第5章

第34話 魔王城へ

 馬車を引いて門前にたどり着いたのは、期日当日だった。さすがに一二人もの少女を運ぶのは骨が折れた。シェーラが協力してくれたのと、少女たちがみな静かだったおかげでなんとか間に合うことができた。


 魔王城は城というよりは要塞と称した方がしっくりくる。重厚な鋼の扉が、厳かな音を立ててゆっくりと開く。中には多数の悪魔がおり、好奇の目でこちらを見ていた。


 シェーラが身を寄せてくる。不安と恐怖の入り混じった表情を見て、アリスは彼女の手を握りしめた。


「大丈夫だよ」


 彼らが襲ってくることはない。そんなことをすれば魔王に消されるとわかっているから。


 真っ直ぐ進むと塔の下に行き着いた。ここが受け渡し場所だ。


 いつの間にか、羊の骨に黒い執事服を着た悪魔が馬車の前に立っている。


『献上品を前ヘ』


 受け渡し時には必ず執事による検分が入る。ここで献上品としての質を失っている場合――たとえば大怪我を負っているなど――は納めたと認められない。つまり、届けたにもかかわらず街は消される。運び屋として最も緊張する瞬間だと言える。


『すべて問題ない。承認する』


 一二人の少女全員を献上したと認められた。これで彼女たちの街は一時的に救われる。


『人数が多い。前代未聞だ。少し待て』


 いつもならここで帰っていいと言われるのだが、今回は違った。執事が塔の中へ消える。


「アリス……ここでお別れなのよね」


「うん。そう……だね」


 別れの挨拶など考えたこともなくて、アリスは言葉に詰まる。いつもなら罵声を浴びせられたり、泣きすがられたりするだけでまともな挨拶をかわせない。


「私ね、勇者に憧れていたの」


「勇者に?」


「ええ。先代のケイネーレ様に」


 ケイネーレはアレックスの前の勇者。初の女性勇者で、史上最強とまで言われた人物だ。そしてアリスが勇者を目指すきっかけとなった人でもある。


「奇遇だね。僕にも、そういう時期があった」


「そうなの!? もっと早く言ってよ!」


 死が間近に迫っているというのに、彼女はパッと笑顔を咲かせる。


「すっごく恥ずかしいのだけれど……ケイネーレ様が引退するって聞いた時にね。次の勇者には私がなるんだって思ったの」


 シェーラは頬を染めながら、けれど大切な思い出を抱きしめるように語った。


「どうして、そう思ったの?」


「理由なんてないわ。そういうものでしょ? 憧れって」


 そうかもしれないと、アリスは思った。


 自分だって同じように考えた。戦いなど無縁の環境で育ちながら、ケイネーレの次は自分だと、分不相応にも思っていた時期がある。


「当然だけれど私なんかがなれるわけがなくて、次はアレックス様がなって……今はもう、勇者はいない」


 ――だからね。


 決意の宿る瞳を輝かせ、シェーラは不安な気持ちを吹き飛ばすように言い放った。


「私が勇者になるわ」


「勇者……に?」


「ええ。この命を賭して、私が人々を救うの」


 勇ましき者。なにもそれは、魔王を倒すという意味だけにとどまるものではないだろう。彼女のように決意を持って絶望を突き進むことができるのなら、それは勇者と呼ぶに相応しい。


「それでね。お願いが、あるの……」


 モジモジと身体をよじっていたシェーラは、覚悟を決めたようにずずいっとアリスに迫った。


「私に、勇気をちょうだい!」


「ゆう、き?」


 いきなり勇気と言われても具体的にどうすればいいかわからない。それを聞く前にシェーラは瞼を閉じた。わずかに上げられた顎が、その行動の意味を諭す。


 アリスは言葉を詰まらせ、喉を鳴らした。そんなものを求められるとは思ってもみなかった。しかもここは魔王城。周りには悪魔がいて、アリスたちの様子を窺っている。


 口づけすら初めてなのに、こんな特殊な状況でするなどハードルが高すぎた。


 今すぐに逃げ出したい。その気持ちをぐっと堪える。


 シェーラにとってこれが最後のキスとなる。最初かどうかはわからないが、初めてであってほしいと願う自分に苦笑する。


 彼女の気持ちに応えたい。


 願いはできるだけ叶えるという旅のルールを免罪符にして、ありったけの勇気を振り絞る。


 ゆっくりと顔を近づける。触れてもいないのに彼女の温度が感じられて、頬から耳までカッと熱を帯びる。心臓の音がうるさい。彼女に近づいているのか遠ざかっているのかわからなくなる。


 シェーラの肩を掴む。彼女の身体がびくりと震えるが、瞼は開かれない。


 息を止める。


 唇を近づける。


 もうすぐで――触れる。


『魔王様がお呼びだ。献上品とともに来い』


 浮ついたムードを断ち切ったのは冷えた執事の声だった。


 アリスは驚きのあまり飛び退いて、シェーラは自らの大胆さを思い知って顔を真っ赤にする。追求されたくない一心で執事に問う。


「どうして呼ばれてるんだ。僕は謁見を希望してない」


 運び屋は希望すれば魔王に謁見することができる。献上した累計数で近づける距離が決まるため、一か八かで奇襲しようと考えた時期がアリスにはあった。


 だが、あのとき見た魔王の力と、アレックスが負けた事実を考えて諦めたのだ。いくら近づいたところで魔王には勝てない、と。


 仲間を死に至らしめた相手だ。復讐をするわけでもないのだから会いたいわけがない。そのため、謁見は希望していなかった。


『知らぬ。拒否権はない』


 そう言われた以上、従うほかない。魔王の命に背けばアリスが殺されるだけでなく、王都だって消されるかもしれない。


 できることなら一生会いたくない相手。憎悪の感情を隠しきれるか不安だった。敵対していると判断されれば一巻の終わり。敵の本拠地で逃げ切れるはずがない。


 無意識に握りしめていた拳をシェーラが優しくほぐしてくれた。指に絡んだ彼女の細い指がこそばゆい。


「来てくれると私も心強いわ」


 シェーラの手は微かに震えていた。当たり前だ。これから死にに行くのだ。怖くないはずがない。彼女の覚悟を台無しにするわけにはいかなかった。


 アリスは大きく息を吐いて心を静める。彼女のために一切の憎悪を封じ込める。魔王に対して無感情でいられるよう心がける。


「わかったよ」


『ついてこい』


 執事の後に続く。一一人の少女たちも同様だ。

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