第15話 フラジオレットな少女の奏でる浄らかな光

 まるで歌う様に弾かれる白い弦からは、柔和で透明感のある音色が響いて、森全てを包み込んでいく。


 僕の鼓動とアリスの奏でる拍子が重なった瞬間、僕の身体は一瞬にして、吹き抜ける風に澄み渡った大空へと運ばれていくような感覚に襲われる。


 僕は頬に熱い液体が流れるのを感じて触れてみると、そこで僕は初めて涙が出ていることに気付いた。


 音楽で涙が出るなんて初めての経験に僕は当惑した。


 そんな僕を遺跡の中心で優雅に舞うアリスは艶やかに微笑んでくる。


「綺麗……」


 突然、淡い輝きを放ち始める遺跡の幾何学模様を描く水晶に、ファイユさんから感嘆の声が漏れた。


 白く淡い蛍火の中、アリスは軽やかに舞いながら、純白のフィヴォーアを弾き続ける。


 新緑の森で滴る朝露のような曲に合わせて踊るアリスは、とても生き生きとして本当に弾くことを楽しんでいる。


 曲が朝露なら、アリスの姿は森の生き物に活力を与える朝の陽ざし。


 やがて朝露の幻想曲は最高潮に達する。


 果てしなく澄んだ音色に、僕の汚濁していた心は透き通っていく。


 僕は瞳を閉じ、静かにアリスの奏でる旋律に耳を傾ける。


 瞼に映るのは、省吾と愛花のことだった。


 もう一度ちゃんと話すべきなのかもしれない――


 彼らが本当は何を思っていたのか、裏切られたという気持ちが実は僕の思い過ごしだったのかもしない。


 もしかしたら、やっぱり無意識に思い込んだ美徳からの行動だと分かって、また絶望するかもしれない。


 だけど構わない。それならその分彼らを分かってあげればいい。


 僕は目を開いた。


 気付けば独奏会リサイタルは終わり、弾き終わった瞬間、吹き上がる風と共に舞い上がった蛍火にアリスの身体は包まれる。


 白い蛍火の弾幕が舞落ちる、アリスはたくし上げてお辞儀をする。


 顔上げたアリスの顔は汗をびっしょりになりながらも、心から満足気な表情を浮かべていた。


「……どうだったかな?」

「うん、あ、えっと……」


 言葉にならない。感想を求められていることは分かっているけど筆舌尽くしがたい。ありきたりな「凄かった」なんていう言葉じゃ、帰って冒涜とさえ思えてしまう。


「ソラト君は涙が出るほど感動したようよ。私も感動した。とても素敵だっだわ。アリスちゃんの演奏のお陰でなんだか元気が出てきたわ。ありがとう」

「そんな、私も楽しかったです。そう言って頂けて嬉しいです、こちらこそありがとうございます」

「僕もだ。アリスのお陰で僕は――」


 薄汚れた心を吹き飛ばしてくれたアリスに、感謝の意を伝えたくて、声を振り絞った僕を、突如揺れ始めた地面が阻んだ。


「えっ!? えっ!? いったい何がっ!?」


 激しい地響きによろめいたアリスは、地面にへたり込んでしまった。


「下で何か動いているみたい……」


 ファイユさんの言う通り、地面のすぐ下を歯車が回る様な音が聞こえる。

 遺跡の仕掛けは音色に反応して蛍火を放つ水晶だけでは無かったようだった。


 地中を這いずる様な音の後、噴煙を上げて透明に輝く一枚板の水晶が、三賢女の台座の前へと現れた。


「一体、あれは何だ?」

「何かのいしぶみのようね」


 各賢女像の台座の前に姿を表した水晶碑へと僕らは駆け寄る。


 聳然と存在感を放つ水晶碑には、恐らくアリス達の世界の言葉で書かれた碑文が刻まれている。勿論僕には読めないが、線と曲線で刻まれた文字の中には一部アルファベットに見えるようなものをある。


「こんな碑文が隠されていたなんて、フェイさん、ソラトっ! これは歴史的発見だよっ!」

「そ、そうなんだ」


 歓喜に打ち震えたアリスは。僕の手を握ってきて、ぶんぶんと上下に振ってきた。

 僕もまさか観光訪れたついでに歴史的な発見に居合わせるなんて思ってもみなかった。


 場所どころか世界が違う価値観の話に僕はピンとこなかったが、アリスの興奮ぶりからして、ニュースになるぐらいの話ということは漠然と理解できた。


「ええ、アリスちゃん。やっぱりこれも楽譜だわ。台座のものより古い文字が使われているようだけど、行間に刻まれた特殊な文字からして間違いないわ、ただ……」

「ど、どうしたんですか?」


 アリスとは対照的にファイユさんは浮かない表情をしていた。


 『ただ……』という、興奮に茶を濁すような言葉はとても気懸りだった。もしかしたら何か重大なことが掛かれているのかもしれないと嫌でも勘ぐってしまう。


「この水晶碑の書き出しから推測するとフィヴォーアのパートしか書かれていないようなの。年代からしてこの頃にはもう楽隊を作って演奏していたから、妙だわ」


 水晶碑を見上げ小首を傾げるファイユさんが言うには、碑文にしっかりと古い言葉で『フィヴォーアのパート』と書かれているそうだ。

 ファイユさんは他の二枚の水晶碑も見比べ始め、やがて合点がいったようで明るい表情で戻ってきた。


「やっぱり、他の二枚の碑はそれぞれストゥヴォアとリティンヴォアのパートが書かれていたわ」

「それじゃあ、フェイさんもしかして、他の楽器の楽譜もあるってことですかっ!?」

「もしかしたらそうかもしれないわ。だとしたら素敵ね」


 ファイユさんの言葉で、アリスの表情は花が咲いたようにぱっと明るくなった。

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