第二章
ある六月の夜、静物着彩の課題に対しての講評を書き終えて一息ついていると、川村が話しかけてきた。
「澤口くん、彼らの作品はどうだい、君から観て。」
「悪くないと思います。授業のテーマをちゃんと理解してくれていますしね。」
「私もそう思うよ。」君はよくやってくれているよと続けたかったのだろうが、私が遮ってしまった。
「ただ、予備校の講師としてでなければもっと楽しく見られるのかもしれません。若い人の絵が好きなんですよ。」
「まず講師として評価して、あとは楽しく見ればいいじゃないか。とにかく、君はよくやってくれているよ。」
「いえ、お陰さまで。」
「ところで澤口くん、ちょっとした相談があるんだけど、この後飲みにでも行かないか?」
川村はこれまでもよく飲みに誘ってくれていたが、それに何かの目的を示唆してきたのはこれが初めてだった。ただ、川村が深刻に困っている風ではなかったし、私も一仕事終えて気分が良かったから何か飲みたかった。
私たちはいつものように川村が贔屓にしている居酒屋に入った。頼んだビールが来て一口目を飲んでから、私から本題を切り出した。
「それで川村さん、相談とはなんでしょうか?」
「そうだそのことなんだけどね、澤口くん最近絵は描いているかね、その...自分のために。」
「いえ、最近はあまり。描こう描こうとは思っているのですが、どうも忙しさにかまけてというか。」
「それなら丁度いい。実は今度ね、画廊を主宰しようと思っているんだが、君も絵を出してみないか。何を描いてもらっても構わないよ。手狭なところだから、極端に大きなのとか壁画とかは無理だけど。」
なるほど、川村は律儀な男だからこの話をするためにわざわざ場所を変えたのか。画廊の話を仕事場に持ち込みたくなかったというよりむしろ、画廊に仕事場の雰囲気を取り込みたくなかったのだろう。
「画廊ですか、いいですね。それでいつまでに描きあげれば?」
「来月までに一枚描いて欲しい。急な話になってしまい悪いね。」
「いえ、それだけあればじっくり練られますよ。」
「そうかい。それは頼もしいな。じゃあ受けてくれるのかい?」
「ええ、もちろん。よろしくお願いします。」
この話を受けたのは川村の「自分のために絵を描く」という表現が気に入ったからだ。純粋に画家だった時期も絵は老夫婦に売れるように描いていたから、その響きは懐かしくさえあった。
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