虎牙の行方

 空は変わらず灰色だったが、雨は少しマシになっていた。

 さて、これからどうするべきか。昨日、虎牙と協力することを約束したが、具体的にどう動くかまでは考えていない。というより、虎牙としても私が率先して動くことは望んでいなかった。

 あいつがメインで動くとしたら、私にできるのはやはり情報戦だろうか。

 スマホでの通信すら慎重になっていた虎牙のことだ、情報をネットで集めるのにも抵抗を感じているかもしれない。万が一あいつの考えている通り、通信が監視されているとしても、それは要注意人物の虎牙くらいだろう。私が検索をかける分にはバレたりしないはず。

 虎牙が体で、私が頭脳で。そういう分担なら、いい体制でやっていけるんじゃないかな。

 今のところ、キーワードとなり得そうなものは二つ。『WAWプログラム』と『八〇二』という数字だ。一度はネットで検索してみたものの、これだと思えるような情報はなかった。

 恐らく、どちらのワードも造語かそれに類するもの。だから、WAWプログラムならWAWの部分に当てはまりそうなものを推測するしかないし、八〇二も同様だ。途方もなく困難な捜査だったが、希望がゼロではない限り、やってみるべきだろう。

 それにしても、802Mhz帯で通信がなされていたのをキャッチできたのはどう考えても僥倖だった。まさか鬼封じの池で見た数字がそのまま通信の周波数に使われているとは想像もしない。

 だから……虎牙は実のところ、不確かではあれどある程度の裏事情を知っているのではないだろうか。あいつは『話せることだけ話す』と前置きしていたのだし。


「私があいつの知らない情報、見つけてあげられるかしら……」


 とりあえず、手探りでも調べ始めてみるしかない。

 手始めに、八〇二という数字を通信の周波数関連で検索してみる。数字が類似しているので、以前見つけたラジオのホームページもヒットするが、どうも800Mhz前後の周波数帯というのは通信制度が良好で、携帯電話の通信によく利用されている帯域らしい。日本では710Mhz以下がテレビ放送、960Mhz以上が航空関係の装置に利用されているらしく、要は他のものと被らないので良好な通信ができるようだ。

 となると、802Mhzで音声を拾えたのは、単に通信制度が良いから貴獅さんがその辺りの帯域を使っていただけ、という可能性も出てくる。

 ただの偶然だったなら、そちらの捜査は打ち切れるから楽なのだけど。


「……ん?」


 検索結果画面をぼーっと眺めていたところで、小気味いい音と共に、画面の上に通知が入る。

 玄人からのメッセージだ。

 なんだろうと通知上の文章を見たとき、私は胸がドキリとした。


『虎牙がチャットを見たっぽいんだけど、何か知ってる?』


 ――何ですって?


 玄人のメッセージは未読のまま、私はグループチャットのルームを開いた。

 直近に送られたメッセージの既読は二つ。……確かに、いつの間にか虎牙がメッセージを見ている。昨日確認したときは既読一つだけだったので、私に会って以降に既読が増えたのは間違いない。

 でも、虎牙は自分の状態をできる限り隠匿しようとしていたはずだ。街の住民のみならず、玄人や満雀ちゃんにすらも。だからこそ今まで未読のままで放置していたという認識だったのだが。

 それとなく、玄人に無事を知らせたかった? しかし、今更なタイミングだ。私に会いにきたことで心境の変化があった? まあ、あり得ないとは言い切れないが。

 ……分からない。でも、第六感のようなものが『おかしいんじゃないか』と告げていた。

 グループチャットを見たのか――そう虎牙にメッセージを送ろうとして、止める。万が一最悪の自体に陥っていたら、虎牙へメッセージを送ることであいつに何らかの不利益があるかもしれない。

 深読みし過ぎだといいけれど……今は慎重を期した方がよさそうだった。

 一度、佐曽利さんのところへ行ってみようか。今ならあの人を頼っても、無碍には扱われないはずだ。

 虎牙に会って、事情を聞いた。そう伝えれば、彼もきっと協力してくれる。


「よし……」


 ちょうど鬱陶しい雨も控えめになっている。私が頭脳と言ったばかりではあるが、虎牙の無事を確認するまでは、行動に出ることにしよう。

 少し出掛けるとだけ両親に告げ、心配されつつもはいはいと流して家を出る。そのまま北西に歩いていき、佐曽利さんの家を目指した。

 永射さんの邸宅跡付近を通っていったのだが、今ではすっかり寂しい光景になっていた。焼け落ちた建物はほとんど屋根を失っており、二階の床が半分ほど浮いた状態に、壁も崩れたり真っ黒焦げになったりと、原形を留めていない。街で一番豪華な家があったというのが嘘のようだ。

 幸いだったのは、大きな邸宅ゆえ周囲に他の建物がなく、延焼せずに済んだことくらいか。

 恐らくは放火だと思われるが、永射邸が燃やされた理由もまだ分かっていない。単に永射さんが憎かったからというわけでもないはず。彼の水死は計画的な事件の雰囲気があるし、放火についてもその流れは同じだ。

