『満ち足りた暮らし』の裏側
最初の一言目から、虎牙の話は私を驚愕させるのに十分なインパクトを持っていた。
怪しげな実験。そんなもの、普通に暮らしている中で絶対に聞かない言葉だ。
「まだハッキリしてないことも多いから、話せることだけ話させてもらうんだけどよ。とりあえず……俺がこの一週間ほどで調べてきた情報について、順を追って説明していくことにする」
「ええ、お願い」
私も自分の椅子に座りつつ、虎牙に続きを促した。
「俺は元々、満生総合医療センターを信用してなくてよ。何でかって言えば、病院の目的がなんとも不透明だからだ」
「不透明? 『満ち足りた暮らし』のためじゃないのかしら」
「ソレだ。確かにあの病院は、満生台の掲げる『満ち足りた暮らし』の主軸だろう。ハコ自体も大きいし、中の設備も充実してる。この街には勿体ないくらいの病院になってるよな。あのレベルの病院なら、普通は都会にあるもんだぜ」
「こういう場所でも都会レベルのものを建てて、それで街の人口も増やしてニュータウンにってのなら、筋は通るじゃない」
「ああ、俺もそれは分かってる。だが、一番気になるのはカネの部分だ」
何となくワルそうな表情で、虎牙は指を曲げて硬貨の形を作る。思わず笑ってしまいそうになったが、そこは我慢した。
「端的に言えば、先行投資が過剰なんだよ。今の満生台の人口は、発展してきたおかげで増えてきたっつってもたかだか二百数十人。後から回収していくにしたって、入ってくる収入は知れてるはずなんだ」
「まあ、それは確かに」
病院の増築や設備増強にどれだけの資金が投入されたかなんて知らないが、回収が見込めるだけの利用者数は間違いなくいない。
これから人口が急増することを計画に入れて? その可能性もないとは言い切れない。
けれど、虎牙が考えるのはそうじゃないわけだ。
「病院には、利益を度外視してでも達成したい、何らかの目的がある――そう邪推してもいいだろ?」
それが真実かどうかはさておき。
虎牙はずっと、病院に対してそんな印象を持ってきたということか。
「そりゃ、百パーセント慈善事業なのかもしれないぜ。現にこの街に病院を設立した張本人の牛牧さんは、ある程度利益を無視してでも良い病院を建てたかったってのを聞いた。あの人の息子さんは難病に侵されてて、ここで療養をしている内に亡くなったんだと。その弔いの意味も込めて、あの人はここに病院を建てたんだとさ」
「あの牛牧さんに、そんな過去が……」
「しかし、今のでっけえ病院はそういうレベルの話じゃなくて、もっと怪しい何かが動いている気がするんだよ」
「……そう言えば」
私は話を聞く中で、ふと八木さんの言葉を思い出す。
満生台に関心を持ち、資金援助をしてくれた機関があるという話ではなかったか。
病院に対する過剰投資の資金源は、間違いなくその機関だ。
「どこかの機関が牛牧さんと交渉して、資金提供する代わりに永射さんが派遣されたって聞いたことがあるけど……もしかして」
「おっと、龍美も知ってたのかよ。俺もそれを知ったせいで、こういう考えに傾いちまったというわけさ」
やはり虎牙も、その情報は認識していたようだ。
牛牧さんの過去を知っているのなら、恐らくは牛牧さんから聞いたことがあるのだろう。
一応、情報の入手源を訊ねてみると、
「俺のオヤジと牛牧さんは旧知の仲なんでな。俺も牛牧さんとはたまに話すんだよ。その中で、だ」
「なるほどね……」
家に牛牧さんが訪問してくるなら、話す機会は沢山あったというわけか。
「んで、最近になって決定的な場面があったんだ。俺が満雀ちゃんを病院に送っていったときのことさ。ちょっとした悪戯心というか、蛮勇というか。病院が後ろめたいことをしているかどうか探ってやろうと、貴獅を尾行してみたらよ……永射の奴と、声を潜めて話してやがったんだ。そこで、聞いた」
