第8話

俊太が僕達の傍を離れる前日、その日は墓参りの時から行く予定を立てていた、この地域の夏祭りの日だった。

お祭りは毎年、桜の植わったあの公園で催され、奈央の調べでは午前十一時頃から屋台が販売を始めるらしい。

そして俊太の提案で僕達は昼間から屋台を回ることになり、おかげで僕は最も日が照り付けている時間帯に家を出ることになった。

いつもと同じくらいの時間に目を覚まして、いつもより入念に身支度をする。洋服もどれが良いか考えて最適なものを選び、長い前髪も少しの乱れも許さず、気に食わない箇所は何度も整え直した。だが一つだけ、盲点だったことに僕の奇妙さを隠すためのカラコンが一つも残っていなかった。

ここ数日、外出を一切しなかったせいで見つけられなかった落度にようやく気付いた僕は、その瞬間はっとなり、どうしようかと血眼で解決策を探した。しかし、必死に頭を働かせてみたものの、問題が解決する前に出発する時間が来てしまい、結局目の色の事を諦めてげんなりしながら家を後にするはめになった。

 イヤホンでいつもの曲を聴きながらいつもの集合場所で二人を待つ間、僕は暑さを避けて建物の陰に隠れ、スマホに保存しておいたノートのページの写真と睨み合っていた。

写真越しにノートの文字を眺め、頭に浮かぶ物語を膨らませるとそれをスマホのメモ機能で文字として保存する。そうして僕はやることのない無駄な時間を有効活用していた。

しかし、カラコンの件で気が滅入っているせいで膨らんだ発想もすぐにシャボン玉のようにはじけ割れてしまった。思わず僕は耳元で淡々と流れる音を外して、少し高いところの空を髪の隙間から仰いだ。そして、コードの先から聞こえ続けている曲を天邪鬼に意識すると、しばらくそのまましばらく静止していた。

「おまたせ」

「ほら、早く行こうぜ。夏奈慧」

するとそこへ奈央と俊太が現れ、全員揃うと僕達は予定通り公園へ向かい始めた。

「奈央、花火の時間って何時だっけ?」

「八時。あと五時間以上ある」

「やっぱ早すぎたかな」

「まあ、いいんじゃない」

こういう別れの日だからか、二人の会話を聴きながら通い慣れた道を三人並んで歩いていると、僕の脳裏に昔の情景が浮かんできた。

「楽しみだね」

「だよな。やっぱ夏なんだから、祭りぐらい行かないと」

「雨が降らなくて良かったよね」

「暑すぎるくらいだけどな」

今と同じように三人横に並んでこの道を歩いた、いつのものだかわからないほど昔の記憶。僕はその思い出の懐かしさに浸りながら、会話を交わす二人と同じ歩幅で歩みを進め、視界に現れた公園へと繋がる緑のトンネルをくぐった。

園内に入ると、いつもの静かな空間はすでにお祭りの雰囲気に飲まれてしまっていて、四方八方から多彩な色の音が飛びついてきた。子どもの甲高い声や屋台の店員の売り込みの声。焼きそばやフランクフルトなんかが焼ける音やアブラゼミやクマゼミの鳴く音。

そのあまりの騒がしさに僕は思わず耳を塞ぎ、入ってくる音の数をできる限り制限した。

「おー、盛り上がってるね!」

「よし、じゃあ並ぶぞ」

しかし、僕を除いた他の二人はその音に逆にやる気を誘発されたらしく、もう帰りたいとさえ思い始めている僕を無理に引っ張って、さっそく目についた屋台の列に入り込んでいった。

人ごみの中は頭上を桜の葉に覆われているが、それでも酸欠を起こしそうなほどにひどく蒸し暑かった。そして僕を取り巻く騒音はさらに威力を増し、僕は生きた心地がしなかった。

それから死にそうになりながらも、屋台の列の先頭に来て品物を注文すると、俊太がここは俺が、などと大人ずらしたことを言って、今まで貯めてきたバイト代で注文の支払いを全て持ってくれた。

