それは人形のように

「……なるほどね」


 全てを語り終えたとき、蟹田さんが呟いたのはそれだった。

 眉間に皺を寄せ、口元に手を当てて、探偵さながらに呟いた『なるほど』。

 しかし、そんな彼でもやはりこの程度の情報では、真相を推理することは不可能なようで、


「せめて計画書の一部でも、読めていれば良かったんだけどな」


 と、悔しそうに零すのだった。

 私があのとき、暗い地下室で少しでも計画書に目を通していれば。

 WAWプログラムの表面的ではない、実際的な内容が判明していたかもしれない。

 あの時点で妨害が入ることを予想できたかと言えば、それは難しかっただろうけれど。

 自分の行動に、後悔の念はどうしても抱いてしまう。


「しかし、人工地震というのは目から鱗だった。電波を使って地震を起こせるかもしれない、か……率直に言うと空想科学だなって感想しか浮かばないなあ」

「地震の波形から連想したものなんで、本当にただの空想に近いのは事実なんですけどね」

「まあ、電波と結びつけられたのは面白いと思う。それに……」

「それに?」


 私が先を促すのに、蟹田さんは声を潜めてこう言った。


「虎牙くんも、当てずっぽうでしかないとした上で言っていたんだ。――軍事研究のようなニオイがするってね」


 ――軍事研究。


 そう言えば虎牙は、鬼封じの池で白骨死体を発見した後、その服装についてこんなことを話していなかったか。


 ――軍服だよ。


 あれは永射さんが死亡するよりも前、二十二日の探検だったが、虎牙はそのとき既に軍という言葉を口にしていたのだ。

 偶然だろうか。或いは、虎牙は事件発生前から何かに勘付いていたのだろうか……。


「虎牙、もっと詳しいことは言ってなかったんですか?」

「余計なこと言い過ぎたら混乱させるからって、それ以上は。まあ、本人も妄想だなと思ったんだろう」


 この小さな街で、軍事研究が行われている。それは客観的にみれば行き過ぎた妄想と見做されかねない。

 でも、最早満生台ではどんなことが行われていてもおかしくはないと、私自身は諦めにも似た感覚を持っていた。


「ま、混乱しないでもなかったけど、視野を広げてくれたのも事実さ。ありがたいことだよ。俺は君たちから聞いた情報を参考に、改めて考えをまとめてみるつもりだ」

「蟹田さんも、また何か分かれば教えてください。そのうちまた、忍び込みますから」

「はは、危ないから是非とは言えないけどなー。待ってるよ、龍美ちゃん」

「はい!」


 掛け時計に目を向けると、時刻はもう午後三時前。結構長く話し込んでしまった。

 蟹田さんによれば、四時くらいに羊子さんが容態の確認に来るとのことで、まだ余裕はあったものの万が一のことを鑑み、さっさと辞去することにした。


「病院は今、祟り騒動のせいで揉めてるから気を付けてね」


 去り際、蟹田さんにそんな忠告を受けたのだが、一階に下りたところで早速、忠告の意味を理解することになる。

 如何にも体の具合が悪そうなお爺さんが、家族に付き添われて病院から出ていくのを目撃したのだ。

 電波塔問題で、鬼の祟りが街に下ると言う人たちが増えてきた。

 そのせいで、永射さんの遺志を引き継いだ病院を、忌避する動きも出てきたというわけだ。

 病院の存在は、とても重要なライフラインだというのに、祟りを畏れて退院してしまうとは。それで死んでしまったら本末転倒としか思えないが。

 ……ああいう人たちにとっては、損得で割り切れない問題なんだろうな。


「……えっ?」


 お爺さんたちが帰って、受付の人が引っ込んだときに抜け出ようと画策していたのだが、そこに予想外の訪問者が現れた。

 玄人だ。

 一時間ほど前は、永射邸跡で犯行現場の調査をしていたはずだが、この来院は定期健診のためだろうか。

 彼は受付の女性に、双太さんと会う予定になっていると告げて、そのまま診察室へ入っていった。定期健診なら、健診で来ましたと言うはずなので、通院というわけではなさそうだ。

