第24話 少女の機嫌ほど高いものはない
ウォーレンハックについてすぐシェーラに思う存分ご飯を食べてもらい、機嫌を直すことに成功したアリス。所持金は寂しくなったが、背に腹は代えられない。シェーラを怒らせてはならない。
ご飯を食べているときの彼女といったらそれはもう可愛くて、アリスはついつい高い料理の注文も許してしまい、今激しく後悔していた。
「駄目だ、お金が足りない……」
馬車はもちろん高すぎて買えないのだが、必要だと思われたもろもろを買い揃えることができなかったのだ。買えたのは大きなバックパックと何着かの着替えだけ。あとは食糧を少し買えるかくらいしか持ち合わせがない。
お腹いっぱいでウキウキの彼女にはこんなこと口が裂けても言えない。もうあんな怖い思いはしたくない。
店を出てすぐ、シェーラは買ったばかりのバックパックを指さした。アホ毛が元気に飛び跳ねている。
「私が背負うわ」
「いや、いいよ」
「任せて。私だって役に立てるわ」
絶対に無理だとわかっていたが、彼女に対して生半可な説得は通じないので身をもって知ってもらうことにする。下手に否定するとムキになるので厄介だ。
「重いから、重心を前に傾けておいて」
「任せて!」
自信満々にシェーラが背を向けてくるので、バックパックを背負わせてあげる。
「放すよ?」
「いいわよ! ――きゃっ」
案の定、シェーラは可愛らしい悲鳴とともに尻餅をついた。
「あー、シェーラには重すぎたね」
「ちょ、ちょっと油断しただけ。だいたいわかったから問題ないわ」
バックパックを背負ったまま立ち上がろうとするが、シェーラの「うぅぅ~」と踏ん張る声に苦しみが濃くなっていくだけで持ち上がる気配はない。
「もういい?」
「もうちょっと! あとちょっとでいける気がするの!」
それから何度かチャレンジしたが、結局は持ち上げることができなかった。
肩を落として鼻をすするシェーラに、アリスは呆れ顔で言う。
「どうしたの急に」
「……別になんでもないわ」
ふてくされた表情で口を尖らせるものだから、少し意地悪をしたくなってしまう。しばらく黙って待っていると、彼女は頬を赤らめて視線を逸らした。
「足手まといになりたくないもの」
「そんな風に思ったことはないけど」
「だって、私がいなければサンデアードで死にかけることはなかったじゃない。一人で残って時間を稼ごうとしたのは、私がいたからでしょ?」
ああ、とアリスは納得した。小人の上級悪魔との戦いは、キッドがいなければ確実に死んでいた。それを彼女は自分のせいだと思っているようだ。
その考えは間違いではない。シェーラがいなければ単身で脱出することはできただろう。
だが、間違ってはいなくても、考える意味のないことだ。そもそもの前提が違う。アリスは運び屋だ。荷物はごく普通の少女。彼女たちが戦闘や長旅に慣れているはずがない。それを考慮して行動するのはアリスの役目であって、今回失敗したのもアリスだ。
キッドは危険を感じて連れを街の外で待機させていた。シェーラを一人で待たせておくなどできるはずもないが、彼のようになんらかの対策は講じるべきだった。
だからシェーラが気にすることではない。
そう説明すると彼女は俯いた。薄い桃色の唇を噛み締め、小さな手を強く握っている。納得していないことなど明白だった。
「それじゃあ……本当に足手まといだわ……」
「いや、だから――」
「アリスにだけ辛い思いをさせたくないの。頼りないかもしれないけれど、役立たずかもしれないけれど、それでも、私は……」
頬を綺麗な滴がこぼれ落ちる。泣かせるつもりなんてなかった。辛い思いをしてほしくなかったから、シェーラは悪くないのだと言いたかっただけなのに。いくら言葉にしても伝わらない気持ちが、ひどくもどかしい。
「ごめん」
「謝らないで。アリスはなにも悪くないもの」
シェーラはゴシゴシと袖で涙を拭い、精一杯の作り笑顔を浮かべた。赤くなった目元が彼女の儚さを際立たせる。