僕と奈央は気が引けながらも言われるがままに奢られ、気がつけば両手にいくつも袋をぶら下げていた。

「本当に良かったの?僕達の分まで買ってくれちゃって」

「いいって言ってんだろ。人の親切にあんまり口挟むな、ハズくなる」

「なら最初からやめとけばいいのに」

「うっせえ、俺の勝手だろ」

僕達は緑のトンネルに面した道沿いに設置されたベンチに座り、さっき買った焼きそばやたこ焼きなんかをつまみながら、いつもと変わらない会話を交わしていた。

正午も過ぎて日が西側に傾いてきたことで、気温は家を出た時よりも数度高くなり、アスファルトに映る木漏れ日はいつにも増してくっきりとしていた。

「そういえば、先生と来た時もこうやって買ったもの食べたね」

すると、食べたゴミなどを先に片付け終えた奈央が、集合場所にいた時の僕と同じように空を見上げ、僕がさっき思っていたことと同じようなことを言った。

「ああ、食べたね」

「あの頃は、この大きさのベンチに四人座れて食べ物まで広げられたのに、今じゃ三人座るだけで精一杯になっちゃったね」

「俺達もチビだったからな」

「懐かしいね」

「うん」

僕は指先で凹凸の激しいベンチの木目をなぞり、物寂しげに返事を返した。そしてその感情が考えないようにしていた俊太のことと結びつき、さっきまで漂っていた普通を、別の何かに変化させた。

僕はそのどこかで味わったことのある欠落感を抱えながら、奈央とは反対に下を向き、指で触れていたベンチの木目を意味もなく見つめた。

「なあ。やる事なくて暇だしよ、久しぶりに小学校でも行かね?」

僕が俯いていると、その虚しさを覆い隠すように、俊太がベンチから腰を上げて僕の前に立った。

僕達、というより僕が人生で最も楽しい時間を過ごした小学校は、この公園から歩いてすぐのところにある。何百と植えられた桜の並木道を通り、丘の上へと続く道を過ぎて園の正式な出入り口を抜ける。すると、まっすぐ続く道の先にまさにあれだ、と言いたくなるような普遍的な外観の建物が見える。それが僕達の通った学校だ。

何年も歩いていないのに、足はまるで当たり前のように道を進み、僕達は俊太が学校に行くことを思い立ってから十分もしないうちにその場所にたどり着いた。

小学校の建物は、あの頃より少し廃れたように見えたが大して変わりなく、こめかみに汗を滲ませた僕達にちゃんと回顧の念を催させてくれた。

「失礼しまーす」

そう言って俊太が何の躊躇いもなく大胆に職員玄関の扉を開けて、職員室の受付に近づくと、中から女性の教員が一人出てきて対応をとった。

「はい、どうされましたか?」

「あー、えっと。僕達この学校の卒業生で、久しぶりに校内の様子が見てみたいと思ったんで伺ってみたんですが、少し中を歩いて回ってもいいでしょうか」

俊太はその教員に、慣れない敬語もどきの口調で説明をした。

「すいませんが、そういったことは受け付けておりませんので、申し訳ないですが了承しかねます」

 しかし、アポをとっているわけでもないので、彼の要望は呼吸をする間もなく拒否されてしまい、俊太は反射的に返ってきた返答に理解が追いつかなかったのか、表情を変えずにポカンとしていた。

「あ、あれ!俊太君じゃないか?」

すると、会話を聞いて職員室の中からまた一人の教員が出てきて、思わぬことに俊太の名前を読んだ。

「お、夏奈慧君と奈央君もいるじゃないか。久しぶりだな」

その教師は続いて僕達の名前も口にし、馴れ馴れしく三人の肩をポンポンと叩いてきた。そこで僕はようやくその人の身元に気づき、自然と驚いた顔になった。そして後に続いて二人も彼のことを思い出したようで、同じように表情を変えた。

