ良ければ、夏休みの間だけでも私と一緒に世界を見て周らないかな? ソラトの世界のことも知りたいし」


 照れくさそうにはにかむアリスは、眩しく見えた。


「今日みたいに同じこと思てくれる人がいると、私はそれだけで凄く嬉しいんだ。どうかな?」


 もちろん僕の答えは決まっている。


「僕で良ければ付き合うよ」

「やったぁっ! じゃあ明日からっ! 私に付き合ってくれる?」

「ちょっと待って、流石に明日からは速いよ」

「ふぇ~なんで~」


 バイトを辞めることを伝えなくてならないし、今日は準備もしなければならない。流石に明日からは早すぎる。それに野球、省吾と愛花の事もある。

 僕らのやり取りを見ていたファイユさんがくすっと屈託のない笑みを零した。


「あらあら素敵ね。私も一緒に見て周りたいわ。そうだ、今度私、実は独立しようと思っていたの、もしよかったら二人とも私と一緒にやってみない?」

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