この檻から解き放たれるために

「……ええ。もし龍美さんがこちらへ来たら、すぐご連絡しますので。では」


 ガチャリと、八木さんが受話器を置く。

 それを待ってから、私は両手を頭の前で合わせて謝意を示した。

 電話はお母さんからで、私が訪ねてきていないかという内容だった。

 受話口から僅かに声が漏れていたけれど、お母さんの声は憔悴しているようで、とても申し訳ない気分になってしまう。

 更に、この電話の後に聞いたのだが、私がぐっすり眠っている昨日の昼間にも、一度電話があったらしい。

 そのときも、八木さんは知らぬ存ぜぬで通してくれたという。

 私を匿っていたことがバレたら、正直言って逮捕されてもおかしくないくらいなのに、それでも私を守ってくれることには、感謝してもしきれなかった。


「この事件が終わっても、ぜーったいに八木さんのことは言いませんから」

「申し訳ないけれど、そうしてもらえるとね。悪気が無いとはいえ、バレてしまったら流石に、今後街にいられなくなってしまうな」


 三十代男性、未成年を山中に軟禁……そんな内容でニュースができあがってしまったらと思うと、恐ろし過ぎて居たたまれなくなった。

 本当、絶対バレないようにしなくては。


「そう言えば、虎牙が来たり、連絡が入ったりはしました?」

「いや、虎牙くんからは何も。……スマホを盗まれてしまったこと、まだ知らないのでは」

「ああ……そうかも」


 というか、蟹田さんがあいつをちゃんと救出できたかも気掛かりだ。

 本当なら昨日、あの人の病室で結果報告といくところだったのだが、それもできていない。

 今日にでも一度、蟹田さんに会いに行かなくちゃならないな。

 体力も回復したし、また本格的に捜査を開始したい。

 今はもう虎牙のためだけでなく、私自身の疑いを払拭するためにも事件を解決せねばならないのだから。


「さて。お昼まで時間はあるけど、これからどうするかは考えているのかな」

「朝はとりあえず、電波塔を見に行ってみようかなって思ってます。病院の実験に電波塔が絡んでいるなら、何か手掛かりがあるかもしれないし」

「ふむふむ。電波塔は近くにあるし、リハビリがてら行ってみるのはいいと思うよ」

「あ、そっか。私、もう丸一日外出てないんでした」


 早乙女さんの事件があって、深夜にここまで逃げ込んで。

 疲労困憊で熟睡していたら、もう七月三十日だ。

 ……そう言えば、今日は学校の終業式だった。試験は全部やりきったのに、最後の日だけ登校できなくなるとは。

 玄人も満雀ちゃんも、心配していることだろう。何せ、虎牙に続いて私まで姿を晦ましたのだ。それも、事件が起きた後という不穏なタイミングで。

 見つからないように、遠くからでも眺めたいなと思うのは、危険なことだろうか。

 でも、多分虎牙も同じように思ったはずだ。

 ひょっとしたら、秘密基地で彼は悩んでいたのかもしれない。

 本当は眺めるだけにしようと決めていたのに、出ていきたくなって……ということだったのかもしれない。

 自惚れかな。

 でも、そう考えたっていいよね。


「街の状況も、様変わりしてますかね」

「早乙女さんのことがあって、住民はピリピリしているようだ。それに、通信障害も相変わらず続いていてね。テレビが見れないとか、携帯が使えないという声があちこちで上がっていたよ」