「あ、どうも………!」

「ご無沙汰してます………!」

 僕達の目の前に現れたのは小学一年生の時、担任交代で入ってきたあの佐藤先生だった。

「お前達、大きくなったね」

 先生はあの頃より皺の増えた顔で前のように優しく笑い、記憶の中と現在を照らし合わせるように僕達の顔を順に見た。

「何年ぶりだ?」

「十年ぶりくらいですね」

「十年か、もうそんなに経ったのか。ということは………」

「もう高二になりました」

「高二か………来年から受験生じゃないか」

「そうですね」

「はー、考え深いな」

僕達は冷たい風が流れてくる職員室の扉の前でたむろしながら、昔の知り合いと再会した時の決まり文句のような会話をした。

「それで、三人は何しに来たんだ?」

「えっと、本当は夏祭りに来たんですけど時間もあるし久しぶりに小学校でも行ってみようってことになって………」

「折角だし校内に入って思い出に浸ったりしたいと思ってるんですけど、いいでしょうか」

「ああ、全然いいよ。好きなだけ時間潰してきな」

俊太と奈央がいつもの連携で用件を伝えると、佐藤先生はあっさりとそれを許可して望み通り僕達を校内に放ってくれた。

僕達はまず、音楽室や図工室のある、特別棟を一階から見て周った。

教室に入ると、半壊していた木製の万力や錆びれた椅子は新しく新調されていて、壁の傷や気味の悪いバッハや滝廉太郎なんかの肖像画は逆に一層年を重ね、一層古ぼけていた。

「なあ、もしかしてだけどよ。あの通気口ってエアコンじゃないか?」

特別棟を見終わり、教室棟を廻り始めて二部屋目に入った時、さっきまで懐かしいな、とばかり連呼していた俊太がようやく別の言葉を発した。

「あ、確かに。あれエアコンだね」

すると俊太の目線の先を見た奈央が続けてそう言い、天井につけられた真新しい機械の真下に移動した。

「はあ、小学生のくせに生意気だな。俺らの頃は扇風機だったのにさ」

「まあ、世の中はどんどん便利になってくものだから」

「そんなのはわかってるけどよ………」

「はいはい、わかったわかった。夏奈慧、愚痴言ってる人は放っておいて、次行こう」

奈央はそうやって俊太をあしらうと、僕を連れて半笑いを浮かべながらそそくさと教室を出た。すると、駄々をこねる子どものようにその場に置いていかれた俊太が、無視すんなよーと背後でさらにごねながら後を追ってきた。

教室棟を三階から見て廻った僕達は、小学校最後の年を過ごした六年生の教室から五年、四年、三年と上から順に記憶を振り返り、一学年につき何十分も思い出を語り合った。あいつがあいつと喧嘩をしただとか、あの時の担任がどうだっただとか。始めたが最後、終わり無い話は文字通り絶え間なく永遠と続き、最後の学年の教室に入った頃には、時計の分針が何度回転したかわからないくらい時間が過ぎていた。

「懐かしいね」

「うん………」

そして僕達が最後に残った一年生の教室に入ると、そこには他の教室と同様に、当時から形を変えずに残存しているものなど一つもなかった。それなのに僕はあの頃に戻れるかもしれないという実現不可能な希望を抱き、十年前に自分が座っていた席に腰を下ろし、教室内を見回した。

「なんか泣きそうになる」

「どうしたの、そんな女子みたいなこと言って」

僕がしばらく思い出にふけていると、いつの間にか俊太と奈央が同じようにそれぞれの席についていた。

二人がそうしたことで、僕の中でその場の空気は完全に昔に戻り、こうしていればいつか先生が入ってくるんじゃないかとさらに高望みをし始めた。しかし、どれだけ待っても来るのは沈黙ばかりで、僕は心の中が次第に空虚で埋められていく感覚を感じた。

「………行こうか、そろそろ」

僕は奈央がそう言い出してくれなければ、死ぬまでここにいたかもしれなかった。彼のおかげで幻想の沼から抜け出せると、僕達は無事に校内を一周し終えて職員室に戻ってきた。

「失礼しまーす、ただいま戻りました」

「おう、お帰り」

俊太がそう挨拶をしながら職員室に入ると、自分の机で僕達を待っていた佐藤先生がこちらを振り向き、近くに来るように手招きをしながらそれに応えた。

すると先生のところへ向かう途中、僕はふと既視感から足を止めた。そして身体の横にある机を眺めると、水中から水面に泡が浮かび上がる時のように記憶が蘇り、目の前の景色に重なった。

「ここだったよね、先生の机」

僕が一点に見入っていると、俊太の横にいた奈央が傍に来て、同じ場所を眺めながら言った。

「うん………」

 返事をしながら目の前の机に手を伸ばし、ガラス細工を扱うように表面を指先でそっとなぞると、僕は心の中の何かが壊れてしまう気がして、思わず伸びた手を反対の手で引き戻した。

