第37話 圧倒的な力

 アリスには防ぎようもない。舌を打つアリスの横で、シェーラが祈るようにして両手を握る。半円を描く光の壁が二人を覆った。接触した魔法のことごとくを消し去り、攻撃を無に帰す。


 普段通りの威力が出ない魔法に、悪魔たちは苛立ちを露わにする。己の力を自負しているからこそ、それを発揮できない環境は歯痒いはずだ。


 だが、それでも魔王の力は絶大だった。


 放たれた紫光。膨大な熱量を孕むそれは、光壁を徐々に削っていく。接面がひび割れたのを境に、崩壊の兆しが広がっていく。ついに光壁は音を立てて砕けた。紫光がその輝きを衰えさせることなく二人を襲う。


 アリスはシェーラを抱え、瞬劫によって辛くも避ける。紫光は床を抉り、入り口の扉を消し飛ばした。その向こう側に控えていた大量の悪魔の軍勢をも巻き込んで。


「仲間ごと……」


 敵ながら無慈悲な攻撃にシェーラが息をのむ。


 魔王は消滅した部下たちを見やって不快げに顔を歪めた。


『ふん、いらぬことを。この中に我を侮る者がいるようだな。我が人間に負けるとでも?』


『め、滅相もございません。しかし、万が一のことを』


『不信は死を持って贖うがよい』


『お、お待ち――』


 進み出ていた奇形な鳥の悪魔が、魔王の言葉一つで塵となった。


 万が一の場合に備えて増援を控えさせていたことは、むしろ褒められるべきことだろう。だが、それは魔王が負けるかもしれないという疑心に他ならない。


 自らを信じない者は要らない。そのメッセージに臣下たちの緊張が高まるのを感じた。


 敵を前にしてなお、その場で臣下を裁く傲慢さ。それこそが揺るぎない自信の表れでもある。


 アリスは柄を強く握りしめる。舐められているのは仕方がないことだ。彼我の実力差は論じるまでもない。その力一つで王座へ上り詰めた者に、一介の剣士が敵うはずがない。光の巫女がいたとしてもそれはひっくり返ることのない事実。


 それでも悔しかった。敵うはずがないと決めつけている弱い心が不甲斐ない。これ以上敵が増えることはないと安堵してしまう自分が情けない。


『他に我の勝利を疑う者がいるならば、名乗り出よ』


 静寂。誰一人として言葉を発さない。それどころか息を潜め、まるで魔王の視線から逃れるように闇に紛れようとしている。


『ならば見ているがよい』


 手出し無用と、魔王は臣下に宣言する。その慢心に対して臣下たちが苦言を呈すことはない。呈することは許されない。


『喜べ、人間。我が自らその命に引導を渡してやろう』


 刹那、空気が震えた。魔王が立ち上がる。凄まじい存在感。その圧力に息が苦しくなる。


 シェーラが呻き声を上げた。戦いの経験がない彼女にとって、この威圧感は耐えがたいものだろう。気を失っていてもおかしくはなかった。現に、隅にいる少女たちの何人かは倒れていた。直接敵意を向けられていない彼女たちでさえそうなのだから、シェーラはもっと辛いはずだ。


 それでも彼女は屈することなく、魔王を睨めつけた。


 その姿がとても頼もしい。アレックスたちと戦った日々を思い出す。まるで彼とともに戦っているような、そんな気さえした。


『愚かな』


 魔王の姿が掻き消える。魔法ではない純粋な膂力。


 アリスはその姿を辛うじて負うことができた。瞬劫を使う余裕すらなくシェーラを突き飛ばしてその右腕を受ける。表皮は鋼よりも硬く、力はアリスの何倍も強い。


 たまらず受け流して反撃に移ろうとするが、それより速く魔王の左腕がアリスを叩き潰そうと放たれる。後ろに引いてこれを回避。着地と同時に瞬劫で加速し、一気に魔王の懐へ飛び込む。


 魔王がこれに反応し、鋭い突きを放つ。アリスは身をよじって避け、すり抜け様に胴を両断するつもりで刀を振り抜いた。しかし、魔王の表皮に傷をつけるにとどまった。硬すぎるのだ。


『それは攻撃のつもりか?』


 間近に聞こえる魔王の声。咄嗟に回避するアリス。攻撃の間合いから外れたはずが、その身体に衝撃が走る。吹き飛ばされたアリスは床を転がり、壁にぶつかってようやく止まった。辛うじて刀で受けたおかげで致命傷を避けることはできたものの、衝撃で肺から空気が絞り出され、呼吸に喘ぐ。


 魔王の攻撃は腕によるものでも魔法によるものでもない。両肩の瘤が開き、その中から幾本もの細い長腕が伸びていた。指はなく、鋭利な刃が先端についている。


 少しでも防御が遅れていたらアリスの身体は切り裂かれていただろう。


 トドメを刺そうと紫光を出現させる魔王に、シェーラが光槍で飛びかかる。


 さすがの魔王でも槍に触れることは避け、代わりに紫光を足元へ放った。床が爆発し、瓦礫が飛び散る。


 それをもろに浴びてしまったシェーラは吹き飛ばされ、床に倒れた。身体のあちこちに傷ができていて、白い服が血色に染まっていく。


 痛みに顔を歪めるシェーラに対し、魔王は傷一つ負っていない。その程度で表皮は傷つかないのだ。


『馬鹿な娘だ。不意打ちならば我の腕の一本くらいは持っていけただろうに。その男のために自ら名乗り出るとはな』


 不意打ちなら腕の一本とは言わず魔王を倒すことができたかもしれない。超至近距離であれば、油断している魔王に避けられる可能性は少ない。


 だが、シェーラにはできなかった。真っ直ぐすぎる性格ゆえに、アリスを切り捨てるという合理的な選択をすることができなかった。ただの少女が魔王を倒そうというのだ。他のすべてを犠牲にするほどの覚悟を持たなければならなかった。


 アリスは思う。やはり、生き残るべきではなかった。ここに彼女を運んだのがアリスでなければ、魔王はあのような戯れ言を吐かなかったはずだ。そうしたら彼女は魔王を打ち倒すことができたかもしれない。


 ならば、その贖罪は――この命を持って果たすべきだ。


 シェーラにトドメを刺そうとする魔王を睨み、アリスはありったけの力で足を踏みしめる。


「瞬劫――五倍速ペンデ


 アリスがその速度を安全に持続できるのはたったの一秒。それを越えれば命に関わる。だが、知ったことではない。この瞬間に文字通りすべてを賭ける。


 危険を察知した魔王が肩から伸びる腕で迎撃を試みる。


 しかし、そのすべてをアリスが切り飛ばす。流れるような刀捌きは勢いを増していく。


 魔王が鋼鉄を越える強度の腕でアリスを捉えようとする。


 瞬間、アリスはさらにギアを上げる。


「――六倍速エクシ


 それは師匠より禁止された速度。アリスでは発動すら危ぶまれる領域。そこに自らの意思で手をかける。


 魔王の攻撃を掻い潜り、刀がその首を捉えた。速度が上がれば威力も上がる。確かな手応えを感じたアリスだったが、突然その感触が軽くなった。


「なっ――」


『愚かな』


 アリスの刀は魔王の首を落とすに至らなかった。刀身が折れたのだ。アリスの全力に刀の強度がついてこられなかった。

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