第32話 最強の待ち伏せ
四人は隊列を組んで進む。前方をアリス、その後ろに間を開けてシェーラ。キッドが運んでいる献上品である少女――ノイエがすぐ後ろに続き、最後方をキッドだ。馬はシェーラが連れている。彼女が手綱を引いていると、この状況下でも馬は大人しくしてくれた。キッドたちの馬は隠れた際にはぐれたそうだ。
不意打ちへの警戒はすべてキッドに任せ、アリスは前方だけに集中する。いつ景色が変わるかわからない今、意識を他に割く余裕はない。
しばらく進んだところで、アリスは足を止めて後ろに制止の合図を送る。目の前の景色が揺らいでいたのだ。
ここからが本番。なにが待ち受けているかわからない。敵は間違いなく中級以上の悪魔。下手をすれば上級、それを上回る王級の可能性だってある。そうなれば絶望でしかない。
慎重に足を進める。揺らいでいる景色は次第に確かな形に結ばれていく。
そうしてアリスは眼前に広がる光景に絶句した。
大きな血だまり。派手に飛び散る肉塊。転がっている一〇の死体。そのほどの惨劇すら霞ませる衝撃が、そこにいた。
「なんて、魔王が……」
アリスの言葉に一同は悲鳴にも似た声を上げる。
「おいおい……そりゃないぜ」
震えた声でキッドが言う。苦笑したつもりなのだろうが、頬が引き攣っていて顔は強ばっていた。シェーラたちは恐怖のあまり声も出ないようだ。
アリスだって信じたくはない。悪い夢なのだと思いたい。だが、三年前に見た魔王の――仲間たちの仇の姿を忘れるはずがない。
禍々しい黒の肌に、毒々しい紫のライン。不釣り合いなほど膨れ上がった肩。竜を彷彿とさせる剛爪と頭部に生える二本の捻れた角。二つの目の他に、額に開いたもう一つの眼球。大地を踏みしめる二脚の太さはアリスの身体の横幅に等しい。
『クカカ。我の姿を知っているのか』
襲いかかってくる様子はない。当たり前だ。魔王からすればアリスたちの相手など赤子の手をひねるようなもの。なにをされようが勝つという結果が決まっているのだから、急く必要はない。
「どうして邪魔をするんだ。僕たちは魔王城に向かう途中だぞ」
『人間風情が我に意見するか。思い上がるな。この世は我のもの。我の気分次第で万事が変ずる。貴様らに抗う自由はない』
お前が決めたルールだろうと、噛みつきたい気持ちをぐっと堪える。
運び屋が献上品を城に届けなければ街を滅ぼすというのは、言ってしまえば魔王の娯楽に過ぎない。世界を支配しているのだから、望めばなんでも手にすることができるのだ。そもそも脆弱な人間に運ばせる合理性がない。
生にしがみつく人間を眺めるための一つの方法なのだとしたら、それは運び屋から献上品を奪い取ることでも満たすことができるのではないか。
『城へたどり着きたくば、我の手から逃れてみよ。届けることができたなら、貴様らの街は存続を許そう』
魔王の攻撃を掻い潜り、ここを脱出する。そんなことできるはずがない。アレックス率いる勇者パーティーですら負けたのだ。しかもそのときは悪魔陣営の内乱によって魔王の力が弱まっていたときだった。にもかかわらず勝つことができなかった。
あれから三年。すでに万全な状態を整えていることは言うまでもない。仮に悪魔を弱体化させることのできる光の巫女がいたとしても勝ち目はないだろう。
どうする。退路はない。停滞は確実な死。進む以外の道はなく、その先に活路はない。
「アリス……」
背にかかるシェーラの声。抑えきれない恐怖を感じながら、必死に声の震えを押さえているのがわかる。彼女は諦めていない。きっとアリスが勝つと信じている。勝ってほしいと願っている。
アリスは刀を構えた。
「やるしかないね」
「ったく、勇ましいねえ」
嫌味を言いつつもキッドが隣に並ぶ。
「背中に隠れててもいんだよ?」
「抜かせ。俺にだってメンツってもんがあるんでな」
シェーラとエイノは後方に下がらせた。
『愚かな』
紫色の光の球体が魔王の頭上に出現する。ジリジリと空気を焦がす音が爆ぜる。人の身で触れれば耐える間もなく消滅するだろう。
『その身を持って知るがよい』
アリスとキッドに向けて幾本もの光が照射された。二人は左右に広がって攻撃をかわす。標的を失った光が地面を穿つ。爆ぜた跡には灼熱の液体が溜まっていた。
光線の破壊力に肝を冷やしつつ、アリスは接近を試みる。
その隙を作ろうとするキッドは林の中へ身を隠し、攪乱攻撃を始めた。トンボの大群が木々の中から現れ、魔王へ突撃する。
まるで小バエを払うように魔王が手を薙ぐと、いくつもの風刃が出現しトンボの大群を残らず切り裂いた。聖法が解けたトンボは何の変哲もない、細切れとなった葉へと戻って舞い落ちる。
注意が逸れたこのタイミングで一気に近づこうとするが、突如地面から飛び出してきた壁に阻まれた。舌打ちする間もなく壁の一部が赤白く変色。咄嗟に横へ転がると、先ほどまでいた場所を紫光が貫いた。
「僕たち程度に本気は出さない、か」
三年前ですら魔王の力はこんなものではなかった。手加減されているのは明らか。ならばそれを利用しない手はない。油断してくれているのなら、つけいる隙は必ずある。
林の中から二頭の狼が駆け出た。
魔王が紫光で迎撃を試みるも、素早い動きに当てることができない。
一頭が正面を突き進み、もう一頭が死角へと回り込む。狼は同時に飛びかかった。
『小賢しい』
魔王の周囲の地面が赤く光り、炎が噴き上がった。焼き尽くされた狼は骨へと戻り、一瞬で燃えかすとなった。
『無駄な足掻きだ。諦めてその命を差し出し――っ!』
狼を囮として気配を消していたアリスが、炎が消えると同時に切りかかる。瞬劫による四倍速の動き。魔王が気づいたときにはすでに間合いの中。
――捉えた。
確信したアリスだったが、次の瞬間に目を見張る。
『時を操るか。だが、我の前ではすべてが無意味』
刀が空を切る。魔王はいつの間にか離れた場所に立っていた。四倍速となっていたアリスですら、その動きが見えなかった。
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