第33話 運び屋はすべての無念を背負いゆく
「ちっ……転移を使うのか」
転移は物体を別の座標に移す魔法。緻密な正確さが求められ、その複雑性ゆえに発動までに時間がかかるはずだ。通常は予め陣を用意しておく。即席で使えるようなものではない。
だが、魔王は一瞬でそれを為した。つまり魔王はこちらの攻撃を知覚しさえすれば、転移でかわすことができるということだ。それを打ち崩す方法をアリスたちは持ち合わせていない。
アリスの聖法は自らの速度を上げるだけだ。攻撃するには近づく必要があり、どうしても気づかれてしまう。
キッドの聖法は物体を生物に変えるだけだ。そもそも攻撃向きではない。攻撃するにしても変化させた生物が魔王に近づかなければならないので同様。
シェーラとエイノは一般人であり戦う力はない。
打つ手がなかった。このまま殺されるのを待つしかないのか。
絶望に打ちのめされそうになったそのとき、エイノが言った。
「さっきから、なにと、戦ってるの?」
「なにって魔王と戦ってるのよ。あの黒い悪魔が見えるでしょう?」
誰が見ても明らかな場面。しかし、エイノは不思議そうに首を振った。
「そんなの、見えない」
「なにを言って――」
「ここには、死体しか、ない」
エイノの言葉に魔王が一瞬だけ狼狽したように見えた。すぐに表情から消えたものの、次の言葉に余裕綽々だった態度が豹変する。
「でも、そこの人は、生きてる。おかしい」
エイノが指さしたのは地面に転がっている死体の一つ。青年と思われるそれは、一目で死んでいるとわかるほどの致命傷を負っている。だが、彼女は彼が生きていると言った。
『幻死の魔眼か』
魔眼。それは一つの魔法が封じられた眼球のことを指す。意志を持って見るだけで発動できる代物だ。生まれつき発動できる魔法は決まっており、選ぶことはできない。普通に魔法を発動させるよりも圧倒的に速いため、強力な魔眼を持つだけでかなりのアドバンテージとなる。
魔眼を持つ悪魔は希少で、数え切れないほど悪魔を殺してきたアリスでも指折り数えられるほどしか知らない。
魔法を発動される前に殺すという戦闘スタイルのアリスにとって、視るだけで魔法を発動する魔眼持ちは天敵と呼べる存在だった。何度も苦汁を飲まされたものだ。
エイノは人間だから聖眼と呼ぶべきかもしれない。そのような眼を持つ人間に会ったのは初めてのことだった。
目の前にいる魔王が幻だというのなら、すべて腑に落ちる。おそらくはエイノが生きていると言った青年が本体。
アリスが踵を返した瞬間、青年の死体が起き上がった。人間のように見えるが白目が赤い。悪魔であることは明白だった。
「エイノ逃げろ!」
アリスが叫ぶ。悪魔はエイノに襲いかかろうとしていた。彼にとっての脅威は幻覚を視ないエイノただ一人。この幻覚魔法は視えない者にとっては現実に等しい。エイノさえ殺せば、アリスたちを幻の中で殺すことなど造作もないのだ。
だからこそ、アリスたちはエイノを失うわけにはいかない。
走っても間に合わない。アリスは瞬劫を使って帳尻を合わせようとするが、幻の魔王が立ち塞がる。
襲い来る悪魔への恐怖か、エイノは逃げられなかった。呆然と敵の姿を見つめている。そこへシェーラが飛び込んだ。エイノを守るように抱き寄せる。
「駄目だ! 逃げろ!」
悪魔の手が鋼色に変色し、その指先が二人を貫かんと伸ばされた。幻の魔王に阻まれ、アリスは間に合わない。二人は殺される。
だが、そうはならなかった。
茂みから飛び出した影が悪魔に襲いかかる。蛇だ。それらは悪魔に絡みつこうとするが容易く切り捨てられる。しかし、そのおかげでわずかに速度が落ちた。だから彼は間に合った。間に合ってしまった。
鮮血が飛び散る。シェーラとエイノに悪魔の手は届いていない。
『貴様っ!』
「ゴホッ……こりゃあイテえなあ」
キッドだ。その胸には悪魔の手が深々と突き刺さっている。
