第36話 光の巫女
『我に刃向かうか。面白い』
魔王は邪悪な笑みを浮かべ、献上品である少女たちを見回す。
『その気概に免じ、選ばせてやろう。その男を殺せば、この場の全員を解放しよう』
少女たちの間にざわめきが走る。
一人の命で一二人の命が救われる。それでも犠牲にする相手は憎き運び屋。数々の同胞を魔王に捧げてきた罪人を殺すことに、正当性を見いだすことは容易だ。正当性さえあればどんな蛮行も許容できてしまうのが人間という生き物。
臣下の悪魔が少女たちの前に武器をばらまいた。それを拾って殺せと暗に告げる。
最初は戸惑っていた彼女たちだが、一人が武器を手に取れば続々と後に続いた。
対するアリスは彼女たちを責めることも応戦することもできなかった。受け入れようと考えていた。自分の命でシェーラが助かるのならそれでいいと。その方がずっといいと。
だが、この場でただ一人だけ。それを認めない者がいた。
「私は嫌よ」
シェーラは屈することなく魔王に対峙する。
「そんなことをして生き延びても辛いだけよ。私はもう、誰かを犠牲にして成り立つ偽りの平和に我慢できない」
シェーラを見上げる。彼女はこちらに微笑みかけてから、凛とした表情で前を向いた。
「私があなたを倒す」
『ほう。それは怖い』
小娘の戯れ言と思ってか、まともに取り合わない魔王。だが、次の言葉にその余裕が失われた。
「私はレイストリア王国第九王女、シェーラ・クロレスト・フォン・レイストリア。そして――」
彼女の身体が淡い燐光を纏う。
「今代の、光の巫女よ」
光の巫女。それは同じ時にたった一人しか存在することのできない特異存在。聖眼のように生まれ持ったものであり、悪魔にとって絶大な脅威となる聖人。その場にいるだけで悪魔を弱体化する性能を誇り、それは魔王とて例外ではない。だからこそ、魔王討伐は勇者とセットで光の巫女が必要とされる。
「間に合わなかったって、そういう意味だったんだね」
アリスを励ますための方便だと思っていた。ただの少女であるシェーラがどれほど頑張ったところで勇者パーティーに加わることはできないし、少しの助けにもならないだろう。
だが、彼女が光の巫女だというなら話は別だ。シェーラが間に合っていれば、アレックスは魔王を倒すことができたかもしれない。
「私が光の巫女だって気づいたのは、アレックス様たちが魔王に挑む直前だったの。急いで駆けつけようとしたけれど、間に合わなかったわ」
彼女はやり切れない表情を浮かべて苦笑する。
「光の巫女がいればなんとかなる。お父様――故レイストリア国王はそう信じて、私に街娘として生きていくように命じたわ。いつか勇者が現れるその日まで、耐え忍んでくれって」
――だからね、アリス。
シェーラは振り返って、アリスに微笑みかける。
「誇って。アリスは私を――光の巫女を、魔王の下へ届けたのだから」
彼女の纏う光の一部がその手に槍を作り上げる。
『人間風情があああああ』
臣下の一人がシェーラに飛びかかる。筋骨隆々の土色をした悪魔は魔王の制止を無視して巨大な鉄斧を振り下ろす。光の巫女を魔王の前に招き入れてしまった焦りからか、その攻撃は単調すぎだ。
シェーラが光槍を横に薙ぐ。明らかに素人の槍捌き。だが、それで十分だった。悪魔の身体に槍が触れた瞬間、接触箇所が消滅したのだ。容易く両断された悪魔の亡骸が床に崩れ落ちる。
その光景に、その場の誰もが絶句した。
光の巫女を見るのが初めてだったアリスは、その存在が必要とされる理由に強く納得がいった。触れたそばから細胞レベルで消失させる威力は、対悪魔戦において最強だ。ここに勇者の力が加わるならば、魔王を倒すことだってできるだろう。
だが――。
アリスが苦渋に顔を歪めるのと、魔王が笑い声を上げるのは同時だった。
『確かにそれは脅威的だ。だが、ここに勇者はおらぬ。光の巫女一人では我に敵わぬ』
シェーラの攻撃は当たれば必殺。だが、戦いは素人同然。敵の攻撃を避けることさえ難しいはず。この場にいるすべての悪魔を相手にすることなどできるはずもない。
こちらの戦力と呼べるのはアリスだけ。光の巫女の力で悪魔が弱体化しているとはいえ、到底一人で押さえられる相手ではない。
「……それでも私は、あなたを倒すわ」
シェーラは声を張り上げる。虚勢に他ならない。自らの力では魔王に届かないという自覚があるのだろう。それでも彼女は吼えた。光の巫女としての責務をたった一人で果たそうとしている。
アリスは柄に手をかけた。握る指が震える。刀を抜けばもう戻れない。辛く激しい戦いが始まってしまう。怖い。怖くて怖くてたまらない。吐き気が止まらない。いっそ死んだ方がマシだと心のどこかが叫んでいる。
コウモリに似た二体の悪魔が、両側からシェーラに襲いかかった。身体の芯に響くような深いな高音が発せられる。
シェーラは身をすくめてしまうが、振り回した槍が運良く一体を掠めた。それだけで悪魔の身体は抉られ、大量の血をまき散らす。
ウォーレンハックで人間と共存する悪魔を見てしまったせいか、痛みにもがく悪魔を見て彼女の表情が悲痛に歪んだ。
その致命的な隙を、残った一体が見逃さなかった。背後から襲いかかる。
気づいたシェーラは槍を振り回すが、悪魔は軽々とこれをかわして間合いの内側へ滑り込む。鋭い牙が彼女の首を狙う。シェーラは避けようとするが、動きが遅すぎる。
死を悟る彼女の瞼がぎゅっと閉じられる。
「――瞬劫!」
アリスは叫ぶようにして唱え、疾走する。接近を察知される間もなく悪魔の首を刎ねた。
「アリス!」
心の底から発せられただろう嬉しそうな声。絶望に塗れた戦場に咲いた花のような笑顔に、アリスは不思議な高揚感を覚えた。
魔王と戦う恐怖心は拭い切れていない。足は今にも震え出しそうだし、シェーラを安心させようと浮かべた笑顔はたぶん引き攣っていた。
それでも刀を納めようとは思わなかった。並んで武器を構え、互いに頷き合う。
『今さら勇者の真似事か。笑わせるな。貴様は仲間を見捨てた。それが貴様の性根だ。一度犯した者は、二度、三度と繰り返す。そのときが来れば貴様は再び逃げるだろう』
その通りかもしれない。しかし、アリスは自分が弱い人間であることを知っている。だからこそ、歯を食いしばるのだ。
「僕はもう、逃げたくない」
次々に襲いかかってくる悪魔たちの攻撃。接近戦では敵わぬと知り、遠距離から魔法を仕掛けてきた。
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