土砂崩れ
雨のせいもあり、満生総合医療センターに到着したのは、学校を出てニ十分ほど経ったころだった。待合室にいる人の姿もこの日は少なく、外出を控えているのは一目瞭然だ。
あまり忙しくないなら良かったと、私は受付に向かう。満雀ちゃんを送ってきたときは、受付の誰かに伝えてお母さんを呼ぶのが決まりなのだ。
「早乙女さん。こんにちは」
「あ、龍美ちゃん。今日も満雀ちゃんと帰ってきてくれたんですね。ありがとう」
患者さんを元気づけてくれる明るい笑顔で、早乙女さんは迎えてくれた。
この時間帯だし、彼女が受付をしているのなら今は暇な方なのだろう。
基本的に、早乙女さんは診察の助手をするような立場だ。受付の人が食事に行っているときだけ代わっているらしい。
それに多分、双太さんも今はいないはずだから、使っている診察室自体が一つしかない。サポート役がそんなにいらないわけだ。
「いやー、雨は大変ですね。満雀ちゃんが濡れちゃうといけないから」
「ありがとね、龍美ちゃん」
じっとり濡れた私の服の左袖を見つめながら、満雀ちゃんはお礼を言う。
早乙女さんも気にかけてくれたようで、
「しばらくここでゆっくりしていきます? まあでも家でご飯が待ってるか」
「そうなんですよねー。満雀ちゃんとお茶でもしていけたら楽しかったですけど」
「うゆ。早く帰った方がいいよー」
雨宿りするにしても、この雨が止む保証はない。むしろ数日に亘って降り続きそうな気配まである。
それなら早めに帰った方がいい。
「あ……満雀。おかえりなさい」
窓の方に目を向けたとき、そんな声が聞こえた。ちょうど私が向いた方、病棟へ繋がる廊下から歩いてきた女性のものだった。
満雀ちゃんのお母さん、久礼羊子さんだ。
「いつもごめんなさいね、龍美ちゃん。他の子にも毎回苦労をかけているけれど」
「そんなのいいんですよ、大事な友達なんですからー。そばにいられて、癒しを貰えてるんです」
「ふふ……そう言ってくれると嬉しいわ」
じゃあ行きましょうかと、羊子さんは満雀ちゃんの手をとる。
病院の中に満雀ちゃんたちの居住スペースがあるため、そちらに帰るのだ。満雀ちゃんも、もうお昼ご飯の時間というわけだな。
昼食を意識すると、私もお腹が空いてきた。
「また明日ね、龍美ちゃん」
「はーい、また明日ね」
羊子さんに連れられ、家に帰っていく満雀ちゃんを見送って、私はふう、と息を吐いた。
そろそろ帰るとしようか。
ただ、その前に聞いておきたいことがあった。
「そう言えば……今日、双太さんが慌てて学校を出て行ったんですけど。どこに行ったか知ってます?」
電話があってからの行動だったので、病院からの連絡だったのではと私は考えていた。すると早乙女さんは、
「ああ、双太さんね……」
と、訳知り顔に頷いた。もしかしたら、彼女が連絡を入れたのだろうか。
「実はね――」
「あ、龍美ちゃん」
早乙女さんが話そうとしたところで、さっき満雀ちゃんたちが歩いていった方から声が聞こえてきた。……この声は。
「あれ、双太さん?」
「ごめん、満雀ちゃんを送ってくれたんだね」
そこにいたのは件の張本人、双太さんだった。学校を出ていったときそのままの恰好で、肩の辺りを少し雨で濡らしている。
ということは、学校を出てそのまま病院に来たということか。
「このまま拾っていこうと思ってたんだけど……」
「拾って?」
話が見えてこず、私は思わず聞き返してしまう。双太さんも慌てているようではあったが、ちゃんと説明した方がいいと思ってくれたようで、
「ああ……こっちに戻ってきたのは、車を使うためだったんだよ。そのついでに学校に寄って、満雀ちゃんを拾ったり学校を閉めたりしていこうかとね」
「車ですか。双太さん、乗れたんですね」
意外だったのでそんなコメントをしてしまったが、問題はそこではないとすぐに思い直す。
車に乗らなければならない用事とは何なのだろう。
「どうして車に……」
「学校にかかってきた電話、貴獅さんからでね。どうもこの街と外を繋いでる、一本しかない道路が塞がっちゃったらしいんだよ」
「え?」
隣町へ繋がる道とは、街の北東にある比較的幅員の広い道路のことだ。北側にあるために、山の間を拓いたような道になっているのだが、それが塞がったということはもしかして。
「貴獅さんも住民から聞かされたらしいんだけど、土砂崩れがあったそうなんだよ。遠くから見ても、山肌が崩れてるのが分かるほどだったみたいだから、間違いなく道は塞がっているとか。それで、学校が終われば手が空く僕に連絡をしてきたというわけさ」
「つまり、双太さんは今から土砂崩れの現場を見に行くってことですね」
「うん、そういうこと」
土砂崩れか。地震が頻発する地域にしては、むしろ今まで無かったのが奇跡的なのかもしれない。もし大地震が起きて、山の土砂が大量に崩れてきたら。街の北側には深刻な被害が出てしまうことになりそうだ。
今回も、一部が崩れただけで街のライフラインが塞がれてしまったくらいなのだから。
「あ、そうだ。双太さん、ついでに龍美ちゃんを送っていってあげたらどう?」
「あ……そっか。そうだね」
早乙女さんが提案してくれ、双太さんもそれがいいと頷く。確かにこの雨の中だ、車で送っていってもらえるならばありがたい。
満雀ちゃんをエスコートした対価として、ここは甘えさせてもらうとしようかな?
「お願いしてもいいですか?」
「もちろん。というか、優亜ちゃんに言われるまで思いつかないなんて、僕もダメだなあ」
「あはは、そんなことないですよ。でも貸しにしちゃおうかな?」
「う、それは勘弁」
からかっても分かった上でちゃんと対応してくれるから楽しいのだが、あまりやり過ぎても困らせるだけだ。送っていってくれるというなら、メインの目的の邪魔にならぬよう、さっさと付き従うとしよう。
「じゃあ、行きましょうか」
「ああ、そうしよう」
早乙女さんに見送られ、私たちは病院の玄関から外に出ていく。そして、だだっ広い駐車場の隅っこの方に置かれた白いミニバンに乗り込んだ。
このミニバンは、患者さんを乗せる救急車の代わりとしても――というか主にそういう用途で使用されている。そのため、後部座席は専用に改造され、患者さんを横たわらせる簡易ベッド、それに応急処置ができる機器が左右に取り付けられているのだ。
ちゃんと座れる座席は、運転席と助手席の二つだけ。双太さんと私で満員だ。
話には聞いていたが、そういう事情もあって私が乗るのはこれが初めて。乗る機会があるなら急患になったときかなと考えていたので、嬉しいのか何なのか、複雑な気分だ。
キーを挿し、エンジンをかける。軽く心地よい駆動音とともに、するりと動き出す車体。
流石は双太さん。まだ走り出したところではあるが、その性格どおり運転も繊細のようだった。
慎重、とも言えるか。
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