八百二

 ほとんど獣道のような荒れた道を、慎重に進んでいく。山中を突っ切って池に向かえるといっても、この道を通るのは結構大変だ。

 私ならまだいいけれど、玄人や虎牙だともっとハードルが高いだろうな。

 ただ、ここは流石に当時も道と思われてはいなかったのだろう、道標の碑は一つも立っていない。このことは、行けないような場所に碑は立っていないという証明のように思えて、少し安心できた。


「……あ」


 ちょうど半分ほど進んだところだろうか。道の向こうから、人影が歩いてくるのが見えた。

 間違いない。あの動きにくそうな服装は、八木さんだ。

 元気よく声を掛けようかとも思ったが、疲れているのか良くないものが見つかったのか、彼の表情は曇っている。私は自重して、聞こえるくらいの声量で名前を呼ぶに留めておいた。


「八木さーん」

「ああ、龍美さん。これから池の方へ?」

「はい。……お疲れですね」


 それとなく私が訊ねてみると、


「いや……虎牙くんは流石だ。というより、あんなものがあれば薄々ではあっても気付くものかな」

「収穫、あった感じですか」

「ああ。事件に繋がるかは確証を持てないけれど……三鬼村に眠っていた秘密は、何となく掴めたように思う」


 私たちが探索をした、謎の廃墟。

 そこを八木さんが調査することで、また新たな事柄が判明したわけだ。

 三鬼村に眠っていた秘密、か。私たちはあれを、村役場か何かということで強引に結論付けていたけれど。

 あれはきっと、役場なんかではないのだろうな。


「詳しいことは、龍美さんが帰ってきてからにしよう。でも……」

「でも?」

「……ううん、何でもない。遅くならないようにね」

「あ、はい。数え終わったらすぐ帰りますんで」


 あの日、仲間の前で情けない姿を晒す羽目になった廃墟のことだ。

 その真実を知ることができるなら、すぐにこちらも仕事をこなして帰らねば。


「お昼ご飯、作ってるんで食べてくださいね」

「ああ、ありがとう。……それじゃ、気を付けて」

「はーい」


 そこで八木さんと別れ、私は廃墟のある鬼封じの池へと歩いていく。

 もう私があそこに入ることはないだろうけれど……やはりあの場所に近づくのは、緊張感で胸が詰まりそうだった。

 八木さんがここまで戻ってきたということは、虎牙はもう帰っていそうだ。佐曽利さんの家に戻ったなら、ついでに報告へ上がったりするのもいいかもしれないな。

 道が広くなっていくと、道標の碑も現れ始めた。午後の部最初の碑だ、早速地図に丸を付ける。

 そこからは、進めば進むほどに碑の数が多くなっていった。東側は二、三分に一度見かけるほどだったが、ここだと一分に一度のペースでひょこりと現れる。

 そして、十個ほど丸を付けたところで、私はようやく鬼封じの池に辿り着いた。


「うわあ……」


 道標の碑を意識しながら改めて見てみると、相当に数が多い。

 本当に、池の周り一帯をぐるりと碑が囲んでいるという表現がぴったりだ。

 立ち込める霧が少し視界を悪くしているけれど、それでも数十個の碑がまとめて視界に入る。

 ここがクライマックスになるだろうな。


「うーん、凄い湿気ね」


 地図はただのコピー用紙なので、ずっと出していると湿気を含んでぐにゃぐにゃになってしまいそうだ。

 なるべくポケットにしまっておいて、たとえば十個ごとに記していくとかにした方がいいかもしれない。

 地図をしまって、私は道標の碑を数え始めた。最初の碑の前に目立つよう枝を積み上げてから、時計回りにぐるりと一周。その間十個を区切りとして、まとめて地図に丸を付けていく。

 北側には上流から続く細い川もあったので、そこは水面から飛び出た平たい岩を探し、頑張って飛び移った。……永射さんはここを流れてきたということか。

 作業そのものは案外楽だった。ただ、環境は最悪だ。夏の暑さと高い湿度。そのダブルパンチで、体調がだんだん悪くなっていくのを感じた。

 涼むためにも、早く観測所へ帰りたいものだ。


「……八十二!」


 そこまで数えたところで、最初に置いた木の枝の碑まで戻ってきた。つまり、外周部にある碑の数は八十二個ということだ。今日一日、ここまで数えた合計は実に百二個となる。

 既に地図の中へ落とし込んでいる、街中の碑が六百八十五個だから……七百八十七個か。

 道標の碑が八百二個あると仮定するなら、あと十五個の碑がどこかにある計算になる。確かいつも秘密基地へ行くルートにも碑が立っていたので、向かってみるとしよう。

 さっきよりは比較的通りやすい、なだらかな下り坂。苔の生えた碑は、けれども一部が綺麗なままで、誰かが時折手を触れたりしているような感じもある。

 たとえば道を通る人が、毎回碑に触っていったりしているのだろうか。そんな人がいるというのは考え難いけれど。

 鳥がよく止まり木のようにするせいで、苔が剥げている? それもちょっと無理がある推理か。

 まあ、今は細かいところを気にするより、数える方を優先しよう。気を取り直して、私は丸印を落とし込んでいく。

 ……そして。


「……八百二」


 佐曽利さんの家の前までやってきたところで。

 とうとう道標の碑の数は、八百二個になった。

 ここから先は街の範囲内だし、すぐ近くには昔付けた丸印がある。

 ということは――。


「やっぱり、八百二個なんだ」


 薄々ながら、予感していた結論。

 廃墟の外壁に記された謎の数字と、道標の碑との関連性。

 ただ、それが何を意味するかは判然としない。

 いや、虎牙には予想しているものがあるのかもしれないが……。

 この結果を虎牙に伝えられれば、あいつも仮説を披露してくれるだろうか。

 それは、果たしてどのようなものなのだろうか。

 聞いてみたい気もするし、怖い気持ちももちろんある。

 それは、これまでの事件に関する情報全てに言えたことだけれど。


「……このまま報告に上がるかあ」


 時々飲んではいたが、鞄の中のお茶はすっかり温くなっているし、ちょっと涼んでいきたい気持ちもある。休憩がてらの報告、もとい報告がてらの休憩をさせてもらうとしようか。

 汗の匂いがするのは嫌なので、タオルで最低限汗は拭いておく。気休め程度かもしれないけれど、仕方がない。ぐるりと念入りに拭ってから、私は佐曽利さんの家の戸を叩いた。


「……はい」


 佐曽利さんが、戸を少し開けて顔を覗かせる。訪問者が私だというのが分かった彼は、すぐに表情を緩ませ――とは言えほとんど変わらないが――私を招き入れてくれた。

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