クローズド・サークル
夜がすっかり明けた午前八時半。
朝食を作ってもらい、仲良く二人で食べたあと、八木さんは情報収集のため電話をかけていた。
直接病院へかけると怪しまれるということで、電話の相手は牛牧さんだ。
ちょうど話のネタもあったからと、説明会の感想などをだらだらと話し、牛牧さんの反応を伺う。
ただ、早乙女さん絡みの話は俎上に上らなかったようだ。
まだ朝早いので、牛牧さんも状況を知らないのだろう。それは仕方なかったが、彼との通話の中で、その内容以外のある異常に気付いた。
「……おかしい。通話のノイズが尋常じゃなくて、ほとんど会話が聞き取れなかった」
「ノイズ、ですか?」
「うん。固定電話でノイズだなんて、あまり聞かないのだけど」
スマホのノイズや接続不調なら、回線の関係でたまにあるのだが、確かに固定電話は珍しい。どちらかといえば、それは物理的な問題という気もする。ケーブルが痛んでいる、とかだ。
ただ、八木さんも調べたが電話線に特に問題はなく、その場では原因を特定できなかった。
「私のところだけなのか否かで、原因は変わってきそうだ。モジュラージャックあたりの故障か、もっと大元か……」
「でも、全く繋がらないわけじゃなかったんですよね?」
「それも不思議な話だけどね」
まあ、電話の不調は今究明できることではなさそうだ。早乙女さんのこともまだ知れ渡っておらず、八木さんも事件の真偽は未だ確かめられていない。
「……あれ」
ふいに、八木さんが気の抜けた声を出す。何かあったのかと様子を伺うと、彼はスマホを手にしたまま首を傾げていた。
「どうかされました?」
「いや、スマホが圏外になってる。……そうか、龍美さんはスマホを盗られたんだったか」
「ええ。……固定電話だけじゃなくて、スマホまで圏外だなんて」
――まるでクローズド・サークルみたいですね。
そう言いかけて、私は凍り付いた。
……まるで、なんて接頭語を付ける必要がないのだ。
これは、クローズド・サークルそのものじゃないか。
「テレビも砂嵐の状態だ。どうも外部との通信関係がおかしくなってるように思えるね」
「八木さん、もしもこれが意図的なものだったとしたら……」
終着点がどこにあるかは分からない。
でも、クローズド・サークルというのは圏内の人間を逃がさないようにするためのものだ。
だから、私たちは今。
犯人の掌の上から逃れられなくなっているということになる……。
「龍美さん、あまり悪い方にばかり考え過ぎるのもよくない。そろそろ電波塔の稼働が始まるし、試運転の影響で電波が乱れてるとか、有り得なくもないからね」
「ううん……そうかもしれませんが」
「でも、気になるのは尤もだ。私も可能な限り、街で起きている異常を調べさせてもらうとしよう。どうせこんな状況じゃあ、まともに仕事をする気にもなれない」
「あ……ありがとう、ございます」
私がぎこちなく頭を下げるのに、八木さんは構わないよと微笑んでくれた。
八木さんが知恵を貸してくれるのなら、これほど心強いことはない。
スマホを置いて、八木さんがいつもの席へ着こうとしたとき、固定電話の呼出音が鳴った。
今度は牛牧さんの方から電話かな、と思ったが、取った後の八木さんの受け答えからして、別の人のようだった。
二、三やりとりをした後、すぐに通話は切られたようで、ゆっくりと受話器を置いてから八木さんはまぶたを閉じる。
「貴獅さんだ」
「ああ……」
病院の実権者、貴獅さん。
早乙女さんの不在に逸早く気付けるのは、牛牧さんよりはむしろ彼の方だろう。
果たして私の予想通り、電話の内容は早乙女さん関係だったようで、
「早乙女さんがこちらに来ていないかと聞かれた。来ていないと答えると、探し物をしているところを見てはいないかとも聞かれたよ」
「……鍵だ……」
貴獅さんは、早乙女さんが地下室の鍵を失くし、それを探し回っていると思い込んでいるようだ。
既に貴獅さんが怪しげな実験の首謀者というのは確信していたが、それを補強する内容でもある。
これから彼は、一人でか、或いは誰かを巻き込んで早乙女さんを探すだろう。
そして、変わり果てた彼女の姿を発見するのだろう……。
「そう言えば、龍美さん。君は鍵をどこで手に入れたのかな」
鍵の入手経路について、私はさっきかなり曖昧に説明していた。受け取ったのは蟹田さんからだが、彼の立場上、スパイ行為がバレれば身体的な危険がかなり高いからだ。治療をしてもらえなくなるとか、わざと体を害して医療ミスだとしたりとか、そういうことがないとも限らなかった。
だから、八木さんには申し訳ないが、これもまたムーンスパローと同じように真実は伝えないことにした。
虎牙が盗んできて、鍵を使う場所を教えてくれた。それでも通る話だ。
納得してくれたかどうかはさておき、私が説明をすると、八木さんはそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。
「……きっと、地下室にあった計画書というのは、極めて重要なものだったんだろうね。それを盗まれたことが分かれば、貴獅さんも焦り始めるか」
「八木さん、もしも犯人がまだ殺人を続けるとしたら……」
「……次に狙われるのは、貴獅さんかもしれないね」
殺されていくのは、病院の実験に関わる者。であれば、一番身の危険があるのは貴獅さんだ。
それに、万が一双太さんまで関わっていたとしたら……気持ちは複雑だが、とにかく彼の命も危ない。
「病院の実験も暴きたいのに、殺されていくのはその病院側の人間……ややこし過ぎます」
「街で何が起きているのか。その全てを知るのは、容易じゃなさそうだ」
ひょっとしたら、その片鱗すら。
私たちはただ、この舞台上で踊らされるだけの駒なのかもしれないと、悔しくなった。
……それから二時間ほどが過ぎたころのことだった。
下界から、人々のどよめき声が聞こえてきたのは。
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