思わず、綺麗だと言いそうになった。今の状況にまったくそぐわないから、ぐっと飲み込んだ。馬鹿だ。こんなときになにを考えているのだろう。自分が自分で嫌になる。
「それに……お金なくなっちゃったの、私のせいだから」
えへへ、と照れ笑いしてくれる彼女の優しさが苦しくて、アリスは努めていつも通りに言う。
「そうだね」
「そこは違うよって言ってよ」
「でも本当のことだから……」
「もう!」
わざとらしく頬を膨らませる仕草が愛らしい。
ねえ、シェーラは役立たずなんかじゃないよ。シェーラのおかげで僕は今とても――。
アリスは頭を振って、浮かんだ言葉を沈めた。そんなことを言っていい立場ではないのだから。
「シェーラに買い物を任せてもいいかな? まだ本調子じゃなくてさ」
嘘ではない。サンデアードでの戦いの疲労が未だ抜けきってはいなかった。そもそもアリスは他人と話すのがあまり得意ではないし、会話はとてもエネルギーを使うものだ。できるなら避けたいのは本音だった。
シェーラの表情がパッと輝く。やはり泣き顔よりもこちらの方が魅力的だ。
「うん。やっぱりシェーラはその方がいい」
「ん? なにが?」
「いや。なんでもない。ただの独り言」
「ちょっと、気になるじゃない」
「ほら、さっさと行くよ。足引っ張らないで」
「あっ、もう! アリスったら酷いわ」
なんとか誤魔化せたらしい。つい思ったことが口に出てしまった。あとからすごく恥ずかしいことを言ったことに気づいて、頭の中は大パニックだった。もう一度言わされたら羞恥心で死ねる自信がある。
ウォーレンハックという街は、どうやら特殊な場所のようだった。悪魔と人間の区画が分かれていないのだ。門番は人間と悪魔がちょうど半々だった。普通の街であれば人間が任されることはない。
街中では当然のように両者が歩いている。剣呑な雰囲気は微塵もなく、笑顔を浮かべながら話に花を咲かせている者もいるくらいだ。
「不思議な街よね」
「こんなの僕も初めて見たよ」
人間と悪魔が共存している様を見る日が来るなんて想像だにしていなかった。子供の頃から悪魔は敵だと教えられて育ったのだから当然と言えば当然だろう。敵は滅ぼすものであって、手を繋ぐ相手ではない。
だが、この街の人々は違う。悪魔とともに生活している。
干し肉などの保存食を取り扱っている店は、二本足で立つ黒狼の悪魔が切り盛りしていた。肉の匂いで浮き足立っていた彼女はそれを見た瞬間に及び腰になり、店の前まで行くことができずにいる。
「僕が行こうか?」
「だ、駄目よ。私の役割だもの。アリスが初めて私を頼ってくれたのだもの。大丈夫。大丈夫。…………襲ってきたりしないわよね?」
彼女が敏感になっているのはサンデアードの一件のせいだろう。本来であれば人間との関係が悪い街であっても、献上品である彼女に襲いかかってくることはまずない。罪を犯せば別だが、冤罪をふっかけてくるようなケースは稀だ。
唾をごくりと飲み込み、シェーラは恐る恐るといった様子で一歩ずつ距離を縮めていく。
『いらっしゃい』
「ひっ――は、はい!」
彼女は身をすくめ、目をギュッと閉じて硬直する。仮に襲われていたら即死の反応だ。せめて逃げようとするくらいはしてほしかったが、高望みはできない。
黒狼の悪魔は慣れているのか、肩をすくめて苦笑した。
『食ったりしねえから安心してくれ。この街へは初めて来たみたいだな』
「……は、はい。あの、どうして、人間と、その……」
『街長の方針なんだ。無駄な争いは止めて平和に生きよう、と。賛同する者だけがここに来た』
かつて人間の中にも悪魔との融和を解く者がいた。彼らは狂人と罵られ、人間社会に溶け込むことができなかった。だからといって悪魔側に受け入れられることもなかったらしい。ある一団が悪魔と友好関係を築こうと近づいて、悪魔によって皆殺しにされたのだ。以来、彼らの話は聞かなくなった。
そのような悲劇が、この街では起こっていない。奇跡と言っていいくらいの出来事だ。
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