「どうだった、校内は。ところどころ、変わってて新鮮だったろ」

「ところどころっていうか、ずいぶん変わってましたね。特に教室にクーラーが取り付けられてたんで、それにはびっくりしましたよ」

「ああ、クーラーな。あれは去年の夏休み中に設置したんだよ」

俊太と佐藤先生の声が聞こえる中、僕は突然の危機意識に苛まれ、その場から身動きできなくなった。

「大丈夫?」

「………ああ、大丈夫」

「行こう」

「………うん、ありがとう」

そして、僕は奈央に背中を押されてようやく歩みを戻し、佐藤先生と話している俊太の横へ行って会話に混ざり込んだ。

 それから先生と別れて学校を後にしたのは、さらに一時間ほど経ってからだった。

その頃には昼間降り刺していた日差しも和らいでいて、僕達は薄暗くなった空の下でさようなら、と小学生みたく挨拶をして先生に見送られながら校門を出た。


「良い暇つぶしになったな」

「うん、でもまさか先生と会えるなんて」

「ほんと偶然だったね」

別れの時間が刻一刻と迫る中、僕は最後にこうして語り合えて、思い出もできて良かったと不幸中の幸いを喜んだ。

数時間前に歩いた道を戻って公園にたどり着くと、聞こえてくる音は変わっていなかったが、光の灯った提灯などの電飾が昼間以上にお祭りらしいムードを醸し出していた。

その雰囲気にあの二人が釣られないわけもなく、俊太と奈央はどこに隠し持っていたのかと聞きたくなるような活力で、また人混みに飛び込んでいった。

「へい、らっしゃい。お、君達さっきも買いに来てくれてたね」

そして三人揃って昼間も並んだ屋台の前に立つと、店主が僕らに見覚えがあるらしく、他の客とは違う応対をとった。

「はい、おじさんの焼きそば、めっちゃ美味かったんで、また食べに来ました」

「兄ちゃん、なかなか嬉しいこと言ってくれるね。よし、じゃあちょっとだけ負けてやろう」

すると、先頭をきっていた俊太が売った媚に店主が乗っかり、気前が良くなった。

「毎度あり」

店主は僕達三人に半額ほどの値段で焼きそばを渡すと、勢いのある掛け声をあげた。

「俊太、あれ意図してやっただろ」

「なにが?」

「なにがって………いつもああやって値引いてもらってたんだね」

「いや、意図してやるほどゲスくねぇよ。ただいつも流れで、なんか値引いてくれるだけなんだ。いつもはそれをちょっとカッコつけて言ってるだけ」

「ふーん」

今まで気になっていた彼の企業秘密を見れた僕は、別に何をするわけでもないが、とりあえず企み顔を作ってわざと俊太を焦らせた。そして彼が僕のたくらみ通りの表情になると、白いビニールを受け取って片手にぶら下げた。

「ねえ、次りんご飴買いたい」

「いいね、じゃあ屋台探そうか」

「よーし、夏奈慧には奢ってやんない」

「えー、なんで。拗ねてるの?」

「拗ねてねぇよ」

「まあまあ、ここからは僕が持つから、お互い言い合わないの」

 僕が俊太を煽り、それに俊太が言い返して奈央が仲裁に入る。いつも通りの会話の流れ。

「………ふっ」

「ははっ………」

「………あははっ」

 僕達は時間を共にするようになってからずっと変わっていない自分達の幼さに、思わず失笑した。

「ほんと変わんないね、僕達」

「十年以上経ってもまだこのレベルだもんな」

「先が思いやられるよ」

 各々その事実に対して言い分を言うと僕達はまた笑い、三人並んでまた歩き始めた。

「いいよ、奈央。俺が最後まで払うから」

「うん、知ってる。さっきのは冗談だよ」

「はあ?」

 場が和んで俊太が機嫌を直すと、仲裁をしていたはずの奈央は立場を一変させて、楽しそうに彼のことを弄んだ。

「奈央が言うようになったところは変わったね」

「そうなんだよ。はあ、俺はそんな悪い子に育てた覚えはないんだけどな」

「夏奈慧ならまだしも、なんで俊太が僕の育ての親気取りなんだよ」

「夏奈慧ならまだしもって、なんだよ。俺じゃ不満か?」

「不満っていうより、不安が大きい」

「なんだそれ」

 それから僕達は、会話を途絶えさせないまま屋台を回り、途中で小中学校の知り合いとも会ったりした。久しぶりの知人と話している間、昔から幅広い友達関係を持っている俊太は、人付き合いの悪かった僕や奈央なんかと違って始終楽しそうだった。