 事件が繋がっているなら、ここも捜査対象だな。

 雨の染みたアスファルトの道を、西へ西へと進む。右手側には山のなだらかな斜面。木々は鬱蒼と茂っているけれど、斜面は全て南側を向いているので、大きな地震が起きれば土砂崩れでこの一帯が埋まってしまうのは必至だろう。下手をすれば街の半分以上……秤屋商店の辺りまでは土砂の被害を受けそうだ。

 八木さんの研究が成果を出して、土砂崩れ対策も『満ち足りた暮らし』の要素として実施されてほしいものだな。

 歩き続けて十分ちょっとで、佐曽利さんの家に到着する。相変わらず、街の外れにある上に簡素な造りの家なので、殺風景に思えてしまう。

 インターホンのない家というのが慣れないので、私はやや躊躇いがちに玄関の戸をコンコンと叩く。聞こえたかな、と心配していると、佐曽利さんがのそのそと出てきてくれた。


「……ああ、おはよう。仁科さん」

「お、おはようございます」


 仏頂面の佐曽利さんに面食らってしまい、どもってしまう私。

 ええい、今は緊張なんてしている場合じゃないんだ。


「あの……ちょっといいですか」


 そう言って、私は佐曽利さんが反応するよりも前に玄関へ上がり、戸を閉める。機敏な動きに佐曽利さんは一瞬だけ慌てたようだが、


「……どういう用件かな」


 すぐに落ち着いた声で、私に訊ねてきた。普通の言葉なのに、脅されているような感じがしてちょっと怖い。


「すいません、突然お邪魔して。……実は私、昨日虎牙に会ったんです。それで、あいつがどういう状況にいるか、全部聞いてて……私にできる限りで協力するって、約束したんです」

「君……」


 そこでようやく、佐曽利さんの表情が明確に変わる。これまでに見たことのない、彼の驚いた表情。

 突き崩すのは今しかないと、私は駄目押しで佐曽利さんに訴えた。


「今日、虎牙がスマホのメッセージアプリでおかしなことをしてたんです。ひょっとしたら、あいつの身に何かあったんじゃないかと思って……ねえ、佐曽利さん。今ここに、虎牙はいるんですか?」

「……そうか。事情は分かった」


 佐曽利さんは、神妙な面持ちで頷いてから、私を細目で見つめた。


「君は、どうしたいんだ」

「虎牙を助けたいんです。永射さんを殺した真犯人を見つけて、あいつの疑いを晴らしたい」

「……俺も気持ちは同じだ。なるほど、虎牙が信用したのなら、構わないか」


 息を一つ吐き、佐曽利さんは私に告げる。


「虎牙は昨日、帰ってこなかった。病院を探る……そう言い残して出掛けてからだ」

「病院……」


 満生台で進められているらしい、怪しげな実験。

 その計画の中心と睨んでいる、満生総合医療センター。

 虎牙は、ムーンスパローで通信を傍受してから、その日のうちに病院を調査しに向かったのだ。

 そして何らかの事情があって、未だ帰還できずにいる……。

 あいつの身が危険に晒されている。それはもう、ほとんど疑いようのないものだった。


「……ありがとうございます、佐曽利さん。私……行ってみます」

「君を信用して話はしたが……無茶なことはしないように。俺も牛牧さんと連絡をとりあっている。彼は病院の計画とは無関係と踏んでいるのでな」

「牛牧さんと? でも、あの人は病院長ですよね」

「当初はな。今は久礼くんに座を譲っている。ほとんど引退した身と言ってもいいくらいだ。それに……旧友として、私はあの人を信用している」


 虎牙も昨日、佐曽利さんと牛牧さんが旧知の仲だと話していた。過去にどんな繋がりがあるのか、それが気にならないわけではなかったが、


「ただの感情論だがね」


 と、どうも話を終わらせたがっていたので、私はそれ以上聞き出すのを止めた。

 優先すべきは、虎牙の手助けだ。


「じゃあ、また」

「ああ……何かわかったら、連絡をくれればいいからな」

「了解です」


 果たして佐曽利さんに連絡をする余裕があるかも分からないが、とりあえず口でだけはそう言っておいて、私は彼の家を辞去した。

 目指すは満生総合医療センターだ。

 住民たちの健康を守る、満生台の要たるあの病院で何が起きているのか。

 虎牙の無事を確認しつつ、たとえ陰謀の片鱗であっても、暴き出したいものだ。

 道すがら、私は玄人から受けたメッセージを既読にし、簡単に返信だけはしておくことにした。

 重要な質問だし、これを未読のままにしておくのもあからさまに怪しいからだ。何も知らない体で、とりあえずは返しておいた方がいいだろう。


『どこかで虎牙を見かけたら、連絡くれないかしら』


 それだけを打ち込み、送信する。

 これで大丈夫だろうと、私はスマホをポケットにしまってまた長い道路を歩いていった。

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