 ……彼は双太さんと、事件について話し合っていたりするのかもしれない。だとしたら、双太さんは感覚的に白に近くなるのだが。

 玄人が診察室に入った後、しばらくして受付のお姉さんはまた奥へ引っ込んだ。蟹田さんが話していたように、新規の患者さんはあまりやって来ず、きっとあそこに立っているのが退屈でしょうがないのだ。

 今のうちに出よう。そう思って自動ドアの前まで向かった私は、しかしギリギリのところで人影を発見してしまった。

 玄人に続き、もう一人誰かがやって来たのだ。


「嘘でしょ……」


 思わず、掠れた声が漏れる。私は姿を見られないように、慌てて階段のところまで駆け戻った。……なるべく静かに。

 そして壁から顔を少しだけ出して、様子を伺ったのだが――次の訪問者もまた、予想外の人物だったのである。


 ――理魚ちゃん?


 自動ドアが開いて姿を見せたのは、河野理魚ちゃんだった。どこか虚ろな目をしたまま、受付のお姉さんを呼ぶこともせずに院内をふらふらと歩く。

 そして何故か、歩く方向は私が隠れている階段なのだった。

 まずい。いくら喋れない理魚ちゃんでも、怪しまれて誰かを呼びに行かれたとしたら困った状況になる。

 他にどうすることもできず、私はええいままよと、階段の後ろにあった僅かなスペースで縮こまってやり過ごすことにした。

 コツ、コツ、……コツ。

 理魚ちゃんの足音は、不規則なペースで上っていく。

 情けない隠れ方だったが、何とかやり過ごせたようだ。

 ……それにしても、彼女はどんな用事でここへ来たのだろう。

 誰か、お見舞いする人がいたりするのかな。

 彼女の行動も謎ではあったが、今は気にしている場合ではない。

 早く隙をついて、この病院から抜け出さねば。

 タイミングの悪いことに、理魚ちゃんが通り過ぎていく間に、受付のお姉さんが戻ってきていた。

 またしばらくは、あの場所でぼーっとし続けそうだ。

 我慢比べの様相を呈してきたが、仕方がない。

 誰にも私の姿を見られるわけにはいかないのだ。

 静かなる戦いは、それから約十分の間続き。

 集中を切らさず、じっと受付の方を見ていた私は、ようやくお姉さんが奥に消えるのを確認し、音を殺して自動ドアを抜けた。

 存外長い時間がかかってしまったが、これでやっと八木さんの元に帰れる。

 帰り道でもまだ気は抜けないけれど、そんなに人通りも多くないだろう。

 さあ、急いで帰ろう。

 そう思って、大きく足を踏み出した……そのときだった。

 ドサ、という鈍い音が周囲に響き渡った。

 その音量は、日常音とはあまりにもかけ離れていた。

 音はどうやら私が歩いてきたばかりの、病院の入口あたりから聞こえてきたものだった。


 ――何だろう?


 私は、ほとんど反射的に振り返る。

 それほど深刻さも感じないまま。

 けれど、くるりと振り返って目にしたのは。

 想像を絶する、凄惨な光景だった。


「え――」


 一瞬、人形かと思った。

 だって、そうとしか思えないじゃないか。

 いきなり植え込みに落下してきて。

 ぐにゃりと四肢が投げ出されたヒトガタなんて、等身大の人形なのかなとしか、思えない。

 ああ、きっと患者さんが落としてしまったのかな。

 私の脳は、無理やりそう解釈しようとした。

 だけど、そんな考えを嘲笑うように。

 落下してきたそれから、僅かにではあるが赤い染みが生じ始めたのだ。

 緑色の草木が、赤く染まっていく。

 ……信じられなくても。

 これは、現実の光景だった。

 病院の上階から落下して、植え込みに倒れたのは。

 紛れもなく、河野理魚ちゃんだった。


 ――どういうこと? 一体何がどうなったの!?


 叫び出したい衝動にすら駆られながらも、どうにかそれを我慢して。

 私は野次馬の視線が集まらないうちに、全力でその場から逃げ去った。

 だけど、病院から離れていく間にも、私の目はやはり。

 転落してきた彼女の体を、何度も見つめてしまうのだった……。

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