引き抜こうとする悪魔だが、キッドがそれを許さない。悪魔に大量の悪魔が巻きついて身動きを封じる。それだけでなく首を絞めた。窒息に藻掻き苦しむ悪魔。そのおかげで魔王の幻覚が消えた。
「……坊主、やれ」
アリスは瞬劫で一気に詰め寄ると、蛇ごと悪魔の首を刎ねた。
ぼとりと落ち転がる頭部。憎悪の炎を滾らせた眼差しがアリスを睨む。
『くそっ、くそっ。もう少しで、あのクソ野郎ども、を……見返せ、る……はず……』
そこで悪魔は事切れた。
悪魔の憎悪は自分に向けられたものではないと、アリスは感じた。
容姿が人間に似ている悪魔は迫害されるという。人間とは劣等種。悪魔の奴隷、あるいはこの世に不要な存在。共生派以外からすれば人間に似ている悪魔など人間と同列扱いなのだろう。だから彼は一人でこの場に挑んだのかもしれなかった。幾人もの運び屋を屠り、献上品を持ち帰ることによって、己の強さを証明しようとしたのかもしれない。
哀れだとは思う。だからといって許そうとは思わない。そんなものが彼女たちを悲しませる理由になっていいはずがない。
「きっど……きっどぉ……しなない、で」
「……エイノは無事か?」
「うん、うん。わたしは、へいき。きっどが、まもって、くれた、から」
キッドのは致命傷と呼べるものだった。心臓を貫かれている。治癒液ではどうにもならない。まだ息があることが不思議なくらいなのだ。
そのことは本人が一番わかっているようで、アリスに苦笑を向ける。
「ざまあ、ねえぜ。ヘマ、しちまった」
「いや。君のおかげで二人は助かった。もっと多くの命も助かった」
「やめろって。照れる、だろうが。……坊主、頼みがある」
「ああ」
「へっ、随分と、素直じゃあねえか。断られると、思ったぜ」
「馬鹿か。冗談でも言えるわけないだろ」
三年間、無念に死んでいった運び屋を何度も見た。運び屋は最低な仕事だ。それでも運び屋には運び屋の矜持がある。その命を賭してでも献上品を届けなければならない。街を守るために、たった一人の少女を犠牲にする罪を背負って進まなければならない。
自らの失態によって、今までの犠牲を無に帰すなどあってはならない。彼女たちの死を貶めることなどあってはならない。
だからこそ運び屋は、同業者の無念すら運ぶのだ。
「坊主は、真面目すぎる、ぜ」
「お前もな」
立場が逆だったらキッドも同じことをするだろう。サンデアードの逃亡劇で助けてくれたくらいお人好しなのだ。一人で逃げた方が確実だっただろうに。リスクを負ってまで手を差し伸べてくれた。
「エイノは必ず僕が届ける。だから安心して眠れ。お疲れ様…………キッド」
「バカやろう……最後の、最後で……デレるんじゃねえ」
キッドは縋りつくエイノの頭を優しく撫でて、ニカッと笑った。
「坊主の、言うこ、とを……よく、聞くんだぜ…………最期ま、で、一緒に…………なくて……すま、ねえ…………」
キッドの手が地面に落ちる。それが最期の言葉だった。
アリスとシェーラは残されていた馬車の様子を見に向かった。
エイノはキッドにしがみつき、悲しみに暮れている。あの二人は運び屋と献上品という関係だけではなかったのだろう。知人か、家族か、あるいは恋人か。
キッドとはここで別れなければならない。だから、しばらくの間はそっとしておくことにした。
馬車の中を覗き込むと、そこには一〇人の少女がいた。みな膝を抱え込み怯えている。その中の一人がこちらに気づき、歓喜の表情を浮かべる。
「助けがき――」
だが、アリスの手の甲に刻まれた印を見て、すぐに表情を陰らせた。
「運び、屋……」
彼女たちからすれば先ほどの悪魔に連れ去られるのも、アリスに連れて行かれるのも結果は変わらない。
「ねえ、私たちは……」
希望はないと知っていて、それでも少女は縋るように口にした。
だからアリスは、いつものように絶望を言い渡す。
「ああ。僕が全員、届けるよ」
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