「ということは、昨日八木さんは街に?」

「二人分の食料を調達しないとだからね」

「あうち」


 それもそうだ。ある程度の備蓄はしているだろうが、急に二人分ご飯を作らないといけなくなったら、材料が足りなくなるのは必然である。

 私がぐうすか寝ている間に、八木さんは秤屋商店でお買い物してくれていたんだなあ。


「あの……お世話になる代わりに、私が料理作りますね?」

「ふふ、いいのかい? そう言ってくれるなら断らないけど」

「いやー、それくらいしないと心苦し過ぎます」


 まあ、手が満足に動かせないせいで、料理は得意じゃないけれど。

 努力すれば何とかなる程度には練習していたから、大丈夫だろう。


「そ、それはともかく……ピリピリしてるのは嫌ですね。電波塔に反対しているのに、テレビや携帯のことに文句を言うあたり、結構都合が良いなと思っちゃいますけど」

「既に浸透しているものとそうでないものとの違いだね。むしろ、そういう障害も材料にして電波塔反対派が息巻いている感じだ」

「電波塔のせいで影響が出てるんじゃないのかーってことですか」

「うん。反対者集会の話もあったよね」


 八月二日。稼働式典とぶつけるように予定されている、反対派たちの集まりか。

 この異様なムードの中では、暴力沙汰になるのではという恐れすら抱いてしまう。

 もう、決して杞憂とは言えないはずだ。

 二つの死は、住民たちの心に燃料を注いだようなものなのだから。


「私、電波塔なんて賛成しようがしまいが建っちゃうんだからいいじゃんって考えてましたけど。……甘い考えだったなあ」

「大抵の人はそうさ。それに、全てを理解できてる人なんていないんだから、答えを出すのは結局、難しいよ」


 電波塔の真実が、全て提示されたとき。

 私はあの塔を肯定するだろうか。否定するだろうか。


「……よし」


 答えを出すのは、難しい。

 今できるのは、真実を探すことだ。


「そんじゃ、ちょっと電波塔を調べに行ってみます。すぐ帰ってくるんで」

「大丈夫だとは思うけど、気を付けて。まだ地面は乾いてないからね」

「はーい」


 持っていく荷物もないので、私は八木さんに見送られ、手ぶらで観測所を出ていった。

 一日外出していなかっただけで、外が大分久々な感じがする。

 空はとても明るくて、見上げてみると雲に切れ間があった。

 長い悪天候だったけれど、ようやく回復してきたようだ。

 八木さんの忠告通り、まだ坂道は湿っている。とは言え水たまりなどはなく、歩くのにさほど苦労はしなかった。

 真っ直ぐに道を下っていけば、十分くらいで電波塔に辿り着く。雲の隙間から日光が射しているのか、鉄骨は一部がキラリと輝きを放っていた。

 山中の森を割って聳え立つ、鉄の塔。

 満生台の未来を担うシンボル。

 あんまりまじまじと見ることはなかったけれど、こうして見上げると人間の叡智というものに圧倒される。

 目に見えない電波を支配し、暮らしを豊かにできるのだから。


「ふう……」


 まあ、とりあえず私にできる範囲でこの塔を調べてみよう。

 怪しげな実験の手掛かりなんかが、雑に置かれてあったら嬉しいのだけど。

 望み薄だが、痕跡くらいはあると信じてもいいだろう。

 念入りに、探してみるとするか。

 電波塔の下部は、システム端末が詰まった機械室が併設されている。ちょうど骨組みの半分くらいに沿わせた建て方だ。

 周囲に鉄柵はないので、機械室の前まで近づくことはできるが、入口扉にはロックがかかっている。どうもこれは単純な鍵ではなく、カードキーのようなものをパネルに読み込ませなくてはならないもののようだ。八木さんの観測所も静脈認証という最先端なものを採用していたが、やはり文化レベルが上昇すると施錠もこういうものに変わっていくのかな。

 幾つかある窓から、機械室の中がどうなっているのか分からないかと、私は窓を覗き込んでみる。しかし、複雑そうな機械装置がずらりと並んでいるのを見たところで、残念ながら私にはそれが怪しいか怪しくないかを判別することは不可能だった。

 というより、装置の外見だけでその怪しさを指摘できる人なんて恐らくいないだろう。

 地下室に放置されていたような、実験の計画書やそれに類する書類も一応確認する。しかし、窓から見える範囲ではそういう書類は影も形もなかった。いくら人がこない場所とは言っても、こんなところで置きっぱなしにはしないか。


「他に怪しいもの、あるかなー……」


 機械室の捜査はこれ以上不可能だ。まさか強引に扉をぶち開けるわけにはいかないし、やってしまったら警報でも作動してしまいそうだし。

 後はぐるりを調べてみて、何もなければ収穫無しと落胆して帰ることにしよう。

 奇跡的に、貴獅さんなんかがここに来て、実験の話を漏らしてくれたらありがたいんだけどなあ。それは流石に奇跡を望み過ぎだな。


 ――あれ?


 諦めかけていたところで、私はあるものを発見する。

 それは、一週間ほど前に鬼封じの池で謎の数字を見つけたときのような、既視感を覚える発見だった。


「まさか、これは……」


 機械室の裏側に打ち付けられたプレート。

 そこに、小さいながらも美しい書体で刻まれた、文章。


『――Waxing and Waning Program.


 To be released from this cage―』


「ワキシング・アンド・ウェイニング……」


 間違いない。

 これが……『WAWプログラム』の正式名称だ。

 Waxing and WaningのイニシャルをとればWAW。その後にプログラムと付いているのだから、これはもう百パーセント確定だろう。

 この英単語の意味は調べてみなければ分からないけれど……。

 ただ、一つ下に記された別の英文。この意味は何となく読み取れる。

 多分、日本語に訳せばこうなるだろう。


 ――この檻から解き放たれるために。


 やたらと詩的な文章に思えるが、こちらは訳が分かっても意味が分からなかった。

 この文章を考案したのは、一体誰なんだろう。

 貴獅さん? いや、それとも元々の旗振り役である永射さんか。

 この檻というのを満生台と見做すならば、電波塔で通信技術を発展させることによって、どことでも繋がれるようになる――つまり檻のような環境を解放する、というような意味にもとれなくはないが。


「……まあ、何にせよこれは収穫ね」


 これが如何ほどの手掛かりになるかはさておき、謎の一つは晴れたわけだ。

 ここまで来たのは無駄足ではなかった。自分の捜査にも意味はあるんだと、私はほっと安堵する。

 その後、電波塔以外に周りの地形なども注視してみたが、特におかしなところはなく、これ以上得られるものはないだろうと判断し、私は観測所へ戻ることにした。

 

 ――解き放たれるため、か。


 最後に振り返って見上げた電波塔。

 そこに刻まれた言葉の真意は果たしてどのようなものなんだろう――。

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