 僅かに残っていた西日もすっかり沈み、夕闇の中で電飾の光が目立ち始めると、僕達は視界を遮るものがないところから花火を眺めるために、中心に聳える丘の上へと続く道に急いだ。しかし、いざ道の入り口に着くと、そこには立ち入り禁止の看板が置かれていて、丘の上へはいけないようになっていた。

お前がちゃんと調べなかったせいで無駄に汗をかいたとか、誰かが花火観覧のベストポジションを独占しようとしてるんだ、などと冗談を言い合いながら、僕達は代わりの場所を探し、学校に行く道とは逆方向にある高台へ移動した。

 そしてしばらくすると、花火開始まであと十分を知らせる案内放送が流れてきた。俊太と奈央がまだかまだかと期待値を上げながら騒ぐ中、僕はそんな二人を見て今日まで謳歌してきたはずの日々に後悔の念を覚え、それは次第に僅かな痛みを伴う悲愴な感情となった。

「今日で最後か………」

「どうしたの、夏奈慧?」

「ううん、なんでもない」

 僕が二人にわからないように一言呟くと、それに気付いた奈央が一緒に騒いでいた俊太を置いて僕の隣へ来た。

その時だった。

 朝に音楽を流して以来、ポケットで静かにしていたスマホがブゥーという通知音を服越しに伝えた。

僕がおもむろにスマホを取り出し、画面を開いてみると一件のメールが届いていた。

「メール?」

「うん」

「誰から?」

 僕は奈央に言われて、確かに誰だろうと差出人が気になりだし、覗きたがっている奈央にも画面が見えるように気遣いながらメールを開いた。そして、差出人の名前とメールの内容を見た途端、僕達は驚きからお互いの顔を見合った。

『夏奈慧くん、最後に話があるからいつもの丘の上に来て。待ってる』

 メールには真剣さが込められた活字で、そう書いてあった。

「二人ともどうしたんだよ、急に静かになっちゃって」

 僕達がお祭りムードの中で固まっていると、何も知らない俊太が浮かれた様子で近寄ってきた。

「………花楓が今から来てほしいって」

「来てほしいって………ああ、病院にか」

「違う………あそこに」

 僕は躊躇いながらメールの文字を一度確認すると、目線を背後にある丘に向けながらそう言った。そして突然現れた分かれ道にひとり当惑し、どちらかを選択しなければいけない現実を憎く思った。

十年近くを共にした親友との別れか、二度と破るわけにはいかない約束か。前者を選べば、今度こそ完全に後者の信用をなくす。後者を選べば、前者とはもう会えなくなるかもしれない。どちらかを選べばどちらかを傷つけてしまう。

思考を堂々巡りさせながら身体の向きを戻すと、当事者でもないのに奈央が思いつめた顔をしてきた。僕は彼と目を合わせると、選択の重要さが増したように感じ、ますます余裕がなくなった。

「いいよ、俺のことは。行ってこい、大切にすべきは友達より彼女だろ」

 すると何倍にも伸ばされた時間が何十秒か経った時、その沈黙を破って俊太が笑顔を作りながら言った。

「だから彼女じゃ………ありがとう、俊太」

 僕はそれに対して反射的にツッコミを入れそうになった。

しかし、それは発していた途中でどこからともなく表れた悲しさや寂しさに飲み込まれ、少しの間が開くと暖かい感情が入れ替わるように口から零れた。

「受験とか色々と面倒事が片付いたらまた遊び呆けような」

「うん………迷惑なくらいメール送るよ」

「あはは………待ってるぜ」

 僕達はこの最後の会話を、泣きそうになりながらもお互いの目を見合って交わし、視覚化できない何かを確認すると頷いた。

「じゃあ………また………」

「おう………元気でな」

「………うん、俊太も」

 二人を置いてその場を去るのは、とても違和感があった。だが、僕はその違和感を押し殺して、一度も後ろを振り返らずに走り去った。

頬の横を抜ける風は湿っぽく、決して気持ちの良いものではなかった。

そして、丘の上へ続く道の入り口に着くと勢いよく立ち入り禁止の看板を飛び越え、前に奈央と来た時よりずっと草が茂った道を駆け上がった。

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