「……何を?」
「永射が貴獅に向けて、『実験の首尾はどうですか』と訊ねたのを、だ」
実験。まさか、ストレートにその単語が出てくるとは。
盗み聞きした当時の虎牙も、目を剥いて驚いたに違いない。
その瞬間、胸に芽生えていた病院への疑念は、確信へと変わったのだろう。
満生総合医療センターは、何か怪しい実験を行っているのだ……と。
「俺は永射の邸宅に乗り込んで、奴を問い質したんだが……所詮ガキの戯言だと、何も教えちゃくれなくてな。収穫もほとんどないまま追い返された。それでも諦めねえと、永射の行動を注視してた俺は……あの日、最悪な目に遭った」
「あの日って、まさか……」
虎牙は無言のまま頷いた。
永射さんを巡る最悪な出来事なんて、決まりきっている。
それに、私はあの日に虎牙の姿を目撃しているのだ。
気のせいではなかった。
「七月二十四日。説明会に参加しなかった俺は、集会場には来ていた。そこで永射を監視していたわけだが……会を終えた永射は、何故かそのまま山の中へ入っていっちまってよ。後を追った俺は……奴を目の前にして、意識を失った」
「え……?」
「多分、誰かに殴られたんだろうぜ。目が覚めたとき、頭がズキズキしやがったからよ。その頃にはもう、とっくに日が昇っていて……俺は一人、迷いそうになりながらも山を下りる羽目になった。奴がいたのが川の上流で、その川に沿って下っていって……鬼封じの池まで辿り着いたとき、見たんだ。永射の奴が、死体になって池に浮いているのを」
永射さんの死体の第一発見者は、実は虎牙だったのだ。
そして、彼の証言からすると、事件は間違いなく人の手によるもの……殺人だということになる。
ただ、虎牙がそのことを誰かに明かしても、素直に信じる者は恐らく、あまり多くない。
何故なら――客観的な状況からすれば、永射を突き落とした容疑者として挙げられるのは……他でもない、虎牙だからだ。
「ここまでで分かっただろ、俺が永射の事件後から潜伏を決め込んでいた理由が。奴を尾行していたせいで俺は明らかな容疑者候補。あの夜同じ場所にいたことがバレたら、まず疑われる。だから俺は、オヤジに頼み込んで匿ってもらうことにしたのさ。自分の家なのに匿うってのも変かもしれねえけどよ」
「私と玄人がお見舞いに行ったとき、やっぱりアンタは家の中にいたのね」
「玄人の野郎が永射の死体を見つけて駆け込んできたときも、な」
会えない会えないと寂しさを募らせていたけれど、実は目と鼻の先に彼はいたのだ。
そのよんどころない事情から、どうしても私たちの前に姿を見せることができなかっただけなのだ。
……分かってた。何か理由があることは。
でも、それを知るまでは、やっぱり不安じゃないか。
本当に……ほっとした。
「とまあ、そんなワケで俺は今、かけられるに違いない濡れ衣を晴らすために奔走してるのさ。永射が殺された理由はまだ不明だが、奴は電波塔計画の旗振り役だった。だったら、殺される理由はそこにかかってくるはずだ。動機がある奴なんて、限られてくるだろ」
「電波塔に反対する人たち……」
「だけじゃねえけどな。電波塔稼働によって得られる何らかのメリットを奪いたい。そんな奴もいるかもしれねえ。だから、考えるなら電波塔計画に賛否問わず関わりのある人物ってことになるだろうさ」
なるほど、殺人という暴力的な結果に、ついつい永射さんの計画に反対する者の強引な手段、というイメージが結びついていたのだが、そうとは限らない。
殺人の理由なんて、無数に存在するものだ。
とても基本的なことだけれど、現実に起きている事件に対しては視野が狭くなってしまうなと、私は痛感した。
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