惨劇の幕開け
「えへへ、双太さんとドライブときたもんだ」
「とは言っても、龍美ちゃんの家までだよ」
車の速度だと、時間にしてほんの二、三分かもしれない。そう考えると勿体ないような気もする。
どうせなら、もうちょっと長く堪能したいものだ。
……正直、土砂崩れの現場というのも気になっている。
「ねえ、双太さん。ついでだからさ、私も土砂崩れの現場についてってもいいかしら」
「え? うーん、駄目じゃないけど……ちょっと危ないかもしれないしなあ」
双太さんは、再び土砂崩れが起きて巻き込まれる可能性を心配しているようだ。そこまで大きく崩れることはほぼなさそうだが、先生の立場としてはそういう場所に生徒を連れていくのは悩ましいのだろう。
「まあ、車からは出ないんで」
「はは……興味を持っちゃうのも仕方ないか。結構な事件だからね。分かった、一緒に行こう」
「やった。ありがと双太さん」
彼の優しさに付け込んでいるなあ、と反省しないでもなかったが、実際自分たちの街のことだ。重要な道路がどのような状態になっているかは知っておきたい。
復旧に何日かかるか。特に千代さんなんかは仕入の都合からして、そういう情報をいち早く把握しておきたいだろう。
雨の中を、白のミニバンは突き進んでいく。視界は悪いが、双太さんの運転は慎重、通行人の姿もないし安全そのものだ。既に私たちは、永射さんの邸宅を通り過ぎ、街と外部との境界線辺りに差し掛かっている。
車であれば、街の端から端まで十数分もあれば移動することができる。その事実に、私は満生台って意外と小さいものだな、とふいに感じた。
「……そろそろかな」
街の姿は背後にぼんやり見える程度になり、道の左側には急こう配の坂が、右側には堤防が迫る。この辺りまでくると、北の山に接近するのと同時に、南側は陸地も狭まってきて、海との境界線である堤防も迫ってくるのだ。ちょうど大陸の端に沿って走行している状態である。
「うお……これは」
現場のかなり手前で、双太さんは車をストップさせた。安全に配慮してのことだろうが、確かにここまででも十分だ。
道路の先。薄靄のせいで見えにくくはあるけれど、現場の状況はこの場所からでも大体掴めた。
とんでもなく大きな壁が、そこには待ち受けていたのだ。
「ひ、酷い……」
思わず、そんな言葉が漏れる。
斜面の中でも一段と角度がついていたであろう部分。そこがかなり上層部からごっそりと崩れ落ち、土砂だけでなくそこに生えていた大木とともに道路へ流れ込んでしまっている。ひょっとしたら住民たちが集まって作業すれば、数日で除去できるかもと甘く見ていたが、そんなレベルではない。むしろ工事業者が一週間程かけ、重機を導入して頑張らなければどうにもならなさそうな状況だった。
「中々だね、こりゃあ……」
「ですね……自然の壁みたいになっちゃってるわ……」
実際、堆積した土砂の高さは二メートルほどに達していた。南側は海なので、何もなければ一部は海に落ちていくのだろうが、それを堤防が防ぐ形になっている。堤防で止められた土砂が、左右に広がることによって、相当分厚い壁が出来上がってしまったわけだ。
ここからではまだ観測できないが、恐らくは十メートル以上、道は土砂に埋まっているのだろう。
「街の人で何とかなる程度の問題じゃないか。これは、貴獅さんに報告して業者を手配してもらうしかなさそうだ」
「一応、人が乗り越えることくらいはできなくもなさそうですけど……あんまり意味ないですもんね」
道路封鎖で問題なのは、車が通れないこと、つまり物資の運搬ルートが潰れることだ。人が一人何とか通れたからといって、じゃあ大丈夫という話ではない。
本当に非常事態であれば、物資をここまで運んで来てもらってからどうにか手渡しで……というようなことにはなりそうだが、流石にそれまでには解消されると信じたい。
「千代さん、頭が痛いだろうなあ……」
「だね。こういうとき、通信技術ってありがたいなって実感するよ」
「ああ……それは言えてますね」
仮に、この街に通信技術が全く無かったとしたら。工事業者を呼ぶために、誰かがわざわざ隣町まで行って状況を伝え、その町の人に業者を呼んでもらう必要がある。どれだけ前時代的な仮定をしているんだと言われればそれまでだが、極端に言えば通信手段がないというのは、とても不便なものなのだ。
満生台には今、固定電話だけでなく、インターネットの回線もしっかり通っている。なるほど電波塔の重要性を再認識させられる事態だ。
「おっと……電話だ」
言っている傍から、通信技術の結晶であるスマホから着信音が鳴った。誰からの電話かは気になったが、恐らくは病院関係者だろう。はい、と応答する双太さんの口調はやや畏まっており、目上の人物であることが分かる。貴獅さんかな。
「……ええ、今は土砂崩れの現場に。大規模ではないですけど、業者を呼ばないとどうにもならなさそうです。一週間以上はかかると見た方がいいですね……」
私にあまり会話が聞こえないよう、口元に手を当てながら双太さんは話をしている。ただ、時折低い声が漏れてくるので、相手が貴獅さんだというのは確信できた。
最初の報告の後、双太さんは相槌を打つばかりだったのだが、三十秒ほどして、
「……何ですって! 本当……なんですか」
と驚き、眉に皺を寄せながら会話を続けた。
こちらの事件だけでも中々深刻なものだというのに、病院でもトラブルが発生したのだろうか? 気になったが、とりあえずは双太さんが電話を終えるのを待つしかない。
「そうですね……はい。僕はこちらをもう少し見てから戻ります。では」
通話を切ってから、双太さんは蒼白な顔でスマホの画面を見つめ、ふう、と息を一つ吐いた。
少し話しかけ辛い空気ではあったが、聞いておきたいという気持ちが勝り、私はおずおずと訊ねる。
「ど、どうかしたんですか……?」
「いや……うん。貴獅さんからの連絡だったんだけどね。永射さんが見つかったという報告だった」
「え? 良かったじゃないですか」
ようやく永射さんが戻ってきたのかと、私はほっとしてそう言ったのだが、双太さんは違うんだと首を振る。
そう……彼は見つかった、と表現したのだ。
決して帰ってきたとか戻ってきたとかではない。
見つかった……ただそれだけ。
「詳細は分からない。貴獅さんも現場に向かうところだそうだけど……」
現場。今度ばかりは違和感のある表現に、私も気付いた。
そんな言葉を使う意味。
不穏な、沈鬱な気配。
「鬼封じの池で。……永射さんが、水死体で発見されたらしい」
窓の外を呆然と見つめながら。双太さんはぽつりと、そう答えた。
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